論考

Thesis

沖縄における「民」による政策提言、その可能性と限界<後編>

先月の月例報告に引き続いて、沖縄における「民」による政策提言の可能性と限界について考える。

■ アメリカへ

 1999年12月11日から19日、私を含めた研究メンバーは、沖縄の普天間基地跡地利用に関する政策担当者との意見交換及び現場視察のため、米国ワシントンDCとサンフランシスコを訪れた。当初、一民間グループの使節団ということもあって、パシフィック21(太平洋評議会)の横江公美氏の協力を得ながら独自のアプローチを図っていた。しかしその後、我々の訪米を知った米国国務省からの直接の申し出で、International Visitors Programという公式のプログラムでの受け入れとなった。民間の視察としては異例の扱いである。沖縄の人々は沖縄の重要性を米国も認めていると素直に喜んでいたが、ことはそう単純ではなかった。

 実は時を同じくして、米国政府内で沖縄問題に関するアプローチが変化し始めていたのである。それまでは、普天間問題早期解決を求めたクリントン大統領の発言に代表されるように、アジアへのプレゼンスの拠点を安定的に確保するための「外圧」の利用が基本姿勢であったが、地元の反応を考慮して沖縄の状況改善への努力を口にしはじめたのである。具体的には、両省の共同で沖縄問題に関するタスクフォースが作られることが決定している。(既に担当者も決定)そうした中、米国側としても沖縄と直接パイプを持つことで地元の動きを把握したいという意図をもって今回の受け入れとなったようである。実際今回の訪米では、国務省・国防総省双方に沖縄問題への積極的な姿勢が見られた。
 今回の我々の訪米目的は、米国内及び海外の基地閉鎖事例についての資料を収集することと、跡地利用を進めるにあたっての米国(及び在沖米軍)の協力が必要だということをアピールすることであった。特に、先月の月例報告でも触れた、国際メディカルセンター構想についての米国側の反応を知ることであった。また、沖縄の人々にとっては、憧れと疎ましさの両方を感じさせる存在である米国に直接意見するまたとないチャンスであった。

 こうした米国での体験の中でも、私は、先月の月例報告の最後に述べた「心に引っかかるもの」、沖縄における「民」による政策提言のもつ限界を、再び肌で感じることとなったのである。

■ 限界 … 「国際感覚」と「国益感覚」

 私はいったいどんな限界が心に引っかかったのか。それは国際感覚と国益感覚の欠如である。
 米国で国務省や国防総省の役人など米国側の要人と会合を持ったとき、今回のメンバーの何人かが、沖縄問題に関して日本政府がもっと沖縄に配慮するように米国側から働きかけてほしいという趣旨の発言をした。言い換えれば外圧を求めたわけである。先に述べたように、現在の米国側の姿勢は、外圧の利用を極力避けようという方向に変わってきているので、当然明言を避けた。私はメンバーの一員として、この種の発言に非常に危機感をもったのである。なぜか。
 なぜなら、これは国益の観点からみると非常に問題があるからである。この点に関しては会合に同席した金子将史氏(松下政経塾第19期)との議論の中でも問題となった。彼の指摘するところによれば、沖縄の動き自体が直接米国に影響を及ぼすからではなく、そうした期待が存在すること自体が問題ではないかということであった。私もまったく同感であった。

 今回のディリゲーションの議論のバランスを保つ(そして、沖縄の人々にこの問題に気づいてもらう)ため、プログラムの途中から、私も日本の立場を確認・堅持する趣旨の発言を増やして、「米国の働きかけ期待」ではなく、「日米で模索できる協力をともに考える」というニュアンスを伝えるように努めた。
 では、なぜこういうことになっているのか。おそらく以下のような要素が影響していると考えられる。
 沖縄の現状改善に建設的な(現実的な)立場を取ろうとする人がただでさえ少ない点がまず挙げられる。今回の研究メンバーは少ない中の何人かにあたると私は感じている。その意味では、彼らは非常に貴重な存在である。彼らは政治マインドがあり、正直でまじめであるが、日本への配慮に欠くし、沖縄の生存・繁栄のみにプライオリティをおいている。以前月例報告でも指摘した「命どぅ宝」の発想の悪い部分が出てしまっているのである。
 また、こういった人を含めて日米沖三者の関係認識は、トライアングルである点も挙げられる。(筆者作成の下図参照)

