Thesis
「赤ちゃん放置死」、「せっかん死」など、子どもに対する虐待事件が近年増加している。子どもたちの置かれた環境は危機的と言っていいほどに悪化している。何が原因なのか。どうすれば子どもたちによりよい家庭環境を提供できるのか。
「車の中で乳児死亡」。
ここ数年、毎年夏になるとこんな記事を必ず見かける。親がパチンコや買い物のために子供を車中に置き去りにして起きた事故だ。気温が40度にもなるような所に子供を長時間放置しておくというのは、もはや単なる事故ではすまされない。立派な虐待である。厚生省の発表によれば、平成10年度だけでも41人の子どもが虐待によって死亡している。また、同じ年に児童相談所に寄せられた虐待に関する相談や訴えは約7,000件に上る。
一体今、子どもをめぐる環境に何が起きているのか。まず、言えることは、かつてほど子育てに「愛情」と「時間」がかけられなくなったということだ。以前は、親はもちろん、祖父母やおじ、おば、一族で子どもの成長を見守った。ところが今は、核家族で身近に祖父母の存在はなく、少子化で親自身の世代に兄弟姉妹が少なく、親戚がいなくなっている。しかも他所の子でも自分の子と同様にその成長を見守った、かつての地域社会も今日ではもはや機能しない。今や子育ては親と子という最小の単位の中だけで行われる行為になっている。加えて、社会の急速な変化によって価値観が多様化し、仕事も育児もという流れの中、母親も父親も育児に当てる実質的な時間が減少している。現状をこのように認識するならば、「いまほど子どもにとって厳しい時代はない」というのが私の考えである。ではどうすれば状況を改善できるのか。
「子育てに愛情と時間を復活させる」というのが、私の主張である。血族を中心とした家庭の中から子どもたちを見る人々との関係を「縦軸」、隣近所の大人や先輩(同級生)のように家庭の外から子どもたちを見る人々との関係を「横軸」とするならば、かつて子どもたちはこの縦軸と横軸がしっかりと組み合わさった中で成長した。この縦軸と横軸を現代に合う形で復活させるのである。現代の子育てに不足している愛情の総体量を復元させるのである。
縦軸と横軸の再構築
実は、今子育てをしている若いお母さん・お父さんが育ったのも、もうすでに愛情の総体量が減っていた時代だった。国勢調査によれば1998年現在で核家族率は58.6%だが、それはすでに1920年(大正9年)に5割を越えていた(54.3%)。加えて戦後の民法改正が戦前の直系家族から夫婦家族(=核家族)へと変化を促した。つまり、自分自身が少ない愛情量の中で生まれ育った世代が、子育てしているのが今という時代なのである。
かつてのように夫の親と同居し、場合によっては夫の兄弟姉妹と暮らしていた時代には、自分の勝手にできないという不満もあったが、経験者の意見も含め育児に複数の助言が得られた。一人で思い悩む今とは大きく違う。こうした縦軸はどうすれば復元可能なのか。縦軸を、親族を中心とする関係と定義すれば、兄弟姉妹を増やすこと、つまり出生率のアップが鍵となる。
子育てに「夢」の持てる社会の実現
まず必要なのは子育てしやすい労働環境をつくるための政策だ。平成4年度にその具体策として育児休業法などが施行されたが、施行7年目を迎えても普及度や実施の達成度は低い。その原因の第1位として、「育休を取りにくい環境」というのがあげられている(平成8年厚生省調査で48.0%)。育休中の所得保障が低いことも大きな要因となっている(同調査第2位、24.6%)。また民間企業人には、出世に響くとか職場復帰しにくいなどの理由がある。
育児休業法をより効果的に機能させるためには、企業がもっと真剣に取り組むような政策誘導が不可欠だ。対象雇用者の休業取得率を上げた企業に、法人税を減免するなどインセンティブを与えるようにするのは一案だ。政策誘導とともに企業側の意識改革も必要だ。平成8年度の常用労働者で育児休業を取得した人のうち、女性が99.2%を占めた。女性に、しかも育児経験者や今現在育児をしているという人に育児環境整備プランを練ってもらうと、もっと実状にあった制度ができるのではないか。
また我が国の一人当たり年間総実労働時間は、1,891時間(平成9年度)と先進国との格差も縮まってきた。しかし、さらなる短縮は残業手当が所得保障の側面を担っていることから難しい。これが男性(父親)が子どもと一緒に過ごす貴重な時間を奪っている。1日平均で、母親が2時間39分の育児をしているのに対し、父親はたったの17分である。家事についても父親が37分であるのに比べ、母親は10倍以上の7時間31分となっている(平成10年『厚生白書』)。日本の子育ては母親に大きく依存していることが分かる。母親の負担軽減を図るうえでも、男性の労働時間の短縮が必要である。さらに男性の育児参加は子どもの情操教育の面からも望ましい。
