論考

Thesis

よりよいこども家庭

□ はじめに

 「よりよいこども家庭」と題して、以下3章に亘って考えを述べていきたい。今回、執筆するに当たって私が心掛けたことは、厚生白書や専門書的にならないようにした点である。私には書く能力がないことに加えて、それに見合うだけの見識もサラサラないから、そのような手段を取らざるを得なかった。ただ私にできることは、私自身にしか考えられないことを論述することだった。
 実体験から感じてきたことと、これまで訪れた多くの国々を見て回って教わったことなどをベースに書きたい。人がつい見落としてしまいがちな内容を含んだ独創的な中身になっていれば、この上ない幸いである。また関係者に何らかの参考になれば、それは私の望外の喜びである。

第1章 こども家庭ビジョン

第1節.こどもを取り巻く環境

 「車の中で乳児死亡」。こんな記事が全国で相次いだのは記憶に新しい。平成10年度だけでも15人の子どもが虐待によって死亡したと厚生省は発表している。一方、その年に児童相談所によせられた虐待に関する相談や訴えは約7,000件だった。これほどまでに虐待がクローズアップされたことがかつてあっただろうか。
 なぜこうも虐待が年々増へ続けているのだろうか。親自身もその親から虐待を受けていたから(再生産)、相談相手や育児支援がないから、ストレスによる育児ノイローゼによるもの、子どもとどう関わっていいのか分からない、などなど要因は様々だろう。それは、虐待の数に応じて発生要因が変わってくるであろう。
 実は「いまほど虐待を起こしやすくなる時代はない」と私は思っている。子どもを見る人が全体的に減ったからだ。だから虐待が発生しやすくなったと私は見ている。
 なぜそう言えるのか。考えてみれば時代を遡れば上るほど、夫婦が持つ子どもの数は多かった。だからどの家庭でも兄弟も多いから親戚もたくさんいた。子・両親・祖父母一緒の3世代同居もいまよりは多かったに違いない。その証拠に昭和22年の合計特殊出生率(以下、出生率)は約4人で、その年に生まれた子どもの数は約270万人だったのが、平成9年では1.39人となり、出生数も119万人まで減ってしまった。同居の割合も、2,576万世帯の核家族数があった平成7年に比べて、昭和35年では1,179万世帯だった。30年の間に2倍以上もその数が増えている(厚生白書)。
 この数字が何を示しているかと言えば、子どもを見る人が確実に減ったということだ。年輩の人から「上の子が下の子を子守りした」話しをよく耳にする。昔は兄弟間で面倒を見るのが当たり前だったのだろう。核家族も今よりはずっと少ないから、祖父母の手助けも普通にあったと考えられる。「目に入れても痛くない孫」を祖父母が見てくれたのだ。そこには、血族を中心とした子どもを見る人達がいたと言える。

 一方、その頃の地域はどうだったのだろうか。私が子どもの頃は、近所の大人から怒られたことがしばしばあった。それは私の友達でも同じことが言えた。例えば柿を盗む悪事を働けば叱られたし、タバコを吸っているのが見つかれば(正確にはバレる)注意を受けた。時代が古くなればなるほど、それがもっとあった。ところがいまはどうだろうか。それはあまりないだろうと推察する。時間・空間(はらっぱや遊び場)・仲間の3つの”間”がなくなったからか。それとも子どもへの関心の薄れているからだろうか。あるいは注意をすれば逆に「親父狩り」にあってしまうからか。
 近所の公園とか原っぱや地域にある海・山などで、友達とよく遊んだ記憶がある。仲間同士で、ときには近所の上級生と遊んだり過ごす時間が多かった。仲間ハズレになる場合、”一緒に遊んだ”かどうかがその分かれ道だった気がする。

 いくつかの数字を使ったり昔話しを述べてみたりして、私が何をここで伝えたかったというと、昔は今よりも子どもを見る人が多かったということだ。家庭にあっては血族を中心とした縦軸で子どもを見る人があり、地域にあっては隣近所の大人や先輩(同級生)といった横軸で子どもを見る人がいた。つまり、子どもを見る人が縦と横の軸で存在していた。それは、子どもに愛情を注いでくれる人がたくさんいたことを示している。

