論考

Thesis

統一地方選挙活動報告―福岡県議会議員選挙での活動を通じて―

1.はじめに
今回の統一地方選挙で、私は、3月中旬から4月13日の投票日に向けて、そしてその後、約1週間の事後処理を含めて平山よしき塾員の事務所に入って活動を行った。今回はこの度の福岡県議会議員選挙での活動内容と今回の活動で私の得た事、反省点、感じた事をレポートしたい。事の性格上、あまり詳細に書けない部分もあるがそこはお許しを頂きたい。また、必要以上の自分の感想を書いている部分もある。これは読んで頂く方のお役に立ててばという気持ちからである。このレポートは研究論文ではないし、社会科学的なものでも価値中立的なものでもない事を最初にここで強くお断りしておく。政経塾の塾生で今後、自身の選挙を考えている方に何かお役に立てればと思う。

私は政経塾入塾以前も入塾後も今までに何回か国政・地方選挙の活動に関わった事はあった。しかし、これまでに関わった選挙と今回の平山事務所での活動は根本的に違っていた。今までは国政選挙等の大きな選挙であれ、地方選挙であれ、事務所の一部分としての活動であったが、今回はかなり全体的にものを見られる立場からの関わり方であった。政経塾生としての立場上、正式に事務長に就任した訳ではなかったが、実質的に事務長的な仕事をした中で多くの事を感じた。入塾した年の夏に参議院選挙があり、その時は20期生の島川先輩の事務所に行って研修を行なったが、街宣部隊の一員としてのみ働いたその時とは、かなり違う研修になった。

今回、私が事務所に入った平山よしき候補(以下平山候補)は塾の2期上の先輩塾生ではあったが、年齢は私が上なので今まで関わった選挙とは少し違う感じもした。また、福岡県春日市という知らない町での選挙ということで当初は苦労もあった。世話人の方々と話したり、様々なお願いをしたりする時に話が円滑に進むように市の地域がだいたいどの辺にあるのかというところからまず覚えなければならなかったりもした。

福岡に行く前に塾頭から自分の選挙のつもりで行って来るようにと言われていた。また、20期生のある先輩塾員からは政経塾生3年目での選挙は一番勉強になる、将来の自分の為にもなるので頑張って来て欲しいとの励ましを受けた。今回の選挙を手伝わせて頂いて自分自身の勉強になった事が多くあった。以下に情勢・結果・期間前・期間中の活動内容・反省点等順に記しておく。事実だけの羅列にならないよう、また、精神論や心構えだけにならないようバランスのあるレポートとしたい。

2.平山候補の出方・当初の情勢・選挙結果について

まず、最初に当初の情勢と平山候補の出方について書いておきたい。平山候補は今回、完全無所属のでの出馬であった。春日市と那珂川町を選挙区とする春日・筑紫郡選挙区で定数は2であった。選挙前の現職は自民2で、候補者は平山候補を含め5人であった。自民の現職2人に民主の新人(元春日市議3期で、前回県議選に出馬して落選)1人、平山候補を含め無所属2人でった。一回目の選挙で主たる支持基盤を持たず、完全無所属で定数2の選挙区で県議選に出馬するというのはなかなか厳しい選挙であるというのは、客観的に見ても容易に想像のつくことであった。本人に事前にお聞きしたところによると、自民党からも民主党からも公認候補としての誘いはあったという事である。しかし、自身の信念と春日・那珂川で出たいとの思いから、敢えて平山候補は出身地から無所属で出馬された。

選挙結果は残念ながら、以下のように落選であった。
当 渡辺 英幸 17262 自現
当 亀谷 正  12007 自現
  中村 孝三 11062 民新
  平山 喜基  7931 無新
  百武 滋敏  3247 無新

落選というのは、本人が一番辛いとは思うが、まわりのスタッフにとっても辛いものである。私も脱力感と共に改めて選挙というものの非情さを感じた。勿論、落選することが嫌なら初めから選挙になど出なければ良いわけであるから、いくら選挙が非情なものでも、政治や選挙に関わる人間は常に、厳しい覚悟が必要なものだと改めて思う。以前、島川塾員の参議院選挙の時にも思ったことではあるが、候補者たらんとする人間は、常に当選を目指して活動しつつも心のどこかで落選した時の事も覚悟しておかなくてはならないと思う。大袈裟に言えば、昔の武士が常に死を覚悟して戦場に出ていった覚悟のようなものが必要なのではないかと思う。勿論、それは落選覚悟で選挙に出なければならないという事ではないし、マイナス思考で悪い事ばかり考えてやるという事では決してない。常に勝算をもって、万全の準備をして事にあたらなくてはならないが、心の深い部分では常に覚悟が必要だという事である。

