論考

Thesis

教育基本法改正について考える

文部科学相の諮問機関「中央教育審議会」(中教審、鳥居泰彦会長)がまとめた教育基本法の見直しを提言した中間報告案が先日明らかになった。『読売新聞』(10月17日)の記事によると、提言は現行法を全面的に見直す内容となっており、教育の基本理念として、「伝統、文化の尊重、国や郷土を愛する心」といった日本人としてのアイデンティティーや、社会の形成に主体的にかかわる「新たな公共」の意識の重要性を打ち出しているのが特徴だ。中教審は今月末にも中間報告をまとめ、専門家などの意見を広く聴取した上で、年内にも答申を出す方針で、文部科学省は来年の通常国会で教育基本法改正案を提出する見通しだという。

 案は、全11条から成る現行法について、各条文に沿って新たに盛り込むべき内容を提示している。全く新しい基本法を一から制定するのではなく、また、ある部分の条文を大幅に改正するのでもなく、今ある現行法に新しい内容を盛りこむというかたちになっている。基本法の見直しでは、新たに盛り込む基本的理念として〈1〉個人の能力の伸長、創造性の涵養(かんよう)、個人の自己実現、努力や向上心〈2〉「新たな公共」の創造に貢献する意識、公共心、道徳心、倫理観、自律心、規範意識〈3〉国際性と、日本人としてのアイデンティティー(伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心)〈4〉生涯学習の理念――など7項目を挙げているとの事である。

 そのうえで、第5条「男女共学」に関しては、男女共同参画社会の実現や男女平等の促進への寄与という新たな視点で規定するよう求め、第6条「学校教育」と第7条「社会教育」に関し、学校、家庭、地域社会の役割について、「三者の適切な役割分担や相互連携の在り方が明確にされることが必要」と指摘し、現行法で言及がない地域社会を含む三者の新たな連携・協力などの規定を促したという。第8条「政治教育」に関連しては、国家、社会の形成に主体的にかかわり、国家、社会の諸問題の解決に積極的にかかわっていく態度を育成することが重要であることから、その旨規定することが適当とし、第9条「宗教教育」は、中教審の議論でまだ意見がまとまっていないほか、憲法でも信教の自由と政教分離の原則が定められていることから、引き続き慎重に検討を進めることとしたと記事にはある。第10条「教育行政」に関しては、国、地方公共団体の責務を含めた教育行政の基本的な在り方を示すという新たな視点から規定することが適当とし、教育振興に関する基本計画を策定すべきだとしてその根拠規定を置くこととしたとある。

 この提言についての記事を読んで、率直な感想として私はなるほどなと思う。なかなか良い事が提言されていると思う。別に目くじらをたてて反対するような過激な提案はどこにもないと思うし、公共心、道徳心、倫理観、自律心、規範意識が世の中からなくなっているなという実感をもっている私は基本的にこの提言を支持したいと思う。日本人としてのアイデンティティー(伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心)などというものも言わば当たり前のことで、わざわざ書きこむ必要があるのかと思うくらいだが、今の日本の状況を見ると盛りこむ事には意味があるなと思う。他の部分をみてもはっきり言ってわざわざ書き込む必要などないくらいに大事な事が敢えて提言されているというのが私の感想である。しかし、この提言に関して反対の声があがっている。これまでも、教育基本法改正には批判的だった日教組(榊原長一委員長)は中央委員会で、教育基本法改正について「見直す理由も必要性もなく、憲法や基本法の理念を教育改革に生かすことこそ重要だ」などとして、反対する特別決議を採択したという。

 私はこの問題についてこれまでいろいろな角度から考えてきた。改正派と改正反対派の議論について、その噛み合わなさについて考える時のポイントは次のような事だと思う。教育基本法の改正論者は何よりも今の教育をとりまく状況を問題があると思っている。そして、戦後の行き過ぎた個人主義というか、個人は大事ではあるがその事が強調されすぎたがために今の日本社会から公を大事にする風潮がなくなってしまった事に関して懸念をしている。その理由の全てを教育基本法に押しつけるのではないだろうが、基本法を改正することによって社会にもう少し公共を大事にする風潮をもたらそうとしているようだ。私はこの方向は決して日本を戦前やそれ以前の封建社会へ戻すようなものを想定しているものではないと思うし、「公共」というものにしても、新しい概念を模索しようとの意識が垣間見られるように思う。

 しかし、改正反対派は私とは違った捉え方をしているようだ。改正反対派の中には、改正することによって教育がある方向に歪められるという懸念をもつ人もいるようだ。この考えは復古主義的なもの、戦前の軍国主義的なものへの嫌悪感から来ているのだと思う。しかし、私はその考えに基づく現在の反対論は的を射てはいない気がする。今の日本で果たしてこれまでの民主主義的な価値を全否定してまったく昔に戻すことを目論んでいる人などそう多くはないだろうと思うからだ。「公」に参加する事を良い事だとする価値観が著しく低下してしまっている事への懸念から公共心の重視を提言しているのであって、個人が個人として尊重されるという部分を否定して、封建的なるものを重視し政治や公的な分野への市民の参加を閉ざす方向でものを考えている人などそうはいないだろうとも思う。教育基本法に触れる事自体がすぐさま、復古主義的な方向に行くので反対だという姿勢は議論する事自体を避けている態度のように思える。

