Thesis
この度、私は、自治体の行っている不登校対策の取り組みについての研究をするために、兵庫県にある「兵庫県立但馬やまびこの郷」(以下「やまびこの郷」と省略して記述させて頂く)において研修を行って来た。以前の月例報告でも少し書いた事があるが、私はかねてから、現代の教育の問題を考えるにあたって、不登校の問題にも関心をもってきており、以前には北海道の夕張にある、「北海道自由が丘学園夕張スクール」というフリースクールで住み込みの研修を行った事があった。ここは、民間のフリースクールあったが、多くの事を考えさせられた。
しかし、これまで、自治体の行っている不登校対策については私は今一つ分っていなかった。関心がなかった訳ではないが、どちらかというと、不登校児童生徒の受け皿は民間の有志の主催するフリースクールなどしかないのではないかという印象さえもっていた。また、フリースクールのような学校ではなくても、相談に乗ったり、アドバイスをする教育相談研究所なども、民間の志のある人によって担われている事が多く、自治体の取り組みというものはあまりないのかなと思っていた。しかし、私は、機会があれば、自治体の取り組みについても、是非、実際に見てみたいという考えをもっていた。ちょうど、そのような事を考えていた時に、不登校児童生徒を学校に戻す目的で自治体が生徒児童を受け入れて宿泊体験活動を行っているところがあると先輩塾員の方から紹介を受けた。私は、関心をもちそのような施設に行ってみたいと思いこの度、「やまびこの郷」において研修を行ってきた。
2‐1.「やまびこの郷」の概要
「やまびこの郷」は、兵庫県朝来郡山東町という大変に自然環境の豊かなところにある、全国で唯一の自治体が設置をした不登校児童対策専門の教育施設である。誤解をさける為に敢えて記しておくが、全国の自治体は不登校対策をしていないという事ではない。勿論、多くの自治体が、子どもの相談を行うセンターをつくったりと、様々な方法で不登校児童生徒に対する対策を行ってはいる。「やまびこの郷」のようなかたちでの、自治体の設立した専門の施設はここしかないという事である。
まず、最初に「やまびこの郷」設置目的を見ておきたい。「やまびこの郷」のパンフレットによると、設置目的は「但馬の豊かな自然の中で、自然、人及び地域とふれあう体験と集団生活を通じて、自主及び自律の精神並びに人間相互の人間関係についての正しい理解を養い、学校生活に適応することができるよう支援することにより、こころ豊かな青少年の育成を図る。」とある。はっきりと設置目的に、「学校生活に適応することができるよう支援することにより、こころ豊かな青少年の育成を図る。」と明記されているのは重要な事と思う。自治体が行っているからというわけではないのだろうが、ここの目的は、はっきりと、不登校になった生徒児童を学校に行ける状態にする事なのである。
この設置目的を読んで、私は、学校全否定論者の人や、今のような学校ならば、必ずしも学校には行かないままでも良いのではないかという考えをもっている人からいうと、「やまびこの郷」の目的には違和感を覚える人ももしかするとおられるかもしれないとも思った。しかし、今の学校に多くの問題があり、必ずしも全ての児童生徒にとって学校が楽しい所ではない、あるいは非常に苦痛な所になっているという「事実」が厳然としてあるにしても、理想は学校が楽しい所であるという事には違いがないと私は思う。その意味で、私自身はこの設置目的は、ごく真っ当で素晴らしいものだと思う。
「やまびこの郷」が開所したのは、平成8年11月である。平成6年9月に設置検討委員会が出来ている。兵庫県の教育委員会の下にあり、職員は全員で21人おられた。非常勤の所長の下、副所長がおられ実質的な責任者として仕事をしておられた。組織としては総務課と指導課があるが、指導課の方は看護婦の方以外は、兵庫県内の公立学校の先生であった。主任指導主事兼指導課長の先生の下、指導主事の先生方が全部で5人と、不登校研究の為に期限付きの研修で来られている先生方が3人がおられた。
2‐2.「やまびこの郷」の業務内容
