論考

Thesis

沖縄国際医療交流ゾーン構想

今年7月の九州・沖縄サミットで注目を集める沖縄。その沖縄で最も話題に上るのが基地問題である。21世紀の基地問題へのアプローチはどうあるべきか。沖縄での徹底した現場研修を経た筆者が、問題解決の糸口を提言する。

とにかく、沖縄と暮らす

 日本の安全保障、特に日本が基軸としている日米同盟を語るとき、在日米軍基地の75%を抱える沖縄の存在を抜きに考えることはできない。しかし、沖縄についての私の知識は新聞やテレビ、書籍などから得た二次情報ばかりで、しかもその多くは東京中心の本土のメディアを媒介としたものだった。基地のあるまちで暮らして本当の沖縄を知り、それから日本の安全保障を考えよう。そう考えた私は、昨年6月から約3カ月間沖縄市役所で研修し、その後も度々沖縄を訪れ、この問題に取り組んできた。
 「沖縄」といったとき、ほとんどの人がまず思い浮かべるのはあの美しい海だろう。しかし次に来るのは本土とは異なる「伝統文化」ではないだろうか。沖縄に飛び込んだ私が体験したのも、まさにこの異文化だった。

 沖縄には本土の人間をさす特別な言葉がある。「ないちゃー」と「ヤマトの人間(ヤマトンチュ)」である(後者がややネガティブ)。実際に沖縄に滞在中、こんな言葉を何度か耳にした。
 「ヤマトの人間にはわからんさー」。
 こういって本土、すなわち沖縄以外の日本人を区別し、本音をなかなか見せないのが一般的沖縄人だと教えてもらった。確かにそう感じる場面に度々出くわした。しかし、そんなことを全く知らなかった私は、とにかく沖縄の人と同じ視点に立ってみようと、彼らと同じ「生活ペース」で暮らすことから研修を始めた。毎日地元料理(ゴーヤーチャンプルやテビチなど)を食べ、地元の酒(泡盛やオリオンビール)を飲み、うちなーんちゅ(沖縄の人)と見分けがつかなくまで日焼けし、言葉も宮古言葉(宮古島の言葉は沖縄本島より少しぎこちないらしい)と間違われるくらいになった。すると次第に沖縄の人の本当の姿が見えてきた。
 気取らずオープンな人柄。ゆったりと、肩肘張らない生き方。プライベートな場面でその本来の力を発揮しやすい。音楽や陶芸など芸術の分野で活躍する人が多いのはそのせいかもしれない。

 その一方で、諦観ともいえる冷めた感覚と強い思い込みが人々を覆っている。「唐の世(ユー)、アメリカ世(ユー)、ヤマトの世(ユー)」(中国からアメリカ、そして日本へと支配者が変わってきた沖縄の歴史を指す)と、地元の人は沖縄の歴史を表現する。そこにあるのは、常に他者に支配され続けてきたという諦めにも似た感情だ。彼らの意識は、われわれが一般に認識している琉球王国のそれとも異なっている。彼らにとっては琉球王国も支配者であり、自分たち市井の人間の文化・伝統とは違うのだという。この自分の文化を認識し誇りとする姿勢は本当にすばらしい。しかし、これが一方でひとつの足枷となって他者との相互理解を妨げる一因となっている。このことを感じたのは、「命どぅ宝」(ぬちどぅたから)という言葉の本当の意味を知ったときだった。「命どぅ宝」とは、「命は宝」、「命あればこそ」という意味だという。私はこの「命」を「私たちの命」だと解釈していた。しかしそれは全く外れていた。私がいう「私たち」には共同体、地域、国家、ひいては世界中の人々まで含んでいたが、「命(ぬち)」には「何があっても最終的に守るべき自分自身(とその周囲)の命」というきわめて狭い意味しかなかった。このギャップこそ、沖縄と日本(本土)の間に横たわる大きな溝だ。しかし、「親にかわいがられたい子供」のような気持ちも持つ沖縄を、日本を形成する重要な一地域だと認識するならば、この溝は埋めねばならない。これが、私が沖縄で得た実感だ。
 こうして沖縄の人々の気持ちを深く知る一方で、基地の現実にも触れてきた。基地のある市町村を10カ所見て回った。そこから得られたのは、個別の問題を抱えているそれぞれの基地を「基地問題」と一括りにしてしまい、問題の解決を困難にしている現実だった。例えば、米軍機が飛び交う爆音の中で授業を受ける高校生にとっての基地問題と、軍用地料が町の収入源の大半を占める自治体に住む人にとっての基地問題は全く違う。こうした違いを無視して「基地全廃」、「絶対的平和」だけをいくら訴えたところで何も解決しない。問題の先送りをしているだけだ。このことを沖縄人自らが自覚し、できるところから手をつけるしかない。これがこの1年間この問題に取り組んできた今の私の結論だ。
 そこで私は、基地問題への取り組みを前進させ、沖縄と日本(本土)に真の共生をもたらすひとつの可能性として「国際医療交流ゾーン構想」を提案する。これは移設の決まった普天間飛行場(以下普天間基地)の跡地利用について言及したものである。

