論考

Thesis

松下政経塾大阪フォーラム 「生きる力を養う教育をめざして~地域の教育力を考える~」報告

1. はじめに

 今回の月例報告では、去る、12月7日、大阪梅田の『ホテルグランヴィア大阪』鳳凰の間において、財団法人松下政経塾の主催で開催された、松下政経塾大阪フォーラム「生きる力を養う教育を目指して~地域の教育力を考える~」についてのレポートをしたい。そして、最後にこのフォーラムを通して考えた事をまとめておきたい。

 今回のフォーラムは、今年度から、最終学年の塾生が責任者となって、それぞれの研修テーマに基づいて開くフォーラムの一環として開催された。私と同期の白岩塾生は、共に関西の出身である事と、切り口こそ違うものの、共に広くは「教育問題」をテーマとして塾での研修を行ってきたという経緯があった。このような経緯から、年度始めに、研修塾塾頭より共同で関西でフォーラムを開くのはどうかという案が提案され、我々もそれは非常に有り難い事でるあると思い、研修の集大成的な意味合いを持たせるフォーラムにすべく、二人で準備を進めてきた。

 今回のフォーラムは塾のある茅ヶ崎を離れ、関西(大阪)での開催であったにも関わらず、200人に及ぶ方々にお越しいただいた。学校教育関係者・行政関係者・教育行政の関係者・研究者・地域教育の実践者・学習塾関係者を中心とする方々に来て頂いた。若い方から年配の方まで世代的にも幅広く、多くの方に足をお運び頂いた事に心から感謝したいと思う。

2. 開催に至るまで

 開催に至るまでの事について、記しておきたい。当初、白岩塾生とこのフォーラムを計画し始めた時は、まずテーマをどのくらいまで絞るのかという所から話し会いを初めた。私はこれまで、自身の関心としては、道徳教育の問題、子どもをはじめ日本人の心の問題について主たる関心をもってきた。また、以前の月例報告等にも書いた事があるが、現在の教育システムの外で行われているフリースクールなどにも関心を持ち、研修を行ってきた。更に、現代の日本の大きな問題が、現れているのではないかとの観点から、私は不登校の問題についても関心をもち、民間のフリースクールや、自治体の運営する施設などでの研修も行って来た。

 一方、白岩塾生はその専門分野から、国際協力を推進する団体のリーダーを努め、主に若い学生への教育にあたってきた。白岩塾生はまた、人材育成と、一人一人が、今の日本の中でどうすれば、より「自分らしく」生きる事が出来るのかという観点からも様々な研修を行ってきた。共に広くは「教育」をテーマにしていたが、一つのフォーラムを開くにあたっては、テーマをより絞ったものにする必要性が出てきた結果、我々は、子どもの現状と、それを取り巻く「地域」というものをキーワードとする事にした。そして、子どもへの現状認識、子どもを取り巻く環境への現状認識などについて、絶えず議論を行いながら、二人の共通の問題意識を探って行った。何度も議論を重ね、開催趣旨についての話し合いを行う中で、我々は殆ど同じ問題意識を共有している事が分って来た。端的に我々の、問題意識を表すと、社会と子どもの接点が失われている事、学校と地域社会が切り離されて来ている事によって、子どもが広く「社会」から学ぶ姿勢をもてない状況になっている事、この状況を変える必要性があると思っている事などであった。その話し会いの結果出来たのが、下記のフォーラムの開催趣意書である。

開催趣意書

 子ども達の「生きる力」が失われてきている。多様な人間と交わりながら知識を高め、経験を深める姿勢、社会に関心を持ち共通の問題に目を向ける姿勢、将来に希望を持ち目標に向けて努力する姿勢が多くの子ども達から消えてしまった。

 コミュニケーション能力が極端に欠如し、社会の中で人間関係を構築できない子ども達が増えている。公の概念は失われ、「個人主義」や「自由」という言葉だけが一人歩きする。そして、夢のない中で、学び甲斐のない教育を経て、働き甲斐のない就職をし、生き甲斐を持たずに過ごす若者が増えてくる。国家として、人間として強く憂慮すべき事態である。