 また、有力な反対の理屈の一つに「まだ、教育基本法のめざす状態にはなっていないから」というものもある。改正派が今の教育基本法のせいで今の教育が悪くなってしまった、だから直なさなければならないという認識であるのに対して、改正反対派は、今の基本法のお蔭で良くなったのだから護らなくてはならないという正反対の考えをもっているのではない。むしろ、まだ、基本法の理念が達成されていないので改正する必要はないという認識をもっている。改正反対派は「見直す理由も必要性もなく、憲法や基本法の理念を教育改革に生かすことこそ重要だ」というのだ。しかし、それならば、何故、これだけ議論が出てきているのに見直す必要がないのか(少なくとも見直す派は今は問題があるという認識なのだから)また、基本法の理念がまだ充分に生かされていないという認識ならその原因は何なのか、また今はどの程度理念が体現されていて、どこにまだ充分基本法の理念が生かされていないという認識をもっているかを明らかにすべきであろう。

 実際に教育基本法を読んでみるとかなり良い事が書いてある。普通に読んでみて不偏的な事が書いてあると思う。極めてまっとうな事が短く書かれている。またやや意外な事に「宗教教育」や「政治教育」など、まさに戦後社会から排除されてしまったものに関しても書かれているのである。私はこれを読むと何となく不思議な気がする。普通に読めばむしろ、日教組などが軽く扱ってきた分野も尊重する事の大事さが書いてあるからだ。誤解をおそれずにいうと、日教組やその流れの影響が強かった戦後教育を推進してきた考え方をもつ人達は教育基本法を尊重するといい、未だに教育基本法の理念は実現されていない、だから改悪には反対であり、教育基本法に書かれている理念、精神、目的に立ち返る事こそ重要だという論理展開をするが、実は「未だに教育基本法の理念を体現していない」というよりは、意識的に基本法に書かれている部分でもあまり重視せずに無視して、勝手に解釈をしてきた部分について、はっきり何かを明記される事を忌避しているのではないかという気がする。いままでは文言が抽象的すぎたのと、また、都合よく個人主義的な部分だけをより強く読みとる事が可能だったのだ。それが今回の改正案の提言ではバランスあるものとなろうとしているのにその事へ抵抗しているのではないかと思う。

 教育基本法は、実は制定過程で、GHQに復古主義的と批判される事を怖れて「公」や「公共」という事には言及しない案が成立した歴史があるようだ。1946年9月から審議を初めた教育刷新委員会(委員長=安倍能成元文相)で「公」の軽視は当初から指摘されていたという。この委員会で哲学者の天野貞祐氏は「公のために生きる、そういう人をつくることが一番肝要だ。個人の完成にあまり重きを置くと、自分自身のために生きることが主になっているような気がする」と疑問を投げかけたらしい。だが、委員会では「本当に公に仕える人間をつくるには、個人を一度確立できるような段階を経なければならない。それが今まで日本に欠けていたのではないか」(哲学者の務台理作氏)という意見が大勢だったという。その後の国会審議でも「国家社会に対して犠牲、献身的精神を持ち、奉仕的精神に満ちた国民にすることが、日本を平和的国家としてこれから発達させていくのに非常に重要な点ではないか」(荒川文六貴族院議員)との指摘が相次いだが、結局は原案通り成立したという。※1 

 教育基本法改正反対派は「基本法の理念を生かし…」というが、改正反対派はこれまで解釈というか受け取り方にかなり大きな幅を持たせる事が出来たのを改正される事によって理念が出てしまう事に対して反対しているように思う。反対のための反対やこのままにしておくほうのが良いというだけでは説得力のない事が多いが教育基本法に関しても同じだ。憲法論議と同じで議論したり改正への案を出す事自体に否定的な考えというのは結局、現状を肯定しているだけなのではなかろうか。

 上に紹介したように、教育基本法制定時に議論された事について考えるのは実は今でも難しいと思う。絶対にどこからどう見ても正しいというものはなく、また、理想も時代背景を抜きにしては語れない。当時はまず何といっても戦争の反省から軍国主義的なものを一掃する事が一番大事だったので精神論的なものや公に関わるものを排除した。この時の選択も問題はあったもののある程度は正しかった側面もあったのかもしれない。が、今は現在の社会状況をどうみるかという部分から議論しなくてはならない。来年の通常国会で教育基本法改正案が最終的にどのようなかたちで出てくるのか、またその時、各党・政治家がどのような態度をとり、どのような議論を展開するかは分からないが、より本質的な議論が様々な立場から起こる事を期待する。

※1 『読売新聞』2002年11月4日 朝刊 法律物語 教育基本法 中 参照

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吉田健一の論考

Thesis

Kenichi Yoshida

吉田健一

第22期

吉田 健一

よしだ・けんいち

鹿児島大学学術研究院総合教育機構准教授(法文教育学域法文学系准教授を兼務)

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