Thesis
先月の月例レポートでは、昨年の12月から1月にかけて行なった、神戸にある「ラーンネット・グローバルスクール」というフリースクールでの研修報告を書いたが、今回は、先月の月例で最後のほうに書いたように、主に不登校の生徒たちを受け入れている北海道夕張市にあるフリースクール「北海道自由が丘学園夕張スクール」(以下、自由が丘学園夕張スクールあるいは自由が丘と略す)での研修報告を書いておきたい。自由が丘には1月の末から2月の下旬まで約3週間滞在した。今月はここでの研修を通じて私が感じた事、更には「夕張」という地で感じた現在の日本の問題にも後に言及して月例レポートとしたい。
何故、今回、私は主に不登校と呼ばれる子どもが通うフリースクールでの研修を行なおうとしたのかについて最初に書いておきたい。私はこれまでから、様々な教育の問題を考えるにあたって不登校の問題についても強い関心をもってきた。「不登校」という言葉がマスコミ等で聞かれるようになってきたのは、ここ数年で、少し前には「登校拒否」といういい方がされていた。私が子どもの時はまだ「登校拒否」という言葉が使われていたのではないかと思う。そして、この頃使われていた「登校拒否」というのはとても特殊で負のイメージをもったものだったように記憶している。今では「登校拒否」あるいは「登校拒否児」といういい方はあまりされてはいないようだ。「登校拒否」という言葉が、児童・生徒自身が強い意志をもって学校に行くことを「拒否」しているというイメージであるのにたいして、「不登校は」、行きたくても何らかの事情があって学校に行けない子どもも含んでいる使いかたのように思う。
全国の不登校児童の数は、12万人とも13万人とも言われている。全く、不登校の問題に関心がない人にとってはこの数字はとるにたりない微々たる数字と思われるかもしれない。何だかんだとは言っても圧倒的大多数の児童・生徒は毎日学校に行っているではないかという反論をする人もいよう。私自身も、あまりにマスコミが大きく取り上げている記事を見ると、とりたてて、この問題を大きく取り上げる必要はないのかなと思っていた時もあったし、また、やはり「不登校」が正常で学校などに行っている方がおかしいのだ、というような極端な議論には自身が与出来ないところもあり、どういうふうに考えれば良いのかなとずっと思ってきた。やはり、学校が楽しいのが理想であって、学校に行かない事が「良いこと」だとなってはおかしいなという感覚が私にもある。しかし、私は今の学校が全ての子どもには対応しているわけではない事も実感として知っているので、ずっとこの問題は考えあぐんできた。
私が不登校の問題について考え始めたの理由の1つには、自分自身が子どもの時にそれほど学校が好きでも楽しくもなかったという事もある。私は登校拒否もせず、出来るだけ周りに会わせて、学校に行っていて、親にも心配をかけないようにしていたが、「学校的なるもの」にはあまり馴染めなかった。生き難さを感じる事が小学校高学年から中学生の時しばしばあった。その頃は学校が世界の殆どだから、逃げ出すわけにも行かなかったが、自分が求めているものはここにはないなと思った事は多かった。何と言っても、私は小学校1年生で習う歌にある「友達100人出きるかな…」風の過度な協調主義が苦手だった。私は協調できない子どもではなかったし、むしろ、過度に周りと協調する子どもであった。表向き友人も多く、どちらかというとクラスの人気者の時期もあって学校的なものには馴染んできた。また、長ずるにしたがって協調する力は益々ついて行った。が、いつも、心の中では浅い部分での友達作りを強要され、一人で深くものを考えたりする事を評価されない空気にはなじめないものを感じていた。画一主義に常に反発を覚えていたのだと思う。
