論考

Thesis

【施設出身者として感じた自立への課題】前編

■最長措置児だった?

先ず私の簡単なプロフィールを述べたい。私は1966年5月31日に茨城県つくば市で生れた。生後3日で水戸市の「日赤乳児院」に預けられ、2才の時に高萩市の養護施設「臨海学園」に移って、高校卒業までそこで過ごした。
そして、日本育英会を得ながら東北福祉大学に進学し卒業をする。その後、八王子にある「こどものうち八栄寮」と古巣「臨海学園」で通算5年間、生活指導員として勤務した。
現在は、松下政経塾(以下、政経塾)に在塾しながら、日本子ども家庭総合研究所嘱託研究員として、国内外をフィールドに要保護家庭の支援方法を研究している。昨年は、カナダとデンマークでそれぞれ1ヶ月間視察をした。施設出身者と交流を重ねる。
私は家庭での生活がたったの3日間しかなかったので、親との会話や温もりといった家庭への思いや記憶など全くない。私が施設で過ごしたのは、トータルで18年10ヶ月間だ。恐らくであるが児童福祉法における措置期間は、今までの出身者の中で、私が一番長かったのではないだろうか。

■無知から起こる悲劇

研究者や養護施設関係者に意外と知られていないことが一つある。「養護施設」という存在が世間では、ほとんど知られていということがそれだ。
指導員をしていた頃に、会う人と言えば、児童福祉司や他施設の指導員や学校の担任といった関係者ばかりが相場だった。このなかでは養護施設の話題は通じ、しかもある程度の議論も可能だった。しかし、一歩足を社会に踏み出して、そこでこの話題を持ち出してもほとんど通じない。なぜか。それは、実態がよく知らていないからだ。
例えば、私がPTAの委員をしていた時にこんなエピソードがあった。それは、PTA主催のイベントの話し合いをしていた時だった。お子さんと共に出席されていた方が何人かいらしていたが、話しが長引き出した頃、ある父兄のお子さんが落ち着かず、あっちウロウロこっちウロウロして騒ぎ出してしまった。父兄が、その間何度か注意をするが、子どもは父兄の思いは他所に言うことを聞かず、落着かない。話し合いも中断し出してしまった。 しまいに真っ赤な顔になった父兄の堪忍袋の緒が切れ、子どもに大きな声でこう叱った。「こらっ。そんなに言うこと聞かないのなら臨海学園に入れちゃうよ。ねっ、草間先生」。
その時、どう反応していいのか困った苦い体験がある。これに近いことをその後も何度か経験したが、どうもそのニュアンスに教護院的イメージや孤児院的イメージ、あるいは養護学校のイメージを抱いている感じを受けた。
また政経塾に入塾してからは、養護施設の関係者とは接することがぐっと減った分、政治家やサラリーマン、中小企業経営者といった方々と接する機会が多くなった。会って先ずするのは名刺交換だ。その都度、必ずと言っていい程相手に聞く事がある。
「養護施設をご存知ですか?」がそれだ。どのくらい聞いたであろうか。3千人は下らないだろう。結果は散々だ。知っている人は、ざっと1割。塾生で知っていたのも1割程度だ。つまり、私の知る範囲において「養護施設」はほとんど知られていなかったのだ。あるいは、知っていてもPTAで私が経験したように、間違ったイメージを持たれている方が多いのだ。
社会から知られていないために子ども達は傷つ。そして卒園生も苦労を強いられているのだ。特に結婚の時にそれが一番シビアになる。私の周りでは、相手やその家族に自分の生い立ちを隠したまま結婚した卒園生が数多くいる。私も同じような経験をした。結婚して4年になるが、当時、妻の家族や親戚から反対にあった。相手方にとっては、養護施設を出たというのが、何か得体の知れない存在に映ったのかも知れない。
私は妻に惹かれれば惹かれる程、自分の生い立ちを告白した後の反応が怖くなり、言えなくなっていた。何度か今度会った時に絶対に告げようと心に決めたが、妻の顔を見ると”振られるかも”と言う文字が頭をかすめ、萎縮してしまい一言も言えないでいた。やっと言葉にして言えたのは、覚悟を決めたプロポーズの時だった。
きっとこのような経験をした卒園生は多いはずだ。結局、結婚を許してくれたのは、本人同士の気持ちだった。養護施設の高校進学率はとても低い。全国平均を大きく下回る70%台だ。私の周りを見ると、”大卒より高卒、高卒より中卒”の人の方が苦労されている。深刻な問題なのだ。
ここで私が強調したいのは、世間一般に「養護施設」そのものがあまり知られていないために、起こる悲劇があると言うことだ。つまり、「無知から起こる偏見」が存在すると言うことだ。今後、このような悲劇が起こらないためにも、「知名度アップ」にどう取り組んで行くかは課題だ。厚生省初め関係者に期待したいところだ。

■スムーズな通過儀礼を

つい先日、夜遅く私の所に次のような電話が掛ってきた。「連帯保証人が立てれなくて、就職できるかどうか瀬戸際なんです。何かいい知恵がありませんか」。
電話の主は、某養護施設の指導員。詳しく話しを聞くと、こういうことだった。担当した子が高校卒業後、新聞奨学生となり苦学して専門学校を出た。そこまでは順調だったが、いざ就職となって問題が発生してしまった。親が当てにならなく、施設長は方針として保証人にならず、2人の保証人を立てられずに路頭に迷っているとのこと。この時、私にはどうすることも出来ず、ただ話しを聞いてあげただけで受話器を置いた。こういう問題は、特に厳しい家庭環境の人ほど深刻な問題なのだ。
私も彼と同じで家庭の支援が全く見込めない境遇だ。これまで彼とは違った経験をして来た。大学入学時は、当時の施設長と今の施設長が連帯保証人になってくれたお陰で問題はなかったが、アパートを借りることになって問題が出た。保証人をだれになってもらうかで時間が掛ってしまったのだ。結局、仙台で知り合った人になってもらえたのだが、その人に会っていなければどうなっていたか。
我が国では、何かにつけて保証人が必要な社会だ。アパート契約、進学、就職、結婚、ローン...と挙げたら切がない。彼のように保証人を立てられない卒園生や入所児童は、少なくないはずだ。このような仕組みの社会は、彼らにとって過酷過ぎる。幸い私の場合は、施設長を初め周りの方に大変恵まれて何とか事無きを得てきたが、これはそれで済む問題ではない。親の期待を全く見込めない人がいる限り、この問題の終結はない。
彼らが、だれもが人生の節目節目で経験する通過儀礼をつまずくことなく送れる様、どのような形にするかは別にしても、何らかの形で身元保証人制度は絶対に必要だ。と同時に課題でもある。

Back

草間吉夫の論考

Thesis

Yoshio Kusama

草間吉夫

第16期

草間 吉夫

くさま・よしお

東北福祉大学 特任教授

Mission

福祉。専門は児童福祉。

プロフィールを見る
松下政経塾とは
About
松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
View More
塾生募集
Application
松下政経塾は、志を持つ未来のリーダーに
広く門戸を開いています。
View More
門