論考

Thesis

基地との関わりの数だけ沖縄のこころがある

基地のある自治体で暮らして、日本の安全保障を考えよう。そう考えて私は沖縄市へ飛び込んだ。しかし、そこに待っていたのは、私の常識でははかれない、心優しき人々とちゃんぷるー(ごちゃまぜ)としか表現しようがない元気な文化だった。先入観を取っ払うため、私は彼らと同じ「生活ペース」を体験するところから研修を始める事にした。ゴーヤーちゃんぷるを食べ、泡盛の水割りをのみ、ラジオから流れる沖縄民謡に耳を傾ける。徐々にそのペースになれてきた私の目に見えたものは、その普段の明るさとは裏腹な、沖縄市での生活のあらゆる部分に基地が影を落としているという、悲しくも厳しい現実だった。

■異国Okinawa

 新しくなった那覇空港に降り立った私の鼻をある香りがくすぐった。それは以前にタイ・バンコクの空港に降り立ったときと同じ香りだ。湿気を含んだ南国独特の香り。ここは自分が知っている日本よりはるかに南にある日本なのだ。ヤシ並木。常緑広葉樹が生い茂る森(ジャングル?!)。山は低く、高いものでも500メートルに満たない。そのせいか、空がとても広い。驚きはまだまだ続いた。ポークにてびち(いずれもブタ料理)、ゴーヤーちゃんぷる(にがうり料理)、沖縄そば、ひーじゃー(山羊)。飲み会の始まる時間だって違う。午後6時では開いているお店はほとんどない。午後9時になってやっと開き始める。午後11時過ぎからやっと本番だ。午前4時まで宴が続く事もある。沖縄タイムというらしい。賛否両論あるそうだが、沖縄には沖縄の生活サイクル、本当にゆったりとした心持ちがあるのだ。こんなゆったりとした気持ちを持った人々の中に、米軍基地は鉄条網付きの金網とともにたたずんでいた。

■ 米軍基地は外からどう見えるか

 米軍基地を見た。北部も南部も中部も見た。空軍も海軍も海兵隊も見た。しかし、今のところ国頭村の奥間ベースを除いて基地の外からの視察だ。
 沖縄に住む人々が普段見ている基地、外から見える基地は、私の目にはこのように映る。延々と続く鉄条網付きの金網。金網の向こうには緑の芝生。場所によっては白い家族用住宅。ゴルフ場やテニスコートといったレクレーション施設があるところもある。ハリアーや貨物機の爆音がなければ、周囲は静かな田園地帯であったり、打ち寄せる波音が心地よい海辺であったりする。
 しかし、実際に沖縄の人々の目にはこのように映っていない。金網は日米安全保障条約の境界線、もっと詳しく言えば日米地位協定の境目だ。芝生やレクレーション施設は、ため息を吐きながら「いいよね」とつぶやく、そんな対象であったりもする。非常に反軍感情が強い人からは、忌むべき存在でしかない。実際の光景と沖縄の人々が持っている印象のギャップは非常に大きい。
 生活とも隣り合わせだ。元々沖縄市の全身であるコザという町ができたのも、基地の門前町である事情からだった。時代によって、そのにぎわう地域も移り変わっていく。昔は歓楽街だった嘉手納基地のゲート前が、今は洋服屋通りになっている。キャンプ瑞慶覧の敷地内には一般人も利用できる高速バスのバス停がある。米軍の泡瀬通信施設周辺には、基地のすぐ横に畑がある。この畑の基地寄り半分は軍用地地主の所有、もう半分は道路拡張用に県が買い上げた土地だ。しかし、実際に畑をやっているのは、地主でも県関係でもない人なのだ。基地のそばではこのような奇妙な状況がかなりある。

■基地と人

 沖縄市の人々はこの基地と様々な形で関わりを持つ。
 ある人は、米軍と「交流」するつもりはまったくないという意見を持つ一方で、市の事業として交流広場の造成に取り組む。ある人は、日米地位協定の関係上、立ち入りが制限されているはずのゴルフ場でゴルフを楽しむ。ある人は、基地への陳情の際には米軍側の呼称である「キャンプフォスター」を用いる一方、問題が起こったときの抗議の際には、沖縄側の呼称である「キャンプ瑞慶覧」を用いる。あるお年寄りは、軍用地の地料を年金代わりに生計を立てる。そのお金で家を建てている人もいる。ある高校生は、基地から飛び立つ航空機の滑走路の延長線上にある学校で、爆音が降ってくる中、授業を受ける。ある公務員は、基地の全面返還という大目標を常に掲げつつも、市の都市計画の中に当面返還予定のない軍用地を含めず、まちづくりの仕事を進める。
 人々は当初基地の事を憎むべき対象と見ていたという。しかし、時代が流れるに連れ、基地の存在も前提とした上でまちづくりをしていこうという動きが徐々に大きくなってきているようだ。沖縄は確実に変わってきている。

■ 基地との関わりの数だけ沖縄のこころがある

 沖縄で私は三つわからないものがある。ひーじゃー(山羊)、泡盛、そして沖縄のこころである。
 私は、安全保障と沖縄の二つを心に抱えて政治を行っていく時、政治家が沖縄の人に基地という「掛け捨ての保険」の必要性をどれだけきちんと説明できるのか、つまり説明責任が重要だと考えていた。しかし、実際沖縄市を歩き、人々と共に泡盛を飲んでみると、基地との関わりの数だけ沖縄のこころがあるという印象を強く受けた。理解が難しいのはもちろんのこと、この沖縄のこころ全てと向き合うのは不可能に近い。「平和」と「くらし」という沖縄問題では取り上げられがちな二元論で片付くものでもない。
 基地の数だけ沖縄のこころがある事が分かった今が、本当の意味で沖縄と向き合うスタートラインだと思う。

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城井崇の論考

Thesis

Takashi Kii

城井崇

第19期

城井 崇

きい・たかし

衆議院議員/福岡10区/立憲民主党

Mission

政治、とりわけ外交・安全保障及び教育 在塾中

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