国際医療交流ゾーン構想

 昨年8月から今年3月まで、沖縄のシンクタンクである南西地域産業活性化センターが行った「米軍基地跡地利用を推進する新たな組織の設立可能性に関する研究」の中で、私を含めた検討委員メンバーは、これまで沖縄になかった要素で、米軍基地跡地利用、特に普天間基地跡地利用を円滑かつ建設的に進めるのに必要な要素を次の3点と判断した。

①基地跡地の施設インフラの徹底した再利用:
これまで基地返還は規模が小さく、かつ米軍からの一方的な決定だったため返還時期と区域がはっきりしなかった。そのような中、区画整理事業などの従来の事業手法で跡地利用を計画すると実現に長い時間を要した。全面返還・開発計画発表から使用収益開始まで、例えば那覇新都心で10年かかっている。普天間基地は面積・地権者ともにもっと多い。仮に本格的な開発が始まるまで施設を放置しておくと、沖縄特有の気候で使用可能な建物も塩害で使えなくなる可能性がある。そこで施設インフラの再利用を徹底すれば開発期間の短縮やコストの削減が期待できる。また、この再利用という発想は、本格的な開発計画が整うまでの経過措置にも使える。例えば、施設を有料で貸し出せば、収入を得ながら開発計画を進めることができる。

②在日米軍との技術協力あるいは米軍からの技術移転:
沖縄には強い反軍感情がある。しかしそれを十分考慮した上で、なお目を向けるべき技術が在沖米軍にある。情報技術や医療技術だ。例えば、キャンプ桑江にある海軍病院(移転が決定済)には、湾岸戦争の際にも出撃した実戦経験を伴った医療技術がある。このような技術を民需転用する道を探る。

③国際貢献:
国益と地域事情の明白かつ密接な関連付けを行う。先に述べた「命」のギャップを乗り越える取り組みである。これには、沖縄が「日本の中の沖縄」として当事者能力を持ち、共同事業者としての役割と覚悟を明確に意識した上で取り組まねばならない。そのためには、国際緊急医療など、軍事以外の分野での国際貢献という要素を合わせ含めることで、沖縄の積極的な関与が可能になると考える。
 普天間基地跡地のインフラをこのように分析すると、沖縄に国際緊急医療センターをランドマークとした「国際医療交流ゾーン」をつくり出す事が可能と言える。これまでも沖縄を国際化させようというアイデアは数多く出されてきた。しかし残念なことにその多くは自然消滅した。こうした経緯を十分に踏まえ、現実的な検討を行うことが不可欠である。