 図をご覧になればわかるとおり、正三角形ではなく、米沖が近い形での二等辺三角形なのである。琉球王国の歴史への自負もあり、気持ちの上では他の二者と「対等」であるが、現実は「依存」あるいは沖縄を生存させるための「道具」でしかない。
 それから、沖縄の人にとって「日米同盟」というのは、現実感をもって受け止められていないし、実際良く知らない点も理由として指摘できる。
 沖縄の人が認識する「国際社会」は非常に狭いのである。一般の沖縄の人々が発想する東西南北のボーダーラインは、

中国・北朝鮮あるいは日本
東南アジア・太平洋の小国
アメリカ
西中国

である。特に文化風土が近い南を重視する傾向が強い。したがって現状認識自体に偏りがあり、その南を重視する枠組みと合わない「日米同盟」を自分たちの都合で解釈している部分が多い。
 また、ある沖縄の人によれば、沖縄で日米関係について同盟と表現すると、冗談としか思わないということであった。単に外交・安保に関して専門的な教育を受けた人や経験ある人が少ない(あるいは沖縄に戻ってきていない)だけなのかもしれない。
 これに対して私が日米同盟と沖縄基地問題を論ずるにあたって必要だと考える要素は以下のとおりである。

外交・安全保障は国の専権事項であるとの認識
視点は全世界的にもつ
基本はあくまで日米のバイラテラル(二国間)
心情部分は別にして、「手続き上」沖縄は日本の一地域

 しかし、沖縄からも基地問題解決に向けて政治行政・民間問わず「適切な」オプションを提示する場はあってよいと思う。先ほどの図でいえば、太い点線の部分である。それが、今回私が参加している研究にあたるし、これから起こそうと考えている動きである。何にしても、日米関係・沖縄基地問題を論ずるにあたっての大前提となる国際感覚を培うための教育・人材育成は急務だと考える。

■ 可能性

 ここまで、「限界」について書き連ねてきたが、決して我々も手をこまねいているわけではない。我々の一連の取り組みには多くの可能性がある。その中で実際に四つの可能性を実現に向けて取り組んでいる。それが以下の四点である。

「跡地利用推進機構」の設立を目指す
「国際メディカルセンター」構想を民間主導で提言・実現を目指す
在日米軍司令官と民間セクターが直接意見交換できる場を設定する
アメリカの研究機関に「沖縄人材開発プログラム」を創設する

<1 「跡地利用推進機構」の設立を目指す>

 これはこの半年我々が頑張って取り組んでいる研究である。これについては幾度も述べているのでここでは省略する。

<2 民間主導で国際メディカルセンター構想の提言・実現を目指す>

 沖縄でことをなす際に特に注意しなければならないのは、「具体化」である。プランをどこまで実現させられるのか。

 これまでも沖縄には夢のようなプランがたくさんあった。全県フリートレードゾーン、ノービザ制度などが例として挙げられる。基地問題自体に関しても、議論としては前向きな内容は多い。
 今回の「国際メディカルセンター」構想に関しても、数年前の国際都市形成推進構想の一環として検討された時期もあった。米国側でも、外交問題評議会のマイケル・グリーン氏が応用科学国際企業(SAIC)のポール・ジアラ氏と共同論文の形で同種のセンター構想をクリントン大統領に進言したこともあったという。彼は今回のこの取り組みにも非常に興味を示している。
 しかし、やはり問題となるのは、どうやって具体化するのかということである。訪米前、細部の検討が不十分なうちに「国際メディカルセンター」の議論が盛り上がるのを見て、具体化の視点が欠けているのが非常に気にかかっていた。
 そこで、「国際メディカルセンター」構想を進めるコンセンサスがメンバーの中で取れたのを見計らって、国際人道法の専門家や国際緊急医療NGOの代表者などにコンタクトを取り、ともに実現可能性を模索することとした。当面の研究主体は、研究資金を得ることが至急とされるため、今回のアイデアに関心を示している在沖のシンクタンク、南西地域産業活性化センターということになるだろう。

