Thesis
現在私は、2ヶ月あまりに及ぶカナダ国内研究を経て、7月からカナダの外交・安全保障研究に少しずつスタンスを移してきている。平和維持活動などの分野で独自外交を積極的に進めるカナダ。その基本姿勢は国の成り立ちと深く関わるものだった。国内政策の単なる延長線上とは異なる、カナダ外交・安全保障政策について、カナダ外務省・国防省などのヒアリングに基づきながら報告する。
■■■ カナダ的あり方 ■■■
■ カナダ的あり方 … カナダの自画像から
国際社会におけるカナダを一言で表すとどんな表現になるか。この問いに答えをもたらす論がある。それは、「ミドルパワー」論である。カナダはこの30年自らを大国でも小国でもないミドルパワーと位置付けている。国としてのサイズや経済力、軍事パワーなどを基準とした時の国際社会における階層構造での位置や、地理的・イデオロギー的(冷戦期)な位置、規範的視点からみた際の独自性、その独特の行動様式から定義されている。ヒアリングを通して見えたカナダの姿はその行動様式がもっとも特徴的であった。
このような非常に独特な行動様式、アプローチはいったいどこから来ているのか。文書という点で言えば、その基本は外務省が発行した1994年の白書にある。しかし、インタビューを通して見えた姿は別のものであった。それは、「活動主義(Activism)」である。これは、ピアソン元首相が唱えた国際主義が源泉といわれている。現在は、カナダのアイデンティティを浸透させる方法という重要な役割を担っている。
また、他国と全くことなる脅威認識もその源の一つであると考える。
カナダ外務省は、カナダが関わる課題について、国家防衛・国家安全保障・国際安全保障という三つの視点から整理している。多くの外交官が異口同音に口にしていたのは、カナダが国家としての直接的、地理的かつ軍事的な主たる脅威を持たないという点である。先に挙げた三つの視点の中で特に、国際安全保障に重点をおく独自のスタンスを保ちつづけている。この点では同じようにミドルパワーを標榜するオーストラリアとは異なる。
もちろん可能性としての脅威はいくつか指摘できる。具体的に耳にしたものとしては、例えば、グローバリゼーション、米国、国内の分裂主義、経済的後退、国際犯罪、カナダの価値観(多様性や平和維持など)自体への挑戦などがある。
ちなみに、国防省は同様の質問に対して、ミサイル攻撃を脅威として挙げた。カナダを巡る国際的な状況は非常に安全という評価は同様であった。国防省の脅威認識において優先順位が高かったのは、カナダ自体の防衛、北アメリカ大陸の防衛、国際社会への貢献で、とりわけ国際社会への貢献が最も優先順位が高かった。
インタビューを通して見えたこれら以外の点をまとめると、カナダの基本姿勢は以下のようにも言えるだろう。
もちろん、米国という超大国と国境を共有する隣国で、直接的な軍事的脅威を持たないという点において、非常に恵まれたポジションであるという自覚はある。米国の避けがたい経済的・文化的影響力に言及する、グローバリゼーションにおける米国の二国間関係に悩む姿とは対照的だ。
ある外交官は次のように説明した。
「最も重要な課題は、北米における政治的・安全保障的統合をいかに扱うかという点である」
この点で言えば、現在浮上しているNMDをめぐる問題に対して、米国がNMDによる本土防衛を意図しているという点から、カナダが関与しているのもうなずける。とはいえ、この問題は非常にデリケートで政治的にセンセーショナルなものである。
■カナダ的価値観の浸透
カナダを表す有名な言葉がある。
“Peace, Order and Good government”
この言葉は、政府の役割に焦点を当てるものである。カナダにおいて、政府の役割は非常に大きい。外交政策とて例外ではない。外交政策の決定権者は一義的に首相である。外交政策決定に関しては、政治的リーダーシップの影響が非常に大きいのである。(この点については後述)では、カナダ政府はどんな国益の達成を目指しているのか。
カナダ政府は、人々にカナダ的価値観を浸透させるよう促しているのである。カナダ人がその価値観に関して心地よく感じ、また、それを自らの国家イメージ、価値観として他国に示すということに執心するのである。では、ここでいう価値観とは何か。
カナダの中心的価値観は、疑いなく「多様性」である。これは、裏を返せば、カナダには世界中の利益集団がいるのと同じ状況だということである。すなわち、カナダ人にとって、国際的な課題は、また国内的な課題でもある。1995年の「世界の中のカナダ」(参考文献参照)にも同様の記述が見られる。そういった意味では国際問題と国内問題の連関は他の国のそれよりも強い。たとえば、「人間の安全保障」という概念はカナダ憲法における自由の概念と酷似している。
