論考

Thesis

細胞都市序説2「まちは細胞都市をめざす(1)」

第二回目の今回は、「細胞都市の概念、今なぜ細胞都市なのか」とその中で私が当面対象とする領域の話です 。

「細胞都市構想」とは、「自立循環型の地域づくり」や「環境自治体」といった考え方を拡張した概念です。都市のシステムや地域のシステムを構築していくにあたって 、「生物としての人間が、個体として、種として生存し続けることを可能とする環境を維持し続けること」を基本原則とし、この原則から逸脱しない範囲で経済・社会開発を行うことを目的としています。このような発想は、私の「環境に対するふたつの見方」に基づいています。

 産業革命以来人類が生産・消費・廃棄する物質量、エネルギー量は莫大なものになりました。それまで自然の生産・再生産のリズムに合わせて暮らしていた人間が、自然界が生産するよりも早いサイクルでエネルギーを消費し、自然界が再生産するよりも早いスピードで廃棄物を生産するようになったのもこのころからでした。そしてその結果として今日、環境危機、エネルギー危機が叫ばれるようになりました。

 かつて人間にとっての自然は、無尽蔵に「恵み」を与えてくれ、いくらでも「汚れ」を引き受けてくれる巨大な開放系再生産システムでした。ところが、いつのまにやら、工業化社会の発達とともに(民主主義の発達・資本主義の発達・近代社会の成立、何と読み代えても結構ですが)、「恵み」の箱は底が見え始め、「汚れ」は逆に箱から溢れかえっていました。地球の自然が持つシステムの部分集合に過ぎなかった人間社会のシステムが、その活動規模においては母集団を凌駕しつつあるのです。工業化社会は地球を小さくし、人間社会のシステムは、準閉鎖系システムになりました。

 この人間社会のシステムが、うまく機能しなくなっています。原因は、人間が自分は自然の一部なのだということを忘れたからです。社会システムが自然のシステムに内包されていて、両方のシステムが調和していなければいけないということを忘れてしまったからです。

 人間は以前よりも活発に活動しています。人口も増え、より大量の資源を消費しています。この大量生産、大量消費のサイクルは、限界に達してしまいました。

 人は、「もの」にたよっていきています。そして「もの」は必ず、生成と分解のライフサイクルを持っています。よく、  資源→生産→製品→廃棄→分解(再資源化)→資源というCIRCULATIONが示されますが、これはなにも工業製品に限ったことではありません。空気も、水も、食料も、生命も、宇宙も、すべての「もの(者)」は、生成発展と分解発展、この大きなゆらぎのなかで生かされています。

 人間の文明は、このCIRCULATIONのすべてのプロセスを人の手で行える段階に達していません。いいかえれば、人間は未だ一個の生物であり、神の段階に達していません。人間は自分の力で「生きている」のではなく、多くの「もの」によって作り上げられている地球のシステムの中で「生かされている」のだということをまずは謙虚に認識しなければなりません。人間の社会システムを、地球のシステムにあった形に再構築するべきなのです。

 もちろん、神を目指す道を選ぶこともできます。地球のシステムを越え、人間のシステムだけで生きる、もしくは宇宙のシステムの中で生きる、そういう選択肢もあるにはあります。しかしその為には神の技を身に付けなければなりません。

 無から有を生み出し、有から無を作り出すこと。あらゆる物質を自由に別の物質に変えること。この二つが神の技です。超古代より数え切れないほどの学者・魔術師・錬金術師が挑戦し続け、そして未だだれ一人としてなし得なかった技、この技が確立されないならば、我々が生き残る為の選択肢は他に後一つしかないと私は考えます。地球と人間の関係、自然と社会の関係が見直されるべき時期は既に来ているのです。

 社会システムと地球のシステムの整合性を取るとはどういうことでしょうか。それは、二つの時計の針を重ねることを意味します。

 気候変動も、廃棄物問題も、エネルギー問題も、人間の持つ時計と地球の時計が違うスピードで回っていることに起因します。わかりやく考えてみましょう。

 ある資源が枯渇しかけているとします。これはもちろん生産されるよりもたくさん消費しているということです。そこで、「大量消費はやめよう」ということになるわけですが、もう少し正確にいえばこれは、「短期間に、(一定地域内で)大量消費はやめよう」という意味なのです。「もの」の循環を考えるときには、循環量の他に、循環サイクル(時間)、循環範囲などのパラメーターについても考えなければなりません。「もの」がつくられてから再生産されるまでのタームも計るべきなのです。

 紙を例にとってみます。ある地域に生える木から、50年間で50トンの紙がつくれるとします。そうするとこの地域では1年間に1トンの紙しか消費してはいけない計算になります。それが自然の時計の針が回るスピードだからです。もしそれ以上使う必要があるのならば、リサイクルによって、自然システムの一部を人間の手で代替しなければなりません(それでも地球に降り注ぐエネルギー(太陽光、地熱、重力、自転公転運動によるもの)がほぼ一定なので少しのひずみがでます)。

 現代社会は、給料日の翌日に給料を全額飲んでしまうサラリーマンのようなものです。1日は幸せですが、残りの29日は飢えて暮らさなければならないのです。月給30万円ならば、一日に使える額は1万円。1時間に使えるのはその24分の1だけです。それ以上の浪費をしても、閉鎖系システムの世界では、誰もお金を貸してはくれないのです。

 1995年11月号の「世界」に竹内謙鎌倉市長の小論が掲載されています。彼によれば、環境自治体とは「政策の全分野に環境への配慮がなされている地方政府」です。この言葉は、彼の考える「環境」という分野が、地方自治体の持つ他の政策分野、教育であるとか産業育成であるとか福祉であるとか、を越えた、「メタ政策」とでもいうべき範疇にあるものだということを示しています。

 この考え方はひじょうに優れた考え方ですが、一方、誤解されやすい考え方でもあります。それはいくつもの意味を持つ「環境」という用語が、混乱して使用されているからです。

 ということで、次回は「環境」「共生」「地球と人間の関係」「政策とメタ政策」などについて考えたいと思います。

                            この項続く。

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栗田拓の論考

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Taku Kurita

栗田拓

第16期

栗田 拓

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