 原因として考えられるのが、教育の現場と社会との接点の希薄さである。社会から学ぼうとする教育環境や、社会で育てるというコミュニティー環境の双方が整備されていないのである。戦後の発展の中で、我が国の従来の地域社会は崩壊し、子どもを地域社会が一体となって育てるという風土が都市部を中心に失われてきた。その結果、近年のさらなる少子化、核家族化、都市化による子ども達と社会や異年齢層との接点の希薄さも受けて、改めて地域社会が一体となって子ども達を育てることの大切さが認識され始めている。

 では、このような現況を改善して行くためには何が必要なのであろうか。我々は現在、断絶されているかに見える「社会」と「子ども」を直接結び、社会全体が次世代を育てるという視点が世の中に広くもたらされ、具体的な取り組みがなされる事が重要だと考える。「教育」の主体は「学校」だけに留まるものではない。本来は「地域」という輪の中に「学校」と「家庭」という両者が存在すべきであり、学校が地域社会と接点をもちながら、家庭とともに地域の中で子どもたちを育むことが重要なのではないだろうか。

 そうすることで子ども達は社会の中に何かしらの関心を発見するとともに、「公」の概念を培うことができる。社会の仕組みがどうなっているのか、地域ではどのような問題が存在し、どのような取り組みがなされているのか、また世の中にはどのような職業があり、どのような苦楽が存在しているのか。その中で成人して生きていくためには何が必要なのか。世代を超え、分野を超えて子ども達が積極的に社会に入っていくことによって、またそれを地域社会が支援することによって、子ども達は知識見識を深め、ひいては「生きる力」を備えることができるはずである。

 本シンポジウムでは、以上の問題意識を踏まえ、地域の中で学校や家庭、地域の団体・個人がどのような連携のもとに子ども達を育てていくべきなのかを議論する。兵庫県のトライやるウィークの例に見るように、体験学習、奉仕活動は全国的な広がりを見せている。すでにその様な教育を実践している例を参考にしながらの議論を踏まえ、今後のあるべき姿を問うていくものである。

 趣意書が出来てから、我々は基調講演を頼む講師と、パネリストの人選に入った。基調講演は文化庁文化部長の寺脇研氏にお願いをする事とした。寺脇氏は。所謂、「ゆとり教育」の提唱者であり、最近では、文化による地域の活力の向上に取り組んでおられる。ミスター文部科学省とも呼ばれる方である。パネラーは地域教育に取り組んでおられる大阪青年会議所(大阪JC)の上村征司氏、行政と教育現場を両方知っておられる立場から元高校教諭で現在、大阪府教育委員会指導主事の松宮新吾氏にお願いをした。

3. 当日の報告

3-1.基調講演

 当日は、基調講演・塾生発表・パネルディスカッションという3部構成でシンポジウムを行った。寺脇研氏の基調講演のテーマは『ゆとり教育の真意』というものであった。これは、予め我々の方から頼んだテーマであった。周知のように寺脇氏は文部省時代に教育改革を先導し、所謂「ゆとり教育」を導入した人として知られている。そして、これまた周知の通り、昨今は「ゆとり教育」について反対・見直しの声が高まっている。先の総選挙で、民主党が週5日制を週6日制に戻す事をマニフェストに盛り込んでいた。様々な批判が出ている中で、寺脇氏はこの現状をどうみているのか、批判が出ている事を踏まえた上で、「真意」はどこにあったのかを語って頂きたいというのが我々の意図の一つだった。

 基調講演での寺脇氏の講演内容のポイントは大きく二つあった。一つ目は教育改革をどう進めるかの大前提として日本社会がどうあるべきかという議論が必要だという事であった。教育が何を目指すのか、子ども達をどう育成するのかは、将来に向けて日本がどのような針路を取るかによって変わってくる。教育は単なる手段であって目指すべきものは社会の発展である。まずあるべき社会論を議論し、そのためにどのような改革がなされるべきなのかを考えて行く必要があるという話しをされた。

 二つ目は教育改革が進んでいる現在、現場での改革が進んでいないのは「できない」からではなく「やっていない」からだという指摘であった。改革によって以前はできなかったことができるようになった、実際に改革を進めている学校も少しずつ増えてきている。現在改革が進んでいないとすればそれは学校側に大きな責任があるとする指摘をされた。それは直接的には校長や教師の責任ではあるが、要求しない保護者や地域の住民にも責任の一端はあるとする考え方だ。

