論考

Thesis

「戦わないために戦いに備える」 -自衛隊体験入隊-

2000年2月20日から25日までの5日間、青森県三沢市にある航空自衛隊三沢基地において、体験入隊研修を実施した。本年度の研修テーマである「日本の安全保障の現場を歩く」を進める中で、その最前線たる自衛隊での研修は不可欠であると以前から考えていた。ついに実現したこのディープな研修に向けて意気揚揚と乗り込んだ三沢空港(この空港の滑走路は三沢基地と共同使用)は、雪が深々と降り続くマイナス4度の白銀の世界であった。

■ 三沢基地と三沢市

 三沢基地は、航空自衛隊唯一の日米共同使用航空作戦基地である。現在18個の部隊などが所在している。基地の総面積は約1600万平方メートル(三沢市の約8分の1)、東西にのびる3000メートルの滑走路があり、大きさとしては沖縄の嘉手納基地についで第2位である。面積の割合は、米軍基地が69パーセント、共同使用地域が29パーセント、自衛隊基地が2パーセントである。基地の管理は米軍が行っており、全て日米間で調整を行う必要がある。ある隊員はこの状態を「間借り」と表現していたが、実際に基地内に足を踏み入れると言い得て妙という感を持った。航空管制は、自衛隊、米軍、民間機全てに対して航空自衛隊が行っている。

 自衛隊関係者は約7000名(そのうち3350名が隊員)、米軍は四軍全てがいる。(空:3600名、海:1150名、陸:30名、海兵隊:30名)家族を含めると約1万人が生活している。三沢市の人口は約43000人であることから、この基地の影響がどれほど大きいかは推し量ることができよう。多くの隊員が異口同音に「国際都市・三沢」と口にする場面に出会うにつけ、日米の並存が生活に浸透していることを意識させられた。

 基地の影響という点では、基地に伴うお金に触れざるを得ない。具体的には、三沢市の予算における基地関連部分が全体の2割弱を占めている。(基地面積による助成交付金(10パーセント)、国庫支出金の半分(8パーセント))研修で訪れる前には、住民の理解を得ることが難しいだろうと予想していたが、市役所の基地政策課の職員と話をしたところ、少々事情が違った。問題はあまりないというのである。

 市は、騒音など基地対策のため、航空機進入路にあたる地域の集団移転を自治体と協力しながら進めている。住民の99パーセントがそれに応じている。(1パーセントは相続など個人の事情で動けず)土地自体は国(防衛施設庁)が、登記にまで関わり買い上げる。多額の移転保証金が出るため、住民は移転保証に100パーセント満足しているという。そのことがあるためか、ある職員いわく、「自分の土地を移転地域に入れてほしい」というのが住民の本音だという。私が研修した沖縄とは正反対だ。

 この理由は何か。民有地が少ない(5パーセント)こともあろうが、どうやら市の歴史と大きく関連しているようである。昭和13年に旧日本軍が三沢基地建設に着手したときには、人口が1万人を切っていた。その後、昭和17年に三沢海軍飛行隊の飛行場として開設。昭和20年、終戦後に米陸軍施設工兵隊に接収され、飛行場等の施設建設改修工事が始まると人口は2万人を突破した。朝鮮戦争時の滑走路整備拡張、北部航空方面隊司令部発足、第3航空団移駐などを経る中で、人口は現在の規模にふくらんでいった。つまり基地とともに生きてきた部分が非常に大きいのである。

■ 三沢で働く自衛隊員

 自衛隊員。私を含め、基地のそばに住んでいないものにとってとてもなじみの薄い存在である。「いまや戦う人ではなく単なる公務員」という批判まで耳にする彼らを間近で見た。最も印象に残ったのは、無骨なまでに彼らが貫く隊員としての「ポリシー」だった。

 アラート(警戒)にあたっているパイロットは、かりに飛行中に不明機と遭遇しても撃たれるまで実弾で攻撃することができないことを承知の上でF-4ファントムに乗り飛びたち任務を果たす。食堂で給仕を行っている給養小隊の隊員は、盛り付け一つにも細心の注意を払い(実際「検食」といって毎食チェックが入る)淡々と仕事をこなす。

 航空機の整備にあたる隊員は、やや手狭なエリアで、50機ほどある航空機のうち、1日10機から15機の故障機の整備にあたる。込み合うときには、翼を折り曲げて格納庫に戦闘機をおさめ、次から次へと整備を行っていく。狭さを嘆くのではなく、工夫しておさめていく柔軟さに自らの誇りを見出している隊員の方に、私は職人魂を感じた。さらにその隊員は続けた。「平時(には、持っている整備作業能力の)7割で整備するのが理想なんです。そうでないと、有事のときはもっと忙しくなりますから。」

 三沢市は温泉がとても多い。隊員の中には自分の好みの温泉を探して歩くことを楽しみにしている人もいると聞く。温泉好きなある隊員は、湯船につかる前に、非常呼集(隊から呼び出しがかかり、一定時間内に出撃準備を完了する。訓練も兼ねている)に備えて手持ちの携帯電話を番台に預けてから入るという。時間が勝負である非常呼集はいつかかるかわからないからそうするのだという。

