Thesis
今回、国内を何度も飛行機や車で移動し、幼稚園、小学校、BFD、孤児院、衣料配り、突然参加した結婚式などいろんな所を見ることが出来た。一般の研修とは全く違い、様々なカンボジアの実態に触れてることが出来たことは、飾られていないありのままの姿を見れて、とても良かった。
ボロボロで汚い服を来た人の多さや、物乞いする人をたくさん見かけたこなど、あまりの貧しさの凄さに少々驚かされたのが、私の第一印象であった。
決して豊かとは言えない国なのに、小学校へ行っても孤児院へ行っても、或いは食堂で働いているスタッフの表情も、みんな一様に明るかったのは、不思議で仕方がなかった。
孤児院の建物は、2階建てで作られており、いくつかの大部屋で皆で一緒に寝泊まりをする方式(日本では大舎制と呼ばれ、昔の養護施設もほとんどこれであった)であった。現在、110名の2歳から17歳までの孤児が生活している。男女の構成は、見た目での判断だが、男の子の方が多かったようにかんじた。
スタッフは、メインスタッフが3人、4人のホームワーカーに2人の調理人、さらにこの孤児院「スレアンピルの平和の子供の家」の経営者ソン・スーベル(カンボジア王国国会議員・国会第二副議長)さんの計10人で孤児達の面倒を見ている。過去に日本の国会議員が自ら先頭に立って養護施設を運営した、或いは現在もしている話しなど聞いたこともないし、見たこともないことからすると大違いである。
ソン・スーベルさんによると「110人全部の一日の食費は300US$くらい」とのこと。
これらの話しを受け、カンボジアの児童福祉(ここでは孤児院に限定)は、日本に遅れること約50年以上と考えられる。ちょうど終戦後、ちまたに孤児、引揚げ孤児、浮浪児が大量に溢れて、その対策の一つに作られた児童福祉法制定時によく似ているかんじを受けた。
堀本塾生の提案で、当日の夕食にわれわれで作った日本のカレーライスを彼らに食べてもらうことにした。食事作りで時間がかかったにもかかわらず、誰一人として不満を言わずに待っててくれた心配りや初めて食べる日本式カレーを「チギャンナー、チギャンナー(おいしいという意味)」ど何度も言っておかわりしてくれた姿に、「本当にカンボジアへ来て良かった」と思った。日本から苦労して持ってきたお米の疲れなど、すぐにどこかに吹っ飛んでしまった。
帰りには消灯がとっくに過ぎているのも省みずに、ボコボコのぬかるんだ道の中を、われわれが見えなくなるまで見送ってくれた、子どもたちの行動に、何とも言えない思いと「またここへ来たい。いや絶対に来たい。そして彼らの元気な姿をもう一度見たい」の気持ちが生まれていた。
子どもたちには何の罪も責任もない。われわれ大人は、子どもたちが安心して笑顔で過ごせる社会を作ってあげなければいけないと、彼らを見ていて心の底から思った。
「子どもは社会の宝。未来の主役は子ども達」は世界共通の願い。われわれ大人は、このことを決して忘れてはならない。
カンボジアの人達の笑顔が、私には「幸せって...豊かさって」と問い掛けているように思えてならなかった。私は、この問いかけに対して、まだきちんと答えられない。しかし、少なくとも貧しいながらもその状況に負けることなく笑顔になれる心持ちに、何かヒントが隠されているのではと考えさせられた。
なぜなら、その国にしっかりと足をつけた調査をして援助しているかどうかわからないからである。援助希望国の要望書だけを見て橋を付けたり、道路を作ったりしているきらいがあるのではないかと思う。
BFDのあるスタッフが「ミスター堀本は、カンボジアにとって本当に一番必要な援助をよく知っている方だ。この国に一番必要な援助は、教育である。彼はODAやNGOから見向きされない教育の援助をしてくれている」と私に語ったことからも明らかだと思う。
日本で地道にお金を集めて、カンボジアに小学校建設や文房具・遊具の寄付、さらには大量発生した国内避難民のために、単身で赤十字に掛け合い10トンの衣料援助の活動など、堀本さんの七五三基金が、地域に密着した実情に合った支援活動をしている姿を現地でつぶさに見て、頭が下がった。尊い活動とは、堀本さんのような活動をいうのだなともかんじた。
カンボジアにいかなければ決して体験できないことや考える機会を持て、とても有意義であった。忘れられないスタディツアーにもなった。
堀本塾生、どうも有り難うございました。そしてお疲れ様でした。
最後に、カンボジアのすべての方々の幸せと七五三基金のご発展を心からお祈り申し上げ、今月の月例報告としたい。
Thesis
Yoshio Kusama
第16期
くさま・よしお
東北福祉大学 特任教授
Mission
福祉。専門は児童福祉。