論考

Thesis

地方分権の時代にむけて(自助と公助、どちらが得か)

先日、⑳日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会専務理事の清水洋三氏による「デジタルネットワーク革命」という講義を聞いた。

 「パソコンの全世界生産台数は、3年前に自動車の生産台数を上回り、年間4000万台を数えるに至った。特にアメリカでは、企業所得者が確定申告をするためにパソコンを使用し、それがパソコン普及の有力な要因になったといわれている。確定申告をするためのアプリケーションソフトの一つにクイッケンがある。クイッケンはインテュイット社の大ヒット作で、全米一千万世帯に普及している。

 クイッケンを巡っていくつかの争いが起きた。マイクロソフト社がクイッケンの販売権を買い上げ、全世界をつなぐクレジットサービスのデジタルネットワークを作ろうとしたのだ。

 もともとクイッケンにはインターネット上でクレジットサービスを受けられる機能がついていた。この機能を使うと、パソコンをつかって確定申告をするような層、つまり、アメリカのあらゆる分野にわたる中上流階級(支配層)がネット化されることになる。発売時にはその機能がついていることは隠されていて、あとからパスワードを入力することによってロックが解除されるようになっていた。マイクロソフト社はクイッケンを買い取りさらに銀行2行を買い取って、電子マネーの市場を独占しようとしたのである。

 結局この目論見は水泡に帰した。司法省が独禁法違反の疑いで介入したのだ。マイクロソフト社は市場制覇をあきらめることを余儀なくされ、クイッケンはインテュイット社の手で引き続き販売されることになった」

 クレジット会社での取り引き1件にかかる手数料は通常日本で140円、アメリカで1$程度だという。これがインターネットを使用することで、一気に10円にまで安くなる。この差額はどこにいってしまうのだろうか。

 デジタルネットワーク革命の話を聞いて思い出したのは童門冬二氏の「自助・互助・公助」という言葉だ。公助よりも互助の方が経費が安くすむ。電子取り引きと従来の取り引きの経費の差額の130円はサーバー(インターネット上で情報ネットワークを構成している一台一台のコンピューター)が少しずつ負担していることになるのであろう。

 国家財政が逼迫し、小さな政府や分権を求める声が高まっている今日、公助よりも互助、互助よりも自助をなそうとする考え方は自然であると思う。

 人間の一生を考えてみる。現代の日本で生活するためにはやはり何といってもお金が必要である。生き残るためのお金をどう稼いでいくか、それが現代人の至上の命題であり、社会経済システムの存在意義になっている。

 人生を3つの時代に分けると、0歳から20前後までの教育の時代、20歳前後から60歳前後までの生産の時代、60歳前後からの老後の時代となる。問題は生産コストを生存コストが上回る時代である、教育の時代、老後の時代をどうやりくりするかであり、この問題を解消する「道具」として、人間は「共同体」そして「政府」に代表される社会経済システムを発明・発展させてきた。この「道具」が教育とか福祉とかの「機能」を持っているというのが政治機構の発達原理の一側面であるように思う。

 さて、生産コストを生存コストが上回る時代を現在の社会経済システムはどんな方法でフォローしているのか。これには空間分担と、時間分担がある。

 空間分担とは一人の人間が別の人間の生活を支えるためにお金を出している状態、時間分担とは一人の人間が、自分の別の時代のためにお金を出している状態のことである。税金は空間分担の代表的例であり、貯蓄は時間分担の代表的例である。教育・福祉などに関わるすべての制度はこの空間分担(いい変えれば公助であり、政府である)と時間分担(いい変えれば自助であり自己責任)を両端にとった数直線上のどこかに存在する。奨学金制度を例にとれば、制度を利用する人から見れば、将来自分で返すお金を借りているだけであり、時間分担による自助的要素が強くみえるが、制度全体からみれば空間的分担もある。親が子供の面倒をみ、子供が親の面倒をみるのは、将来自分もこうなる、昔は自分も世話になったという前提にもとづく、個人同士の信頼関係を基盤としたお互いの時間分配と空間分配のやり取りであり、これが互助の基本的パターンだといえよう。

 国民年金は現在年金を収めている人のお金が受給者へ渡る側面に着目すれば空間分担となり、自分が収めた額が将来貰えるという前提にたてば時間分担になる。この前提が近年崩れてきたがために、個人年金(年金型保険)という時間分配的要素を強く打ち出した商品が発生したのである。

 一人個人の視点にたてば、時間分配のみが重要である。何らかの事情で働けなくなった時代、どうやって生きるかが重要なのである。個人個人のそういった不安をシステムとして調整するために政府が存在するといえる。

 そう考えると政府の役割は本質的にはたった二つしかない。『コミュニケーション阻害の要因をなくし、利害の調整をする』ことと、『「個人の持つ時間要件」を「社会の持つ空間要件」へと転換すること』である。

 公助から自助への時代はどのような時代か。公助中心の時代は、時間分配から空間分配への転換がうまくいっていた時代である。この分配の過程においてはコストがかかるが、全国均一のサービスが約束されていた。自助中心の時代は、時間分配から空間分配への転換がうまくいかなくなったために到来する。自助や互助中心でいけば行政手続き上のコストが多少削減され、地域の状態に見合ったサービスが受けられる。

 地方分権推進論にもいろいろがあるが、そのほとんどは地方分権を推進すれば地方にメリットがあり、財政削減にもなると説いている。私はこの言い方には少々の嘘が混じっていると思う。正確にいえば、人は自分が払った代価に見合う分のサービスしか受けられない。質の高い行政サービスを望めば、高い税金を払う必要がある。行政機構の改革(規制緩和と地方分権)によって行政コストが下がっても、サービスに必要なコストは低下しない。

 では自助の時代のどこがいいのか、という話になる。自助の時代では自分の望む行政サービスに自分が適当だと思う代価を支払うことが可能になってくる。自分が社会システムに望んだ結果がより早く、敏感にフィードバックされてくる。いままでが、“流される”“生きている”時代だとすれば、“流れを創る”“生きる”という、「意志の」時代であるといえる。そして当然そこには責任とリスクが発生する。

 地方分権の推進はメリットもデメリットも自らの手によるものにする、ということである。危険性もあるのだ、バラ色の未来ばかりではないのだということをきちんと伝えないのは、片手落ちである。私はこう伝えたい。

「地方分権の推進は、政治が人を支配する時代から人が政治を支配する時代への復権である。良くなるも、悪くなるもあなたがた次第だ。責任をおう覚悟がないならやめたほうがいい。ただし、日本が大人の国になるためには、これは必要な儀式である。」

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栗田拓の論考

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Taku Kurita

栗田拓

第16期

栗田 拓

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