Thesis
1 エネルギー政策の構造
わが国のエネルギー政策は、学識経験者、産業界、消費者の代表からなる審議会(諮問機関)の審議と答申により決定されている。
審議会としては、個別産業ごとに「鉱業審議会」「石油審議会」「石油需給調整審議会」「石炭鉱業審議会」「電気事業審議会」などがあるが、その中でも最も重要なのはエネルギー政策を総合的に審議する「総合エネルギー調査会」である。
この「総合エネルギー調査会」は通産大臣の諮問機関であり、ここで日本の「長期エネルギー需給見通し」を作成し、それに基づくエネルギー政策の基本方針を打ち出している。そして、「総合エネルギー調査会」において審議されたことは、会長から通産大臣への答申として報告され、それがほぼそのまま総合エネルギー政策推進閣僚会議で承認され、日本政府のエネルギー政策として決定されている。
このようなエネルギー政策決定プロセスは、諸外国のそれと比べると、以下の点において大変異質である。
まず第一に、エネルギー政策と言う国家的重要政策が、審議会で調査審議され、国会の審議を経ることなく決定されていることである。
国民を代表する国会の審議を経ることは、諸外国の政策決定プロセスにおいては、なくてはならない重要なポイントである。
例えばアメリカでは、エネルギー政策は連邦議会による法律の形式をとっている。スウェーデンにおいても、エネルギー政策は最終的に国会で決定される。しかしながらわが国においてはエネルギー政策は、「新エネルギー導入大綱」や「地球温暖化防止行動計画」と同様、「閣議決定」という形式をとっている。
この「閣議決定」は、内閣官房内閣参事官室の資料によれば、「内閣としての意思を決定する事項」について行なわれるものである。通産省の資料によれば(エネルギー’96)これを決定する、総合エネルギー対策推進閣僚会議の構成メンバーは、内閣総理大臣、外務大臣、大蔵大臣、通商産業大臣、経済企画庁長官、科学技術庁長官、環境庁長官であり、必要に応じて関係大臣が出席すると言う。
昭和52年以来これまで合計25回開催され、その開催日時と内容は表1のようになっている。(エネルギー’96 254ページ)
しかしながらこれは法律とは異なり何の法的根拠もなく、一国のエネルギー政策としては甚だ心許なく、曖昧なものであることが指摘されよう。
第二には消費者団体や環境団体など、エネルギー政策に利害関係のない市民グループの見解が、政策決定プロセス全般において全く反映されていないことである。
エネルギー政策をとりまとめている「総合エネルギー調査会」のメンバーは、後に詳しく述べるようにエネルギー業界と経済界、元通産官僚によって占められている。
又実質的に「長期エネルギー需給見通し」の原案は、下部組織の基本政策小委員会や原子力部会、都市熱エネルギー部会などが作成にあたっており、その下書きを行なうのは、資源エネルギー庁の官僚である。
資源エネルギー庁の官僚は、関連業界にヒアリングを行ないながら、業界の意向を汲みいれた原案を作ると言われている。
原子力部会、都市熱エネルギー部会はそれぞれ、資源エネルギー庁の原子力産業課、ガス事業課の官僚が原案を作成している。このように時には個別に、業界の意見を聞きながら作成される原案は、必然的にエネルギー供給サイドに偏ったものにならざるを得ない。
さらにこれを審議する「総合エネルギー調査会」では、様々な角度から議論を行ない、時間をかけて検討することもなく、ほとんどは原案がそのまま成案となっていると言う。このように見てくると、日本のエネルギー政策の決定プロセスには、全く民主的手続きを欠いており、多くの問題を抱えていることが分かる。
2 日本のエネルギー政策の変遷
このようにして決定されるエネルギー政策は、「経済成長のためのエネルギー安定供給」に第一の優先順位を置いている。
ここで戦後、高度経済成長をへて今日に至るまでの、わが国のエネルギー政策を簡単に見てみよう。
わが国のエネルギー政策は、第1期占領時代(1945~1951)、第2期経済自立化時代(1952~1961)、第3期高度成長時代(1963~1972)、第1次石油危機(1973~1978)、第2次石油危機と石油代替エネルギー導入対策(1979~1982)、近年のエネルギー対策(1983~現在)と、6つの時期に分類することが出来る。
第1期の占領時代には、「経済復興に必要なエネルギー供給」を達成するため、石炭を軸とする傾斜生産方式がとられ、石炭増産に必要な資金が優先的に配分された。