次に「やまびこの郷」の業務内容を見ておきたい。「やまびこの郷」では、大きく分けて4つの業務を行っている。(1)宿泊体験活動 (2)保護者への相談活動 (3)指導者への研修 (4)センター的な役割の4つであるが、業務内容を詳しく見ておきたい。以下の通りであるが、これも、「やまびこの郷」のパンフレットからの引用である事をお断りしておく。
(1)児童生徒の学校生活への適応性を向上させるための支援
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3‐1.6月3日(火)
朝の10時15分頃に和田山駅に着いた。駅に着くと車で職員の方に迎えに来てもらっていた。「やまびこの郷」に到着して、片山副所長さんと話をする。その後、主任指導主事の高橋先生から、今週の予定を聞いた。今週はずっと泊まる子どもは1人だけだという事だった。泊まりは中2のT君一人で、小3のK君は家が近いので、毎日お母さんと一緒に通いで来るという事だった。私がついて、お話しを伺っている時間は昼前で、この時間は「料理を作ろう」の時間だったので、調理の部屋に連れて行ってもらった。ちょうど、ハンバーグを作り終えたところだった。中2の生徒(T君)と小3の児童(K君)の2人と会った。すぐに12時になったので、食堂に行って食事をした。この時間に自己紹介をさせて頂いた。「やまびこの郷」の人の自己紹介も受けた。
午後からは体験活動の「地域と交流しよう」の時間で、この活動には「ミステリートラベル! 城下町を歩こう」というタイトルがついていた。子ども2人と先生2人、K君のお母さんと一緒に「やまびこの郷」のバスで近くの竹田というところまで行った。城跡に登る事になっていたが、T君が山に登るのを嫌がったので、二組に分かれた。私は竹田城址に登った。歩く距離は1000Mくらいだった。K君とよく話した。K君は小3だったがとても山に慣れていた。お祖父さんとよく一緒に山に登った事があると言っていた。とても人懐っこい子どもだったので、私は本当にこの子が不登校なのかなというような事も思った。この事については後にもう少し詳しく言及するが、不登校になる児童生徒というのは必ずしも引っ込み思案の子どもではないのだ。また、様々はタイプの不登校児がいるなかで、「やまびこの郷」に来る(来られる)児童生徒は皆、前向きな子どもで、そうでない子どもは来る事が出来ないという事実もあるようだった。K君は山に登るスピードが速いだけではなく、草木のことや昆虫の事についてもとても詳しかったので私は驚いた。
竹田城址からおりて来てから、しばらく、先生方と子どもと町を歩いたが本当に良い所だなと思った。古き良き日本の現風景というか、ああこれが本当の日本なのだなというような事を思った。映画に出てきそうな感じのところだった。のんびりした感じで緑がとても綺麗だった。
4時頃戻ってきてからは体育館でバトミントンや野球を5時までした。この時、事故が起こった。T君の打ったプラスチックのボールがK君の顔に当たってしまったのだ。この事でK君は怒ってしまった。一緒に遊んでいた先生に当たり、体育館の戸を閉めて、カギをかけ、人が出られなくしてしまった。その後、私は、5時頃から指導主事先生と話をするために会議の部屋に行った。毎日、1人ずつ担当の先生が私と話しをする時間をとってくださっていた。毎日、5時から、指導主事の先生方とお話をさせて頂いたのは本当に有意義であった。ここで感じた事はまた、後の段落に記す。
6時からは食事をした。その後、7時からT君と「語らいの部屋」で坊主めくりなどをやった。その後、10時頃風呂に入った。その後、更に12時まで遊んだ。K君は通いで毎日、お母さんと来るために、この日は夜の6時以降はT君しかいなかった。T君もとても人懐っこい子ですぐに打ち解けてくれた。私は1日ですぐに打ち解けてくれて良かったなと思った。
3‐2.6月4日(水)
この日は、7時に起床した。T君がなかなか起きないので、一度、食堂に行った後、起こしに行った。7時半に食事。食事の後、9時半まで、T君とビリヤードと卓球をして過ごした。この時間に、月曜に一度来て、火曜日は家に帰って、またこの日の朝に来たU君に会った。U君は中3で色の白い生徒だった。
