論考

Thesis

分権時代に生き残る地域とは何か

自治体に厳しい冬がやってくる。地方分権によって各自治体は生存競争の時代、つまり全ては住民と行政の判断次第という自己責任の時代へ突入する。この時代を乗り切れるかどうかは、地域マネージャーの存在にかかっている。

分権が進み、地方交付税が廃止され、地域の課税自主権が認められるようになると、地域間の財政格差、公共サービスの格差はますます拡大する。豊かな自治体には安い税、充実した産業インフラを求めて企業が集まり、そうでない自治体からは医療介護施設がない、職がない、教育環境がないなどの理由で、人が出ていく。富める自治体はますます豊かに、貧しい自治体はますます貧しくなる。破産する自治体も出てくるかもしれない。
 こんな時代に必要なのが「地域マネージャー」である。地域のコーディネーター役を務め、行政活動の効率化に協力し地域ビジョンを提供する地域マネージャーは、いわば「地域活動における触媒的存在」である。地域の抱える問題は多岐にわたる。しかし、その根底には共通して、地域の施策が住民からかけ離れた場で決まり、非効率的に運用され、地域をどうしたいのか、住民の誰もが明確な答えを持てなくなっているということがある。こうした問題の解決に、地域マネージャーが貢献できる部分は少なくない。 地域の抱える第一の問題点は、「行政と住民の橋渡し役の不在」だ。近年、住民の自治意識、民主主義の問い直しの機運は各地で着実に高まっており、住民参加の仕組みづくりをしている自治体も増えている。しかし、その一方で、それらのほとんどはうまく機能していない。

 一般的な住民参加の制度は、まちづくり会議などの参加者を公募し、そこでとりまとめられた提言を首長に届ける形を取っている。この仕組みでまず問題になるのが、公選された議員がやるべき仕事を、何の資格もない一部の市民が行っているのではないかという「位置づけ論」だ。これに対し、実際に住民参加制度の整備を進めているある自治体が出した解釈は、住民はアイディアを出し、議会はそれを審査決定するものだとする役割分担だ。アイディアは広く住民から求め、意志決定は公選された議員に任せる。すると、住民同士が意見を出し合う場、そしてそのアイディアを専門家である行政職員と住民とで施策レベルに深化させる共働作業が必要になってくる。
 残念なことに、この共働作業はたいていの場合成功しない。共働作業を進めるノウハウと、相互理解を進める手助けをするコーディネーターが欠けているからである。住民には行政が持つ法律・組織上の様々な制約はなかなか理解できないし、新しいことをせず、実より名をとった方がよいとする行政の勤務査定制度は、行政職員の感覚を住民とはかけ離れたものにしている。この溝を埋めるために、行政と対等に渡りあえる住民を育て、それまでの間、専門家として住民会議の運営、行政とのコーディネートを行うのが地域マネージャーの第一の仕事だ。

 地域が抱える第二の問題点は、「縦割りの組織による行政の非効率化」にある。
 私が以前関わった地域再開発計画でこんなトラブルがあった。ある地方の中枢都市で、市内に散在する交流・人材育成機能を持った施設を集約し、情報化・産業育成の一大拠点を整備する計画が持ち上がった。ところが同時期に似たような再開発計画がもうひとつ持ち上がり、双方の間で施設の引っ張り合いが起きた。両方の要求を満たすほど、施設の数は多くなかった。大所高所から語るべきまちの全体計画が、現場の担当者の自分のプロジェクトを順調に進められるかどうかという、目先の損得にすり替えられてしまった。
 こういった行政の縦割りの弊害をなくすためには、首長を中心としたヒエラルキーのシステムに加えて、現場レベルでの横のネットワークを構築する必要がある(図)。個々の施策は、現場レベルでも整合性を持って立案されなければならない。首長のところへ上がってきた段階で、各施策の整合性をとるのは困難だからでなる。そしてこのネットワークのハブとなる存在は、行政の組織論に束縛されず、かつ、現場の行政職員と対等につきあうために、ある程度の企画立案権限を持つ一方で、人事権は持たないという存在でなければならない。本来はこの仕事は助役や企画係が行うべきだが、内部の人間ではなれ合いや慣習などの行政組織の網にからめ取られて、なかなか連絡調整役以上のことはできない。地域の様々なプロジェクトの現場を自在に動き、ときには憎まれ役も演じられるのは外部の人間、地域マネージャーである。
 行政の各部局間、それに現場と首長とを取り持つ地域マネージャーの存在によって初めて、首長の目指す地域像が、現場の政策レベルで整合性を持って再現される。地域の抱える種々の政策課題を個別ではなく、ひとつの地域システムとして包括的に捉え直すことが可能になる。