このように、「多様性の旗印の下での共存」を国際社会においても実現するよう促すこと、すなわちカナダ的価値観の浸透が政府の役割の一つである。
また、カナダ的価値観の浸透という点では、国民的なコンセンサスがある軍縮・軍備管理や人道的活動、地雷禁止に関するリーダーシップなどが挙げられるが、とりわけ顕著なものとして、国連平和維持活動への積極的・継続的関与についても触れる必要がある。
カナダは、国際社会における平和維持に自らの使命を見出している。国連平和維持活動への関与は、カナダにとってもはやアイデンティティの一部、しかも中心をなすものである。実際、世論調査では、85.8パーセントという国民からの非常に高い支持率を得ている。この一貫した高い支持がこれまで積極的に平和維持活動に参加してきた源泉である。この点に関しては役人へのインタビューの間も怖いくらいにゆるぎない一致を見せた。 当初平和維持活動には、1957年に関与し始めたとき以来、三つの側面があった。それは、軍事的側面、警察的側面、人道的(文民的)側面という非常に広いそれであった。 とりわけ純粋に軍事的な関わりが多かった以前に比べ、近年は次第に人道・文民活動に重点をおくようになってきているという点でさらに広い、学際的な視点を持つようになってきている。
なぜカナダの平和維持活動は、国内での一貫した高い支持を得ているのか。もちろん、先に述べたように、いまやカナダ的価値観の一部であるという点もある。外交官や軍人とのやりとりの中で、私はもう一つ異なる点を見つけた。それは、高い支持を背景に活動の質を維持する努力を続けてきたという点である。
派遣要員の訓練という点では、ピアソンセンターという独自のトレーニングセンターがあり、ロジスティックスや軍事的監視業務、言語などの現場で想定される実務に即したコースを設けている。
コストについても、国防省などの単一予算(ピアソンセンターの運営など)の他に軍事的援助訓練プログラムという外務省を含めた複数の部署のジョイント・プログラム、日本でいうJICAにあたるCIDAによる民生分野との連携など、やはり現状に即した対応という点が指摘できる。
■「同盟国」との関係
カナダは自らの安全保障に関して、二つの同盟、NATOと米国との防空協力に関するNORADを運用している。対米同盟であるこの二つの条約をいかに扱っているかは、今回の研究の主たる関心である。
同盟国という点で言えば、カナダはNATO加盟国の中でも、とりわけ米国と非常に近い。しかし、彼らはそのことについて強調するとは限らないと言った。なぜか。
たしかに軍事面では、より米国と近い、非常に良好な関係にある。実際、この3ヶ月、軍事面での関係がニュースなどで話題に上がることはほとんどなかったという事実がそれを裏付けている。
まず、同じ言語を共有しているという点が非常に大きい。(NATOに関しては全く同じ二つの公用語(英・仏)を用いている)とりわけ海上での協力は信じられないほど緊密である。カナダ海軍にしても、NORADにおける空軍の関係にしても米軍人と全く変わらぬ扱いをうけるという。緊密だといわれる旧イギリス連邦諸国との関係でも米国との関係ほどではないということで非常に感銘を受けていた。装備などさまざまな部分を共有しているが、文化的な関係を共有している点も大きい。印象的だったのは、「チームとして」という言葉を国防省の人間が口にしたことだった。
また、RMAによって最新の軍事技術へのアクセスを確保できている点もメリットとして指摘している。防衛産業に関しても、カナダの防衛産業というよりは、アメリカ大陸の防衛産業というほうが適切であるというほど緊密である。
そうはいっても、問題がないわけではないのである。実際、加盟国の数だけ解決法が浮かんでくるというNATOの中での一国主義への懸念はある。加盟国が個々の国益へとシフトしてきている点を国防省が指摘していた。
また、NATOは軍事的な役割から政治的な役割へとその役割をシフトさせてきた。実際NATOの会議でも、政治担当者の人数よりも、軍関係者のほうが人数自体少ないという点が一番わかりやすい例だろう。(加盟国の中にNATO軍に参加していない国があるため)NORADはだんだん活発でなくなりつつある。
そうした状況を反映して、カナダは、よりカナダ的な、より独立した活動にスタンスを移している。実際次のような声をいくつも耳にした。