9時半からは「スタッフと一緒に活動しよう」の時間で、今週は「自然に親しむ活動」だった。近くの川に釣りに行った。その前に魚のえさにするミミズを庭で取ったが、私は土を触ったのは久しぶりだった。ミミズやダンゴ虫など子どもの時はよく触ったが何時の頃から触らなくなったのかと思った。土の匂いも本当に久しぶりだった。子どもの時はよく、家の庭で土いじりをしたものだな、などと思った。釣りは12時までした。子どもは達はたくさん釣った。私は川で魚釣りををしたことなど初めての経験だった。
12時に食事をした。ここの食事はとても豪華だと改めて思った。ここは、建物も綺麗で施設も良く、何でも揃っており、また、食事も豪華でおいしい。この辺が県立の恵まれたところなのだな、民間の補助金なしのフリースクールではこうはいかないなというような事も思ってしまった。食事が終わってまた、「語らいの部屋」で坊主めくりをした。T君はとても坊主めくりが好きで、次々に新しいルールを考え出したりした。
1時半からは、また「スタッフと一緒に活動しよう」の時間で、スポーツ活動を体育館(虹の館)で行った。1時半から5時まで全くの休みなしだった。この時間はU君が全くの休みなしで、バトミントンをした。大人は先生方2人と私の3人だったが、かなり疲れた。バトミントンの他には野球などもした。この時間はK君は別のところで、紙で飛行機を作っていた。
5時からはまた、指導主事の先生とお話をした。私は1時半から5時まで休みなしでバトミントンや野球をやったのでかなり疲れた事を言った。実際、大人は交代で休んだがそれでも、かなり疲れた。しかし、これにも意味があるのだった。休みなしでやったのは、子どもがやる気あるときはそれを尊重して止めささないためという事だった。常に子どもの様子を見ながら自然に指導をしているという事で私はさすがだなと思った。子どもがあまりやる気を見せなかったり、休ませて欲しそうにしている時は休ませたり、別の事をするようにするが、子どもがやる気をもってやっていると時は止めないという事だった。
6時に食事をした後、また、T君と坊主めくりなどをした。7時から8時まで遊び、途中で、この日の当直の先生と一緒に、前日の昼に釣りをした川に蛍を見にいった。私は蛍を見たのは子どもの時以来だった。たくさんの蛍がいてとても綺麗だった。一度に多くの蛍が飛んでいるのをみたのは初めてだったが、私は何とも、懐かしい感じがした。T君はとても喜んでいた。私も本当に良い経験をさせて頂いたなと思った。
蛍を見に行って帰って来てからは風呂に入った。その後、また「語らいの部屋」でゲームなどをした。12時までやったが疲れた。T君は本当にゲームが好きで、片時たりとも休もうとしない。坊主めくりのみならず、トランプ、ウノなど次々に私に一緒にやろうと言ってきた。私も出来るだけ、要望に答えて一緒にやったが、食事の後、7時頃から、蛍を見に行った時と風呂に入っている時間ずっと子どもゲームをするというのはなかなか厳しいものがあった事も事実である。
3‐3.6月5日(木)
この日も、7時に起床した。T君、U君の2人ともまだ起きてなかったので、起こしに行ってから食事をした。2人は起きてこなかった。食事の後、しばらくT君と遊んだ。T君はゲームも好きだが、ビリヤードや卓球なども好きだった。起きてから寝るまで食事と風呂以外は本当に全く休みなくゲームかビリヤード・卓球などを私と一緒にやることを求めてきた。私は出来るだけ一緒に行動してT君のしたいことの全てに付き合ったが、これは大変な労力がいるなと思った。
この日は、朝から夕方までの時間が全部「遠くに出かけよう」に当てられていて、ハイキングに行った。9時半に集合して、10時過ぎに出発した。U君は休んだ。少し調子が悪くなってきていたようだった。朝、起こしに行った時に押入れの下にしゃがみ込んで耳を押さえていた。ストレスを感じているのかなと思った。前日のスポーツの時間には長時間、休みなくバトミントンをして、活躍をしたU君であったが、何か具合が悪くなったのだなと思った。
天瀧というところまで行った。天瀧は兵庫県で一番大きな瀧であった。T君、K君、K君のお母さん、先生2人、看護婦の方、運転手さんと私の計8人で行った。初日に竹田城址に登った時と同じようにK君はとても元気だった。小3とは思えないような早さでどんどん山道を登って行った。大人は皆後から着いていくという感じだった。山登りに関してはT君がとても嫌がった。ゲームや室内でのスポーツ(遊び)にはあれほどまでに積極的なT君が、ここまで山に登るのを嫌がるとは少し私には意外であった。
