Thesis
新世紀の日本外交に求められる主体性とは何か。それは、アイデンティティの穏健な発信と政治家によるその体現であると筆者は考える。カナダでの現場研究を踏まえつつ、日本のあるべき主体性の姿を論じる。
日本外交の主体性の実現が叫ばれて久しい。中でも、わが国と最も関係の深い米国との同盟関係は、少数の実務家・官僚主導による「事務方同盟」と揶揄され、軍事的負担及び意思決定の非対称性が絶えず問題となっている。これらの非対称性の是正が急務だが、それには主体性の確立と、国民の合意が欠かせない。それらを形成するヒントを、カナダに見た。
自分を表現するカナダ外交
カナダは日本同様、米国の同盟相手国である。NATO(北大西洋条約機構)とNORAD(北米航空宇宙防衛軍、北米の防空協定)という二つの同盟を米国と共に運用している。さらに、NAFTA(北米自由貿易協定)による深い経済的結びつきもある。そして、この二国間にも日米関係にあるような非対称性が存在する。ところが、そのような中にあってカナダは、イニシアティブを発揮し、対人地雷禁止条約の署名にこぎつけるなど、一定の外交成果を上げている。
カナダは、1867年4州の統合で成立し、現在10州3準州から構成されている。面積は世界第2位(日本の27倍)、人口は約3,049万人(1999年国勢調査)。多民族国家(イギリス系38%、フランス系24%)で、米国との国境300km内に人口の4分の3が住んでいる。政治制度は英国女王を元首に戴く立憲君主制である。
以上のような背景を持つカナダの外交姿勢には、「独自性」という言葉がぴったりくる。頑固とすら言えるその「愛国的」言動は、移民を背景とする多民族社会が築き上げた「アイデンティティ」に因ると考えられる。そのアイデンティティとは「多様性」と「平和への貢献」である。
カナダは現在、NATO、国連、英連邦、仏語圏諸国首脳会合、米州機構、アセアン地域フォーラム(ARF)など、複数の国際フォーラムに参加している。ここにカナダの多様性がうかがえる。多民族国家であるカナダは、民主主義というシステムを徹底することで国家の存続を図ってきた。この経験が、世界各地で繰り広げられる民族紛争の解決にいかされ、他国の信頼につながっている。「多様性の旗印の下での共存」、これを国際社会においても実現するよう促すこと、これこそがカナダのアイデンティティである。
もう一つのアイデンティティ「平和への貢献」は、国連平和維持活動(PKO)に象徴される。カナダ政府内で「ミスターPKO」と呼ばれるある軍人は誇らしげにこう語る。
「PKOへの関与は、カナダにとってもはやアイデンティティの一部、しかも中心をなすものです。実際、世論調査で85.8%という非常に高い支持を国民から得ています。この一貫した高い支持こそが、これまでカナダが積極的に平和維持活動に参加してきた源泉です。」
国民の高い支持が、より高度で洗練された平和維持活動を可能にし、国民の満足感を充たし、さらなる貢献を目指すという好循環を生み出している。
米国とどうつきあうか
こうしたカナダに、よい意味でも悪い意味でも常に影響を与えているのが、隣国の唯一の超大国・米国である。カナダに対する諸外国からの投資の7割、輸出の8割、輸入の7割を米国が占めている。
しかし、経済以上にもっと密接な関係にあるのが軍事である。カナダと米国はNATOとNORADという二つの同盟を共有しているが、その関係は緊密だといわれる旧イギリス連邦諸国以上との声がある。NORADの空軍関連では、カナダ軍人は米軍人と同等に扱われるという。こうした関係が成立する背後には、同じ言語、装備やシステムの共有がある。そして、こういった現状が、カナダが自国の防衛に優先して国際秩序に対する活動に参加することを可能にしている。