 地域が抱える三つ目の問題は、「地域が進むべき方向、目指すべき姿が見えにくくなっている」ことにある。地域マネージャーは触媒役を無事に務めるだけでなく、地域の住民に新しい地域像、ビジョンのヒントなりとでも、提供できなければならない。
 経済活動の大規模化・国際化、高度情報化社会の到来によって、Think globally,Act locallyという言葉に代表されるグローカリズムの時代が到来した。例えば気候変動に代表される環境問題は、地球全体の課題でありながら、その対策は個々人のライフスタイルの転換に負うところが大きい。ゴミの分別収集に個人がどれだけ労力を使うか、地域がどれだけのコストを払うかが、地球環境の保護に直結していることに疑念の余地はない。
 産業・情報の問題においても然りだ。いまや地域と世界はインターネットを通じて情報を受発信する時代となり、地域の特産品を直接世界に販売することも可能になった。地域と世界の垣根は多くの分野で取り払われつつある。
 これらの例に代表されるように、地域マネージャーには、世界サイズの視野と地域サイズの感覚を同時に持ち、日本の小さな一地域の施策を世界の課題と関連づけて考えられる柔軟な発想力が求められる。

 では、世界の視点、日本の視点からこれからの地域のあるべき姿を見つめ直すと、どのようなビジョンが描けるか。
 戦後、貧しさの中から日本は驚異的な経済成長を成し遂げた。日本人は豊かさにあこがれ、豊かさを追い求め続け、一時はそれを手に入れたかに見えた。その間、社会の中に歪みが蓄積された。そして、日本人の求めてきた豊かさが、実は一面的で非常に危うい基盤の上に成り立っていることを教えてくれたのが、阪神・淡路大震災だった。
 大震災をひとつのきっかけとして、ある変化が日本人に生まれたように思う。それは経済成長よりも暮らしの安定、安全に豊かさを求める風潮が強まっていることだ。もちろんその背景には、低成長時代への移行や、世界的な環境危機、気候変動やエネルギー・廃棄物問題、食糧危機への意識の高まりがある。

 都市は、安全な食料・きれいな水の自給を始めとする、生存のためのインフラが整備された安全都市、自立循環型都市への構造転換を求められ、田舎は、土を耕し山を守る豊かな生き方と、金銭的豊かさの両立を求めている。都市と農村の新しい関係、生活の価値の再発見が求められている。各地では、地域内での廃棄物の完全処理・再生・再利用を目指す国連大学のゼロ・エミッションプロジェクトや、大都市を街路によりいくつかの小さな単位(セル)に区分し、セルごとの地域自給率を高め災害に強いまちづくりを目指そうというセルシティ構想、都市部の税金の一部を水源地を守るための資金に充てようという森林交付税の運動など様々な運動が起こっている。
 これからの地域は環境重視の自立循環型であり、人と人の生活を守ること、人体への安全を最優先に考えていかなければならない。
 だからこそ、いま地域マネンジメントの専門家なのである。世界と地域の双方からの視点で考え、次代の地域のあり方に対する哲学を持ち、住民・行政・首長・議会のどこにも属さず、それらの、そして行政内部の業務調整を行う彼らは、市民自治の時代への橋渡し役となる。こうした橋渡し役を見つけ出せない自治体は、真の「自治」体への変革を図れず、地方分権の嵐の中で衰退していくばかりになるだろう。

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栗田拓の論考

Thesis

Taku Kurita

栗田拓

第16期

栗田 拓

くりた・たく

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まちづくり 経営 人材育成

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