論考

Thesis

日本人の価値観を問う~人間の幸福に関する個人的考察

1.はじめに

 最近、自分自身について考える事がある。何故私は、この時代に、女性として日本に生まれてきたのだろう。何をするために、そしてどのように生きるために?
 もしも発展途上国の貧しい家庭に生まれていたら。きつい労働で体を酷使し、1冊の本を手に取ることもないままに生涯を終えていたかもしれない。日本という国に生まれ、様々な事を学ぶ機会を与えられた事に、心から感謝せずにはいられない。
 さて、私が生を受けた日本は現在、世界でも有数の「お金持ち国」であり、国民は様々な問題を抱えながらも、便利で快適な暮らしを享受している。(かのように見える)
 モノがあふれている、デパートやスーパーマーケット。戦争のない、平和な暮らし。発展途上国で今もなお、飢えや過酷な労働に苦しんでいる人達は、目を丸くして「日本はまるで天国だ」と言うに違いない。
 多くの日本人が、彼らにとっては夢のような電化製品やハイテク機器を家に備え、休みともなれば飛行機に乗って海外に出かける。食べ物は、和洋中なんでもござれ。腹がいっぱいなら惜しげもなく捨ててしまう。まさに「神様のような」暮らしぶりである。
 しかし、この黒い目をした小さな神様たちは、特別いいことをして天国にきている訳ではない。たまたま日本に生まれて、何となくそんな生活をしているだけなのである。故に神様にふさわしい慈愛の心や、偉大なる英知、未来を見通す力など、何も持ち合わせてはいない。
 しかも、かつて自分達がひどい事をしたアジアから、性懲りもなく収奪してきたエビやバナナをを貪り食らって、何とも思わない(?)。これでは、「エセ神様」どころか「神様のような暮らしをしている極悪人」である。そう言われても、仕方がないような気がする。(少し言いすぎかもしれないが)
 勿論、日本人の中には、「エビやバナナ」がどのように作られ、日本に運ばれているのかを知らない人もいる。しかし、知っていても、見て見ぬふりをする人だって、大勢いるのある。そして、「アジアの人達は本当にかわいそうね。私は日本に生まれて、良かったわ。せいぜい楽しまなきゃ。今日は、どこに遊びにいこうかな。おっと、ボーナスが出たら、あの子に負けないように、シャネルのバックを買わなきゃ」とそう思っているのだ。
 さて、ここで問題である。このような思考パターンを持つ、日本人の彼又は彼女は、幸福なのだろうか。
 私の答えは、否。物質的欲望に心を奪われている限り、人間が真の意味で満たされ、幸福になる事はない。(と思う)
 何故なら、物質的欲望には限りがない。100万円の時計を苦労して手にいれても、次には300万円の時計が目の前をちらつくようになる。心の渇きは、いつになっても癒される事はない。
 「日本人は貧しいよね、もっともっとと欲張って、満たされる事を知らないでしょ」
 誰かと話をしていた時に、ふっと耳にした言葉が、妙に印象に残った。
 確かに、モノはあふれている。紙はふんだんに使い捨てられ、食べ物は余り放題。しかし、エビを食らい、テレビやステレオを持ってはいても、日本人の多くは何故か、あまり幸福ではないように思われる。
 「衣食足りて、礼節ますます乱れる」と嘆かれたのは、他でもない松下幸之助塾主である。
 その原因は、どこにあるのだろうか。