 このような時代があった昔と今では何が違うかというと、子どもに対して愛情を注いでくれる総体量が減ったということだ。愛情量の激減が、今の子ども達を取り巻く一つの姿と言えるのではないだろうか。

第2節.求められる施策

1.縦軸と横軸の再構築
 先ほど述べた状況で子どもを見ている・育てているのが、今の若いお母さん・お父さん達である。このお母さん・お父さんも、実は愛情量の減っていた時代に育った世代でもあるのだ。「愛情量の減った現状で、愛情量の減った時代に生まれ育った世代が、子どもを育てている」のだ。実際の子育ての担い手は母親だ。これがこの時代の大きな特徴だ。 子育ての責任が、母親一人の肩に重くのし掛かっている。だれかがいるから気が休めた、アドバイスあったから適切な関わりができた、落ち込んでも励ましてくれる人がいたから何とかやっていけた時代とは大きく違う。このような状況では、だれでも虐待を昔よりもすぐに起こしやすくなるではないだろうか。虐待をするなと言う方が無理な注文かもしれない。
 そこでいま求められている取り組みは、子どもに対する愛情量を確実に増やす施策だ。失われた縦・横の軸をもう一度作っていく視点から、愛情量アップの実現策を次ぎのところで詳しく考えてみたい。縦軸とは、兄弟姉妹を増やしていくことに他ならない。つまり出生率をどうアップしていくかだ。結論から先に言えば、平成10年度・厚生白書に提唱された「子どもを産み育てることに『夢』を持てる社会」の如何に実現していくかということだ。
 安心して子どもを育てながら仕事も続けられなければ、厚生省の提唱は、それこそ儚い夢に終わってしまうだろう。「就労と子育ての両立」を図るには、減税といった税制や各種手当・給付に代表される社会保障など多岐に考えられるが、ここでは労働政策と子育て政策の2つに絞って述べてみたい。

2.労働政策
 私が考える労働政策とは、子育てしやすい労働環境をつくるための政策誘導のことだ。平成4年度に施行された育児休業(以下、育休)法などは、その最たる具体的施策だ。どのくらい効果を挙げているのか正しく把握していないが、当初予想を下回っているのではないだろうか。施行7年目を迎えているのに、あまり話題にならないことからすると、普及度や実施の達成度は低いのではないかと推察する。
 と言うのにはそれなりに理由がある。一つには日本では欧米とりわけ北欧と違い、育休を取りにくい環境(平成8年厚生省調査第1位/48.0%)があるからだ。育休中の所得保障が低いことも大きな要因だ(同調査第2位/24.6%)。育休期間を短縮したり、あるいは全く取らない人がいるのも見逃せない要因だ。また民間企業人にとっては、出世に響くとか職場復帰しにくいなどから取得しずらい面がある。それが普及度を妨げている大きな要因でもある。ひるがえって公務員は民間に比べて労働環境が整備されているから取りやすいのだが、全体としてみた場合、休業取得率は低調である。
 休業法をより効果を発揮させるためには、企業がもっと真剣に取り組みやすくする政策誘導が不可欠だ。対象雇用者の休業取得率を上げた企業には、政府からご褒美(インセンティブ)が貰えるようにするのは一案だ。法人税を減免するとか競争入札に有利になるといった恩典を付けるのだ。競争入札に不利になれば業績悪化が懸念されるから、企業側は取得しやすい環境整備を促進せざる得ない。
 国は企業が取り組みやすくする条件、つまり先ほど述べたようにインセンティブが有効に働く視点での法整備に力を注がなければならない。

