論考

Thesis

より安定した安全保障環境の構築への貢献に向けた防衛庁・自衛隊の役割 ―戦わないために戦いに備える―

 21世紀を迎えるにあたり、より安定した安全保障環境の構築への貢献に向けた防衛庁・自衛隊の役割は何か。この一年余り「日本の安全保障の現場を歩く」をテーマに徹して現場を歩いてきた私は、次のように考える。

 それは、「戦わないために戦いに備える」という発想の浸透と実現である。

 第2次大戦後50余年にわたってまったくのタブー扱いであった安全保障論議も少しずつ前進してきている中で、日本の安全保障は、平和を保ち享受してきた自負と、現実的対応の遅れの両面が並存する状況にある。とりわけ後者はミサイル拡散や不審船事件など具体的な事案に直面するごとに明らかになってきている。

 そういった状況を受けながら、現在日本政府は日米防衛協力やTMD研究に代表される日米関係の深化や、防衛交流など各国との信頼醸成の進展に努めている。ここの政策に関しては、これまで懸案とされてきた部分に一応の指針を示してきているということからして望ましい方向に向かっているように思う。

 しかし、私は現場を歩く中で3つの出会いがあり、その中に日本の安全保障の問題点を見出した。それには防衛庁・自衛隊がその役割として今後意識すべき問題も含まれていた。

■安全保障の現場の「3つの出会い」

 一つ目の出会いは、「誰のための安全保障か」を見失う人々である。私は国会で政策秘書のポジションで国会議員インターンを半年間経験した。おりしも、日米防衛協力のための指針のための法整備や、北朝鮮工作船事件の起こった時期で、50年に一度という防衛論議花盛りの時期であった。私は政治家と官僚に張り付き、議論の行方を逐一見守った。その際の議論はどうだったか。内容は非常に残念なものであった。まず政治家には「国民の理解」への配慮がほとんどない。そして政策論議において自己主張にばかり執心する政治家があまりに多いのである。踏み込んだ議論をして責任を問われるのを恐れ、非常に消極的な議論しかしない(あるいは議論自体を回避する)政治家も少なからず見られた。官僚にしても、ある防衛官僚は自分の所属官庁からの視点しか政治家に提示していなかった。

 法案の作成は、一義的にはこの国に住む人たちのためであるはずである。にもかかわらず、この国の政治家の中にはそのことを理解していいる人が少ないように感じる。本来政治家はどのような姿であるべきなのか。政治家自身が政策を熟知しておくことは言うまでもない。しかしそれだけでは不十分である。これは主に官僚の仕事だからである。私の考える政治家の仕事は、説明(選択肢の明示と国民の理解要請)と選択(優先順位の決定)、覚悟(責任の明確化)の三つである。特に、国民の生命と財産を守っていく根本であり、長い間タブー視されてきた軍事力を必然的に伴う安全保障にあっては、この三つは必ず徹底されなければならない。総じて言えば、全員がそうだとは言わないが、意見の発信と任務の遂行に終始し、誰のための公務なのか、誰のための議論なのか、最後まで伝わってこなかったのである。

 二つ目の出会いは、「保険」に伴う「負担」を抱える人々であった。

 私は安全保障は「掛け捨ての保険」のようなものだと考えている。軍事費は非常に非生産性が強いからである。そんな安全保障という「保険」負担の最たるものである基地のあるまち、沖縄で2ヵ月半の間暮らし、地元の方への300人ヒアリングを行った。基地関係者ばかりでなく、地元の商店の方、反対運動の活動家など様々な方のお話を伺ってまわった。私が基地問題を含む安全保障問題を沖縄の人と議論するときにひとつの「壁」のように感じたのは、「命どぅ宝」(ぬちどぅたから)の「命(ぬち)」という言葉である。このフレーズは「命は宝である」、「命あればこそ」といった意味だと聞いた。私が最初に耳にしたとき、この「命」は「私たちの命」だと勝手に解釈していた。ここで私が言う「私たち」は共同体、地域、国家、しいては世界中の人々までも含んでいる。しかし、この「命(ぬち)」はいわゆる命(いのち)とはややニュアンスが異なる。何があっても最終的にまもるべき「自分自身(とその周囲の命)」が沖縄の人のいう「命(ぬち)」であるようだ。この言葉は、外からのさまざまな波に翻弄された、これまでの沖縄史を象徴しているように感じている。しかし、私たちは安全保障意識の共有のため、この「命」のギャップを乗り越えてもう一歩前へ進まなければならないと思う。どうすればいいのか。

 ここにひとつのヒントがある。大田昌秀氏(沖縄県前知事)や山内徳信氏(沖縄県前出納長)が私に話してくださった話である。

 政治家や官僚が米軍基地について話をするとき、「沖縄の」米軍基地という言い方をする。決して「日本の」でもなく、「自分たちの」でもない。「日本としての姿勢」が弱いし、何より当事者意識が低い。安全保障の基本は「この国に住む人をまもる」であるはずだ。にもかかわらず、自分はリスクを背負わずに他人を手段として安全保障というのはいかがなものか。もっと自分の問題としてとらえる必要がある。