 寺脇氏は「子どもは着実に次代に適用しようと変わり始めている、結局は大人が将来に対して責任をもって変わっていかなければならない」と指摘した上で、日本は近い将来に対してあらゆる選択が迫られるようになる、だからこそ「考える力」が今求められていて、だからこそ「考えるゆとり」が求められている。それがゆとり教育の真意である」と締めくくった。

 寺脇氏の話しは、狭義の教育問題にとらわれるものではなかった。これからの社会のあり方、そして、大人が価値観を変えなければならない事、考える事の重要さ、大人が考え、いろいろな価値を創造し、「文化力」を強めて行く事が重要という話しだった。「ゆとり教育」というとすぐに、狭義の教育問題で語られ、学校教育の話しのみに矮小化されるが、寺脇氏はより大きな視点から話しをされた。要は大人の問題であり、社会の問題、社会が成熟していくかどうかだという話しは説得力のあるものであったと思う。

3-2.塾生発表

 寺脇氏の基調講演の後は、白岩塾生と私が発表を行った。白岩氏は以下のような趣旨の話をした。夢に向かって頑張っている人達に対してよく放たれる「好きなことをやっていて良いな」という言葉に隠された心理的背景を分析すると(1)自分も夢を持っていて追求したいが、その環境(経済的、時間的余裕や家族の後押し)が整っていない、(2)自分にはまだ夢さえも見つかっていない、(3)好きなことなんて実現できるわけがない、自分だって追求したいけど、こんなに苦労している、などの理由から悔しさ、憤り、うらやましさなどがあるのではないか。だからこそ教育改革によって、義務教育で関心分野の発見や挑戦ができるように様々な体験ができる環境を整えてあげること、またその夢への挑戦に対して家庭、学校、社会それぞれが挑戦することの喜びを伝えるとともに、そのチャレンジを応援していける社会を築かなければならないと感じている。

 また白岩氏が主催しているCLUB GEORDIEという国際交流団体の設立時の体験を振り返り、当時は友人にさえも「そんなことできないよ」と笑われ、支援を求めた行政や企業、組織には「そんなお遊びにはつき合っていられない」と一蹴された話しを紹介された。こうした経験から志ある若者のこうした夢や挑戦に理解を示し、サポートまではできなくても応援する社会が必要ではないかと考えている。また活動を通じて子ども達が小さなきっかけで物事に関心を持つこと、それを家庭や学校がサポートしてあげれば子ども達はアクションを起こす可能性が大きいことを学んだと結んだ。

 また、最後に今は学校も地域も「お金がない、時間がない、情報がない」と言うけれど、実は各地に財産はたくさん眠っている。それが自然環境であったり、歴史文化であったり、人材であったりする。こうした「財」を活用することによって地域の教育力は強化されるのではないかと締めくくった。

 続いて私はなぜ教育に関心があるのか、教育の何が問題なのか、どのようにしてそれらの問題を解決できるのかの三点にしぼって報告をした。まずは私自身が小さい時に受けた教育を振り返り、「あらかじめ用意されたものを刷り込まれているだけで、それに対してどう考えるのかということまで教えてくれる先生がおらず不満だった」という事から話しはじめた。そして同じ様な境遇の子ども達を一人でも救済するために教師となり教育問題に取り組んで来たというような事も話した。

 続いて私が感じている現在の教育の問題を以下のように大きく三点述べた。一つには「豊かな社会」の達成後いかに生きていくべきなのかが分からなくなっている事、つまり何のための「学び」なのか、どの様な世の中にすべきなのかを議論することなく、すでに自明のごとくその「答え」が用意されているのが問題であるという私の考えを述べた。

 二つ目には現代社会が「子ども絶対主義」、子どもの自由を放任し過ぎている社会となってしまっている点についての疑問を指摘した。今までは地域が子ども達に道徳を伝授してきたが、最近はそれがなくなっているどころか学校で教えてもそれを試す場がない事が問題ではないかという事を話した。

 最後の問題点として持てる者が伸び、持たざる者がますます弱者となっていくという教育機会の階層化を挙げた。実はこの事はかなり話しをしたいと思っていたが、やや唐突になったかも知れない。この問題は「ゆとり教育批判論」の一つの有力な根拠になっているが、地域の教育力を考えるというテーマからはややはずれたかもしれない。