3.企業の取り組み
 休業法といった政策誘導とともに大切なのは、企業側の意識改革だ。女性の高学歴化・産業構造の変化(サービス・情報化)、夫婦共働き世帯の増加など、年を追う毎に女性が社会に幅広く進出している。本格的な少子高齢化社会が到来する2020年辺りには、不足する生産労働力として「女性」に期待が持たれている。欧米に見られるフラット型の男女就業形態の実現だ。
 しかし民間企業で育児休業をとって職場復帰している人は多くない。復帰後、仕事しずらいからだ。育児の担い手は女性がほとんどだから、取得するのはほぼ100%に近くが女性になっている。数字にもそれが顕著に表れている。平成8年度の常用労働者で育児休業取得した女性が、99.2%だったからだ。朝日新聞・家庭欄で連載された「育休日誌」の執筆者は、男性の休業取得者だったがこれは稀なケースだ。だから連載されたのだ。取得者(女性)が取得しやすい・復帰しやすいの職場の雰囲気づくりが急がれる。 このようなことは労働省からの指導で企業もそれを百も承知だろう。だが遅々として進まないのはなぜなのか。人事制度を決めている人が男性だからだ。子育ての大変さや辛さ、面白さを母親ほど多く知らないからだ。だから育児する側に立った視点が薄れてしまうのだ。女性に、しかも育児経験者やいま育児している人に育児環境整備プランの担ってもらうと、実状にあった制度ができてくるのではないだろうか。

 それから企業の育児支援制度で考えていただきたいのが、労働時間の問題だ。我が国の年間総実労働時間は、1,891時間になり先進国との格差もかなり縮まってきた(平成9年度)。しかしまだまだ格差があるというのが実態だ。連日体をクタクタにしながら、残業で得た手当が所得保障の側面を持っていることが、実は短縮じずらくしている一面なのかもしれない。これは男性(父親)が、子どもと一緒に過ごす貴重な時間を削っている。

 ところで父親・母親は一体どのくらい子どもを見ているのだろうか。1日平均では2時間39分ほど母親が育児をしているのに対して、父親はたったの17分だ。家事についても見てみると、さらにその開きが大きくなる。父親の37分に比べて、母親は10倍以上の7時間と31分だ(厚生白書)。日本の子育の負担は母親に大きく依存していることが分かる。
 母親の負担軽減を図る上でも、男性の労働時間の短縮が考えられないものだろうか。欧米の子育ては、夫婦で協力して当たる考えが既に定着している。それを可能にしているのが、人々のそうした価値観と企業の人事制度、国の育児支援制度などだ。私が4ヶ月以上滞在したカナダの研修先・アドボカシーオフィスで、こんな質問をしたことがあった。「これまで残業したことはあるか」。返ってきた答えに驚いた。ほとんどのスタッフが未経験者だったからだ。これまで訪れたデンマーク・スウエーデン・イギリス・アメリカなどでもそれは同じだった。
 母親の負担軽減に増して、男性が子育てに関わることはとてもいいことだ。子どもに関わった時間に比例して子どもが愛しくなるからだ。私はそれを日々実感している。一緒に食事をする、お風呂に入る、お布団で一緒に寝る、公園で駆けっこする、歌を唱う、子どもにとってはどれもうれしいのだ。表情からそれがヒシヒシと伝わってくる。そんな我が子を見て可愛さが増す(相互作用)のは、私だけではあるまい。
 2歳と0歳の我が子から私は、明日への活力を授けてもらっている。オムツ換えなどの子どもの世話を通して親育ちをしている感じだ。本当に有り難い。父親が子育てに関われるようにする人事制度が、企業でもっと考えられていい。

4.子育て政策
 子どもを預かって面倒を見てくれる機関で代表的なのは、この2つになるだろう。保育所と幼稚園だ。児童福祉法に基づいて厚生省の管轄下で設置されているのが保育所で、学校教育法に基き文部省の管轄の下で設置されているのが幼稚園だ。現在、保育所は22,300ヶ所あり192万人の子ども達が利用しているそうだ(平成10年度)。一方、幼稚園はというと、14,690ヶ所で運営され年間にすると179万人の生徒が通園している(平成9年度)。どこの地域に住んでいても、自宅から徒歩で行けるのが保育所と幼稚園だ。家庭におけるなくてはならない貴重な且つ身近な子育てパートナーだ。