3-1.事務所での活動内容-告示まで-

ここでは簡単に3月中旬からの活動内容を順に記しておく。一つの資料としての価値を持たせるために、読んでくださる方のお役に立つかもしれないと思い今回、私が感じた事も少し書いておきたい。ここに記述する事は、選挙前に実際にこのような活動をした人なら皆経験的に知っている事であるが一応活動の記録として記述しておく。

3‐1‐1.戸別訪問
福岡入りして一週間くらいは、私も昼間は戸別訪問などを行なった。九州の方では「趣意書」と呼ばれる政策パンフレットをもって地図を持って一軒一軒家を訪問していった。今までにも戸別訪問をしたことはあったが、長時間やるとなかなかこれは体力的にも精神的にも厳しいものである。昼間は留守の家が多いが、インターホンを押してしばらくしても反応がないと何とも悲しくなってくるものである。段々、留守の家が多く続くと次も留守かという見込みで初めからポストに「趣意書」を入れたくなってくるが、そういう事はしてはいけないので、一軒一軒丁寧にまわって行った。細かい事を書いて恐縮だが、戸別訪問というのは、なかなか難しい。留守か留守でないのかをどれくらいの時間で見極めるかによって戸別訪問の効率がかわってくるからだ。留守と判断して「趣意書」をポストに入れて、次に家に行った瞬間におばあさんがゆっくりと出てこられたという事もあった。だから、私はインターホンをおして、反応がなくてもかなり長く待っていた。しかし、インターホンを押して10秒も何の反応もないとこれは留守すと判断するしかなく、次第に留守と判断する時間は短くしていった。この辺はまさに体で覚えて行くしかないのだろうと思う。

また、インターホンで応答してくださるが外には出てきて頂けないという方も多い。しかし、話し方一つが候補者の印象に影響し、引いては一票一票に影響すると思い、私は出来るだけ丁寧に話した。平山を好きになってもらうか、少なくとも何となく良い感じをもって頂かなくてはならないので、私は自分自身の戸別訪問の気持ちでやった。が、そうは言っても、ここは予定候補者本人がまわるのと他の者がまわるのとで少し違いが出るところだと思う。予定候補者本人だと、自分が本人であることを述べ、インターホン越しにでもいくらか思いを述べたり、出てきてもらう事が出来るだろうが、本人でないものが行って、インターホンで対応された場合、そこで用件をいうわけであるから、そこから敢えて出てきてくださいという事はいいにくく、また、自己紹介をした段階で出てきてくださいと言って、出てきて頂いてから、「趣意書」を渡すという事も難しくなかなか実際には難しい。極力、直接お話し出来るようにしたが、限界もあった。

余談だが、選挙に向けて日夜戸別訪問をしている人は毎日、ずっとこういう思いをしているのだなと思った。そして、私は、ここまでして選挙に出るのだから、どのような人であれ、世に「政治家」と呼ばれる人はそれだけでも尊敬に値する偉いものだとさえ思った。勿論、これは極端な考えではあるが、もっと政治家という仕事をしている人全体が社会からその大変さを理解されても良いのではないかとは思う。担がれて選挙に出て、周りが全部やってくれる恵まれた候補や、なり手がいないところで無投票当選する人は除き、自ら志を立てて活動を始めて、「政治家」になっている人は多かれ少なかれこういう経験をしているのだ。保守系の人であれ、市民派の人であれ、無所属であれ政党公認候補であれ、何党の人であれ、どんな信条をもっている人であれ、多くの熱心な政治家は日夜、地道に活動している。軽々に政治家をバカにするものではないと私は歩きながらつくづく思った。

3‐1‐2.ポスティング
また、夜は9時から12時までポスティングを行なった。候補者自身が、一日の仕事を一通り終えた後に、自らビラをポスティングする姿を見て、私は心打たれた。この時期はまだ夜になると寒くなかなか大変であった。しかし、昼間の戸別訪問に比べると、インターホンを押さずにただ、ポストにビラを入れて行くだけなのでそんなに精神的な大変さはなかった。ポスティングも簡単そうで実はなかなか難しい。やり方によって同じ時間でまわれる家の数が相当かわってくる。ポスティングも地図を見ながらまわったが、家をまっすぐずっと続けて入れて行く(道があってもそれを超えてずっとまっすぐに行く)ほうが簡単だが、実際にはブッロクごとに入れて行くほうが、後でどこをまわったかを確認し易い。