2.日本と日本人

 私達日本人の多くは「他と競争し」「他より優位に立ち」「他に自慢出来るような家や蔵を建てる」事が人生の最大の目標であると、そう思い込まされている節がある。(それは他人と自分を比較し、他人に羨ましがられるようなブランド品を数多く集める事にも通ずるのではないだろうか?)
 私は(財)アジア保健研修所(所在地愛知県日進町、主にアジアの保健、開発ワーカーの指導育成を行なっている)の事務局長である、池住義憲氏(51歳)によって行なわれたワークショップに参加する事で、初めてそれに気がついた。
 例えば、日本人ならば誰もが知っている、桃太郎、うさぎとかめ、舌きりすずめなどの昔話。
 桃太郎は、一説によると朝鮮征伐と深い関係が有ると言う。桃太郎が鬼退治に行った島というのは、朝鮮半島。そこには悪い鬼が沢山住んでいる。退治すると、ごほうびがもらえ、桃太郎は出世し、おじいさん、おばあさんはお金持ちに。
 うさぎとかめの話は、こうである。かめは、大変歩みがのろい。それをうさぎにからかわれ、悔しまぎれに競争する事になる。そして、かめを馬鹿にして途中で寝ているうさぎを追い越し、汗と涙を拭いながら一歩ずつ歩き続け、最終的にはうさぎに勝ってしまうのである。
 この2つの昔話は、私達日本人に「我慢して忍耐強く努力すること」「相手に勝つこと」さらには、「出世して、金持ちになること」を良しとする、そんな価値観を強要してはいないだろうか。
 興味深い事に、アイヌの昔話では、「金銀財宝を手に入れた」「蔵を建てた」という話の終り方はないと言う。誰かが何かいい事をすると、神様がその地域の人達みんなに「必要な物を、必要なだけ手に入れる事が出来るようにしてくれた」というのが、最大級のハッピーエンドであるらしい。
 これは、狩猟文化と農耕文化の違いによるものなのかもしれない。(貯蔵が出来るか、出来ないか)しかし、必要なものが必要な時に、みんなに与えられるようになることを最大の幸福とするアイヌの人達の幸福感に、私達は多くを学べるような気がするのである。
 環境破壊、人口爆発、広がる南北格差。貧困そして、テロリズム。激化する地域紛争。21世紀を目前にして、人類はかつてないほどの大きな課題を抱えこんでいる。
 私は、資源の公正な分配こそが、これらの困難な課題を解決する糸口になると考えている。
 その為には、この日本においても、「儲け至上主義」の企業や、権力の座にしがみつこうとする悪質な政治家達のかわりに、正義と公正を望む善良な普通の人々が、社会のイニシアチブを取って行かなければならない。
 そして 正義と公正のための第一歩は、価値観の変革から始まる。
 自分のためだけに費やしていたお金と時間の何分の1かを、人類の未来のため、苦しんでいる誰かのために、振り向けるのである。
  私達日本人、一人一人の力は本当に小さい。しかし、例えば1万人、あるいは10万人の人が、毎年1万円ずつお小遣いを出せば、1千万円、1億円のお金が集まるのだ。そのお金を、緊急になすべき環境保護や、発展途上国の人々のための援助に使う。
 自分が出した1万円で、アジアの子供が学校に行けるようになる。手紙で「ありがとう」と言ってくれる。
その喜びは、シャネルのバックを手に入れるより、数倍も大きいのではないだろうか。
 私達は、人と比較して自慢出来るような「モノ」を持つ事に執着するよう、知らないうちに慣らされてきたのである。
 自分の中に当り前に持っている価値観を問い直し、本当に自分が「生きている喜び」を感じられるのは、どんな時なのかを、改めて思い起こしてみること。
 そんなちょっとした発想の転換が、今の日本人には必要なのではないだろうか。

3.日本は封建社会?

