論考

Thesis

水と都市 ~川辺を歩いて考えたこと~

2000年間で最大の発明は何か。1998年11月、ソフトウェア・エージェントBrockman,Inc.の創設者John Brockmanからインターネット上にひとつの問いが発せられた。これに応じたのは、彼の主宰するメーリングリストに所属する100人以上の一流の科学者・思想家。干し草、鏡、原爆、ピルなどさまざまな答えが寄せられた。(「2000年間で最大の発明は何か」草思社刊)

 私が秀逸だと思ったのは、コラムニストCarl Zimmerの「水道」という答えだ。曰く、「これほど多くの死と病気を減らした発明は思い浮かべることができない。(略)水道がなければ、現代世界の人口密集状況は支えきれないだろう。」
 その一方で、水道は現代社会に多くの弊害ももたらした。水道があったからこそ都市が成立し、その結果現在のゆがんだ都市環境がもたらされた、とするのは逆説的すぎるだろうか。しかし、「水道が日本人の水への関心を希薄にした」くらいは言ってよさそうだ。
 「日本人は水と安全はタダだと思っている」そう揶揄されるほど、日本は水資源に恵まれた国だ。試みに世界の主要都市の年間降雨量を調べてみると、

東京1405.3mm
上海1109.8mm
ニューヨーク1068.8mm
シドニー1176.5mm
モスクワ691.6mm

と東京が先進都市の中でみるとひじょうに雨の多い場所だということが分かる。しめった土地の印象のあるロンドンやサンフランシスコなどは逆に

ロンドン752.6mm
サンフランシスコ501.6mm

と雨が少ない。(以上、「理科年表98」より)

 だが、本当に日本は水資源の豊かな国なのだろうか。ならば、なぜここ数年毎年のように渇水騒ぎが起きるのだろうか。

 実は、日本の水資源は決して豊かではない。確かに降雨量は多いが、山地が急峻なため、滞留時間がひじょうに短い。また、単位面積当たりでなく単位人口当たりに換算すると、日本の降雨量はサウジアラビアの半分になってしまう。こういった事実を一体どれだけの人が知っているだろうか。
 水道は確かにこの2000年で最大の発明かもしれないが、都市と中山間地域の(意識の)格差を広げた発明でもあった。水資源に関する認識の欠如はまた、地方にさまざまな悪影響を及ぼしている。
 例えば、ナショナルミニマムの達成という考え方だ。日本中どこに住んでいても最低限の便利な生活を享受できるようにしようという考えには確かに貴いものだ。しかし、これに「一律で」とか「一様に」とかの形容がつくと、話がおかしくなる。内子町で起きた下水道普及の議論を紹介しよう。

 愛媛県内子町は中山間地に位置する。町内を3本の川が流れ、自然豊かな場所だが、以外と水資源は豊富ではない。集落の位置によっては、水の供給元はため池のみ、そこから生活用水と農業用水をまかなっているなんていう場所もある。
 住民参加のフォーラムを開いたときに、「集落に下水道がないのは不衛生だから、早く都会並みに下水道を引いて欲しい」という意見が出た。対応した職員はそれはなかなか難しいということをこんこんと説いたが、なかなか納得してもらえない。「まち(中心市街地)ばかり便利になって、山はいつまでたっても不便なままだ」という意見には、明確な反駁がしづらいものだ。
 町の少ない予算では山の中まで下水道を敷設できないという理由は確かにある。しかしもっと深刻な理由は、ただでさえ乏しい水資源が下水道=水洗便所の普及によって浪費され枯渇してしまうことにある。
 しかし、「水不足になるから下水道は作れません」でこの人を説得できるだろうか? 同じ税金をとっておきながら、まちだけに利益が還元されているではないか、という主張に反論することができるだろうか。

 ますます説得を難しくする事実がある。実は、こうして山で暮らす人々が耕作する棚田や、人の手が入っている裏山(広葉樹林)が山の保水力を高め、この人の住んでいる土地の少し下に湧水をつくり、それがまちの水道の供給源になっているということだ。山からみると、「便利な暮らしができるのは、だれのおかげだ」ということになる。
 まちの人はそんなことは考えない。水道は、ひねれば水が際限なくでてくるもの。便利だという意識さえもなく、ただ当たり前だと受け止めるだけ。山とまちの意識の差に如実に表されるのが、プロセスカット型の文明の弊害である。

 セルシティで目指すのは、都市住民の意識にはじまり、都市システム、そして都市文明へと続く一連の流れの大転換だ。

 「水道」という古代ローマ時代より確立され、都市の重要な基盤となっている技術でさえ、現在の複雑化する都市システムの中では否応なしにそのあり方の見直しを迫られている。この問題に対応するためには、「水道の問題」という単体ではなく、「都市システムの問題」という全体としての再認識が必要だ。部分から考え始めるのではなく、全体から考え始める発想の転換。そこで初めて、地方交付税のあり方や地方分権のあり方、農業技術、ツーリズム産業の育成なども視野に含めた「山」と「まち」の関係が見えてくる。
 そして、その前段階に必要とされるのが、なにを大切にし、なにをいとおしく思うのかという価値の転換なのである。


蛇足関西の都市は関東の都市に比べ、川を大切にしています。地勢学的な違いもありますが、町の中、生活の中に、より密接して川があります。今回の月例報告は、うちの近くの川岸を朝晩歩きながら(駅に行くときに必ず通る)考えました。関東と関西の文化の違いは、沖縄と台湾の文化の違いよりもはるかに大きいなと実感する日々を送っています。

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栗田拓の論考

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Taku Kurita

栗田拓

第16期

栗田 拓

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まちづくり 経営 人材育成

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