論考

Thesis

誰のための安全保障か?

我々国民の生活を左右する法案は、一体どのようなプロセスを経て決定されるのか。政党と国会における政策決定過程をたどりながら、日本の法律はどのように決められ、政治家と国民の関わりはどうあるべきかについて言及する。

昨年12月から約半年間、衆議院議員前原誠司氏(松下政経塾第8期生・衆議院安全保障委員会理事)の国会事務所に身を置き、日本の安全保障政策に関する、国会と政党における政策論議の現場をみてきた。
 この時期はちょうど日米防衛協力のための指針(いわゆるガイドライン)に関わる一連の議論が盛り上がり、また同時に韓国による北朝鮮潜水艇撃沈(98年12月)や米・英によるイラク空爆、北朝鮮工作船の日本領海への侵入(99年3月)など、日本の安全保障・危機管理についての再考を迫る事件が頻発した時期でもあり、防衛論議としては「50年に一度」(防衛庁筋)と言われるほど活発化した。

■民主党の安全保障政策決定過程

 民主党の場合、安保政策作りの第一歩は、党の安全保障部会の事務局を務める若手議員と党の政策調査会(以下政調)のスタッフが、たたき台となる法案の案文を作ることから始まる。
 政策決定過程を識ることを主目的にしていた私も、内容把握のため大量の資料を借りて読んだ。それは審議の始まるガイドライン関連3法案、党内で検討中だった戦域ミサイル防衛(以下TMD)計画、それに情報収集衛星の導入に関する資料などだが、その範囲の広さには驚かされた。例えばTMDであれば、政治・外交・経済・軍事などの視点で問題分析した学術論文から、仕組みを説明した技術的な資料までと多岐にわたっている。防衛庁、外務省、海上保安庁(運輸省)、警察庁、入国管理局(法務省)、内閣安全保障・危機管理室(内閣官房)と、関わりのある官公庁名を挙げただけでも、その多様さが伺えるだろう。
 情報収集には、政党独自のルートもあるが、基本的には関連省庁(主に防衛庁・外務省)の政府委員室と各院の立法調査室、国会図書館の調査立法考査局(外交防衛課)など、「官」によるものが多い。このように情報収集が「官」寄りになるのは、安全保障政策には高度な専門的知識が必要なこと、またこの分野が情報の機密性を要求することなどが主な理由として挙げられるが、それはまた一方で、政策の実質的なレベルでの議論の幅を狭める要因ともなっている。
 集められた情報をもとに、安全保障部会の事務局が、それまでの経緯(歴史や予算など)や政党の主張、政策立案者個人(政党スタッフも含む)の主張を考慮して原案を作成する。その後、案文は法的な整合性のチェックのため衆議院法制局へと回される。
 こうして一応の体裁が整えられた原案は、順次党の安全保障部会にかけられる(図参照)。部会のメンバーは決まっているが、党所属の議員は誰でも出席して発言できる。毎回出席しているのは部会長ぐらいで、参加者の顔ぶれは毎回異なる。そのせいか継続的に議論を把握しているのは、部会長、政調スタッフ、代理出席している秘書程度である。ここで議員から様々な意見が出される。意見はだいたい次の3つのタイプに分れる。細部にわたり真っ向から議論する「政策型」と、日程と落とし所が主な関心事の「政局型」、自らの主義主張だけを発言する「批判型」である。それぞれの発言・議論の後、比較的広いコンセンサスがとれた部分は最終的に内容に反映される。こうして国会日程を睨みながら部会が開かれ、「部会でまとめた案」として政調審議会へと送られる。
 政調審議会は、政調会長、政調会長代理、数名の副会長など10数名の国会議員から構成される。院内役員会と並ぶ党の政策決定のクライマックスである。審議会における議員の発言は、その得意とする分野によって発言の重みが変わる。当然、安全保障もそれを得意とする数名の議員を中心に議論が展開される。そして、検討中の政策が「決定」の方向へ行くかどうかは、部会長と政調会長の間に密接な協力関係があるかどいうかという一点にかかっている。つまり、政策案の文言のニュアンスを読み取る政治的感度や、政調会長への気遣い・後押し、参加議員への根回しなどが部会長に要求される。その後、院内役員会、常任幹事会、案件によっては総務会などを経て、最終的に国会に提出される。