 この2つを子育てパートナーと言ったが、果たしてそれら信頼のおけるか機関なのかどうかを考えてみなければならない。保育園と幼稚園は同じことをしている所と思っている人は意外に多いかも知れないが、法も省も別なので役割は全く違う。保育所は、0歳児から6歳までの「保育に欠ける」(39条)児童が対象で、1日8時間の保育が基本だ。
 だれでも自由に必要に応じて好きに利用できないのが特徴だ。「保育に欠ける」規定があるためだ。現在、39,545名もの待機児童がいるそうだ(平成10年4月1日)。全国的にみると0、1、2歳児の受け入れ枠が圧倒的に不足している。母子家庭や夫婦共働きなど、子どもを保育する人が身近にいない夫婦が主な利用家庭となっている。ところが幼稚園では、受け入れ年齢は満3歳児から就学前の児童までで、教育時間は一日4時間が基本になっている。対象年齢になれば、どの家庭(子ども)でも利用できる点が違う。保育所は働いている家庭が利用しているのに対して、幼稚園は専業主婦の家庭が多いのが特徴的と言える。

 知っている人は知っているが、社会一般には保育園と幼稚園の中身の違いを、どれだけの人が正確に理解しているのかは疑問だ。”子どもを預かって見てくれる場所”と言うのが世間の大方の見方だろう。幼稚園と保育園の一元化しようとする動きは古く50年以上も前からあったが、省庁の違いや業界の反対などで実現の兆しは今のところ全くない。見通しも不透明である。
 少子化の影響で利用者は年々減り続けているが、2つの現場ではどんなことが起こっているのだろうか。利用者を確保できなくて閉鎖に追い込まれている所が出てきたということだ。これは最悪のケースだ。幼稚園の預かり時間は保育所に比べて半日短いが、それを延長する動きも出てきている。近くにある幼稚園では園舎とは別の棟を建てて、そこで夕方まで子どもを預かっている。いわゆる幼稚園の保育園化の動きだ。一方、一部の保育園でも陶芸教室を開いてみたり、英語を学ぶカリキュウムを取り入れたりして幼稚園で教育内容に近づいている動きがある。保育園の幼稚園化だ。「幼稚園の保育園化」と「保育園の幼稚園化」、この2つの動きがいまの動きを端的に象徴している。ぐっと子どもが減る将来を見越して、生き残りを掛けてしのぎを削っているのだ。

 だがこのような動きがあるなかで待機児童の問題が解消されているのかと言うと、そうではないから大変なのだ。子どもを安心して預けられないと知れば、人はどう思うだろうか。子どもを生みたいとは思わないだろう。これでは、少子化にますます歯止めが効かなくなる恐れさえあるから、一刻も早くこうした問題の解決を急がなければならない。
 そこで私はこう考えてみたい。まず、”子どもを預かって見てくれる場所”と言う世間の大方の見方を私は支持する。この前提にたって子育て施策を考えたいのだ。具体的には、規制緩和を実施することだ。公立でするとか、民間みたいに法人格を取得させて保育所や幼稚園を増やしていくやり方は、今日の財政事情や事業開始に至るまでの時間的コストを考えれば得策ではない。

 そこで私が提案したいのは、例えば保育事業で言えばこれまでの形態をいまの保育所中心ではなく、保育ママ、家庭内保育、小集団保育、0歳児保育、障害児保育、ホリディー保育といった多種多様な保育事業を認めて(認可)いく施策を実行することである。今まで認可されてきた保育所は、そのまま継続して保育事業を続けてもらう。また保育をやりたいと考えている有資格者(子育て経験者及び児童福祉施設勤務経験者の保育士もしくはそれに準ずる資格者)個人や有資格者を持つ団体や法人には、一年毎に更新していく形で保育事業に参画をしてもらうのだ。敢えて一年毎にしたのは、受給調整の確保と既得権益化の未然防止を図るためだ。
 この施策が実行に移されれば、地域のなかに地域の実情にあった様々な保育サービスが誕生(供給)するはずだ。それは、それぞれの家庭が各々のニーズにあった保育サービスを、自ら自由に選べて選択肢が広がることも意味している。このシステムが定着してくれば、子どもを持つ多くの親が何度も経験する保育園へのイヤな思いも随分と解消されるだろう。ひいては、「子育ても悪くない」と思う家庭が増えるかもしれない。また、地域のなかで宝の持ち腐れになっている、多くの有資格者(保育士など)の掘り起こしにも期待が持てよう。このやり方は、保育園と似たようような運営をしている幼稚園にも当てはめられるはずだ。同じような効果が出るのではないだろうか。大いに期待が持てる。