 法律・規則や予算、気候、世論などの厳しい制約の中で、彼らはそのポリシーを貫き続ける。

■ 米軍基地との関係

 基地の管理は米軍、航空管制は航空自衛隊という三沢基地の現状は両者のさまざまな交流を生んでいる。

 雪国三沢ならではというエピソードだが、米空軍の士官との懇談の中で、ある士官は自衛隊との交流についてこのようなことを述べた。「除雪など特殊な気候にまつわる技術については自衛隊から学ぶところが大きい。」

 また、ある隊長は次のようにも言っていた。「(所属部署の)カウンターパート(対応する部署)があると、お互いに刺激しあう部分があり、仕事に張りが出る。」

 一方で日米の並存は弊害も生み出している。航空管制室には常時米兵が1、2名おり、米軍側との連絡役となっている。管制官もパイロットもこのように言う。「無線通信によるコミュニケーションにはやはり限界がある。日本人英語を聞くと妙に安心する。やはり管制に関して顔が見える関係で仕事を行っていると、言葉だけでは伝わらない部分を共有できてよい。」この顔が見えるコミュニケーションは両者にとってメリットが多いので良いと考える。

 しかし、問題は基地管理と航空管制が別々に行われている点である。例えば航空管制側(航空自衛隊)から見れば、米軍の管理下にある滑走路の路面状況は非常に気になる。コンクリート片ひとつ、鳥一羽でジェットエンジンは故障し、大事故につながるからだ。実際滑走路・誘導路の整備が行き届いておらずボコボコになっていたり、亀裂が入っていたりする。滑走路を練習機T?4で滑走した際に現状を目の当たりにした。両者の協議の場は制度としてはある。しかし滑走路整備に関する考え方・思惑が両者で異なるため、解決には至っていない。一元化による作業の効率化を現実的な対応策として検討できないだろうか。

■ 現場から見た有事への備え

 現場から見た有事への備えはどうなっているか。

 この点に関して私が最も印象に残っているのは、ある隊員が言った一言だ。それは、「自衛隊は本当に戦えるとお思いですか」というものであった。長らく自衛隊に勤める隊員からのこの一言は私の胸に深く突き刺さった。そのとき実際私は、さまざまな思いが胸をよぎったが、あまり間を置かず、こう答えた。

 「いいえ」。

 1999年4月から6月の月例報告で指摘したように、不審船対策ひとつとってもさまざまな「不備」がある。この「不備」については他の対策についても同様である。「不備」を検討し、備えるべきを備えたいからこそ、政治でやるべき部分をやりたいからこそ、私は現場に来ているのだ。きっとあの隊員は私の認識の深さを知りたかったのだろうと思う。単なる視察では、問題は何も解決しないことを最前線にいる彼らが一番良く知っているからこそ、あの一言だったのではないか。

 訓練・運用、補給、整備などどの部署についても問題点を上げればきりがない。この点については次の機会にまとめたいと思う。

■ もうひとつの有事法制

 私はこの研修の中で、ある必要性を感じている。それは「もうひとつの有事法制」としての自衛隊における少子化対策である。

 先ほど述べたように自衛隊には任務の一環として非常呼集がある。また長期間家を空ける演習もある。婦人自衛官とて例外ではない。任務につく中で子供をもうけた自衛官は、働きながら子供を育てるシステムが自衛隊内にないため、親に預けるか、やむなく仕事を辞めるしかないという。民間の託児所ではどうかといえば、夜間の訓練など特殊な勤務体制に対応できない。今の状態が続けば、隊員の負担は増え、少子化はますます進む。女性退職者が増えることで、隊全体の戦力が低下し、女性幹部も増えない。少子化対策として金銭を得ても、体制自体がなければそのお金も無駄に終わってしまう。彼らが望むのはお金ではなく具体的なサポートなのだ。

 このような「任務の特殊性」という現状を考えれば、有事対応の一環として基地内に24時間体制の託児所を設置し、働きながらサポートを受けることができる、いわば「後方支援の後方支援」を行う必要性は明らかであると考える。

■ 「戦わないために戦いに備える」という発想

 横殴りの雪が降りすさぶ中、私は練習機T-4に乗った。私が感じたのは「全てはコックピットにつながっている」ということだった。補給、整備、部署の仕事に貴賎はない。どこが欠けてもきっとあのコックピットに乗り込めば不安につながる。みんなで支えているのだ。

 ただ、私は戦いたいわけではないし、自衛隊を手放しに賞賛しているわけではない。「備えることの抑止力」を国の戦略の一部とする必要があると考えるのだ。その意味でパイロットを支えることには非常に意味がある。航空自衛隊三沢基地の皆さんが、限界はあるにせよ、真摯に「備えている」点は指摘しておきたい。

 いくらすばらしい道具(装備)を持っていても使い方に慣れていなければ(訓練・運用など)意味がないし、日ごろからの手入れ(整備・補給など)が行き届いていなければ、いざという時に役に立たない。日ごろからの外交、政治的努力、軍備管理・軍縮などとともに、この抑止力も持っておく必要があるのではないか。

 平和を心から愛しているが、同時にコックピットを全力で支えてもいる。つまり、「戦わないために戦いに備える」ということ。こんな発想もこれからの日本には必要であると私は考える。

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城井崇の論考

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Takashi Kii

城井崇

第19期

城井 崇

きい・たかし

衆議院議員/福岡10区/立憲民主党

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