自然体験はこの「やまびこの郷」が最も重視しているものの一つだが、全ての子どもに合うという訳ではないのかなと思った。なかなか難しいものだなと感じた。私自身、子どもの時から大人になるまで、どちらかというと、アウトドア派ではなく、子ども時代は自然体験などもそんなに好きという事もなかったので、T君のしんどさが全く分らない訳でもなかった。山に登るのは辛いのだろうなと思った。しかし、私は、昨年から修験道(山伏)の修行をはじめたりして、山に登る機会が増える中で現代人にとって、自然体験をする事の重要さが大人になってから徐々に分ってきたので、T君にも大好きにはならなくても、もう少しは山を好きになってもらいたいななどと個人的には思った。
約1000Mを歩いて、天瀧に着いた。登りはじめたところは約40分で着くという事だったが実際にはもう少し時間をかけたと思う。12時頃、弁当を食べた。天瀧はとても美しかった。弘法大師や役行者も来たという伝説があった。修験道の開祖である役行者もここに来たのかなどと私は一人感慨にふけった。
1時過ぎから更に続きを登った。山頂の高原に行った。後半もずっとK君と一緒に山を登ったが本当に山に就いて詳しく何回も驚いた。山だけではなく、自然が好きなのだなと思った。ここからはバスで戻って来た。戻って来てからは、T君はまた元気になったようだった。今日はいつもに比べると元気がなくなっているのかなと思っていたが、バスの中で寝たのと、山から降りてきたのとでいつものように元気になっていた。食事の後はまた遅くまで様々なカードゲームなどをした。
この日の夜は、最後だったので、遅くまで片山副所長とお話をさせて頂いた。初日にもお話をさせて頂いたが、3日間居て、感じた事等を私もお話しさせて頂いた。そして、様々な質問をさせて頂いた。ここで伺ったお話しはまた後に記す。私自身が不登校の問題を考えるにあたって様々な示唆を与えてくださった。
3‐4.6月6日(金)
この日は、起床して食事をした後、朝から掃除をした。T君、私の2人がそれぞれ自分が泊まった部屋や廊下を掃除した。11時からはお別れ会だった。この時間は、まずスタッフの人が一言ずつ1週間の感想を話された。T君、U君、K君、一人一人にメッセージを話される先生もおり、本当に感動的だった。私は今回子どもと一緒に入所したのでその意味では子どもに近い立場だったが、スタッフの方と一緒に、子どもに関わる行動をさせてもらったので、子どもから見ると「やまびこの郷」の先生のようでもあり中間的な感じだった。
わずか、4泊5日でもいろいろな思い出が子ども達には出来たのだろうなと思った。私はまず、先生方にお礼を言った。そして、3人の子どもにも一言ずつメッセージを言った。短い時間だったがとても濃密な時間だったので、私も別れるのが寂しくなっていた。とても印象的だったのはK君のお母さんが最後泣いて居られた事だった。先生方の中にも感動して少し泣きそうな人もおられた(ように見えた)。私は人が泣いているのを見ると自分も泣いてしまうので、出来るだけ平静を装っていたが、K君のお母さんもこの「やまびこの郷」でのプログラムに子どもさんと一緒に参加されていろいろ思うところがあったのだろうと思う。とても感動的な気持ちになった。城跡へ登る時も、魚釣りの時も、ハイキングで天瀧に行った時もずっとK君と一緒に来ておられた。K君は完全な不登校という事はないらしく、少し学校に行ってはまた休むという事を繰り返しているようだったが、本当に心配されるだろうなと思った。とても素直で、特に我が強過ぎる訳でもなく、本当に元気があって人懐こい子どもなのに何故、不登校になってしまうのかなと私は思った。お別れ会では毎回、歌を歌って終わる事になっているらしく、最後にSMAPの『世界に一つだけの花』を歌った。この歌が流行っている背景などについても私はいろいろ考えた。この歌が今、若い年代の子どもに流行する事と今の教育が抱えている問題も無縁ではない。