第2期の経済自立化時代には、「経済自立に必要なエネルギーの供給」を政策の柱として、石炭産業の合理化、コストダウン、石油産業の導入が行なわれた。
第3期の高度成長時代には、「低廉で安定的エネルギーの供給」をはかり、石炭から石油への転換がなされた。また原子力開発とLNG(液化天然ガス)の導入もはじまった。
第1次、第2次石油危機の時代には、「エネルギー安全保障の確立」をめざし、石油供給の確保と、省エネルギー、石油代替エネルギーの推進が柱となっている。
1974年にはサンシャイン計画(新エネルギー技術開発)、1978年にはムーンライト計画(省エネルギー技術開発)がそれぞれスタートした。
さらに1979年10月には省エネルギー法が、1980年5月には代替エネルギー導入法が制定され、この法律により通産大臣が、閣議決定を経て石油代替エネルギー供給目標を定めることとなった。
そして近年のエネルギー政策であるが、1983年から1989年までの原油価格下落時代には、国際的な石油の低価格という状況の中で、「エネルギー安全保障と経済性のバランス」「消費者ニーズに適合したエネルギーミックスの形成」を柱とし、石油産業の構造改善などが推進された。
またこの時期から情報化、サービス化、都市化、高齢化がすすみ、民生、運輸部門におけるエネルギー消費が伸びている。
そして1990年代に入ってからのエネルギー政策は、高まりつつある地球温暖化などの地球環境問題への対応をふまえ、「経済成長、環境保全、エネルギー需給安定」の調和をめざした、いわゆる「三体一体政策」となっている。
1990年10月に日本は、「地球温暖化防止行動計画」を決定し、2000年までに1人あたりの二酸化炭素排出量を1990年レベルで安定化するという目標を打ち出した。
1993年度からは、従来のサンシャイン計画、ムーンライト計画を一体化させたニューサンシャイン計画(エネルギー環境領域国際技術開発推進計画)をスタートさせ、太陽光、風力、燃料電池、等の技術開発を進めている。
また1993年3月には、79年の省エネ法を強化した「エネルギー需給構造高度化法」「省エネ、リサイクル支援法」が成立した。
1994年6月には、総合エネルギー調査会が、「長期エネルギー需給見通し」の改定を行ない、地球温暖化防止行動計画との整合性がとられている。
この「長期エネルギー需給見通し」は、1992年11月に産業構造審議会、総合エネルギー調査会、産業技術審議会の3部会合同の報告「今後のエネルギー環境対策のありかた」をふまえ、新たに省エネルギー対策、新エネルギー導入策を追加することにより、「2000年以降、1人当たり二酸化炭素排出量を1990年レベルで安定化」することを、達成しようとするものである。
具体的には一次エネルギーの総供給量の伸び率を、2000年迄は年率0.92%に、2000年から2010年までは0.88%に抑制する。
国民総生産の伸びは、2000年までは3%、2000年以降2010年までは2.5%と仮定されている。
そして、そこから見込まれるエネルギー供給量を、石油の消費を極力抑制しながらまかなうために、次のような供給見通しをたてている。
まず、非化石燃料である原子力と、二酸化炭素排出量の少ない天然ガスを現状の2倍程度の拡大することで、何とか地球温暖化防止行動計画と帳尻をあわせている。
しかしながらこれによれば、現在運転中の原子炉47基、設備容量で約4000万キロワットである原子力を、2010年には7250万キロワットにまで拡大することになる。これは後20年の間に、現状とほぼ同程度の原子炉を建設することを意味している。
これは物理的にも不可能であることは、総合エネルギー調査会のメンバーや、電力会社でさえ指摘しているところである。
また「長期エネルギー需給見通し」では、太陽、風力といった新エネルギーについては、2000年に1次エネルギーの2%、2010年には3%程度の導入を見込んでいる。表
これを踏まえ1994年12月には、「新エネルギー導入大綱」が閣議決定された。それぞれの導入目標は、表のようになっている。 表(新エネルギー導入大綱)
しかしながら、この「長期エネルギー需給見通し」には多くの問題を抱えている。