 最後にこれらの問題の解決のためにはどうすべきかについて私の考えを述べた。既存の単線型教育制度や早期振り分け型教育を見直し、柔軟性のある教育、いわば「一人で三種類くらいの人生を送るのが普通」という価値観を育ませる教育が重要だという事、また教育に臨む者として「こうすれば楽に人の上に立てる」という考えを改め、「好きなことを追求することで自分が幸せになり、社会が発展する」という考え方をすることが重要だと思うという事をも話した。ここは私が戦後社会のもっとも大きな問題だと思っている事でもある。いずれにしてもシステムを変えただけでは世の中は変わらない。人がどう変わるのか、その考え方や価値観を理解することなくして制度だけを変えても意味がないという事を最後に話した。これは会場に来て頂いた方々への問題提起をしたつもりであった。

3-3.パネルディスカッション

 休憩をはさんで、パネルディスカッションに入った。私はモデレーター(コーディネーター)を務めた。パネラーは上述したように、寺脇氏、上村氏、松宮氏、白岩氏である。私は、自身、モデレーターを務めたのは初めての経験であったが、個人的な意見は全面に出さないように、出来るだけ、パネラーの方々の一番言いたいことを引き出しながら、全体の議論を進めて行けるように心がけた。

 ディスカッションは、最初に寺脇氏の講演を受けてのそれぞれのパネリストの感想を尋ねるところから話しを始めた。上村氏は、大人が教育の当事者という自覚がないことは問題だと言う点に特に共感したと述べられ、松宮氏はどのような人間を創りあげていくのか、なぜこのような教育が行われているのかが集約されたような理念を打ち出すことが重要だという認識を示された。白岩氏は、改めて教育問題とは大人がどう変わっていくのかに収斂されることが多いと感じたと述べられた。

 大人が変わるという点に言及した白岩氏は「子ども達は変わった」という世間の批判に対して、例えば最近の子どもは夢がないと言われるが、子ども達に夢がなくなったのではなく、子どもの夢を摘む大人達がいるという意見を述べた。そして、例えば子どもが努力しなくなったと言うが、子どもが努力しなくなったのではなく、勉強以外は努力だと認めなくなった大人社会が悪いのではないかと提起した。

 松宮氏はそれを受け、子どもの夢実現のためには今後の教育にはゴールイメージ型の教育が必要だと説明された。※参照

  1. ロードマップ型:カーナビゲーションシステムの様に、ゴールまでの道のりを提示する教育手法。渋滞になると回避の指示を出したり、高速道路を利用するならどのルートが安いかなどを指示したりするように、先生がすべての指令を与える教育手法。
  2. ルートファインディング型:生徒が現在どこに居るかのみを示し、ゴールまでの道のりは生徒自身に探させる教育手法。
  3. ゴールイメージ型:生徒が今どこに居るのかも含めて自分で考えさせる教育手法。生徒に与えられているもの(学校、授業、教師など)を明示した上で、自らが考えながらゴールを求める。これにより生徒に考えるゆとりを与え、また教師にそれぞれの生徒に対してどの様なケアができるかを考えるゆとりを与える。
 上村氏は公立の学校は地域がどのように育てたいのか、そのために何をすべきかを考える必要があるとした上で、特に夢の実現の仕方を社会の中で学ばせることが重要だと付け加えた。そしてそのためには行政よりもむしろ地域が主体となって進めるべきではないかという意見を述べられた。

 寺脇氏は今の子どもはとにかくいろいろ考えている、ただ大人に言わないだけだと指摘された。「夢がないことを悪いと思っている子ども達がいるがそうではない。夢を持ちたいと思っていればいい。夢がなくてもいいと思うのは駄目だが、見つかっていないことは悪くはない」という意見を述べられた。

 また寺脇氏は教師や大人は夢を文学的に語らず、リアリズムで考えさせる必要があると指摘された。例えばサッカー好きの少年が中田英寿選手のようになりたいと語ったときに、可能性がゼロではないので「なれるわけがない」というのは嘘であるが、可能性が限りなく低いわけであるから「頑張ればなれる」と伝えることもまた嘘となるという。重要なことは夢の実現のために何が必要かを考えることであり、先ほど大人が夢をつぶしているという指摘があったが、夢を摘んでいるというよりはむしろ、子ども達に考えることをやめさせているという方が現状に近いのではないだろうかと指摘をされた。

 松宮氏はだからこそ「ロードマップ」型ではなく生徒に考えるゆとりを与えることが大事だと指摘する。自分で考え、自分で判断することこそが夢の実現につながるという持論を展開された。

