論考

Thesis

その時の出会いが人生を変える ~ 月刊誌「営業店管理者」原稿 ~

◆ある人との出会い

 私は、家庭の事情で2歳から高校を卒業するまで児童養護施設で育った。遠藤光静老師は日蓮宗「願成寺」の住職で臨海学園(児童養護施設)の創設者だ。普段は施設から4キロほど離れた所にある、お寺で仕事をすることが多かった老師は、私達にはちょっと遠い存在であった。偶然お寺の近くの高校へ進学したのが縁で、個人的なお付き合いが始まった。私が17歳の時だ。最初は施設の指導員に連れて行ってもらったが、それ以後は一人で出掛けて行った。初めて訪ねた時の様子は今でもよく覚えている。
 高校時代、私は友人と同じ野球部に在籍していた。その彼が急に部活を辞めたいと言い出した時、私は話し相手になってあげられなかった。それから間もなくして彼は退部してしまい、しかも高校まで退学してしまった。私は友人として何も彼にしてあげられなかった苦い思いがある。その時、親友とは何んだろうかと随分と長い間悩んだ。加藤諦三の本を読んだのもこの時だ。それでも悶々とした気持ちは収まらなかった。

 私が思い余って救いを求めるようにして足を運んだのはお寺だっだ。老師に薄情な人間と思われたくなくて、上記のことはついぞ話せなかったが、近頃思ったこと・感じたことをただ延々と喋った。その間、老師はたわいもない私の話を遮ることなくずっと耳を傾けて下さった。最後にやっとの思いで胸に引っかかていた質問をした。「親友って何ですか」と。「それは何でも話せる心の友だよ。そう多くない。せいぜい2人か3人。私は2人だったけど」と老師は答えられた。私を一人前として扱ってくれた上に、つまらない話しをじっと聞いてもらえて、どんなに落ち込んでいた気分が楽になったか。忘れられない訪問となった。

◆導かれ助けられて

 これがきっかけになったのかも知れない。80歳で亡くなる4年半前まで私は、定期的に老師を訪ね1対1で接するようになった。福祉の道を志すようになったのは、実は老師の勧めからだった。福祉をどう捉えるかで悩んでいた20歳の時、それを察して老師が手紙を送ってくれたことがある。そこには達筆な字で、「福祉とは最も人間を見つめる位置にある学問と実践の分野、突き詰めると神に接するものです。人間をきわめ、神に接する処から福祉は出発するのが、基本です。人間のみにくさとこよなく尊く清らかさを垣間見た人々が福祉を実践すべきだと思います」と書かれてあった。深い意味は今でもよく分からないが、当時私は、自分(人間)を知ることから出発するのが福祉なのだと解釈した。

 自分を知るためには、目を逸らし続けてきた自分のイヤな運命を直視しなければならなかった。ちょうどそんな時だった。「生けるもの全てには、例外なく業(運命)と言うものがあるんだよ」と老師が教えてくれたのは。最初は何を言っているのかピンと来なかったが、徐々に「だれにでも運命はある」という意味なのだと分かり出したてきた。不思議なことに、それまで長く私の胸にのしかかっていた重石も取れ出したのだ。
 お陰で精神的にも楽になった。少しずつ「施設で育ったことは仕方のないこと。親が居ないのも仕方がないこと」と、自分の境遇を受け入れられるようにもなった。老師は私に「どう生きるかが大切なんだよ」と言いたかったのではないだろうか。そう思えるまで20年以上もかかってしまったが、大学進学を熱心に勧めてくれて、そこで福祉と言う学問に出会い、そして仏教思想を教えて下さったお陰で、私は考え方を変えることが出来た。本当に有り難いきっかけを作って頂いたと感謝している。

 翌年のお正月だったろうか。その頃日本はバブル一色に染まっていた時期で、日本人や企業は世界的な名画・土地・建物などを次から次へと世界から買い漁り、国内外から日本の企業理念が問われていた。私は、そのことに納得出来ず何故か怒っていた。「金儲けしか考えていない金の亡者が日本の企業家だ」と老師に八つ当りのような口調で突っかかった。でも帰ってきた言葉は意外なものだった。
 「松下幸之助を知っているか。彼は福祉に関心が深く、これまで何度も業界に多額の寄付をされている。哲学や理念が無ければこのような慈善行為は出来ない。そういう企業経営をしている人が彼だ。普通の企業家とはひと味もふた味も違う。本当にあの人は偉い経営者だよ」。
 彼がそんな経営をしていたとは全く知らなかった。日本にも偉大な経営者がいるのだと知って驚いたのを覚えている。

 早速彼の伝記を買って読んでみた。体は病弱、小学校3年で中退、兄弟は皆早死、財産も無しなどと書かれてあった。何と彼は私よりも無い無い尽くなのだ。天涯孤独にも負けずに一代で会社を世界的企業にまで育て上げた。それも「企業は社会に貢献するために存在する」と言う理念に基づいてだ。
 「あなたの生い立ちなど私に比べれば大したことはないですよ」と、強烈なアッパーカットを彼から食らった感じがした。そこで教えられたのは、置かれた状況を他人や環境のせいにしている内は、道(未来)は決して開かれない。大切なことは理想を失わずに常に努力するということだった。以来、彼は私の人生の目標になった。
 今にして思うと、老師は松下幸之助の人生を通して、人生とは何か、生きる極意を伝えたかったのかも知れない。松下政経塾に入るきっかけになったのも、「彼は日本の将来のために私財で松下政経塾も創設している。これは並の経営者では発想出来ないことだよ」と言った老師の一言だ。後にまさか自分がそのメンバーになろうとは。

 8年前、私は生まれて初めて海外へ飛んだ。アメリカの児童福祉事情を視察するために。出発直前、老師に視野を広げたいと挨拶に伺った時は、自分のことのように喜んでくれた。挨拶から戻ったその日の夜、奥様の久子女史から次のような電話が掛かってきた。
 「あなたの前向きな姿勢を知って、お父さん(老師)が研修費用を出してあげたいそうよ」。
 大学時代は経済的な苦労の連続だったが、ピンチの時にはいつも老師に助けられた。

◆ご縁に生かされて

 幾度も呪った自分の運命を氷解出来たのは、深い愛情を注いで下さった方が側にいてくれたからだ。老師と久子女史だ。この人と出会わなければ今の私は無い。縁は二つあるのではないかと私は考えている。
 一つは家族・親族の縁で、もう一つは他人の縁だ。
 私は確かに前者の縁には恵まれなかったが、老師ご夫妻を筆頭に多くの有り難き縁を持つことが出来た。だから弊塾入塾試験で「施設生活で良かったことは」と質問された時、すんなりと「有り難いと思える心持ちなれたことです」と言えたのではないか。
 老師が強く私に望んだことは、「社会に真に貢献出来る人間たれ」。そのような人物に私はなりたい。


【プロフィール】
草間吉夫(くさまよしお)
財団法人松下政経塾 第16期生(4年生)
1966年生まれ。茨城県出身。
私生児で生まれたため生後3日で水戸市の乳児院に預けられる。2歳時に高萩市の児童養護施設に移り高校卒業まで生活する。東北福祉大学卒業後、通算で5年間、児童養護施設に勤務。
現在、同じ境遇の子ども達へ支援する団体設立に向けて活動中。今年の5月から4ヶ月間カナダで研修。

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草間吉夫の論考

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Yoshio Kusama

草間吉夫

第16期

草間 吉夫

くさま・よしお

東北福祉大学 特任教授

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福祉。専門は児童福祉。

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