 子どもを持つ人達が望んでいることは、誰でも子どもを安心して見てもらえる施策を講じてほしいことだ。規制緩和は大きな威力を発揮するに違いない。だれでも一定の条件を満たせば保育・幼児教育事業に参加できれば、多種多様な子育て事業が生まれるはずだ。導入に当たってイギリスで試みられたバウチャー制度は参考になるだろう。この施策が動き出して定着していけば、厚生白書が言う「子どもを産み育てることに『夢』を持てる社会」の実現に一歩近づいたと言えよう。
 我が国に必要なものは、大胆な発想と実行力の2つだ。改革する勇気を我々は持たなければならない。子どもは社会の宝だと言われるのはなぜなのか。将来、彼らが社会を支えていくからだろう。「子どもが増えた分、将来納税者は増える、高齢者が増えた分、財政支出は増える」。したがってどちらに投資をしていくかは明らかだ。子育て支援策にもっと投資されて然るべきだ。それは「未来への投資」とも言える。国難とも言えるこの事態に、この視点がもっと国家的に重要視されていい気がする。

第3節 よりよいこども家庭の姿

1.愛が感じられる社会の創造
 よりよい子ども家庭を社会でどのように築いていくか。一朝一夕にはいかないだろう。とても時間が掛かる気の長い大きな作業だ。さきほど私案をいくつか述べたが、一言で言うと、それはイギリスの東アングリア大学・ジューン・ソブン教授が力説された「子どもが愛され・愛することを体験しながら自立できるよう援助していく」社会を築いていくことになろう。子ども達の前には、いつも愛があるのが自然になるように。
 愛は、キリスト教社会では当たり前の言葉として使われているが、日本では馴染みの薄い言葉だ。私は愛をこのように解釈したい。「子どもに常に思いを寄せること、いつも思いを注いでいること、どんなときにも関心を払っていること」と。昔はきっとそれが至る所に自然な形であったであろうと思われる。そんな社会にしていくのが私達の目指すべき目標になるのだろう。

2.たった一つしかない家庭を作る
 社会の最小単位は家庭だ。だから愛がある社会を作る前に、まずはそれぞれで自分の家庭を築いていくのが先決になる。それはもっと言えば、世界にこの世にたった一つしかない「○○家」だけのオリジナル家庭を作っていくことでもあろう。子育て真っ最中でそんな余裕はウチにはないとおっしゃる家庭も多いだろう。子どもが非行に走ってしまい、それどころではない家族もなかにはあるだろう。

 確かにそうかも知れない。もしかしたら、現代ほどオリジナル家庭を持つのは難しい時代はないのではないかと、最近思い始めている。テンポの速いスピード社会だから自分を見失いやすくなってしまい、それが家庭を築くことを忘れさせている面が充分考えられるからだ。私自身もその可能性が大いにある。ただ自覚症状がないだけかも分からない。近頃、家庭崩壊が増えているのはその影響のせいなのだろうか。文京区で起きた幼児殺害事件は、まさにその典型と言えるかもしれない。

 今後を予想すると、残念ながらますますオリジナル家族を作るのが難しくなっていくであろう。しかし悲観してはならない。なぜなら完璧な家庭など何処にもないからだ。素晴らしい家庭・美しい家庭・微笑ましい家庭なら私達の周りにもあるだろう。これとて初めから用意されていた訳ではないはずだ。どの家庭でも等しく家族全員の力で築き上げきた努力の結果、そのような姿になったのだ。
 そうであるならば、どの家庭にもさきほど述べた家族を築く可能性があると言うことだ。「私の家」って何だろう、それを探していく・発見していく・築いていくことが、家庭にとって一番大切なのだろう。「家風」を作るには、それなりの労力と時間が掛かる。代々受け継がれる伝統ともなると、その倍以上の期間を要する。まずは初めの一歩から始めてみることが肝心だ。

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草間吉夫の論考

Thesis

Yoshio Kusama

草間吉夫

第16期

草間 吉夫

くさま・よしお

東北福祉大学 特任教授

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福祉。専門は児童福祉。

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