 白岩氏は学生が夢のプロセスを表面的にしか受け止めないことを問題視する。例えば国連職員になるためには、どのような学歴や現場経験が必要かということは学ぶのだが、その裏に隠された努力や葛藤までは計算に入れていない。ただ単に必要な条件を揃えただけでなれると考えるのは甘いと指摘する。

 寺脇氏も現実的にあることはしっかりと教えなければだめだと同調された。中田英寿にはなれなくはないけど、そのためには何が必要かを考えないとだめである。そうすると結局勉強しなければならないということが理解でき、学校の勉強というのは夢の実現のためにあるのだということが理解できるようになってくるはずであると述べられた。

 続いて、テーマが「地域の教育力を考える」であるので、議論を徐々に「地域に開かれた学校」に移して行った。まずは松宮氏に大阪府の取り組みを紹介して頂いた。大阪府の中心的なプロジェクトは「学校支援人材バンク」の活用である。地域との連携は必要であり、それを進めて行くためには地域のどこに誰がいて、どのような能力を持っていて、どう活用するべきか、また学校側がどのような人材を求めているのかをしっかりと把握していくことが重要だと述べられた。地域の方々にしても教育に参加はしてはみたいが、学校が何を求めているのか分からないという現状もあるわけであるから、情報が双方向からリンクすることが大事だという指摘もされた。そのつなぎ役となる行政としては「情報を的確に伝えあう」ことが職務となるという事も話された。

 上村氏は大阪青年会議所が取り組まれている「根っこ学校」を紹介しながら、その過程で実施したアンケート結果(子を持つ親200名に実施)を紹介された。このアンケート結果では、家庭と地域の連携が必要と考えている親は大多数にのぼったが、その反面、双方連携がとれていないと回答した人は90%にものぼる。その問題を学校に素直にぶつければいいのだが、学校も地域も双方が構えてしまいうまくコミュニケーションが取れてないことがわかったと述べられた。青年会議所としては地域で何かしたいと思っている人たちの受け皿を作らなければと思っていると、今後の課題を説明された。

 白岩氏は地域に開かれた学校という言葉だけが一人歩きをしているが、施設開放やパソコン講習に留まっている学校が多いと指摘した。「学校は地域のものだ」という意識を住民がもつこと、またそのためにも常に地域住民が学校に集えるような環境作りを進めるべきであるという指摘をした。そして、具体的には、図書館の一般開放や祭りの共催などを進めるのも面白いのではないかと提案をした。

 寺脇氏は最後に地域の人間が学校を批判するということは関心を持ってくれている証拠であるわけだから、どうすれば改善できるかという観点に立ち、何ができるかを議論していくべきだと述べられた。地域住民が子どもに関わるのは面倒くさいことだろうが、本当は楽しいということを知ってもらうことが必要で、大人が考え体験すればそれは伝わるだろうとまとめられた。

 当初は、パネルディスカッションを終えた後に、会場から集めた質問表をもとに、質疑応答の時間をとっていたが、徐々に質問表が集まってきたので、私の判断で、ディスカッションを途中で切らず、質問をパネラーの方にぶつけながら、議論を進めた。以下のような議論を展開した。質問表は予め誰に対する質問かという事を書いて頂いていたので、バランス良く質問が出来るように、更に議論自体が一つの流れになるように組みたてて行った。

Q1.教育改革が進み現場の裁量が増えれば文科省のすべき仕事は少なくなってくるのではないか、また国家として教育により目指すべき人物像を声高に訴えるべきではないだろうか。

A1.寺脇氏:もちろん文科省の職務は縮小するし、それが望ましい方向であると考えている。国家が理想の人物像を確立すべしとの意見に関しては、理想の社会を国が決めるというのはもう時代遅れであるので、今後は首長を中心に地域性と整合した政策を進めていくべきであると思う。

Q2.国民は、政治家は選べるが教員は選べないという問題がある。この点については改善できないか。

A2.寺脇氏:教師も選べないことはないが、手厚く守られすぎてきたのは事実であろう。例えば高知県では知事の方針により教師が飲酒運転したりセクハラをしたりすれば一発で免職できることになっている。各地域で様々な取り決めはできるのではないか。

Q3.白岩氏の言う「日本には好きなことを目指す文化がそもそもないのでは」という問題提起には共感する。共同体としての義務があることで、「私も我慢するのだから君も我慢しろよ」という社会文化があるためだと思うがどうか。

