論考

Thesis

最近の文部科学省の方針について

不登校の小中学生への対応策として、文部科学省は、引きこもりの子どもに限ってインターネットを活用した自宅学習を認める方針を固めた。学校に実際に行かず、自宅で好きに学習する事を正式に認める事になる。これまで、文部科学省は、不登校児はあくまでも学校に復帰させるのを原則としてきたが、この事で不登校児に対して取りうる対応策の幅を広げた。不登校児を学校に復帰させる事には反対の考えをもっている人には朗報であろう。今までの文部科学省の建前から考えるとこれは相当大きな政策転換と見て良いだろう。

 また、最近、話題になっている、教育特区構想の一環で、東京都八王子市が提案していた不登校児童生徒を対象にしたタイプの学校も検討しているようだ。自然体験活動や伝統文化を身につける活動などを中心とするカリキュラムについて、指導要領に書かれていない内容でも学習活動として認めることにしたらしい。また、不登校対策に取り組むNPOが今後学校をつくろうとする場合も想定して、現在の学校法人設立の要件を緩和することで対応することも検討しているという報道があった。

 まだ、実際にはNPOの主催する学校などはないが、この事は、現行とは違った学校を創りたいと思って運動をして来たり、小さな学校をやって来た人には朗報だろう。以前に、月例でチャータースクールの事を書いたが、今後、チャータースクール法案が成立しなくても、教育特区では設置が可能になってくるかもしれない。

 最近の文部科学省が出す矢継ぎ早の施策には驚くばかりだ。現在、日本で不登校児は全国で13万人を超えている。もう、現実をありのままに受け入れ、決して理想の形ではないが、現実に即した政策を打ち出しはじめたのだろう。いろいろな試みを認めて行く事は良い事だし注目したい。

 しかし、このように次々に打ち出されている政策をどう考えるかは実は難しい。この事で救済される生徒や親も多く出てくるだろう。それはそれでとても喜ばしい事ではあると思う。しかし、こういう特別な事を次々、認めて行くと新しい問題を生むかもしれないという事は容易に想像が出来る。例えば、小さな部分では、今まで不登校ではなかった子どもまで、「学校には行かなくても良いのか」と安易に考え、家でのインターネット学習を選ぶというケースも出てくるかもしれない。そうすると、そもそも、公教育というのは一体何かという事になってくる。この辺は慎重に見て行かなくてはならない。

 今は教育について多くの人がこのままではいけないと思っている。しかし、理想のかたちがどうなのかとなると、それぞれに意見が分かれるだろう。おそらく、この問題について明確なビジョンを体系的にもっている人は少ないと思う。今の日本で起こっている動きは一見、中央統制を緩める方向のように思う。私はこの事については、今のところ、望ましい部分が多いと思う。しかし、この事も注意して見ていけば実は多くの問題を内在している。

 先日、東京で行なわれた、日本教育行政学会のシンポジウムに参加してきた。「多元化社会の公教育―新しいタイプの公立学校の創設と教育の公共性―」というテーマで東京都立大学の黒崎勲氏から基調提案がなされ、「イギリスにおける学校選択、教育の変化と不平等」というテーマでオックスフォード大学のジェフリー・ウォルフォード氏、「教育における市場は民主的か? 新自由主義、バウチャー制度そして選択という政策」というテーマでウィスコンシン大学のマイケル・アップル氏がそれぞれ、アメリカとイギリスの教育改革の流れと問題点について講演した。日本の問題を考える上でも興味深いので、アメリカで起こってきた教育改革の流れについてのアップル氏の話を少し紹介をしておく。

 アップル氏によると、アメリカでは、学校の官僚化・公教育の乱れという共通認識のもと、現在、教育改革を目指す動きに大きく4つの流れがあるという。1つ目は、新自由主義者で何でも私的なものが良いという考えで、市場主義を持ち込む立場。2つ目は新保守主義者で、昔に戻るのが良いという考え。3つ目は宗教主義者(保守的)などでホームスクールを推進するグループ。4つ目は管理職などを主とするグループでテストやカリキュラムを信じているグループ。彼らは教師の規律が緩んでいるという認識をもっているのだという。

 アップル氏は、現在の状況を、教育に対するアメリカ人の良識的な批判を、新自由主義者が一つの傘にまとめようとして常識を変えようとしているのだと指摘した。本来の民主化は「学校参加」だったはずだがこれが、すりかえられたという。つまり、親は学校へ「参加」するのではなく「消費者」に変えられているとして、現状を批判した。そして、例としてスーパーマーケットとみれば良いと指摘した。スーパーには金持ちは入る事が出来る。しかし、お金がなくてスーパーに入れない人も出てくる。新自由主義者の学校選択論は、結局を親を金持ちかどうかの消費者として分ける事になっているのだという事を指摘した。

 翻って日本の現状はどうだろうか。日本でも学校選択が可能になる事を主張している人々はいる。また、日本でも何でも私的なものが良いとし、市場に教育も任せたほうが良いという考えの人のグループもいるかもしれない。今のアップル氏の類型で行くと1類型と4類型に当たるような考えの人も日本にも多いのではないかとも思える。アメリカと日本が違う事は確かで、直ちにアメリカで問題になって入る事を日本に当てはめる必要はない。しかし、一部、重なりあう問題もなくはないなと思った。

