論考

Thesis

月例報告

第二次大戦後、韓国に取り残され、身寄りがなく孤独な老後を過ごしている在韓日系婦 人の保護施設、社会福祉法人「慶州ナザレ園」(金龍成理事長)は新羅の古都、慶尚北道 慶州市九政洞にある。

今月末、この法人の代表をしている金龍成理事長を訪問するNHKのラジオ番組デイレ クターと大企業社長夫妻、実践教育活動家の一行に私も同行して、同園を訪ね、お話を伺 った。

理事長の金龍成(キム・ヨンソン)氏は、1919年3月に生れで、今年77才。現在 、全国老人協議会会長など韓国の社会福祉界の第一人者で、「韓国の社会福祉の父」とも 呼ばれている。また、著名なクリスチャンとしても知られている。

金氏は、抗日地下運動で亡命した父を追って母に連れられ、4才の時、シベリアに渡っ たが、間もなく母と死別してしまう。父は日本軍の憲兵に捕まり、拷問でリンチされ獄死 する。10才で孤児になってからは、労働者の飯場の小遣いをしながら、独力で小学校を 卒業する。中学は、父が思想犯のため公立中学学校へは進学できず、小学校時代の知人の 計らいで私立中学学校へ進学し、朝晩の新聞配達や牛乳配達をしながら苦学して卒業する 。この時にキリスト教に出会い、洗礼を受ける。

金氏は、各地(各国)を転々としたため、母国語の朝鮮語の他、ロシア語、中国語、日本語が話せる。

1938年に満州鉄道株式会社に入社する。当時、満州鉄道では日本人が優遇され、出 世も早かった。日本人でない朝鮮人の金氏は、大事なポジションや役職に昇進できず、不 当な差別を受けていた。この差別に打ち勝つために、一発奮起して高等文官試験に挑戦し 見事合格する。その後大陸科学院に留学して卒業する。金氏は、「父を殺した日本人に負 けてたまるかの一心でがむしゃらに頑張った。」と当時を振り返っている。

翌年の1944年3月に満州に近い会寧で朝鮮人孤児と日本人孤児のための会寧保育院 (孤児院)を創設して院長に就任する。1950年の朝鮮動乱では、思想犯としてマーク され、命がけで慶州に逃れる。以後、ニーズに応じて様々な社会福祉施設を創設して、今 日でも第一線で社会事業の実践家として活躍している。しかし、ここまで来るには、我々 の想像を絶する波乱の人生であった。

金氏は、今、2つの社会福祉法人の代表を務めている。一つは社会福祉法人慈善団。も う一つが、社会福祉法人ナザレ園。この法人では、4つの福祉施設を運営している。その 一つに日本でも新聞やテレビで何度も紹介されて有名になっている在韓日系婦人の保護施 設「慶州ナザレ園」がある。創設は1972年10月。

ここの施設を実際に担当しているのは、多忙な金氏に変わって常務理事の宋美虎(ソン ・ミホ)氏(45才)。現在、28人(男性2名・女性26名)の日系人が生活している 。
ナザレ園の生活方針は、厳しいルールや管理などは一切ない。もちろん外出も自由であ る。「1日を楽しく過ごしてもらう」がモットーである。生活者としばし歓談したが、表 情が明るく、笑いが絶えない。ナザレ園の運営費用は、韓国人施設でないため、公的援助 は全く受けられず、法人が自己負担している。その他の施設は、国の援助が9割、法人が 1割負担して運営している。
 ナザレ園のスタッフは、宋氏の他に3名がいるだけで、住み 込みで日系人のお世話に当たっている。日本では、到底考えられない勤務状況である。福祉制度や福祉予算や人員配置基準など、日本の社会福祉に20年から25年くらい遅れて いるとのこと。 施設の建物は、韓国式建築様式で建てられていたが、冷房が完備されていたり、近代的な設備が目を引いた。

 推測であるが、日本より約25年も福祉が遅れているにも関わらず、立派な施設が建て られたのは、国の援助にもまして民間の援助(例えば日本からの寄付とか)がかなりある のではないかと思われる。

金氏は、理想の社会福祉を「本来、社会福祉事業は国からの援助を全面的に頼るべきで はないと思っています。私が、これまでやってきたように個人の努力とともに、善意の第 三者の協力募っていく、またそうした理解者を増やしていく努力の中で、社会福祉をとら えることが理想だと思います。」と話されるが、私も同感する。

「政治では人間は救えない。人間を救うのは、教育か宗教、芸術だと父から教えられた 遺言を、今日まで頑なに守って実践してきたきた」と語った金氏の言葉にショックを受け 、忘れられない。金氏は、実際に体験してきただけに言葉に重みと説得力があるが、しかし、そうであるならば尚更、政治本来の姿を作るべきだし、作りたいと私は考えた。

今回の訪問内容は、8月17日・18日の朝午前4時15分から5時までの45分間、 NHK「こころの時代」で放送される予定である。詳細はそちらを参考にされたい。

父を日本人に殺されて反日感情をずっと持ち続けていた金氏が、「キリストの愛で救わ れ生かされていることをかんじる。生きているのが楽しい。」と思える心境にまでになり 、恨みや憎しみを超えられた姿に、私は、「生き神」を見る思いがし、心が洗われた。
 理論でない実践を通じての”福祉の神髄”を異国の地で教わった気がする。短期間であ ったが、私にとってとても有意義であった。

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草間吉夫の論考

Thesis

Yoshio Kusama

草間吉夫

第16期

草間 吉夫

くさま・よしお

東北福祉大学 特任教授

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福祉。専門は児童福祉。

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