Thesis
1.子どもがいなくなる?
「町中どこへ行ってもお年寄りの姿しか見かけない」という日が来るかも知れないと、ふと思う時がある。と言うのは、日本は児童人口が世界に例を見ない速さで減少しているからだ。
「高齢化」問題の本質は、「出生率」が下がり各世代の人口バランスが崩れたことにある。近年、政府が少子高齢化問題と言い出した理由もここにある。50年前、3300万人あった児童人口も、今では2500万人に落ち込み、全人口に占める割合は4割から2割へ激減してしまった。
高齢化のスピードが世界に例を見ない速さで進んでいると言われているが、少子化の速さもまた高齢化同様、もの凄い勢いで進行している。
また最近では若い人達が、「子どもを産みたい、育てたい」とあまり口にしなくなったことも大きな変化だ。これには、核家族化が進んだことや女性の活躍する場が広がったこと、養育費の負担増などが深く関係している。1.42という特殊合計出生率がそれを顕著に物語っている。
もし何もしないまま、今の状態が長く続けば、そう遠くない将来、私たちの住む町から本当に子ども達がいなくなってしまうだろう。
2.期待されていること
こうしたことへの対応や夫婦共働き家庭の増加、家庭・地域の養育能力の低下などの対策として、3年前にエンゼルプランが策定された。さらに、今年の6月には児童福祉法が半世紀ぶりに改正した。
エンゼルプランと法改正が我々に期待するものは何かと考えると、私は「子育てを家庭だけに頼るのではなく、地域のなかで見ていこう」ということだと思う。つまり、それは今まで以上に一人一人が「社会的子育て観」を自覚し、それをみんなで実践していくことが求められていることではないか。既にイギリス・カナダ・アメリカといった欧米諸国では定着している考え方だ。
とりわけ、地域と最も密接な繋がりを持っているのは保育所になり、その役割はとても大きい。個性化と言われて久しいが、仮にいまここに100の家庭があったとすると、当然100通りの子育てがあると考えるのは、ごく自然な成り行きだ。それは、その数だけ保育ニーズがあることにも通じる話しだ。
しかし、これまでは保育メニューに利用者が合せるのが当たり前とされてきたが、来年4月からは「措置」から「選択的利用」に変わる。利用者が保育メニューを見て保育園を選ぶ時代へと移行するわけだ。ショートステイ、延長保育の拡大、0歳児保育、障害児保育はもちろん、巡回保育や保育者の派遣、育児相談、情報提供等々の多種多様な育児サービスが求められる。つまり、どれだけ地域に合ったサービスを用意できるか、その力量が試される時が来たということだ。各保育園同士の競争が始まり、「子どもの取り合い」が正にそれを象徴する出来事となろう。
学童保育を初め乳児院や養護施設とて、保育園と同じく地域に深く根ざした施設に変わりはない。保育園とは一味違った役割が期待されている。中でも学童保育は、法制化に伴い、これまでの共働き家庭児童の保育の継続性や、育児疲れ家庭のオアシス(一時預かり・緊急預かりなど)としての場の提供などが望まれて来るだろう。
また、児童家庭支援センターが創設され、基幹的な養護施設に設置できることになった。そこでは、地域住民などからの相談・助言、要保護児童への指導や児相への連絡調整などを総合的に行うこととされている。 いずれにしても、これからの児童福祉施設は従来の役割に加えて、施設の持つ人材・子育てノウハウ・専門的援助といった様々な資源を、如何に地域に提供していくかが求められてくるだろう。
また、今後ますます情報化が進み、例えば高萩市とカナダで、アフリカとブラジルでといったやり取りが、グローバルサイズで自由に瞬時にできる時代が定着する。それは、いつでも・どこでも・気の向くままに・だれとでもコミュニーケションできる、縦から横の時代に変わっていくことを意味する。自分の資源と他の人が持つ資源と地域にある資源をどう結び付けていくか(ネットワ-ク化)を、地域に密着している各種児童福祉施設が担っていく必要も出て来るだろう。
サービス(企業)精神をもった子育てのプロが、子ども達の未来の鍵を握る。
Thesis
Yoshio Kusama
第16期
くさま・よしお
東北福祉大学 特任教授
Mission
福祉。専門は児童福祉。