 先月のレポートでデンマークの事について書いたが、北欧の人々の価値観やライフスタイルに、学ぶべきところは大きい。
 まず何よりも、発展途上国に対する理解。そして環境に対する意識の高さ。
 「我々は十分に豊かなのだから、途上国への援助は当然の義務である」「次の世代につけを残さないためには、相応のコストを負担しなければならない」これらの事を、頭で分かっているだけでなく、行動に移している。
 日本では、まだまだエゴイズムと場あたり主義が強く、「総論賛成、各論反対」の現状から脱却するのは、大変困難であるようだ。
 日本人は、思想を持って生きてる人が少ないよね」
 アメリカ在住15年の知人が、日本に一時帰国し、最近そんな事を言っていた。
 「日本人は、どこかいい会社に入って、面倒をみてもらう、後は毎日を出来るだけ楽しく過ごす。そんな事しか考えてない人が、多いんじゃないの?」
 又、こうも言った。「日本はまだまだ封建社会なんだよ。政治はオカミのやる事、そんな意識が強く、民主主義を理解していない」
 選挙の投票率の低さなど、案外そんなところから説明出来そうである。
 さらに言えば、日本人のボランティア活動や市民運動が今一つ盛りあがらないのも、これと関係がありそうだ。
 勿論、日本が世界でも有数の「残業時間の多い国」であり、ライフスタイルにゆとりがないなど、大きな要因は幾つかある。しかしより本質的には、日本人の意識の中には、欧米型の「市民」という発想がないのである。(或はなかったのであると言うべきか)
 しかしながら、時代は変わりつつある。「オカミ」に任せておいたのでは、自分達の生活は守れない。阪神大震災以降、多くの人がそう考えるようになってきた。
 地域の環境、教育、福祉など。その地域に住む住民として、それぞれの課題に積極的に取り組んで行く。そんな動きがどんどん出てくるようになれば、日本の社会も、そして政治も大きく変わっていくだろう。地方自治体は、民主主義の学校である。
 その為には、「金と暇のある主婦」達ばかりでなく、企業につとめるお父さん、学生、定年退職後のおじいちゃん、おばあちゃんなど、様々な立場の人達が活動に参加出来るよう、社会システムを整えていくことが必要である。(私は政治家は、それをすべきであると思う)

4.西日本リサイクル運動市民の会に聞く

 福岡市の天神に、エコロジー&リサイクル型社会のシステムと場作りをスローガンに掲げ、活動している市民運動がある。1993年11月発足の「西日本リサイクル運動市民の会」がそれである。
 前職は生協の職員だったという、代表の小池寿文氏(34歳)に、お話を伺った。
 西日本リサイクル運動市民の会は、市民、団体等の出資による、社団法人をモデルとした定款、運営形態を取っている。
 主な出資団体は、福岡県遠賀郡の「廃油を守る会」名古屋市の「中部リサイクル運動市民の会」など。
 活動内容は、フリーマーケット、イベントの開催(アクションゴミゼロ)くるくるリサイクルの定期刊行、リサイクル商品の啓発、普及活動など。
 さらに、「地球に優しい買物ガイド」の企画、出版にも、バルディーズ研究会とともに関わっている。
 「講演を一度聞いたくらいで、人は変わりませんよ。では、どうすればいいか。私達は、具体的な活動、しかも楽しい活動を提案することを心がけています。」
 気軽に参加出来るフリーマーケットやイベントを通して、問題意識を持ってもらう。地域の事を語りながら、地球環境問題の事にまで話を広げていく。
 日本には、市民の間の議論がないのが問題、と小池さんは言う。
 「環境問題に取り組んでいる人達には、2タイプあります。アウトドア派で自然が汚れていくのに我慢がならない人、前からずっと市民運動に関わってきた人。そして、大体八割くらいの人は、関心がないのが現状ですね」
 それでは、関心のない八割の人達には、どんなアプローチをしていけばいいのだろうか。
 「日本の市民グループにも、問題があるんです。欧米のNGOなどと比べると、政策提言能力が弱い。何にでも反対と言うだけで、代替案を持っていない。」
 故に、多くの人を引き付ける求心力に欠けると言う。
 何となくいいことをしてます、では弱い。自分達は、こうするので、会員になって下さいと言い切れる強さ、それが必要なのである。
 日本ではNGOに参加する人も、それを支持する人もまだそう多くはない。ドラッカーの「非営利組織の運営」によれば、アメリカでは総数9千万人の人が、非営利組織で無休のスタッフとして働き、第二の仕事として週当たり平均3~5時間を使っている。
 さらに、アメリカでは自分に代わって活動をしてくれる人に対し、お金を出すのは当然の行為であるという意識があると言う。(らしい)
 日本では、独立した事務所も有給のスタッフもない組織が多く、手弁当で活動しているのが実態。どうしても、企画力、提案力、社会への影響力において弱いものがあると言わざるを得ない。これをどう解決していくかは、今後の課題ではないだろうか。

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吉田裕美の論考

Thesis

Hiromi Fujisawa

藤沢裕美

第15期

藤沢 裕美

ふじさわ・ひろみ

どんぐり教育研究会 代表

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環境問題 特に環境教育(森のようちえんなど)

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