<3 在日米軍司令官と民間セクターが直接意見交換できる場を設定する>

 この点は、今回の訪米で新たに見出した可能性のひとつである。これまでは、沖縄における基地問題については、日米沖それぞれのトップが参加する三者(四者)協議によっていた。しかし、この協議の内容が見えにくいということ、民間の代表者が不参加ということから、在日米軍司令官と民間セクターが直接意見交換できる場を設定することが求められていた。民間と在沖米軍の交流についてはこれまであくまで個別の交流にとどまっていた。
 しかし、今回のやりとりの中で変化があった。今回跡地利用を円滑に進めるにあたって、沖縄側の担当者と在日米軍の司令官(あるいは現場の担当官)が直接跡地利用に関する情報交換を行うことに、米国国防総省が前向きな姿勢を示したのである。環境浄化作業や文化財調査、開発開始までの土地リース事業の準備など基地返還前から取り組むべき部分については、今後しかるべき窓口を設定して進めていくことは可能であると思われる。今後はまずこの窓口を「跡地利用推進機構」の中に設けることが可能か検討したい。それがもし無理なら、三者(四者)協議の小委員会(事務レベル協議)が設定可能ならばその可能性を模索したい。

<4 アメリカの研究機関に沖縄人材開発プログラムを創設する>

 先に述べたように、国際感覚と国益感覚を備えた人材を増やすことは、「民」による政策提言を沖縄で行うこと、しいては沖縄がその未来を論じていく上で、急務である。日本や米国にとってもそうだ。そんな矢先、パシフィック21との共同プロジェクトの話が持ち上がった。
 アメリカの研究機関に数ヶ月沖縄の人材を受け入れて研究をしてもらうプログラムを作ろうというものである。現在ワシントンDCにおいて、パシフィック21の横江公美氏劉敏鎬氏が受け入れ先の交渉を行っている。金子将史氏が企画書作成を担当している。ここで期待されている私の役割は、以下のとおりである。

沖縄側の担当窓口を探す
   「ファンドが期待できること」を前提に在沖企業・大学・研究機関など
地元のニーズ・状況を把握
日本政府へのファンドレイジング
   政府ブレーンなどへのアプローチ
具体的なプログラム内容の検討
米国へ派遣する人材の選定
米国における受け入れの担当

■ 沖縄とアメリカの狭間で

 「跡地利用推進機構」の設立、「国際メディカルセンター」構想、「人材開発プログラム」。いずれにしても、共通した要素がある。2000年7月に行われる九州・沖縄サミットが、いろいろな意味でひとつの期限となるという点である。政府や世論の関心もサミットが行われるまでだとする意見は一見冷徹に見えるが、真実である。我々が目指すべきは、あくまで「必要なことはなるべく早く実現する」ということである。このサミットという「追い風」をとらえる「帆」をどのくらい広く張れるか。普天間基地移設開始も、2000年2月の名護市長選挙の結果によるが、まもなくであろう。いずれにせよ、我々に残された時間はあまりないといえる。
 沖縄とアメリカの狭間で、日本と世界のことを私は一生懸命に考え、行動する。いったいどうしたらいいのか。具体的に何をやればいいのか。精一杯勘を働かせ、時には自分の能力が追いつかないことを嘆く。しかしあまり悩んでいる時間はないようである。
 そんな中、私は自分の役割を徐々にではあるが見出しつつある。人と人をつなぐということ。一番大事なことを実現すること。まずは自分の役割をきちんと果たしたいと思う。

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城井崇の論考

Thesis

Takashi Kii

城井崇

第19期

城井 崇

きい・たかし

衆議院議員/福岡10区/立憲民主党

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政治、とりわけ外交・安全保障及び教育 在塾中

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