論考

Thesis

細胞都市序説4「まちは細胞都市をめざす(3)」

少しづつレポートの季節と実際の季節があってきました。でも、まだ3カ月遅れ。がんばっていきましょう。
で、 前回の続き。  「環境自治体」がおおはやりです。
 97年5月21日から23日にかけて青森県の野辺地で開催され た環境自治体会議には、北海道の斜里町から沖縄県の読谷村まで、27の自治体が参加しています。多くの地方自 治体が、「環境」という政策分野を重要視しています。
 このこと自体はとても素晴らしいことです。だけど、 ちょっと待って下さい。「環境自治体」って、どういう自治体でしょうか。「環境」を重要視とか、「環境」を 優先とかいうけれど、「環境」という政策分野とは、一体どういう分野を指すのでしょうか。
「環境」や「共 生」というキーワードは、この1、2年ですっかりお馴染みになりました。基礎自治体の総合計画をひもとけ ば、必ずといっていいほどこの言葉にぶつかります。しかし、一体どれだけの人がこれらの言葉を理解して使っ ているのでしょうか。私は、これらの言葉が、あまりにも安易に、はやり言葉として使われる風潮に危惧してい ます。
ためしに、辞書を引いてみましょう。
「新潮国語辞典」には、
カンキョウ【環境】……・自分をとりまく外界。
           ・生活体に影響を及ぼす外界の状況 とあります。

「広辞苑」では、
かんきょう【環境】……・めぐり囲む区域。
           ・四囲の外界。周囲の事物。
特に、人間または生物をとりまき、それと相互作用を及ぼし合うものとして見た外界。自然環境と社会環境がある。 です。

「大辞泉」では、
かんきょう【環境】……まわりを取り巻く周囲の状態や世界。人間あるいは生物を取り囲み、相互に関係しあって直接・間接に影響を与える外界。
となっています。

念のため、「環」と「境」にわけて「大字源」でもひいてみることにすると、「環」とは、「めぐる・とりまく・かこむ・あまねく行き渡る」 の意。
「境」とは、「さかい・くぎりめ・周りの状態」の意であることがわかります。
つまり「環境」とは、本来人間の個体を取り巻く全ての事象、森羅万象を指し示す言葉です。人間と関係を持つものとして外界をとらえた言葉です。
もともと混沌としてひとつであった世界に、あるとき「自我」が生まれました。「自我」は世界に境界線を引き、自分とそうでないものに分けました。人間の自意識こそが、世界を「環境」と「自己」にわけたのです。
逆説的にいえば、自己が自己としてあることをはっきりと認識したときに初めて、環境が存在するということになります。
つまり字句にこだわって解釈すれば、環境自治体とは、地域が主体性を発揮し、その結果として環境を守ることが地域を守ることと同じ意味だということに気づいた自治体、ということができます。
この意味において、地方分権・地方行革など地方の問題と環境問題は不可分なのです。地方分権論に始 まる、「多様性の時代」「自己責任の時代」は、個の自立と自律の時代であると同時に、環境の時代であり、そ の双方を結ぶ情報とコミュニケーションの時代でもあるわけです。
私が、環境と情報(化)と倫理・教育をセットにして、次の時代のキーワードに繰り返し上げているのも、こういった理由からなのです。
 実際に「環境問題」という使われ方をするとき、この「環境」はどういう意味を持っているでしょうか。「環境問題」を説明すると、「人間が生存生活するのにより快適な状況が脅かされるような自然的・社会的事象。もしくはそれらの事象を誘起する人間の活動。」ぐらいの説明になるのでしょうか。多くの場合環境問題は、資源・エネルギー・気候変動など自然や地球のシステムに関わる問題を取り上げているようにみえます。しかし、いくつかの市の環境基本計画を見たり、 環境関連会議のテーマを調べたりすると、その範囲は、振動・騒音などの生活環境から福祉やジェンダー、情報化にまでおよんでいることが分かります。
 実は、「環境」という言葉を政策レベルで使うとき、そこにはいくつかの「階層」があります。私はこれを自分勝手に(例のごとく)、メタ政策と呼んでいます。
 メタとは、主に論理学で使われる用語で、「一つ階層が上の」とか、もっとわかりやすくいえば、「超」という意味あいを持ちます。
 有名なパラドックスに、「このかっこの中に書かれている言葉は嘘だ。」というものがあります。かっこの中にかかれている言葉が嘘だとすると、嘘だという言葉が嘘なのだから、かっこの中身は真になる・・・・。というパラドックスです。
 これは、自己言及の矛盾と呼ばれていますが、論理学では、こういう言語自身に言及している言葉は、メタ言語であり、通常の言語とは階層が違うものだという処理をしています。(説明をかなり省略しています。興味のある方は、blue backs辺りの、初心者向けの論理学の本を読んで下さい。)
 メタ政策をもう少しわかりやすく説明するために、頭の中に、マトリクスを描いて下さい。その縦軸に、普通に考えられる政策のリストを並べます(福祉、農業、観光、産業振興etc.)。今並べたすべての政策に対して、横断的に働くもの、それがメタ政策です。私は、メタ政策として、「環境」「情報(化)・コミュニケーション」「教育・倫理」をあげます。メタ政策は全ての政策部門に内包されます。
 メタ政策は何か、ということを考えるときに必要なのは、人間の本質を考えることです。細胞都市の考え方は、「人間は生物である。そして、社会的生物である。」という言葉を原点にしています。
 人間は、空間内に存在します。地球という自然の一部です。ですから、「環境」を考える必要があります。
 人間は、社会的存在です。他の全ての生物の存在があって初めて、自分の存在する場所が与えられ、「場所」に寄り添うことで安心して生きられます。だから、「情報(化)・コミュニケーション」が必要です。
 人間は、時間的連続性を持った存在です。生成発展し、また社会の秩序を維持して個の安全性を高めるために、「教育・倫理」が必要です。
 これら全てが、人間が人間らしい豊かさの中で生きるために不可欠のものなのです。
 環境自治体の定義にもどりましょう。竹内謙鎌倉市長は環境自治体をこう定義しています。
 「環境自治体とは、政策の全分野に環境への配慮がなされている地方政府である。」  この言葉には、ポイントが二つあります。「政策の全分野に」と「地方政府」です。
 繰り返しになりますが、細胞都市とは、生物や地球の持つ自然のシステムからのアナロジーとして地域を考えていく思考法のことです。根底には、「人間は生物である。そして、社会的生物である。」という人間に対する見方があります。 メタ政策としての、「環境」「情報(化)・コミュニケーション」「教育・倫理」を軸に、地域の自立と自律を考えていく、そういう領域を持っています。
 → この項続けたいが、とりあえず中途半端ながら終了。次回やっと、気ままな各論に、多分言及。

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栗田拓の論考

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Taku Kurita

栗田拓

第16期

栗田 拓

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