A3.白岩氏:「保証」と「自由」は足して100であると考えている。好きな道で生きようと思えば自由度は90あるが、将来や仕事への保証度は10でしかなくなるので、ある程度保証は諦めないといけないだろう。逆に安定した家庭生活を過ごそうと思い、安定度を90求めると、自由度は10しか残らないので好きなことを追求するという道をある程度我慢しなければならなくなる。個人の幸福感、人生観の問題なので、どちらが良いかという問題ではないが、日本では保証を求める人が多いことが起因しているのではないかと考えている。

Q4.特色ある学校や特色ある教育が注目されているが、現場体験もないのに体験学習を指導している教師が多い。もっと厳しく教員の取捨選択をするべきではないか。また中学校では「特色ある学校」をどう考えるべきか。

A4.松宮氏:校長の裁量でできることが増えており教員の自己実現のできる場を設けることもできるはず。

Q5.寺脇氏:高校と中学ではそもそも「特色ある学校」の意味が違う。特色ある中学とは特色ある高校を選択する能力のある子どもを育てる学校であると考えている。

A5.上村氏:昔に戻らなければいけないという短絡的な答えではないが、昔は家族では補えないものが地域で補うことができた。コミュニティ力の強いところは今でもお互いに子どもの面倒を見合っているし、ノウハウが世代を超えて語りつがれている。その継承が大事だと考える。

寺脇氏:突拍子のないことを聞いてくる子どもに対してどうやったら説得できるかなど、子どもと接してみると考えることが多くなるので楽しいのだということを学ぶ必要があり、それこそが「文化力」である。母親や地域の人が、自分が変わる意志をもつかどうかが大事で、その意志によって人生は楽しくなる。

Q6.考えることは大事であるが、考えるもとは批判力や批判的思考力であると思うがどう思うか。

A6.白岩氏:日本では肩書き社会や学歴社会が根強く蔓延っているし、メディアの影響も大きい。その社会文化の中でいわゆる権力や信頼のあるものに対しては洗脳されたがごとく絶対的な信頼を寄せてしまい疑うことがない思考停止状態になっているのは事実であろう。

松宮氏:日本人に論理的思考力や批判力がないことは確かであろう。子ども達はプレゼンテーション能力を身に付いてきているし、ディベートによる学習などで説得力も少しずつは増してきている。しかし正解のない問題はとけないという現状がある。ちょっとした教師の努力、教え方によって、思考力は身に付くのではないかと思う。

上村氏:企業においても指示待ち人間が増えてきていると言われている。批判力は確かに必要だが、その批判をどこに向けているのか、何が目的なのかがより大事だと思う。批判すべきものに対してどう進んでいくのか、実現までの持続力、忍耐力などがさきに考えるべきものではないだろうか。

寺脇氏:批判力よりも「どういう社会を提案したいのか」という議論が大事である。そこには論理的議論が必要であり、そのためには接する人間(大人、教師、行政)が論理的でなければならないと指摘する。

 質疑応答が終わった後、最後にまとめの一言を各パネラーの方に話してもらった。以下の様にパネラーの方はこのシンポジウムを締めくくった。

<白岩氏>

 変わるべきは大人であるということの再確認ができた。世の中の人は気づかないうちに何かしらの業界人(政治、教育、学生)になっておりその枠の中から抜け出すことは非常に難しいと感じている。その視点だけで物事を計ろうとすると本質を忘れてしまったり、多様性が失われてしまったりして子どもの価値観が理解できないようになるだろう。

 地域の国際協力を観て感じたことを紹介すると三島村の事例が参考になると思う(以下URL参照)。熱心にジャンベ(楽器)を練習する子どもをみて、大人もバンドをつくり練習を開始する。これこそが生涯学習であり、地域で子ども達を育てるということではないだろうか。その環境が整った背景には離島独特の教育に対する危機感、政策決定の柔軟性、地域コミュニティの結びつきという強みがある。これらが特に都市部で失われつつある今、その結びつきこそが地域の教育力向上に対して問われているのだと思う。