 以上が政策決定のプロセスである。このように説明すると整然と進んでいるように思われるだろうが、実際の道のりはきわめて険しい。
 それは、次から次へと現れては消える「ハードル」があるからである。「ハードル」とは、会議毎に変わる出席者の顔ぶれと人数、それによって影響される発言の重みなど、偶然的要素のことである。例えば、米国が行うTMD計画への参加についての議論がそうであった。議論が尽きて、外交政策が中心で安全保障はあくまで最終的な手段、したがって「研究参加は基本的に賛成」という結論にまとまろうという段階になって、それまでの検討に参加していなかった議員から参加について白紙に戻す意見が出されるということがあった。
 これには、安全保障に関する基本政策が党で一本化されていないという事情(当時)もあるが、「拡散する弾道ミサイル」という現実に対し、現実的で具体的な政策オプションを何ら提示せず、批判ばかりするという典型的な日本の政治家の姿があるとみる。現実の問題になんら対応していない声を反映して、形ばかり繕った「寄せ集め政策」が、どれほど実効性を持つのか。一体誰のための何のための政策なのか。大きな疑問が残った。
 公表された政策は、衆議院本会議、あるいは委員会質疑の場でさらに議論される。テレビも入るこれらの場は、いわば長時間にわたるクライマックスのない「舞台演劇」である。質問する側も答える側も予定されたセリフを棒読みするだけで、政策がわかる議員は、事前に政府委員らと水面下での議論を行い、互いに譲れない部分を探りあてている。具体的には法律上の文言とその解釈である。質疑の場で討議されるのは、譲れると認識できた部分のみで、確認の意味で行われる。「答弁の積み上げ」による変更のアリバイづくりである。その意味で、現場の政治家は、質疑の場を「うまく使っている」。しかし、国民には水面下の攻防など全くわからない。国民は、棒読み芝居ばかり見せられ、「演劇離れ」を起こしている。
 今回私が目にした政策の議論は、ガイドラインや不審船事件など、今後の日本の行動をそれまでとは全く異なるものに変えるきっかけとなるものばかりだった。にもかかわらず、日本国民は、自分たちが新たに持つことなる「法」が、どれだけの力をもっているのか全く理解していないように思える。これは馬力のあるバイクに、その性能も知らずまたがるライダーのようなものである。我々国民は、事前にそのバイクの性能を知り、その能力をどのくらい発揮させるかあらかじめ決めておく必要があると痛感した。

■誰のための安全保障か

 一体誰のための議論、誰のための安全保障なのか。これが、この定点観察の中で一番強く印象に残ったことである。それは次の三点から浮び上がってきた。
 一つは、「国民の理解」への配慮がほとんどない点である。二つ目は、政策論議において自己主張にばかり執心する政治家があまりに多いということ。最後は、踏み込んだ議論をして責任を問われるのを恐れ、非常に消極的な議論しかしない(あるいは議論自体を回避する)政治家のあり方である。
 法案の作成は、一義的にはこの国に住む人たちのためであるはずである。ところが、この国の政治家の中にはそのことを理解している人が少ないように感じる。本来政治家はどのような姿であるべきなのか。政治家自身が政策を熟知しておくことは言うまでもない。しかしそれだけでは不十分である。これは主に官僚の仕事だからである。私の考える政治家の仕事は、説明(選択肢の明示と国民の理解要請)と選択(優先順位の決定)、覚悟(責任の明確化)の三つである。特に、国民の生命と財産を守っていく根本であり、長い間タブー視されてきた軍事力を必然的に伴う安全保障にあっては、この三つは必ず徹底されなければならない。