 おそらく多くの人が今の教育に問題があると思っている。そして、公教育への批判が高まる。とにかく、教育を変えようという声が起こってくる。しかし、この段階では、明確な変革の方向性をもっている人は少数である。あるいは多くのタイプの人が手を組んでいる。そこで、個々に興味深い取り組みが注目される。ここまでは良いと思う。私が懸念するのは、あまりに自由化すると民間の教育産業が学校を経営し始めるだろうという事だ。どうも私はそういう事態が急に進む事はイヤな感じがする。ここでは「何となくイヤな感じ」がするという程度の表現に留めておくが、要するにノウハウをもった教育産業が子どもの味方の顔をして、公教育分野に入ってきて、金のある親を対象とした「商売」を教育の名のもとに始める事への抵抗感がある。

 そのような事を考えていたら、ちょうど、遠山敦子文部科学相が10月11日の閣議後の記者会見で、構造改革特区推進プログラムで学校経営への株式会社参入が見送られたことに関連し、「学校と営利を目的とする株式会社は目的や性格が違う。特区(の目的)は、日本経済の活性化のためで、教育行政に責任を持つ者としては、経済論理だけでいいのか、とは言える」と述べた、というニュース(時事通信)を知った。当初は株式会社の教育参入実現について、鴻池(経済特別区担当)、遠山両氏が地域限定で特定分野の規制を撤廃・緩和する「構造改革特区」構想の実現に向け、株式会社による学校経営について実質的に可能になるよう学校法人の認可基準を緩和することで一致したとの報道があったが、結局、見送られたようだ。これとて、なぜ、株式会社が教育分野に参入出来ないのかという人もいるだろうが、私はひとまずは良識的な判断だと思う。

 私は以前の月例で現状の公立学校を批判した上で、日本にもチャータースクールが出来るような状態を生み出す事を良い事だという立場から、チャータースクールについてのレポートを書いた。しかし、「チャータースクール」自体は入れ物でどのようにもなるというものだ。チャータースクールが出来るようになっても、そこに教育産業が次々参入してくるのは問題が多いと思う。これまでの公教育が硬直していたのは、確かにそうだろう。そこに新しい血を入れる事もおそらく良い事だろう。しかし、私はチャータースクールが出来るようになっても、まずは、個人商店的な小さなささやかな試みが各地でなされるのを認める程度が良いと思う。

 自由化は確かに良い事ではある。特に今はこれまでの文部科学省の教育行政への批判が高まっているので、中央の規制を外していく事の殆ど多くは国民から歓迎されるだろう。教育の官僚化・システム化に馴染まない人間を救うことは良いことだし、実際、今までのやり方の多くがどうにもならないところまで来ている事も確かだ。しかし、教育をみな市場に委ねるような事は良くない。少なくとも私は株式会社が公教育の参入する事は望ましい事ではないと思う。先に紹介したアメリカの教育学者アップル氏が指摘したように、結果としてアメリカで今起こりつつあるように、全てが金になるような事が起こりかねないからだ。

 多くの今までなかった選択肢が全ての人に広がるのは良い事だし、多くの種類の学校が出来るのも良い事だと思う。また、これまで、様々な教育に対する意見を持ちながらも実際に教壇には立てなかった人達が教壇に立てるようになったり、学校経営の責任者になれる事なども良い事だ。実際、最近、校長の公募が行なわれたりしている。こういう事は良い試みだ。このレポートの最初に書いたような規制の緩和は今のところは基本的には歓迎すべきものだと思う。しかし、何でも文部科学省が今まで握ってきた権限を離す事イコール改革なのではないと思う。教育がすべて、市場原理によって動くようになり、それが民主的というような事にすり替えられる事は気をつけて見なければならないと思う。今のような欲望資本主義社会が一方的に続いている状況ではなおさらだ。教育を動かすには別の原理も求められる。

 教育(特に公教育)はやはり、全ては市場原理には任せてはいけないのである。様々な学校が出来ることを認め、様々なあり様が世の中に受容される状態をつくるのは良いし、国が多くの志のある人を潰すというのは望ましい事ではない。規制がどんどん緩和されるのは基本的には私も歓迎する。が、それでも最後の緩やかな責任は国(文部科学省)にあるというギリギリの状態をどう作るかは問われると思う。ここの部分についての議論こそ今、もっと様々な立場から巻き起こるべき議論のように思う。これまでのものの限界と失敗を踏まえた上で今後の社会における新しい公教育の概念を構築しなくてはならないのだ。

Back

吉田健一の論考

Thesis

Kenichi Yoshida

吉田健一

第22期

吉田 健一

よしだ・けんいち

鹿児島大学学術研究院総合教育機構准教授(法文教育学域法文学系准教授を兼務)

プロフィールを見る
松下政経塾とは
About
松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
View More
塾生募集
Application
松下政経塾は、志を持つ未来のリーダーに
広く門戸を開いています。
View More
門