一方、親が働いている間子どもの面倒を見てくれる制度の充実も欠かせない。現在、子どもを預かる機関として代表的なのは保育所と幼稚園だ。児童福祉法に基づいて厚生省の管轄下で設置されているのが保育所で、学校教育法に基き文部省の管轄の下で設置されているのが幼稚園だ。前者は、0歳児から6歳までの「保育に欠ける」(39条)児童を対象に1日8時間預かる。後者は、満3歳から就学前の子どもならどのような家庭の子でも利用でき、1日4時間が基本である。
そこで私が訴えたいのは規制緩和である。たとえば、保育所は全国に22,300ヶ所あるが、192万人の利用者に対し約4万人の待機児童がいる(平成10年4月)。この状況は、保育ママ、家庭内保育、小集団保育、0歳児保育、障害児保育、ホリディー保育など多種多様な保育事業が認可されればかなり改善されるだろう。今まで認可されてきた保育所にはそのまま保育事業を続けてもらう。また保育をやりたいと考えている有資格者(子育て経験者及び児童福祉施設勤務経験者の保育士もしくはそれに準ずる資格者)個人や有資格者を持つ団体や法人には、一年毎に更新するような形で保育事業に参画してもらう。一定の条件を満たせば誰でも保育・幼児教育事業に参加できるようにすれば、多様な子育て支援事業が生まれるはずだ。
教育政策を通じた横軸の再構築
横軸の再構築は教育政策を通じて図りたい。そこには2つの具体策がある。共にすでに始まっていることだが、1つは学校教育の場に地域で暮らす高齢者に参画してもらうことだ。具体的には学校教育カリキュラムの一部を地域に解放・委託する。クラブ活動を教師に代わって学区内に住んでいる高齢者の方に担当してもらうのだ。クラブ活動の時間を高齢者」の方に担当してもらうことは教師の業務の一部軽減につながる。教師はその時間を教科研究にあてたり、不登校児童の家庭訪問などにあてることができる。一方、高齢者にとっても、それまで培った自分の能力や技術、経験などを孫の世代のような子どもたちに伝達することは生きる意欲となるだろう。「核家族に代表される親子関係や家族関係の希薄さが、不登校やいじめの要因になっている」と指摘する関係者は多い。学校教育の場を使って異世代の交流を図ることは人間関係の希薄さの是正にも役立つ。
2つ目は、一昨年から兵庫県で行われている「地域に学ぶ”トライやる・ウィーク”」と銘打った事業である。これは県内すべての公立中学校の2年生が1週間、地域で各自の関心に基づいた体験活動を行うというものだ。初年度の98年度には県下の93%に相当する335校で実施され、54,000人の生徒がさまざまな体験をした。生徒は保育園を始め、老人ホーム、銀行、ラジオ局、機動隊、駅員、小学校の先生、商店など約16,000ヶ所の地域社会で体験学習を行った。県が実施したアンケートによれば「またやってみたい」という生徒と「また参加させたい」と考える保護者はともに9割に上った。参加した生徒からは「失敗した体験を通じて、自分がどう変わって行かねばならないかという課題を発見した」、辛かった体験から「これからお父さんが帰ってきたらお帰りなさいと言って玄関に迎えに行こうと思います」といった感想も届いている。不登校の生徒の半数も参加し、その内約7割が再登校する兆しを見せているそうだ。また、「道ですれ違った子どもと自然に挨拶するようになった」という地元の方もいる。
今の子どもたちに言えることは、人との関わりが圧倒的に欠落しているということだ。縦と横軸の再構築の具体策を述べてきたが、どのようにすれば多様な関わりを社会の中で子どもたちがもてるかは、大人に課せられた重い課題である。彼らが将来、愛情あふれる家庭と豊かな社会を築いて行けるよう、われわれはそのための社会環境を提供していかなければならない。それを私は「子どものためのよりよい家庭環境の構築」と呼びたい。私は子どもに対する愛を、「子どもに常に思いを寄せること、いつも思いを注いでいること、どんなときにも関心を払っていること」と定義したい。そんな社会を目指して今後も活動を続けたい。
Thesis
Yoshio Kusama
第16期
くさま・よしお
東北福祉大学 特任教授
Mission
福祉。専門は児童福祉。