 では具体的にはどうすればよいのか。
 まず、「政策に関する情報を多元化し、選択肢を多様化する」。
 現在の安保政策、またそれに関わる情報は「官」寄りのものが多いことは先に述べた。しかしこの場合、一つのアイデアにとらわれやすく、選択肢が狭められるという欠点がある。また、「議論を回避する」という政治家の性向が、建設的な政策作りを阻害しがちである。このような状況下にあっては、様々な情報や選択肢の提示こそ、議論の活発化と、国民の関心の高まりを促進する。そこで、多元化・多様化の一方法として、民間・非営利・独立の政策シンクタンクの活用を提案する。

 実際にこの種の政策シンクタンクを目指して新たな試みを行っている機関は日本には少ないが、一例として東京財団(旧国際研究奨学財団)の同盟比較研究プロジェクトなどが挙げられる。ただ現状ではすぐにこれを実現することは難しい。その理由の一つは、米国などと異なり、日本の場合、こうした研究機関に対する税制上の配慮が不十分なうえ、安全保障や軍事の研究は長い間タブー視されてきたという歴史である。さらに政治の側にもその実現を阻む要因がある。「システム」と「ヒト」である。現在のシステムでは、政党を使わなければ、これまでの法律の積み上げを把握している法制局との連携がとれず、情報やアイデアが法律の体をなしにくい。また、システム内にいる「ヒト」、例えば政党スタッフからすると、自分たちの情報・取り組みが軽視されるのではないかというおそれがある。それが積極的な利用を阻害しかねない。
 さらに情報は、独占だからこそ意味があり、また価値のある情報ほど活きた生の情報なので文書化になじまないという側面を持っている。この性質を考えると、独占でない情報源・情報のメリットがみえてこない。そういった事情があるからこそ、現在の「官」以外の政策立案・情報ソースは、政治家の個人的な人間関係に限定されている。つまり、政治家に直接情報を入れることが、政策過程への反映という意味でもっとも効果的なのである。この現状をいかに変えていくか。これはまた困難な問題である。

 次に、「安全保障に関する自己責任感覚の醸成」である。
 この数カ月間、ガイドラインの国会論議、北朝鮮関連、ユーゴ情勢など、安全保障について考えさせられる機会が多くなってきている。そのため、政治家の中でも国民の中でも安全保障への関心は以前に比べれば高まってきているようにみえる。しかし、この関心も今のところ「漠とした不安感」でしかないようだ。
 昨今の議論は、戦後50年を経た今日まで日本が手をつけてこなかった分野に一歩も二歩も踏み込むものである。今年5月末に関連法が成立した「ガイドライン」における「後方地域支援」がその代表といえる。この法律には、国民の多くが理解・把握していないリスクが潜在している。安全保障というのは、その性質上、将来起こるかどうか定かでない事態を想定して対応するという、「掛け捨て保険」的性格が強いが、一般的な国民はこのことについても極めて低い認識しかないように感じる。この認識を高める努力をするのが政治家の仕事だと、私は考える。

 現在、日本の政治家の仕事は、法的・制度的空白を埋める作業が中心である。防衛庁官僚や保守系若手政治家が行っている法律や技術を主とする政策論が、その最たるものだ。もちろん、日本における「安全保障上の空白」を埋めるこういった作業を、私も否定するものではない。しかしこうした作業と同時に、政治家は政治家本来の任務とは何か、役割とは何かを明確に把握し、国の政策として、何をやるのか、何故やるのかを国民にはっきりと示すべきである。そして、国民は国民で、自分たちの欲していることは何かを意識し、それを政治家の前に提示すべきである。つまり、政治家、国民双方がその役割を十分に認識し、その意思を明確にし、その意思に責任をもつことこそが今要求されていると考える。
 21世紀は「自己責任の時代」と言われるが、それは国家の法律作りにおいても同様である。

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城井崇の論考

Thesis

Takashi Kii

城井崇

第19期

城井 崇

きい・たかし

衆議院議員/福岡10区/立憲民主党

Mission

政治、とりわけ外交・安全保障及び教育 在塾中

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