勿論、常に不登校の事や、学校のあり方についてばかり考えてきたという事はないが、長く、学校に馴染めない子どもの事を考えて来たことは確かで、教育の問題を考えるにあたり、不登校の子ども達を受け入れているフリースクールにも是非行ってみたいと思っていた。何かそこには、現代社会の抱える問題の根幹の部分にあたるものがあるのではないかという気もしていた。私は不登校の子ども達とどれだけ近づけるか、というようなことも隠れたテーマにしながら研修をすることにした。
自由が丘学園の概要について書いておきたい。自由が丘学園夕張スクールはメロンで有名な夕張の町にある。廃校となった旧鹿ノ谷小学校の一角を借り、5年前から自主的な無認可のスクールをスタートしたが、平成14年10月からは家具屋だった場所を新校舎として活動をしている。現在の生徒数は中2から中3までの男女12人で、スタッフと共に寄宿生活を送っている。子供たちの出身地は様々で、夕張や札幌周辺からはもちろん、遠方から来ている生徒もいた。中には山形県から来ている生徒もいた。生徒たちは月曜から金曜まで自由が丘で過ごし、ほとんどの生徒は週末には家に帰るという生活をしていた。
スクール活動は午前9時から午後3時半まで。午前中に基本学習(国語、数学、英語)や総合学習を個別、またはグループで学び、午後からは体験学習(美術、音楽、演劇、写真、映像、パソコン、もの作り(工作)、クッキング、農業体験、スポーツなど)といった活動に取り組んでいた。夕張スクールに出席した日数は、在籍中の小・中学校においても出席扱いとして認められており、毎月、自由が丘から父母や学校宛に「出席簿」を、また学期ごとに「成長の記録」を送付しているということだった。
自由が丘学園のカリキュラムは大まかに、『基本学習』、『総合学習』、『体験学習』の3つに分かれている。基本学習は国語、数学、英語、社会、情報(パソコン)からなっている。国語以外の教科は3つのグループに分かれて学習していたがが、理解に差の生じやすい数学に関しては特に、その人の分かるところから学ぶことができる個別学習の形態をとっていた。1週間で、国語×2、数学×3.5、英語×3.5、社会×1、情報×1時間ずつの割り振りを基本としていた。
総合学習は、ある1つの教科に限定しないで、テーマごとにみんなで取り組み、さまざまな教科を学習するというものであった。社会と人間、友達同士の関係、人として必要なことなどを学ぶ『人間科』や、個人やグループで興味のあることを調べる『やってみる科』などがあった。体験学習とは実際に物を作ったり、演劇や音楽等を練習してそれを発表したりするものだった。教科としては、美術、音楽、演劇(表現科)、写真、映像、もの作り(工作)、クッキング、農業体験、スポーツなどがあるということだった。その他、定期的に訪問してくれる教育大生たちの授業や、保健体育などを教えにくるボランティアのゲスト授業もあるということで、私の滞在中も北海道教育大学釧路校の学生が1週間ほど来ていた。また、私自身ゲストで後に書くように授業なども行なった。
寄宿生活について書いておきたい。宿舎は元旅館だった建物を使っていた。3名の生徒は夕張及び夕張近郊の出身者で自宅から通学していたが、他の9名は札幌近郊や道内遠方および本州から来ているため、スタッフと共同生活を送っていた。私もここの宿舎に3週間ほど済み込ませてもらった。
寄宿生活の流れは、7:00 起床 7:30 朝食 8:30 登校(歩いて校舎まで行く)16:00 下校 18:00 夕食 22:00 就寝という流れになっていた。私もこの通りの生活をした。午後10時が就寝となってはいるが実際にこの時間に寝る生徒は少なくもっと起きている生徒が多かったように思う。寄宿生活のルールとしては、安全な共同生活を心がける、自分のことは自分でする、回りの人に迷惑をかけない、暴力、酒、タバコは禁止、寄宿生活において困った事があればミーティングを開き、みんなで話し合う、などのことが挙げられていた。寄宿舎ではスタッフと共に生徒が食事を作るなど、全寮制ならではの生活をしていた。
