Thesis
「政治を正さなくては、日本は良くならない」これは、言うまでもなく、松下幸之助塾主の言葉である。塾主は、「政治」を正す為に、その担い手となる政治家が必要であると考え、松下政経塾を設立された。今から約25年前の事である。しかし、政治とは何であろうか。そして、政治家とは何であろうか。一見、単純で誰もが分ったつもりになっているこの問題を、改めて考えたい。
入塾前も、入塾後の研修でも私がずっと考えて来た事は、果して、日本に本当に「政治」は存在するのかという事である。このような事を書くと、多くの人は何を言っているのだと思われるだろう。選挙が近づいてくると、街中は「政治家」のポスターでいっぱいになってくるし、また、「政治家」の集まりである政党や政党幹部の動きは日々のニュースで報じられる。また、それこそ、政治家の政治資金を巡る不祥事は後を断たないように、世の中は政治の話しで溢れている。日曜になれば、政治家が出演する討論番組を報道している。政治が日本に存在する事は自明の理であると思われるだろう。また、所謂、政界だけではなく、世の中の普く部分に「政治」は存在している。そして、「私」の領域の政治ではなく、「公」に関わる部分の利害調整をするのが、政治家だから、自明の事として政治は存在しているという見方もあるだろう。しかし、果して、「政治」があるべき姿で機能しているのか、「政治」が要請される役割を果しているのか、また、「政治」が社会から要請される事は本来的に何であるのか、そもそも、日本の「政治」とは今まで何を意味してきたのかという事まで考えると考えるべき事は多いと思う。
かつて、政経塾に来られた、評論家の小室直樹氏は、「明治以来、日本は官僚は育ててきたが政治家(政治指導者)は誰も育てて来なかった。この事に危機感をもった松下幸之助さんは政経塾を創られ、徐々に成果も出てきた」という旨の事を言われた。小室氏は江戸時代末期(幕末)から明治維新の日本の政治指導者の質の高さを指摘された上で、それ以降、日本が官僚主導国家になって行った話しをされ、いかに、世の中にはシステムの中から生まれて来る行政官とは別に政治指導者の質が大事かという話しをされた。確かに、明治以来、日本は役人とサラリーマンを大量に育ててきたが、役人を動かす政治家と、サラリーマンを引っ張って行く経営者は育てて来なかった。幕末の志士や更に明治維新の元勲達を我々は通常、「政治家」というカテゴリーでとらえているが、彼らは制度(システム)の中で育てられて出てきた人ではない。時代の要請があったとはいえ、時のシステム(幕藩体制)を打ち破って出てきたのである。しかし、彼らの作った明治国家は急速に近代化を推し進めると共に、国の指導者を自分達の制度の中から生み出す事を進めた。ある意味、それは当然の事であったかも知れないのだが。
そして、やがて軍部(時の最もエリートとされた)の独走によって敗戦を向える。戦後は経済復興を共通の目標として、官僚が国家を主導してきた。政治家という存在は勿論、戦後にも存在していたが国家レベルでの主要な政治家の多くは『小説吉田学校』にあるように官僚出身者が多く占めて来た。言わば、政界は官僚の出先機関だったのかも知れない。勿論、これは保守党の内部の事であり、55年体制下では、表向きのイデオロギー闘争が絶えず行われていたので、社会党の政治家も、日本全体をどうもって行くのかというレベルでの議論では活躍していたが、実際の政策決定課程の中で実際の政府の政策に強い影響を与え、決定権を握っていたのは、官僚出身の保守政治家だったと言っても良いだろう。
世界的な冷戦構造が崩壊し国内でも55年体制が終わると、日本の政治も「規制緩和」や「地方分権」というかたちで、戦後の官僚と保守政党の採って来た政策を見直す動きが全面に出てきた。そして、保守政党も社会主義政党の崩壊と共に分裂し、全ての政治勢力がアイデンティティーを問われる複雑な時代に入った。(93年以降、この動きは10年以上続いた)その中で、90年代に台頭したのが、市民主義、市民派だ。しかし、市民派も政治を強くするという思想ではない。市民主義の政治学者はよく「官治集権」か「自治分権」かという議論の立て方をする。官僚(役人)支配か、市民が自ら物事を決めるかという対立のさせ方だ。