教育の問題、とりわけ不登校の問題は人間の心そのものに関わる問題なので本当に難しい。今回は、指導主事の先生方とお話しをさせて頂く時間を多く頂いた。一日目にお話しをさせて頂いた先生の質問に対して、私は一日目の活動をした感想として、会った2人とも不登校ではない感じがするという事を最初に言った。これはT君とK君にあっての私の率直な感想だったが、この先生が言われるのによると、最近は、「明るい不登校」「元気な不登校」が多いという事だった。ここ7、8年で質が変わって来ている感じがするということを言っておられた。昔の不登校の子どもは、学校が怖く、足がすくんで学校に行けないという感じがあったのに対し、今の子は気が向かない事はしないという、耐える力がなくなって来ている感じがするとの事であった。最近の子どもは耐えることが出来なくなって来ているとという事は一般的にもかなり昔から言われて来た事ではあるが、最近はその度合いが更に進んでいるのかもしれない。
必ずしも、「不登校=ひきこもり」ではないということは私もこれまでにも理解できていたが、最近は元気だが学校には行けなくなるという子どもが増えているらしいというのは意外な感じもする。では、子ども自身は明るく元気なのだからこの状態を良いと思っているのか、というとそうではなく実際には悩んでいる子どもが多いのである。ここが難しいところなのである。この先生のお話しによると、子ども自身も、8割はこの状態が良いとは思っていないとの事だった。力がある(何か能力がある、例えば体力がある)という事を認めて子どもに自信を持たせるのは学校の機能だが、学校の機能が低下しているので自分に肯定感をもてなくなっている児童生徒が多い事が不登校が増えている原因の一つではないかと思うという事を言っておられたが私もこの見方には説得力があると思った。
また、違った視点から見ると、不登校の裏にある社会の問題、親の問題、日本社会の成熟の問題があると思うとも話された。原因と結果のことを深く分析して考えていくと、戦後社会の問題もあるのではないかという事も言われた。私もこれには同感である。一人一人の心の中に起きる問題といえども、やはり社会全体と無縁の問題というものはありえないと思う。日本にだけ、不登校というスタイルもあるという事を社会全体が考える必要があると私も思う。最近ではこれから親になって子どもをもつ人に対しての教育を行なっていくという試みを提案している教育学者の人もいるそうである。これからの日本を考えると、今から子どもを生んで親になる世代を、子どもが不登校にならないように、教育しなければならないからである。確かに若い親に対する教育(というか心構え)みたいなものも今後必要になって来るであろう。何をどのように教育するのか、どんなプログラムを作るのか難しい面もあろうが何もしないよりは良いだろう。
また、副所長とのお話しでも、いろいろ考えさせられた。副所長は、今の学校でも、校長が本気になってやれば、不登校は9割は解決されると言われた。教育委員会-学校長-教師(担任)-児童生徒という流れの中で、どこに本当の問題があるのかという事である。副所長は、担任と児童生徒との関係は校長と教師との関係と同じだということを言われた。児童生徒との関係を作れない教師が多い事が不登校の子どもを放置している直接的な原因だが、では、何故に教師(担任)が児童生徒との関係を作っていく努力をしないのかというと、それは校長に問題がある場合が多いという事を言われた。校長が教師を指導できないケースが非常に多いのだという。校長と教師(担任)との間に良い人間関係が出来ていると、不登校は9割は解決されると言われた。
要はやはり先生一人一人の人間性、気持ちの持ち方が大きいのだ。大きなマクロの視野で見れば、戦後社会や親の問題になり、一人一人の子どもの心の中で起きている問題をミクロの視点で見れば、個別の心理の問題になり、ジワジワと漢方薬を効かせるようなやり方で、世の中そのものの価値観を変えていくか、子ども一人一人のカウンセリングを充実させていくかという、両極端な方法しか不登校の問題は解決出来ないのではないかと思っていたが、実際にはそこまで極端に考える必要はなく、少し工夫をすればいくらでも現場は良くなるのにそれが充分になされていないという事がやはり問題なのであろう。