自由が丘の教育理念は、1.教科テストの点数や序列で評価をしない大きな教育観、2.豊富な探求や体験、多彩な芸術・表現活動のできるカリキュラム構成、3.自分で判断・選択し、自分で決定できる自立への支援、4.社会に学び地域の人々とのつながりを大切に、5.さまざまな個性を大切にし、学びへの意欲を育てる指導というもものである。
基本的な考えとして、学力テスト以外の自己表現力(音楽、踊り、絵画などの芸術領域、文章、対話やスピーチなどでの表現力)をしっかり認めるようにする、という事があり、そこから、自分を表現する力を広げる『表現科』、地球をみつめ人の生き方を真剣に語り合う『人間科』、北海道の自然や歴史から学び、労働体験を通じて世界的・人類的課題に目をむける『北海道科」などを科目として設けられていた。
また、学園生活に必要な決まりは生徒と一緒に作るというのも特徴的なことだった。学園の指導者は教師(スタッフ)だけではなく、地域の方々にも指導者になってもらい、学校の外へ学びの場を広げていくという考えも掲げられていた。
滞在中は、ほとんど、スタッフの方や子どもと生活をともにしていたが、私もせっかく来たというのでスタッフの方のはからいで、授業もさせてもらった。私は道徳教育に関心があるので、総合学習の『人間科』の時間を使って人生や生き方について何かテーマを設けてやれれば良いかなというようなことも初めは思っていた。何か哲学的なテーマを一つ定めて実際の生活をするなかで感じる問題に落とし込んでお互い話し合いながら進めるようなイメージをしていた。が、結局『社会科』の時間を使って1つのテーマでやらせてもらうことになった。前回の月例でラーンネット・グローバルスクールで「選挙」をテーマにして授業をさせて頂いたことを書いたが、スタッフの方との打ち合わせによって、また「選挙」をテーマにする事にした。
今回は3回シリーズで、一回目は世界の政治の指導者がどうやって選ばれたのか、また選ばれていないのかというような事について、小泉首相・ブッシュ大統領・金正日総書記などを比較しながら考えて行った。世界には選挙で選ばれた指導者とそうでない指導者がいる事、選挙で選ばれた指導者の中にも首相や大統領など制度の違いによって呼び方が違う事などを考えながら学んで行った。その課程で、民主主義・選挙の意味などについて考えた。更に、次の時間は生徒全員に「自分が自由が丘の主催者だったらどうする」というテーマで発表をしてもらった。そして、今回は選挙も実際に行なった。
ここで出てきた生徒達の「自分が自由が丘の主催者だったら」というテーマでの意見発表はなかなか考えさせられるものだった。好きなことだけをするというようなものもあったが、まさに、フリースクールとは何か、またフリースクールとフリースペースの問題に関わる事等本質的な問題が出た。私自身またいろいろ考えさせられた。どこまで自由にして、どこまである程度の型をはめるのかは常に難しい問題である。3回目はまとめ的な授業をした。軽く、選挙の意義など確認をし、この4月には統一地方選挙があるという話などした。自治体の長と議会との議員の選挙があるという話をしたがなかなかこれは二元代表制の意義などを伝えるのは難しかった。夕張でも市長選挙と市議選挙があるのでそういう話などもした。
子どもとの交流を通じて思った事を書いておきたい。はじめは、なかなかすぐには子ども達の全てと打ち解けたわけではなかったが、だんだん親しく話せる生徒も出てきた。そして、私は初めにもっていた、不登校児に対するイメージが誤ったものであると気づいた。私は不登校の子どもというのは、どちらかというと大人しく自己主張をするのが苦手で、大人しい子どもが多いのではないかというイメージを勝手にもっていた。そして、不登校とひきこもりの違いも正直、はっきりとは分っていなかった。ひきこもりというものがあり、その中で学校に来ない(来れない)子どもを不登校というふうにいっているのかという程度の認識だった。しかし、分った事は、不登校はひきこもりではないということである。