1996年12月20日、総合エネルギー調査会基本政策小委員会が発表したところによると、わが国の一次エネルギー総供給量は既に「長期エネルギー需給見通し」の想定を上回るペースで増え続け、2000年度に想定していた一次エネルギー総供給量を、95年度で超えてしまったと言う。
92、93年度は1次エネルギー総供給量の伸びを、年率1%以下に抑えることができたが、94年、95年度は4%の伸びであったため、2000年までに地球温暖化防止行動計画を達成することは、ほぼ不可能となっている。
そこで総合エネルギー調査会基本政策小委員会では、「2030年の二酸化炭素排出量を1990年レベルで安定化させる」シナリオを描いている。
これによると、2030年まで2%の経済成長が続くことを前提に、二酸化炭素排出量の安定化のためには、原発立地(約50基の新設)、省エネ.新エネ推進、それぞれが最大限実施されることが必要であると言う。
このように日本のエネルギー政策の変遷をみてみると、一貫して「経済成長維持」を前提とし、そこから見込まれるエネルギーを安定的に確保することを、最重要の命題としてきたことが分かる。
通産省の資料の中でも、今後のエネルギー政策に対する要請として、まず第一に、「エネルギー需給の安定」が挙げられ、次に「エネルギーの効率的供給、市場原理の重視」「地球環境問題への対応」となっている。(資源エネルギー庁 強靭かつしなやかなエネルギービジョン)
しかしながら今後は、「二酸化炭素排出量の少ない産業への転換」等も含め、経済成長のありかたから、根本的にエネルギー政策そのもののありかたを検討していく事の重要性も指摘されよう。
日本のエネルギー政策は、通産省資源エネルギー庁の諮問機関が立案しており、行政組織の特徴から見れば「産業政策従属型」となっている。しかしながらデンマークなどは、環境省がエネルギー政策を立案する、「環境政策従属型」であることが指摘される。
今後わが国のエネルギー政策が、産業政策従属型の「エネルギー安定供給政策」からの脱却をはかるには、行政組織の改革なども同時に検討することが必要であろう。
3 原子力を拡大する電源三法
また日本のエネルギー政策においては、非化石燃料としての原子力に過大な位置付けが与えられている。
通産省は、エネルギーの8割以上を海外に依存するわが国にとって、特定のエネルギー源だけでなく、各種エネルギーを組み合せる「エネルギーのベストミックス」を考える事が必要不可欠であるが、その際には次のような点に配慮することが重要であるとしている。
その第一には、アジア地域を中心としたエネルギー需要の増大、石油供給の減少等から、世界的に需要の逼迫が予想される石油依存度の低減であり、より一層の石油代替エネルギーの開発、導入である。
第二には、地球温暖化に対する積極的な取り組みであり、二酸化炭素を出さない非化石燃料への依存を出来る限り高める事である。
さらに各エネルギー源の供給安定性、経済性、環境負荷、導入可能性等を総合的に判断した上での、「エネルギーベストミックス」を構築すべきとしている。
その中で原子力は、供給安定性、経済性、また発電の過程で二酸化炭素を出さない等、環境負荷の面からも優れたエネルギー源であるとして、中核的な石油代替エネルギーであると位置づけられている。
そして、優れたエネルギー源である原子力を順調に拡大するために、1974年6月に制定された「電源三法」が、大きな役割を果たしてきた。
電源三法とは、「発電用施設周辺地域整備法」「電源開発促進税法」「電源開発促進対策特別会計法」を指し、原子力発電所の建設などを目的に創設されたものである。
これに基づき電源開発促進税(電気料金の約2%)を財源とする、電源立地促進対策交付金や、電源立地特別交付金などが原発建設のアメとして使われてきた。
さらに通産省.資源エネルギー庁は、97年度から、稼働中の原子力発電所の地元自治体に対する「原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金」を新設するとしている。
これは、電源立地促進対策交付金が、建設開始から運転開始後5年で打ち切られるのに対し、原発の運転開始から寿命がくるまで30年以上支給されると言う。
また使途も、これまでは公共施設の建設に限られていたが、工場や新産業の誘致、福祉対策設備費などにまで広げている。
Thesis
Hiromi Fujisawa
第15期
ふじさわ・ひろみ
どんぐり教育研究会 代表
Mission
環境問題 特に環境教育(森のようちえんなど)