Thesis
イタリアへ行ってきた。MILANOでレンタカーを借りROMAまで、25都市を巡る14日間、1800キロに亘る車の旅だ。
今回の旅には愛媛県内子町の町長、役場職員、計3名と一緒にいった。内子町はこれからの地域づくりのあり方として、「環境」「交流」などのキーワードを掲げ、自らエコロジータウンを標榜してその名を全国に知られるまちづくりの西の雄である。
国鉄旧内子駅周辺の整備事業の参考事例として、イタリアの都市と広場を見ること、都市との交流の一環としてのアグリツーリズムを体験すること、地域産業振興のために、「第3のイタリア」を学ぶこと、この3点が今回のイタリア行の“公式の”テーマだった。(注・第3のイタリア・・・。学校制度・徒弟制・価値観などを含めてイタリア工業界を支える仕組みを再評価した総称。ご存じの通り、イタリアでは小さな町工場が世界に通用する一流品を製産し続けている。グッチ、プラダなどもそこから出発した。)
個人的にはもう1つテーマがあった。イタリアを満喫し、イタリアという国を知ることがそれだ。「一夢庵風流記」「花の慶二」で知られる加賀脱藩浪人前田慶二に、
「知らぬ土地へ行っても、なにも説明を受けることもない。ただ町をぶらぶらし、風物を見、土地のものを食い、できれば酒を酌み交わせる友のひとりも見つけられれば、これ以上のことはない」
という言葉がある。「調査」という言葉と矛盾するようだが、とにかくイタリアを体で感じてこよう、と出かけてきた。
多くの場所を訪れた。人口280万人の大都市ROMAから、わずか39戸しかない城塞都市MONTERIGGIONIまで、様々な暮らしをみた。様々なものを食べた。生ハム、パスタはいうに及ばず、イノシシ、ヘラジカ、ホロホロ鳥、ウサギ、鴨、鳩、鶏の悪魔焼きなるものまで、食べた。
公式の報告はまたの機会に譲るとして、前田慶二方式で学んできたイタリアについて簡単に記したい。
イタリアは、完全なる地域主義の国だ。どこへいっても、「おらが村が一番!」という精神に溢れている。例えば、あなたがレストランに入り、メニューをみながら「おすすめのメニューはなにか?」と聞いたとしよう。返ってくる言葉は、「うちのは、どれも美味しいから、どれもおすすめだよ。」か「この村の食材を使っているからどれもおいしいよ」か、2つに1つしかない。結局あなたは、おすすめ料理を知ることはできないのだ。
PARMAという町に、木造の古い、そしてとても美しい劇場がある。以下は、その町の媼との会話である。
「どうだ、ファルネーゼ劇場はすごいだろう。イタリアで一番古い木造の劇場じゃぞ。日本には、こんなものないだろう。」
「いや、我々のまちには、もっと古い劇場(内子座)がありますよ。」
「木造じゃぞ。」
「もちろん、こっちも木造です。」
「・・・・・。(しばらく考え込んで)大きさはどうじゃ?」
「大きさは、こちらの方が大きいですね。」
「そうだろう!やっぱり、パルマが一番だ。」
80年間、まちから一歩も出たことがなく他所を全然知らなくても、、おらがまちが一番なのである。
イタリア人のこんな意識が、地域ごとに際だって特色のある文化(特に食文化)を生み、特産品の隆盛、体力のある地場産業の下支えをしてきたのである。
もちろんこの背景には、都市国家に始まる、ギリシア・ローマの国家発生史があるのは否定できない。イタリアはまさしく地方主権、というよりもいまだに(少なくとも精神的には)連合王国の国であるから、このような意識が育まれているのだということはできる。しかし、ここで見落としてならないのは、イタリア人のライフスタイル、生活史の中にもそのような意識を育む要因が根付いているということだ。
朝開いた商店街は、午後1時にはしまる。次に開くのは、午後5時から8時だ。そして、ほとんどのリストランテ、オステリア、ピッツェリアは午後8時にならないと開かない。夕方仕事から帰った人々は、まちに出る。劇場へ行ったり、サッカーへいったり、ウィンドウショッピングを楽しんだりする(不況のため、買い物はほとんどしない)。商店が閉まり始めると、食事を楽しむ(ほとんどの場合、バールという大衆バー)。 イタリア人は、部屋で暮らしているのではなく、まちで暮らしている。ヨーロッパには、「都市に住まう」文化があり、イタリアのどんなちいさな町、村にも、テレビ以外の娯楽が一通りそろっている。地域内で文化の自立循環型社会が構築されていること、そして、コマーシャリズムをあえて発達させていないことで、地域が大量消費型社会の洗礼にさらされていないことが、中央と地方、都市と農村の均衡を保たたせている。
イタリア人の生活史でもう一つ特徴的なのは、階級社会であることだ。特別な才能や事情がない限りは、子は親の職業を継ぐ。大学出の若年層の失業率が高いこともあるが、親の職業を継ぐこと=糊口をしのぐ道具や技術を資本投下なしに受け継ぐことができる、という冷静なコスト意識がその裏にうかがえる。
イタリア型社会は、資本主義競争の時代(20世紀)にその勢力を大きく拡大することはできないが、サバイバルの世紀(21世紀)には必ず生き残れるだろう。政経塾で海外の先進事例といったときに、なかなかイタリアの名前は出てこないが、「地域に住む」「人生を楽しむ」「都市と田園との共存」などのキーワードでみたとき、イタリアはなかなかに、面白い国ではないか、そういう感慨を得た。
Thesis
Taku Kurita
第16期
くりた・たく
Mission
まちづくり 経営 人材育成