不登校の子どもというのはどちらかというと個性が強く、どこかすぐれた感性をもち、本来なれば様々な部分で活躍できる資質があるのに何かがきっかけで、今の学校に受け入れられなくなった子どもが多いのではないかと思った。今回、会った子どもが皆、そういう子どもだったからというわけではないが、話を聞いているとみんなとてもしっかりしていて、そしてなぜ、この子が不登校になったのだろうと思う子どもが多かった。特に協調性がないとかいう事もないなと思った。
自由が丘の生徒同志はとても仲が良かった。勿論、これはスタッフの方々の努力によって時間をかけてきた結果であって、初めから皆が仲良かったわけではないということは聞いたが、それにしても皆仲良くて良い感じだなと思った。元々行っていた学校に何故、馴染めなくなったのかはそれぞれの子どもによって違うし、事情を一般化することはできないし、また、今回出会ったすべての子どもに、そういう込み入ったことを聞き出すことも出来なかったが、私が思うに何か今の学校というものがある種の感性をもった子どもたちを受け入れることが出来なくなっているのかなという気は確かにした。力量のある教師がいなくなっているという事もやはりあるのかもしれないとも思った。この辺りは難しい問題だ。どこにも行けない(行かない)わけではなく、エネルギーもある子ども達が学校には行かない(行けない)というのはどういう訳なのだろうと思う。
授業や子どもと話す以外にも様々な事をさせてもらった。寄宿舎で食事などもスタッフと生徒が作っているが、休みの日には次の週の食材をスタッフの方と一緒に車で買いに行った。一面雪だらけの夕張の町をかなり離れたところまで車で買出しに行ったがこれは楽しかった。私自身も何回か食事を作った。松下幸之助塾主は一日でもあるところに行けばそこの人になって働けというような事を言っておられたのを本で読んだ事があるが、私はとにかく、そこの人になることを心がけた。入塾以来、海外研修や選挙研修また、いろいろな方へのインタビューや研究会への参加など様々なところに行ってきたが、私は今回の夕張での住み込みでの研修ほど「現地現場」という事を実感したことはなかった。
今回思った事は様々なことがあるが、不登校の事や今の学校のことを考えるにあたって、はっきりこれが結論だと言うことはない。様々な問題が山積する中で、どういう学校が理想かということもどうすれば不登校がなくなるのかという事もはっきりは分からない。また、今のような教育システムの中で不登校がまったくなくなることが良いことだとも私には思えない。せいぜい、選択肢が増えることが良い事だという結論しか出ない。ただ、ずっと感じたのは現場で一生懸命やっておられるスタッフの方々の熱心さに対する敬服の念だ。本当に奇跡に近いくらいに頑張っておられた。
こういう人が世の中にはおられるので、こんな世の中でも何とかなっているのだなと思った。なかなかこういう事はうまく表現しにくい事だが、世の中には何か天から仕組まれた使命のようなものをもって普通だったらとても出来ないくらいの事を自然にして人々に尽くしている人がおられるのだなと思った。制度的に言えばフリースクールは正式な学校ではないので行政からの補助は全くない。生徒の親が納める授業料だけが運営資金だ。自由が丘も経済的には本当に厳しい。それでも使命感をもってしかも別にそう肩肘はらず普通の感じでやっておられる方々をみると尊敬の念を持たざるを得なかった。
ここからは、直接、自由が丘での研修とは関係がないが、夕張滞在中に思った事を書いておきたい。今回の研修の目的は不登校児童を主に受け入れているフリースクールの実際がどういうものかを肌で知り、子ども達と触れ合うこと、フリースクールの主催者の方や先生方の信念に触れ、今後の教育の問題を考えるにあたっての私なりの考えをいくらか固めるためであったが、たまたま行った夕張という地で感じた事も、とても大きな事だったので、その事も書いておきたい。今回は地域研究という意味でもとてもいろいろ考えることがあった。