<松宮氏>

 私は「It takes a whole community to educate our children」というステッカーを車に貼っていて常に地域の教育力については考えている。地域が学校の現状を知っているかというとよく分かっていない、学校も地域のことをよく分かっていない。やはりそれぞれの情報を正しく伝えていくことが今後求められているのであろう。学校が何をしているのか、何を求めているのか、地域は何がしたいのか、何ができるのか、これをしっかりと伝えあうこと、行政がそれを調整することが大事だと考える。そこから輪が広がっていくのではないだろうか。

 また地域住民が納税者意識を持つことが大事。納税者が満足しているかどうかの視点を教育従事者は忘れてはならないと思う。最後に「生きる力」の定義であるが、「我」をどう生きるか、と同時に「我々」をどう生きるか、どう生かしていくのかということも考えていく必要がある。その観点から地域の力を引き上げる、学校のもっているものを地域に還元することが大事。

<上村氏>

 地域の人間がまず当事者意識と自覚を持たなければならないと思う。未来の社会を創り出していくのが子ども達。その子どもの時間を地域の人が今借りていると思いながら教育を考えることが大事だろう。怖がらずに、面倒くさがらずに自らが関わっていって欲しい。子どもの元気な街は元気のある街にもなるので、子どもを元気にさせてあげるのも大人の力であると考えている。

<寺脇氏>

 考えること、そして考えることは楽しいということが分かれば社会は変わってくると思う。先生も考えると十分素敵な教育環境ができあがる。大人もそう。考えれば希望が生まれてくる。とにかくすべてのことについて考えたり、問題提起したりしていくことが大事です。

4. おわりに‐フォーラムのまとめ‐

 今回のフォーラムは「教育」という大きなテーマをどのように絞って議論を展開するか、何度も白岩塾生と打ち合わせをしながら準備を行った。200人近い方に会場に来て頂いた。多くの方にフォーラムに参加して頂き、パネラーの方々共も充実した議論が出来て非常に良かったと思う。お世話になった方々にお礼を申し上げたいと思う。

 今回は、「生きる力を養う教育を目指して~地域の教育力を考える~」というテーマで議論をしたが、考えれば考えるほど、「生きる力」というのは難しいもので重要なものである。教育を大きく捉えると全てはこの「生きる力」を付ける為という所に帰着すると思う。また、我々が何度も打ち合わせの中で話した事であるが、教育は元々、家庭・地域・学校が一体となって行われるものである。よく、家庭と学校が対立して考えられたり、またこの両者をつなぐものが「地域」というイメージで語られる事が多いが、実は「地域」の中に家庭も学校も存在しているのである。地域の教育力とはつまり、学校をも家庭をもつなぐより大きな存在である。社会が全体で子どもを育てると考えて良い。

 今は地域社会が崩壊したといわれて久しい。学校の抱える問題が学校だけの問題であるというように議論されたり、機能不全の家庭の問題も家庭固有の問題のように議論されたりするが、地域というものをしっかりと復興していけば、学校もそして、個々の家庭(の果すべき役割)も再生していくかもしれない。勿論、先に「地域」というものを再生させて、次に学校が良くなるというようなものではない。全てが全体としてうまくまわり出さなければならない。学校と地域の連携と言っても、学校がどういう状況にあるのか関心がない人ばかりが住んでいる地域ではなかなか連携は困難だろうし、全体という視点で見なければならない。「生きる力」「地域の教育力」とは考えを進めて行くと、まさにこの社会をどうしていくのか、そして、次世代を全員の責任でどう育てていくのかという大きな、そしてもっとも大きな問題に行きつくものである。

 私自身、教育がこの日本で最重要課題だと考えているが、それは別に他国に対抗して日本が「勝ち組み」になるために「優秀な人材」を生み出さなければならないというような昨今言われるような視点からではない。世の中そのものの繁栄とそこで生きる個々の人々が隣人や社会に対する安心感・信頼感をもてる世の中を創るという視点が一番大事なのである。いくら表向き経済が反映した国でも個々人が不満を多く持ち、不幸な国民が多ければそれは良い国(社会)ではない。また、誤った自由の概念をもって、個々人が好き放題生きても、社会として繁栄していかなくては、それは歪んだ社会で信頼感がない社会だ。地域と教育・個々の人間の生きる力をキーワードに多くの問題について考え続けて行きたい。

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吉田健一の論考

Thesis

Kenichi Yoshida

吉田健一

第22期

吉田 健一

よしだ・けんいち

鹿児島大学学術研究院総合教育機構准教授(法文教育学域法文学系准教授を兼務)

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