とはいえ、実際のカナダの対米政策は、別の面から見れば妥協につぐ妥協である。カナダでは、米加関係はゾウとそれに踏み潰されそうなネズミに例えられる。カナダ外交の最大の問題は、いかにしてゾウの関心を足元のネズミにひきつけるかである。元駐米大使のゴットリーブ氏は、大使時代、米国にカナダへの関心を持ってもらうために、連邦議会の議員にはワシントンでなく選挙区で会うなど工夫したという。しかし、米政権中枢部へ深く入り込めば入り込むほど、カナダが米国に取り込まれる危険は増える。このバランスをとることに、カナダの外交担当官は苦心してきた。カナダの国益中心か、米国の補完的役割中心か。
ここで、カナダと同じく、米国と緊密な関係にある英国を見てみたい。半世紀前、英国の政治家チャーチルは英米の関係を願いもこめて「特殊な関係」と呼んだ。首脳同士の波長、同じクラブに属する者にのみ通じる内輪話など、両者の間には言葉に表せない微妙な空気が存在する。英国はこうした関係を巧みに使い、大国としての地位の保持に努めてきた。米国と35年間一緒に仕事をしてきた英軍人はその関係をこう語る。
「史上最強の軍隊と仕事を共にするのは本当に大変なことだ。要諦は穏健なヒントと穏健な警告である。」
一方、米加の間にはこのような特殊性はない。ただ、カナダ外交官の声にも英軍人と共通する部分があった。
「米国の政策に賛成できない場合、我々はその政策について取捨選択する気持ちを持つべきだし、実際そのようにしている。カナダが不快に感じる行動を米国がとった場合には、穏健に米国を説得する。」
これはリップサービスではない。最近も、アルバータ州での米軍の巡航ミサイルテストに対するカナダ国民の反発という例がある。
「日本的価値」の有用性
ここまで見てきたように、カナダは必ずしも米国と対称な外交関係を実現してきたわけではない。しかし、その成功も失敗も、これから主体性のある外交を展開していこうという日本には参考になる。とりわけカナダが大事にし続けている「アイデンティティの発信」は、わが国においても実現すべきである。具体的には次の二つを提言したい。
まずひとつは、カナダにあって今の日本にないものだ。それは「Gentleness(穏健さ)」である。わが国の外交政策には、趨勢への盲従と感情的反発(例えば対米政策で言えば従属意識と反米意識)という二面性が見られるだけで、自分らしさ、つまり日本のアイデンティティを感じさせるものがない。昨今の北朝鮮政策に見られる「バスに乗り遅れるな」論も対症療法的発想である。これでは信頼は得られない。信頼がなければ相互依存の進む国際社会での繁栄は望むべくもない。
では「日本らしさ」とは何か。私は、日本人が古来より重視してきた「和(合意)の尊重」だと考える。この「和」を穏健に発していくことこそが、「日本らしさの発信」である。文化的柔軟性、国内社会における調整能力、進取性に富んだ高い応用能力を含む日本的価値観は、超大国米国や国際機関を中心として再構成されていくだろう国際秩序の形成に必ず役立つと確信する。
もう一つは、以上のようなメッセージを恒常的に発していくために、外交の顔となる政治家が、相手国の政治家と定期的に公的な会合を持つことである。別表からもわかるように、現在の公式協議は政府首脳と高級官僚に限られている。そして、これらは、事務作業における意思疎通の円滑化という成果を上げた。
しかしいざという時に国民の理解が得がたい場合が多い。国民と政治の架け橋たる政治家を通じた信頼関係の構築を目指す必要がある。それには意見交換・交流のための「政治家版事務レベル会合」(表では「日米政治家交流会議」)を公式かつ積極的にもつべきである。この政治家同士の信頼関係は、やがて国同士の信頼関係となっていくだろう。
Thesis
Takashi Kii
第19期
きい・たかし
衆議院議員/福岡10区/立憲民主党
Mission
政治、とりわけ外交・安全保障及び教育 在塾中