Thesis
21世紀は、住民参加の時代であり、都市の時代である。まちづくりへの住民参加の機運が熟しつつある今こそ、都市に住むこと、都市をつくること、そして人間主体のまちづくりとは何かを問い直す必要がある。
■今度は本物“住民参加の時代”
パートナーシップ事業、共生的自治、まちづくりクラブ……、全て住民と行政の協働作業の呼び名だ。今全国各地で住民参加の動きが盛んになっている。
住民自治への要求は、戦後幾度か高まりを見せた。革新派の首長が多く誕生した昭和40年代には、住民によるまちづくりの協議会の設立や教育委員の公選など、斬新な試みが各地でなされた。しかしそれらの試みのほとんどは、地域に根付くことなく、一過性のものに終わってしまった。
しかし今回はちょっと様子が違うようだ。戦後憲法に書き加えられた地方自治の概念の真の意味が、50年経ってようやく行政に浸透したのか、それとも景気の低迷と財政赤字の下で住民の知恵と力を借りなければとてもやっていけないと、自治体があきらめたからなのか、国でも地域でも、住民参画型の地域社会を求める声が、行政側からわき上がっている。
住民参加と無縁に思える建設省でも、動きは起きている。建設省は、都市計画分野での住民参加の機会拡大に意欲を見せ、今国会に提案された都市計画法改正案の基本的な考え方の中に、広く住民から集めた意見を参考にすることをあげている。都市計画マスタープラン(都市マス)づくりにも、その考えは反映されている。都市マスとはこれから先のまちづくりの指針となる計画のことだが、建設省は、各自治体がこれをつくる際には住民参加の手法をもってすることと指導している。実際多くの自治体では、地区毎に開かれる住民会議でアイディアを出し合い、それを下敷きに住民・行政・専門家の協働の下、プランづくりが進められている。
こうした動きを加速させるように、各自治体では、住民の意見を吸い上げ、行政サービスへ反映させる仕組みづくりに力を注いでいる。
神奈川県藤沢市は、住民の意見をスムーズに集約し、担当課へ連絡するために広聴機構を一本化した。これによって作られた市民提案課は、役所の窓口に置かれた投書箱、行政区毎に設置された市民代表による住民会議“くらしまちづくり会議”、インターネット上で自由に藤沢のまちづくりについて討論できる電子会議室“電縁都市ふじさわ”など、多様な意見収集のための経路を用意し、誰でも簡単に行政に意見を言え、それが迅速に担当に伝わる仕組みを構築した。
神奈川県川崎市も住民参加に熱心な自治体のひとつだ。なかでも高津区では、数年前から行われているパートナーシップ事業が大きな成果を上げている。このパートナーシップ事業は、住民が中心となり、行政とまちづくり系のシンクタンクや研究者などの専門家がそれをサポートするという役割分担でまちづくりを進めていこうという事業だ。初年度の住民白書の作成にはじまり、男女参画型社会づくり、放置自転車問題、都市計画道路のデザインなど、身近なテーマをワークショップ形式で扱ってきた。高津区の特筆すべき成果は、数年間の活動を通じて、自ら考え活動できる住民が自然に生まれてきたことだ。住民自治の時代実現への鍵となるのは、この自治意識の強い住民をどう育てるか、ひとりひとりが変わるきっかけをどう提供できるか、ということにある。
このように現場での住民参加の仕組みづくりが活発化する一方で、当初予想されていなかった課題も浮かんできた。
■参加の範囲と役割分担
住民参加型のまちづくり会議に参加して感じるのは、そこに住んでいるからこそ事情を知り、意見がいえる事柄と、住んでいるからこそいえない事柄とがあるということだ。例えば、「あそこの交差点は小学生が飛び出してきても見えづらい。ひやっとしたことが幾度もある」、「高齢者が増えるからバリアフリー優先のまちにしたい」といった情報・意見は、住んでいるからこそいえることだ。一方、区画整理事業や道路事業では、隣の家同士でも利害が大きく異なることがある。和を以て尊しとなす日本の地域社会では、表立っての議論となりにくい。
生活するということは、人間の一番基本的な事柄で、それ故に感情や個人的利益に大きく左右される。総論賛成各論反対ではないが、こんな町をつくりたいというまちづくり全体の話は住民間でできても、この施設はどこにつくる、この道路の幅は何メートルにするという都市計画の話は、住民間ではとてもできない。
まちづくりへの住民参加が必要、とはいっても、全てのテーマでするのは難しい。「どういったまちづくりをしたいか」というテーマは住民参加に馴染みやすいが、「どこにゴミ処理場をつくるか」というテーマは馴染みにくいからだ。もちろん、いかなるプロセスにおいても情報公開をし、住民の意見は聞かなくてはならない。しかし、まちづくり会議のようなかたちで住民が直接的に意志決定を行う場合は、どの段階まで住民間で話し合い、どこからは政治的判断や専門家の意見に頼るべきか、という見極めが必要だ。
さらに、日常レベルでの暮らしやすいまちづくりの議論と、システムとしての都市論が同列に話され、会議が混乱するという運営上の問題もある。“暮らしやすいまち”と“機能的な都市”とは実態は同じだが、議論としては分けて行うべきだろう。専門家が中心となって、日本型の“機能的な都市”のモデルをつくり、それを住民が中心となって、思い思いの“暮らしやすいまち”に咀嚼する。そういった分業がこれから住民参加のまちづくりには必要とされる。
課題はまだある。
ひとつは、住民参加の話し合いの結果得られた結論の「正統性」である。選挙で選ばれる議員と違って、参加する住民の「代表」にはその正統性を保証するものがないため、どんなよい結果を生んでも「一部の住民が勝手に話し合ったことだ」とクレームを付けられかねない。そこで、会議を平日の昼だけでなく夜間や休日にも開いたり、また参加希望者は誰でも、何人でも受け入れるなどの多様な機会を提供する工夫をすることで、みんなに参加の機会が与えられていたと証明する必要がある。
■まちづくりはひとづくり
総合的なまちづくり、都市づくりは、日本では今までほとんど行われてこなかった。縦割り行政の弊害という言葉で表されるとおり、同じ場所に適用される事業を福祉、環境、建設、交通などの分野毎に、全く違う部署が横の連携なしに行ってきた。その結果、日本の都市は複眼の視点、総合的な思想を持たないものになってしまった。それこそ総合計画や都市マスが本来それを補うべきだが、現実にはこうした計画もほとんど部署毎の事業の羅列になってしまっている。ではどうしたら総合的なまちづくりができるのか。「総合」的な考え方ができるひとづくりが必要だ。例えば「緑いっぱいのまち」、「産業が育つ活気のあるまち」という個々のイメージを頭の中で組み合わせ、整合性をもって、実際に住んでみたらどうだろうかと想像のできるひとを、住民の中に育て、その意見が計画に反映される仕組みの確立が切に求められている。
住民参加のまちづくりは、今ようやく緒についたばかりである。「都市の時代」の到来に向け、今のうちに“人間本位の都市像の共有”、“住民・行政・専門家の役割分担の明確化”、“住民の中のひとづくり”などその土台を固めておきたい。
Thesis
Taku Kurita
第16期
くりた・たく
Mission
まちづくり 経営 人材育成