 2ヵ月半の沖縄暮らしの中で、沖縄が背負う歴史や思いの根深さは十分に実感するところである。その理解は沖縄と対話していく上での大前提であるべきだと思う。その上で、まず必要だと思うのは、日本に住む人が安全保障に関する当事者意識を共有していくことだ。もし共有が前提になれば、今度は沖縄の人がどのくらいの安保の負担(確実に今よりは少ない)をする覚悟をもてるかが問題となると思う。そのときには、本土の理解が足りないというこれまでの言い訳は成り立たず、沖縄の人の心に突きつけられるものはかなり大きいと思う。「命(ぬち)」が、私が当初感じたそれに変わるきっかけのひとつはこれではないか。もちろん滞在中も、那覇防衛施設局や在沖の自衛隊基地の方々がこの部分を肌身で感じ、共有に向けて努力なさっている姿をたびたび拝見した。しかし、先の述べたようにその努力は日本全国に住む人々にも求められるべきものであり、そのきっかけづくりは防衛庁・自衛隊の役割の一つであるべきではないか。

 三つ目の出会いは「限られた力」で全力を尽くす人々であった。

 私は、冬の青森で自衛隊体験入隊の機会をいただいた。横殴りの雪が降りすさぶ中、私は練習機T-4に乗るなど、基地のありとあらゆる部署の任務を体験させてもらった。その際私が感じたのは「全てはコックピットにつながっている」ということだった。補給、整備、部署の仕事に貴賎はない。安全保障を考える上で前提となっているはずの任務の遂行に支障をきたす。大げさでなくまさにみんなで支えているのだ。基地の方々に代表されるように、現状の自衛隊は、限界はあるにせよ、真摯に「備えている」。問題は、その力を向ける方向にあるように思う。防衛政策の完結性を理由に思い切った戦略変更が難しい安全保障政策はその扱いが非常に難しいことを承知しつつも、軍事的脅威の変質が叫ばれる昨今、限られた力を向ける方向は今一度国民的議論に付する必要があるのではないか。

■戦わないために戦いに備える

 以上を踏まえながら私が考える防衛庁・自衛隊に求められる役割は、次の4点に集約されると思う。

 一つ目は日本の安全保障のあるべき姿を国民および周辺各国にわかりやすく提示することである。「誰のための安全保障か」の議論及びそれを実行するのに必要な「覚悟」のありかたを防衛庁・自衛隊から国民ばかりでなく、政治家や学者、各国関心層にも提示する時期にきているのではないか。一定の制約の中でのこれまでの努力は高く評価されるべきである。しかし、これまでの自衛隊の広報宣伝活動だけでは伝わらないのが現状だと考える。これまではタブーであった、防衛庁・自衛隊なりのビジョンをたたき台として積極的に示すべきである。平和を求める心を現実的な言葉に置き換えたらどうなるのか。国際社会に生きる日本に最も求められる部分であるように思う。

 二つ目は、これまで以上に安全保障上の公の負担を国民が理解・共有する架け橋となることである。迷惑施設としての性格ばかりでなく、安全保障上の重要性も十分説明されるべきであることもさることながら、針のむしろの上に敷くクッションのように、できる限りの努力を負担を負っている地域とともに行う必要があることは言うまでもない。それぞれの地域の方に「覚悟」をお願いするために必要な「信頼」は言葉の積み重ねではなく、人の行為によって培われていくと考える。

 三つ目は、脅威の変化に対応して必要な法律・装備を整えることである。自衛隊の現場でも感じたことだが、防衛庁・自衛隊に要求されることと、両者が実際できることとのギャップが年々広がっている。平和と安定を実現するために、自分の行動をきちんと自分で管理できる状態にしておくこと、すなわちこのギャップを埋める作業は急がなければならないと思う。とりわけ法律面で次の二点、誰が命令の責任をとるかはっきりすることと、武器を使用する基準をはっきりすることが不可欠だと考える。

 四つ目は、必要な情報をある程度自分でそろえることである。以上の三つの議論を進めるにあたって、あまりにも外部情報にとらわれるきらいがある。自分でしっかりとした選択をするために、安全保障関係の情報収集・分析機能は自前で持っておく必要があるように思う。

 以上の点をもって、防衛庁・自衛隊に求められる役割は、「戦わないために戦いに真摯に備えることである」と考える。世界と国内に開かれた、戦わない最強の部隊が真の意味で実現するところに平和と安定を実現する道がある。

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城井崇の論考

Thesis

Takashi Kii

城井崇

第19期

城井 崇

きい・たかし

衆議院議員/福岡10区/立憲民主党

Mission

政治、とりわけ外交・安全保障及び教育 在塾中

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