しかし、私は、この二つしかない考え方には疑問がある。「政治」の役割がスッポリ抜けているからである。あっても政治は極力「ないもの」として扱われ消極的な意味しかもっていない。いずれにせよ、政治は「ある」のだか、「官治」思想からいうと政治は官を指導するものでもなく、ただ、世の中に存在している世論のごろつきの代表にしか過ぎないだろう。明治の超然内閣の考えにあるように、未だに政府の高級官僚には政治家や政党を見下す思想は脈々と引継がれているかも知れない。いや、政治家のみならず、背景にいる有権者・国民を暗愚なものと見なす思想すらまだまだ根強いのかも知れない。官治主義の思想は「自分達がしっかりしなければこの国はどこへ行くか分らない」という、中央高級官僚の意識である。
一方において市民派的な「自治」を強調する思想からいうと、政治の主人公はあくまでも、全住民、全市民であり、そこに「指導者」等というものはいてはならない。経営者のない会社のようなものである。全員がまさに同じ立場で関わるというのが理想であるという考えだと。極言すれば、政党や議員というのは「プロ」の側の人間であり(本来は民に選ばれているのもかかわらず、この場合は政治と行政が同じ「側」として扱われる)、全住民・全市民が「自治」を行うには邪魔な存在ですらあるだろう。自治体の主人公は住民だという議論がなされる時、この事自体は勿論、当然で望ましい事だとはしても(住民自治の原則からしても)しばしば、議会や議員という「政治」の存在が議論から飛ばされて、直接、市民と行政のパートナーシップなどと言うことが何の疑問もなく言われるのはこの思想の影響だと思う。
上に書いたような、中央政府の高級官僚に、明治以来の官僚優位思想がどの程度実際に残っているのかは、私は本当の所は分らない。しかし、意識が高いと自称し、自負心の強い自治体職員や市民派の政治学者には明らかに、議員・議会という「政治」を低く見るか、無視する考え方、また、自分たちの思想を代表する議員のみを自治の担い手とするような考えがあるように思う。私にはこれはとても大きな問題であると思われる。今の日本人はそれほどまでに、システム化され、システムの中で生きる事しか出来なくなっており、システムを考え、作るのが、民の付託を受けた「政治」だと言う事の重要性を認識してはいないからだ。今の日本というより元々なかったのだろうか。普通に考えて議会のない執行部だけの自治体というものを考えてみれば、政治がない、機能していない事がいかに恐ろしい事かと私は思うが、「お上」意識を当然の事としてもっている人は政治・議会などというものは殆ど意識しないし、逆に「お上」意識を否定し、市民を強調する人から見れば、政治・議会は、自分達とは違った「側」に存在するものと考えるのだろう。
いずれにせよ、日本においては「政治」は、相変わらず、とても身分が低く、そして忌むべきものとされている。エリート意識をもつ官僚からは、「暗愚な民衆の代表」として低くみられ、一方、自治思想をもつ市民派からは政治家の集まる政党などは全て既得権益にまみれた「保守の巣窟」と見なされている。自治を説く市民派は何故か、国家(という思考)を嫌う傾向があるように思うので、国レベルの事はあまり議論せず、自治体をどうするかという議論ばかり行っている気がするが、彼らは押し並べて、市民と行政のパートナーシップを説き、議会や議員を軽視もしくは無視をする。それが意識的なのかどうかは私には分らない。また、良く言われる「政治不信」とは、圧倒的に一般国民のもっている「政治」への不信であり、そもそも政治家を自分達の代表として見なしていないとことから来るものだと思う。はっきり言って、この日本で、政治家ほど一般から理解されず、身分は不安定で嫌われている仕事はない。
ここまで政治家が忌み嫌われ、バカにされ、無視されていて良いのだろうか。これは、政治家が悪いという側面もあるが、もしかすると、日本人の多くが「政治」の本当の機能や意味、「民主主義」「選挙」「議会」「政党」というものの必要性を理解していなかったからかも知れないと思う。政治家自身の責任と共に、政治不信の多い原因には、自らは積極的に政治に参加しようとしない有権者の民度の問題もあるのかも知れない。何故なら実際に積極的に政治参加する有権者は政治を自らのものと考え、そう安々と「政治不信」とは言わないからだ。一般有権者の大半が無関心であるから、論者がいくら攻撃しようとも官僚支配は終わらないとも考えられる。いわば、政治家はいても後押しする層がいないのだ。国レベルでは、政治家は孤立無縁(スタッフの少なさに見られるように決して活動するのに充分なリソースを与えられているようにも思えない)、地方レベルでは無視されているというのが率直な所ではないだろうか。これはさすがに言葉が過ぎるかも知れないが、政治家がその仕事の重要さと果している責任の重さのわりには社会からの評価が極めて低いか関心を持たれていない事だけは確かであろう。