 次に本構想の詳細を述べる。
 「国際医療交流ゾーン」のランドマークプロジェクトは、国際緊急医療センターである。このセンターには国際緊急医療部隊を置き、アジア地域を対象に常時部隊を待機させる。沖縄の地理的特性から中継地点としての役割も重視するのである。この部隊の役割はまず物資の備蓄である。比較的新しい現在のヘリの格納庫を救援物資の貯蔵施設にするなど徹底した施設再利用を進め、米軍並みの備えで緊急対応能力を確保する。そして訓練施設を併設し、緊急医療のためのトレーニングを行う。対象はこのセンターで業務に携わる人材と、アジア地域から受け入れる研修生である。アジアから研修生を受け入れるメリットは、1)島嶼県という地勢による離島・僻地医療など共通の保健医療課題、2)寄生虫・感染症(マラリア・フィラリアなど)対策の推進経験、3)医介補制度や公衆衛生看護婦制度など衛生行政・臨床教育に独自のノウハウ、などが挙げられる。
 このほか、地元民への医療サービスも提供する。ここで受けられる最新かつ良質な医療サービスは、補助金以外の地元メリットとなる。また、これによって医師の技能維持が図られ、貯蔵医療物資の定期的消費・回転が容易になる。
 センター訓練施設、米軍病院、県立病院(県立中部病院分院など)を併設し、医療技術交流エリアの創出も試みる。現行法では米軍病院による医療サービスの提供は難しいが、「軍民共用エリアにおける建物の隣接」による技術交流ならば、在沖の各軍司令官で対応できる問題なので実現の可能性は高まる。
 さらに、同エリアでは単にアジアの危機管理拠点としての役割だけでなく、「まちづくりとのリンク」も図る。一般病院・老人病院・老人保健施設・特別養護老人ホームなどを併設することで良質な高齢者医療サービスを提供できる。県の災害拠点としても使える。なにより市民に見える形で活動が行われることによって市民の受容度は高まるだろう。
 まちづくりとのリンクが図られれば、台湾の高齢者の長期療養も担える。それは、「隣接地域で移動が容易」、「気候や食べ物が似ている」、「現在の台湾の高齢者は日本語がわかる世代なので日本の施設をそのまま使え、初期投資がいらない」、といった理由からである(ただし健康保険の適用など課題もある)。
 実際、この種のアイデアに関するニーズはある。社団法人国際厚生事業団が出した「沖縄県の国際医療協力に関する検討委員会報告書」(平成11年3月)によると、同委員会がヒアリングしたアジア太平洋諸国(ベトナム・フィジー・バングラディッシュ)の医療協力に関する分野別関心度で、救急医療はそれぞれ10%、16%、14%と最も高い数字を示している。
 また、米国側、とくに国防総省の関係者がこのアイデアに前向きな姿勢を示していることも特筆すべきであろう。本構想の推進に積極的に取り組めば、米国が沖縄の現状改善に前向きなことを沖縄、ひいては日本全体にアピールできる。
 本構想が実現すれば、これまでにない基地問題の共有の仕方、基地の跡地利用のあり方、あるいは21世紀のアジアにおける新たな日米関係を日・沖・米の三者は手にすることになる。

 以上のように本構想は多くのメリットを持つが、問題がないわけではない。
 まず、最大の問題点はこのアイデアが「直接的な経済効果」を伴わないことである。軍用地主として、国から軍用地料を受け取ってきた多くの地主に一致するのは、返還後も同様の収入が確保できるかどうかという点である。

 次に地元の理解・協力の問題がある。普天間基地のある宜野湾市の人々のほとんどは、もともと基地にあたる部分に住んでいた。それが基地によって周辺へ追いやられた。基地が返還された際には、そこにかつてのまちを再興することが地元の願いである。しかし、滑走路を全面撤去し、すべてを一から始めるには気の遠くなるような時間と費用がかかる。基地の跡地利用には、そこに住む人々の心情に十分な配慮がいる。
 米国との協力部分にも問題がある。案件の内容が在沖米軍基地の各司令官の権限を越えると、交渉は政府間に移され、より複雑、長期化すると考えられる。
 さらに、海外(外務省)、国内(厚生省)、PKO(総理府)と分かれる「担当部署間の調整」や、医薬品などの共有を想定していない「既存法(医療法、医薬品法)の壁」など制度的な問題もある。

沖縄と日本に新しい関係を

 本構想は、基地問題の解決の糸口とアジアの平和を、沖縄と日本(本土)の主体的な取り組みによって切り拓こうと企図したものである。本土の人間はこの基地跡地利用をきっかけに、沖縄に過重にかかる基地負担を共有する第一歩を記すことができる。また、沖縄は「命」のギャップを乗り越え、先入観や前提にとらわれない新しい自己像を描くきっかけになると考える。
 本論はあくまで試論である。もっと詰めるべき点もあるだろう。しかし、後2カ月と迫った九州・沖縄サミットを前に沖縄への関心が高まっているこの時期に、日米安保によって安全保障サービスを享受する全ての日本人に、沖縄の、否、日本の基地問題を考えてもらいたいと、あえて呈するものである。

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城井崇の論考

Thesis

Takashi Kii

城井崇

第19期

城井 崇

きい・たかし

衆議院議員/福岡10区/立憲民主党

Mission

政治、とりわけ外交・安全保障及び教育 在塾中

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