論考

Thesis

沖縄よ、お雇い外国人とタッグを組め!

■「声の大きさ」と「当事者としての重み」、そして「数」

 2ヵ月半に渡る沖縄での研修を終えて、私は次のような結論に至った。

 まず、基地問題には一般論が成り立たないということである。私が自分の足で歩いた基地所在10市町村が抱えている基地の事情はそれぞれまったく異なる。具体的には、基地被害や軍人・軍属による事件・事故の実態、基地関連収入などである。基地を持たない市町村を含めて、人々の持つ基地に対する認識・イメージもやはりそれぞれなのだ。今後安全保障政策の一環として基地の整理・縮小を進めていくならば、個別の基地ごとの事情をかんがみながら丁寧にあたる必要があると考える。基地自体の機能・土地の使用状況(遊休化の度合など)や駐留軍の性格・役割・訓練内容など、かなり具体的につめるべきであろう。もちろん、全快の報告で指摘したとおり、基地返還後の跡地利用の担保も必須である。

 その際に、気になることがある。それは、ここの基地問題に関して、ある意見を言う「声の大きさ」とその人の「当事者としての重み」、実際に意見を言っている「人数」に相関が見出せない点である。いったいどの点に着目していけばよいのか。

 私としては、基地問題の個別性を考えて、「当事者としての重み」に注目して、問題に一つ一つ対処していきたい。特に、差し迫った問題である普天間基地移転問題についても、その個別性に十分配慮した上で今後取り組んで生きたい。

■「命どぅ宝」の「命」の意味

 私が基地問題を含む安全保障問題を沖縄の人と議論するときにひとつの「壁」のように感じたのが、この「命どぅ宝」(ぬちどぅたから)の「命(ぬち)」である。この言葉は「命は宝である」、「命あればこそ」といった意味だと聞いた。私が最初に耳にしたとき、この「命」は「私たちの命」だと勝手に解釈していた。ここで私が言う「私たち」は共同体、地域、国家、しいては世界中の人々までも含んでいる。しかし、この「命(ぬち)」はいわゆる命(いのち)とはややニュアンスが異なる。何があっても最終的にまもるべき「自分自身(とその周囲の命)」が沖縄の人のいう「命(ぬち)」であるようだ。この言葉は、外からのさまざまな波に翻弄された、これまでの沖縄史を象徴しているように感じている。しかし、私たちはこの「命」のギャップを乗り越えてもう一歩前へ進まなければならないと思う。どうすればいいのか。

 ここにひとつのヒントがある。大田昌秀氏(沖縄県前知事)や山内徳信氏(沖縄県前出納長)が、若い人へ向けてということで奇しくもまったく同じことを私に話してくださった。それは、次のような話だった。

 政治家や官僚が米軍基地について話をするとき、「沖縄の」米軍基地という言い方をする。決して「日本の」でもなく、「自分たちの」でもない。あまりに沖縄の歴史を知らなさ過ぎるし、現地事情を知っている人も本当に少ない。「日本としての姿勢」が弱いし、何より当事者意識が低い。安全保障の基本は「この国に住む人をまもる」であるはずだ。にもかかわらず、自分はリスクを背負わずに他人を手段として安全保障というのはいかがなものか。もっと自分の問題としてとらえる必要がある。

 2ヵ月半の沖縄暮らしの中で、沖縄が背負う歴史や思いの根深さは十分に実感するところである。その理解は沖縄と対話していく上での大前提であるべきだと思う。その上で、まず必要だと思うのは、日本に住む人が安全保障に関する当事者意識を共有していくことだ。塾報8月号でも述べたように、この共有を訴えかけていくのは政治家の仕事である。もし共有が前提になれば、今度は沖縄の人がどのくらいの安保の負担(確実に居間よりは少ない)をする覚悟をもてるかが問題となると思う。そのときには、本土の理解が足りないというこれまでの言い訳は成り立たず、沖縄の人の心に突きつけられるものはかなり大きいと思う。「命(ぬち)」が、私が当初感じたそれに変わるきっかけのひとつはこれではないか。

■ 沖縄のこれから、日本のこれから

 沖縄のこれから、こうありたいと私が思ったことを書き綴っておきたい。

 まず、安全保障を語る上でも、「平和」が大前提である点である。基地があるのは誰でも嫌なのだ。嫌であるのを踏まえた上で、本土も沖縄もどれだけ当事者意識を持ち、相互理解ができるか。

 次に、もっと「前のめり」に、また「葛藤」から逃げずに取り組んでほしいという点である。肩肘を張らないのが沖縄の人のよいところであるが、今は、多様な選択肢をきっちり吟味すべきタイミングであると思う。
 それから、企業的発想を大事にすべきという点である。今までの発想は企業は企業でも、土木・建築業に特化しすぎたそれであったり、公務員的発想でありすぎた気がする。もっと「儲け」にシビアになるべきであろう。
 また、現実の法律(法的根拠)をもっときちんと見つめる必要がある点である。これまでの沖縄は、政府から「制度」(システム)をもらうところで満足してしまい、その道具を使ってという発想という点ではこれからだという印象を受けた。

 では、まず何からはじめるか。

 これから30年の沖縄は、「お雇い外国人」とタッグチームを結成して今後の闘いに臨むことが必要である。ここでいう「お雇い外国人」とは、沖縄人と異質な文化・思考パターン・技術をもつ本土の人間や外国人を指している。
 こういった「お雇い外国人」は次の意味で重要だと考える。ひとつは、現在沖縄が必要としているNGOやNPOの「総合プロデューサー」や「起業家」といった部分を実際に彼らに担ってもらうということである。
 こういった沖縄にとって異質な人材が必要だという声は官民問わず耳にした。例えば、普天間基地跡地利用に必要な人材の条件は、語学が堪能、技術があるなどである。現在教育インフラの取り組みがなされたとしても、今学んでいる子供たちが世の中に出るまであと10年以上かかる。そういった意味でも、人材開発・育成と同時に、人材の利活用や人材誘致が短期的には必要である。しかし、具体的にどのような方法で、どんなシステムで人材確保のサイクルを作っていくのか、まだはっきりしていない。この人材確保のサイクルができるまでは、私は、今回の研修の恩返しの意味で「お雇い外国人」の一人でありたい。
 他の問題点も共通するところだが、正直なところ、私が見つけた問題点というのはこの数十年間沖縄の人が真剣に議論を重ねてきたもののほんの一部分に過ぎない。私もそのことは十分に理解している。しかし、問題点を指摘するところで議論がとまることが多い。

 前回の報告で、やや私自身の願いも込めて、「変わりつつある沖縄」といったが、沖縄の意識ある若手に会って議論する中でその思いはますます強くなっている。
 沖縄のこれから、日本のこれからをよりよいものにするために、歴史も未来も両方抱えて生きる「共同創造」の道を、顔が見える形でのキャッチボールの中で考えていきたい。

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城井崇の論考

Thesis

Takashi Kii

城井崇

第19期

城井 崇

きい・たかし

衆議院議員/福岡10区/立憲民主党

Mission

政治、とりわけ外交・安全保障及び教育 在塾中

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