米国の政策に賛成できない場合、我々はその政策について取捨選択する気持ちを持つべきだし、実際そのようにしている。米国が自らの防衛に関して過敏になることをカナダが不快に感じる場合には、やんわりと米国を説得する。
最近では、アルバータ州での米軍の巡航ミサイルテストに対するカナダ国民の反発がこの例にあたるだろう。
とはいえ、40年以上も同盟国を続けてきているので同盟の存在はほぼ当然のものとして受け止めている。 日米同盟との比較という点で、同盟における相互運用性の向上についてこだわって聞いてみた。この点については、航空機の通信など、技術的に円滑な相互運用が可能かどうかという、技術的な問題が議論の中心であり、また政治的な決定の際には国防省は介在していないので、相互運用性の向上が政治的な独立性を損なうところにまで影響を及ぼすことはないだろうということであった。
■■■ カナダ的外交手法 ■■■
■選択と戦略
同盟に関しては、ともに運用し、お互いに関係を持つというのがカナダ流だ。例えば、核不拡散の推進という立場はカナダにとってアイデンティティの一部のようなものだが、その一方で、カナダの属するNATOは核戦略を持っている。この点に関する説明で、カナダ外務省は、「核不拡散の擁護」と「安全保障上の目標」の共存を挙げた。カナダ的価値観を推進することは非常に重要だが、同盟に属する19ヶ国の協力の下で機能する同盟の目標を考えれば、共存という道をとらざるを得ない。しかし、実際のところ、ワシントンにおけるNATO首脳会談でカナダは、NATOの軍縮・核不拡散政策の見直しを迫ったという形でカナダの主張を表してもいる。
「筋を通す」カナダと「計算する」カナダの共存である。
■二国間関係と多国間枠組みの使い分け
二国間関係でリーダーシップを発揮し、多国間アプローチにそれを伝達・反映させる作業を行うのもカナダ流だ。
多国間アプローチという点では、カナダはその国家的性格から三つの場を持っている。国連、コモンウェルス(旧英連邦諸国)、フランコフォニー(フランス語圏国家の集合体)である。こういった場での発言をうまく組み合わせることで国際世論を粘り強く作り上げていくカナダの手法は参考にすべきである。もちろん、全ての場を活用できているかといえばそうではない。コモンウェルスとフランコフォニーが多国間アプローチとして機能するかどうかは、時と場合によるようである。
日本も国連非常任理事国としての立場やG8サミットの一員などの場があるが、儀式化(ショー化?)・官僚化のきらいがますます強まっている。メッセージ発信の場としてこれらの多国間外交の場での戦略を練り直す必要があると考える。
■政治家のリーダーシップ
カナダにおける外交政策決定のダイナミクスは政治家にかかっている。「民主的に選ばれた人間の重み」がこの国では通用しているのである。先に述べたように、外交政策の決定権限は首相にある。実際政治家のリーダーシップと官僚との関係について考察を進めてみると、これが非常に面白い。実際リーダーシップが機能しているのである。
現在カナダ外交の牽引車となっている人物がいる。アクスワージー外相である。彼に対する官僚からの評価は以下のとおりである。
総じて言えば、極端だが、非常にしっかりとした意見をもっている(というよりも力強く自説を押し出している)との評価である。もちろん官僚内、この場合は外務省内にも賛否両論あるが、その政治家としてのあり方という点で一目置かれる存在である。先日のARFの会議におけるNMD反対発言など、時折外務省の姿勢と食い違いを見せるものの、彼が指し示す方向が政策論議と外務官僚のやる気の引き金になっていることは確かなようだ。
■筋を通すカナダ、計算するカナダ
主権(Sovereignty)の保持というあたりまえな言葉を何度も何度も耳にし、ルールに基づいた外交アプローチの決して派手ではないものの着実な成果を目の当たりにしながら、カナダ外交という「筋」と「計算」の共存のひとつの形を肌で感じた。その場で計算したふりの多い日本がその外交姿勢をぐらつかせないための「筋」。いったい何であろうか。
また、国柄が外交に反映する両者の深い関係が非常に印象的だ。日本が他国に示せる国柄とはなんだろうか。
カナダ外交とは何かから始まった私のアプローチは、日本とは何かという国家論に行きつきつつある。
参考文献
・“Canada in the world”, Ministry of Foreign Affairs and International Trade, 1995
Thesis
Takashi Kii
第19期
きい・たかし
衆議院議員/福岡10区/立憲民主党
Mission
政治、とりわけ外交・安全保障及び教育 在塾中