夕張滞在中には様々な方にお会い出来てお話をさせて頂く機会を得た。私は初めて、一定の期間、北海道に滞在したがここでは様々な事を考えた。これは内容的に多くの部分がメールマガジンの『TAO』に一度書いた事と重複することをお断りしておく。
夕張に行ってから、スタッフの方に連れられてJCの会合につれて行ってもらったり、JCのメンバーの方と道議会議員との懇談会に連れて行ってもらったりもした。また、様々な場面で、いろいろな人から夕張の政治・行政のこれまでの大まかな動きや産業についてのお話を聞かせて頂いた。周知のように夕張は、炭坑の街として大変、栄えたが、炭坑産業がなくなってからは人口が減る一方だという。最盛期で12万人くらいいた人口が今は1万5000人くらいまで減っている。炭坑が閉山されてからの主たる産業はメロンだけである。夕張メロンは全国的に有名で、ブランド力があるがメロンだけで夕張がやっていけるというものではない。店なども、夕張市のメインストリートで開けている店と閉まっている店が半々くらいでやはり何か活気がないなと思った。
様々な方々からお話を聞き、私は一体どうすればいいのだろうと思った。これという起死回生の策がないのだ。そして、財政が危機的状況で主たる産業もなく、しかし、合併も進まないというような自治体は日本に多くあり、ここの問題は特殊な問題ではなく、日本の地方の抱えている不偏的な問題だなと思った。多くの人は、また「しがらみ」についても語ってくださった。全国で同じような悩みをもった自治体があるのだなということを考え、いかにして地域を起こし、産業を興し、そこに生まれた人々がそこに暮していける状況を全国のいろいろな地域でつくって行くことが出来るかという事が今後の日本全体の活力につながってくる問題だと肌で感じた。
しかし、私は今回、初めて夕張に行ったのだが、とても夕張に対して親しみを覚え、良い印象を持った。上述したように産業もあまりなく、人口も減る一方で、さらに様々なしがらみがあって、なかなか市が活気を取り戻すような改革が進まない町ではあるが都会が失った良いものがたくさん生きているなという事をいろいろな場面で実感した。
夕張に滞在していた時に、今年で14回目を向えた「夕張国際ファンタスティク映画祭」というのがあり、この映画祭を盛り上げるための市民団体の活動を少し手伝わせて頂いたり、また、ある日は福祉施設のボランティアに連れて行ってもらったりもしたが、それらの場で感じた事はとても人々の繋がりが(勿論良い意味で)強く、皆が地元の事に対してとても関心をもっているなという事だった。
そして様々な局面で私が都市で感じる今の日本の荒廃したものの考え方とは違った素朴な前向きさ、良さが夕張には生きているなと感じた。日本はどこもかしこも同じような行動原理で人々が動いているように思うが、本当は必ずしもそうではなく、都会中心の考え方・感性と地方に住む人々との考えや感じ方にはいくらか違うところがあるのだという事を実感致した。
今は全てが東京一極集中でテレビも雑誌も東京的な価値観を全国に発信している。私はそれを見て全国が同じように病んでいるように感じていた。しかし、都市的ではない、別の日本にはまだまだ病んでいない部分もあるのだなという感じがする。病んでいない部分というか本来の日本人のもつ素朴さ、底力、まともな感じ方というのがもう少し復活し、病んでいる都市的価値観を問い直すような動きが起こって来て欲しいと思った。ここに最後に書いた内容は今回のフリースクールでの研修とは直接関係がないことだが、今後の日本のあり方、地域主権国家の問題、本当の日本とは何かなどの問題を考えるにあたっても重要な視点だと思うのであえて書いておいた。
『北の地に自由と共同の学校を~教育フロンティアの試み~』
(鈴木秀一 編著 自由が丘シリーズ 1)
Thesis
Kenichi Yoshida
第22期
よしだ・けんいち
鹿児島大学学術研究院総合教育機構准教授(法文教育学域法文学系准教授を兼務)