また、「やまびこの郷」に入所した子どもがその後、どうなるかという事についてもお聞きした。全体的にいうと、「やまびこの郷」に入所した子どもは、約6割以上が、学校に通えるようになっているという事だった。ただ、これは、6割の子どもが、それ以前に比べて、学校へ行くことが出来易くなって行くという事で、一度、入ればすぐに「直る」というものではない。何回も繰りかえして入所し、少しずつ学校に通えるようになっていく児童生徒も多くいるという事だった。
一口に「不登校」と言っても、軽い子どもから重い子どもまで様々なので、その子どもの状況に応じて、何回も「やまびこの郷」への入所を繰りかえし、カウンセリングをしつつ、大人への信頼感や社会への信頼感を取り戻しつつ、少しづつ学校へ戻っていける子どもも多いようだった。だから、ここに来る子どもの状況も様々で、ここでの結果の出る時間のかかり具合も個々の子どもによって様々なのだと思う。しかし、6割以上の子どもは来る前とは違った状態になって行くとの事であるから、「効果」という事で言えば相当なものがあるなと私自身は思った。
片山副所長とのお話しで、いかにこのこの施設が強い思い入れをもって出来て運営をされているかという事が理解できた。「やまびこの郷」では様々な所に、先生方の子どもに対する眼差しに暖かさを感じた。先に食事がとても心がこもっていて、豪華だったということを書いたが、食器が全部陶器なのにも私は驚いた。その話しを副所長にすると、開所して、1年目で陶器の器にしたという事だった。食器だけではなく、至る所に心遣いが感じられた。子どもにまた来たいと思わせる雰囲気を作るように心がけているということを言っておられた。
また、テレビゲームは一切おかないという事にしているという事も副所長は言われた。テレビゲームは、不登校の施設でもおいているところの方が多いらしいが、「やまびこの郷」ではテレビゲームは一切おいてなかった。トランプやウノ、百人一首、人生ゲームなどの普通のゲームはおいてあった。これらのゲームは人間同志がまだ触れ合うが、テレビゲームは一人でもやれる上に情操教育の観点から考えて良いものではないからという事だった。
不登校生徒児童を減らすに当たって、一朝一夕に解決策があるわけではない。私は今回の研修を通じて、不登校の問題は、大きくは3つのスパンで考えるべきだと思った。1つは、先に少し紹介した試みにも通じるが、長いスパンで見た時の若い親やこれから親になる人への教育だ。大人に教育というのはする側の論理が何か傲慢な感じがしないでもないが、これからの日本社会全体を考えれば、これから親になる人に子どもをどう育てるかの心構えのような教育がされるのはいくらか意義にある事だと思う。
後の2つは現実的な問題だが、1つは学校経営の問題だ。先ほどの教育委員会-校長-教師(担任)-児童生徒という流れを考えるならば、個々の教師がもっと直に子どもに向き合えるようにするべきだであろう。そして、そういう状況を具体的に生み出すためには信念ある指導力のある校長が自分の考えを学校経営に活かしやすい状況を作り出していくための制度改革も求められるかもしれない。例えば、一部では実際に始まってはいるが、民間人校長を登用出来るようにするとか、若い校長が一定期間その人の信念にしたがって学校を運営するというような事を出来やすくするなどだ。
そして、もう1つはより現実に、全ての子どもに全ての担任教師が充分に向き合う事が現実的に厳しいのであれば、その状況を一先ず認めた上で、一人一人の子どもに木目細かく向き合う施設を作って、そこの職員(先生)は特に選び出された天分のある先生を担当にするということだ。この3つ目が「やまびこの郷」のような施設なのだと思う。本来、不登校の問題がなかったり、学校内で完全にしかも自然に解決できるようであれば、「やまびこの郷」のような施設は要らない事になる。「やまびこの郷」のような施設が創られているということは、今の学校の現実を(この場合なら)兵庫県が一旦受け入れたからであろう。兵庫県以外の自治体でも様々な試みが為されてはいるであろう。今後共、この問題に関心をもって研究をしていきたい。
「兵庫県立但馬やまびこの郷」ホームページ http://www.hyogo-c.ed.jp/~yamabiko-bo/
Thesis
Kenichi Yoshida
第22期
よしだ・けんいち
鹿児島大学学術研究院総合教育機構准教授(法文教育学域法文学系准教授を兼務)