この原因をどこに求めるかはいろいろな考えがあるだろう。律令制度が1000年以上続き、日本人には「お上」意識が強く染み付いた事、政府から政府への(江戸幕府から明治維新のように)政権交代があっても、殆どそこに、民衆が自発的に関わってはいない事、更には、ヨーロッパのように、「議会」対「王制」という争いの中で民主主義が確立してきたのではなく、日本の近代化は、まず「政府」があって、そこに遅れて、自由民権運動によって、政党が作られ、「議会」開設を「政府」に認めさせて行ったというように、先に「官」があって、後に「政」が出てきた事等にも原因を求める事が出来るかも知れない。また、唯一、日本独自の民主主義が花開こうとした時期であったと言われる大正デモクラシーが頓挫して、軍部の独走時代に入って行った歴史なども関係があるかも知れない。原因がどこにあるのかはっきりと絞る事は出来ないが、いずれにせよ、日本には、常に政府(お上)と民衆だけがあって、「民」より出でて「官」をコントロールする「政」の影がとても薄いのである。そしてこれは今も続いているのである。多くの日本人が「公務員」(中央・地方を問わず役所に勤める人)を良い仕事と思う事に何の不思議な感覚も感じない反面、自ら選挙によって選び行政をコントロール・指導する役割である「政治家」(国会議員・地方議員)を胡散臭い存在と見なすのは、根底に、政治蔑視思想があるのか、「議会」「選挙」「政治家」「議員」「民主主義」と言ったものの概念を実はよく理解していないかのどちらかだと思わざるを得ない。
私は、今こそ、政治全体の復権が必要だと考える。あるいは、復権ではなく、「政治」を創造しなければならないのかも知れない。それには政治家及び政治家を志す人がもっと誇りを持つ事が大事だと私は思う。自ら政治家に出るくせに、政治家全体もしくは政治という営みを批判したり、市民に近い事を強調するのは、本質的におかしいとさえ思う。日本にこれまで、「お上」(幕府・政府などの行政体・官)の存在はあっても、政治(民より出でて官をコントロール・指導するという意味での民主主義に基づく)という概念がなかったとするならば、「政治」の重要性を認識し「政治」の概念を根付かせる努力をしなくてはならないのではないかと思う。
勿論、いうまでもないがこれは政治家や政治家志望者の問題ではなく、国民・市民全体の問題である事は論を待たない。民主主義をどう考えるかという問題にも続く。そう考えると、日本広しといえども、この松下政経塾ほど、「政治とは何か」を正面から考えている機間はないと思う。その意味でもこの政経塾のもっている使命は事の他重い。首長であれ、地方議員であれ、国会議員であれ、選挙で選ばれた政治家の責任と使命は本来的に重いものであり、これからのような激動の時代は益々、その役割が大きくなると私は思っている。国レベルでは官治集権的な権力構造がまず確固としてあり、官僚の出先機間が(保守)政界であり、そこに個別に文句をつけ、要求を通し利権をもつのが政治家であるという時代から脱皮しなくてはならないし、自治体レベルでも、行政を「チェック」するだけではなく、有権者の付託を受けて具体的にその自治体を動かすのが政治家だという考え方が出てこなければならないと思う。
改めて書くが、松下幸之助塾主は、「政治を正さなければ、日本は良くならない」と言われた。この言葉は短いが非常に奥が深い。直接的には、塾主は敗戦によって、全財産を失われ、莫大な借金を抱えられ、嫌というほど、国家指導者の間違いが、国民を不幸にさせるかを感じられたから、政治指導者に人を得ない事には大変な事になると思われたであろう。また、塾創設を考えておられた時に起こったロッキード事件などの政界の腐敗にも怒りをもっておられただろう。増えつづける国の借金を何とかしなければという思いや、エネルギー・食糧問題、国民の道徳の乱れ等、ありとあらゆる様々な実際の世の中の問題を何とかせねばという考えから「政治を正さなければ、日本は良くならない」といわれたのだと思う。塾主の発言を読んでいると、塾主の言う「政治」とは非常に広く大きな意味をもっているものだと分ってくる。「政治を正す」とは短に、政界や政治に携わる人間、指導者レベルの世界の問題なのではなく、有権者・国民意識をも含めたものであると思う。「人類の繁栄・幸福と世界の平和に貢献しよう」と塾是にあるが、政治とは、政治家とは、更に本物の政治家とは…と考える事は、永遠のテーマかも知れない。
Thesis
Kenichi Yoshida
第22期
よしだ・けんいち
鹿児島大学学術研究院総合教育機構准教授(法文教育学域法文学系准教授を兼務)