ポスティングは地域に知名度を上げるために非常に重要な手段だ。しかし、選挙区の大きさにもよるが、候補者が自分で全部をするのはやはり無理がある。今回は世話人の方々にそれぞれお住まいの地域を担当して頂いてかなり計画的にやったが、それでも世話人のいない地域はポスティング活動が薄くなってしまった。資金力があれば、ポスティングのプロの業者を雇うのも一つの方法ではあるが、なかなか、そうはいかない場合はかなりの時間をかけて小人数で行うしかない。この辺に候補者(陣営)の実力が問われるのだと思う。3月中旬くらいは、候補者と共に私もポスティングを行なっていたが、段々告示が近づいてくるとそうは行かず、何回かに分けて世話人の方に頼んだり土曜日に統一行動日を設け、今まであまり行けなかった部分に行ってもらったりした。それでも用意したビラを全てまく事は出来なかった。告示日前日までに印刷したビラを極力撒き切りたいと思い努力を重ねたが、結局かなりの枚数を残してしまった。

3‐1‐3.届出書類提出までの作業
告示が近づいて来ると、候補者説明会に参加したりし、その後は届け出関係の書類を揃えるなど事務的な仕事に専念して行った。私は選管への届け出書類の作成はなかなか煩雑なものではあると聞いていたが実際にやってみるとやはり大変であった。当初、私は届出書類など、ただ、必要事項を記載して提出すれば良いと思っており、わざわざ、事前審査がある事自体不思議なくらいだった。届出書類の重要性は認識しつつも、みな、随分大袈裟な事を言っているなというくらいに思っていたのだ。しかし、実際には事前審査一回でパスはせず、何回も春日市選挙管理委員会へ足を運ばなければならなかった。選管の担当者の方と顔なじみになり、1日に何回も足を運ぶ日が何日も続いた。

特に今回、困ったのは通称使用に関する手続きだった。これはあまり一般的なことではないので、今後選挙をする人の参考になるかという視点から考えると、取り立てて記述する必要はないかもしれないが、こういう事もあるという意味で記述しておく。実は平山候補の本名は「康樹」というが、政治活動を始められた時に、思うところあって「喜基」と改名された。昨年の6月に後援会活動を始められてからはずっと「喜基」を使い、ビラや配布物などでは「よしき」という呼称を使ってきた。そして、今回の出馬にあたって通称を「よしき」とする事を申請した。届出書類の作成段階ですでに本番中のポスターと選挙ハガキを刷っており、それらには「平山よしき」と印刷していた。ところが、この「よしき」の通称がなかなか認められなかったのである。

通称使用を認めるかどうかは、県議選の場合は春日市の選管に権限があるのではなく、福岡県選挙管理委員会に権限があるというので、何度も春日市選挙管理委員会の人が福岡県選挙管理委員会の人に電話をして頂いた。当初、福岡県選管は80%の可能性で「よしき」の通称は認められないという見解を出してきた。本番中のポスターと選挙ハガキを刷った後だったので、春日市選管の人からは「よしき」の「よし」の上の部分に「やす」という平仮名のシールを貼って「やすき」というポスターを告示日に貼れるように用意する事すら勧められた。通称使用には、戸籍名を仮名書きにする事も含まれる事になっているので、漢字の「康樹」を「やすき」にするのも、通称を使用する事になるので、「やすき」なら認められるとの事だった。この時点で私は、事の重大性には気づいてはいなかった。頼めば何とかなるだろうと思い、私は春日市の選管の方に何度も頼み込んだが、春日市の選管の方に頼んでもどうなるというものではなく、むしろ我々陣営の側が心配されるくらいだった。立候補の届出は戸籍名でしなくてはならないというのが基本であり、通称とは、本名に代えて本名以外の呼称で本名に代わるものとして広く通用しているものをいうという事で、この「広く通用している」というのが曲者なのであった。

選管の見解では、例えば前大阪府知事の横山ノック氏や、大橋巨泉氏くらいにその名前が世間一般に通用しており、その人を知っている人が、むしろその人の本名を知らないくらいでないと認められにくいという事だった。平山候補の場合、「喜基」と改名したのが後援会活動を初めた頃からだったというのがネックになった。従って、届出関係の書類ではじめは「平山よしき」と書いていたところを全て訂正印をおして「平山康樹」と書き換えて、事前審査の再審査にもって行った。通称が認められるには(漢字を仮名にするのはすぐに申請すれば認められるが)その人が社会でその通称で生活している事を証明する必要があり、ハガキや手紙、アパートの契約書などを提出しなければならなかった。しかも、そのハガキも後援会活動を始めてからのものは認められない、ビラやパンフレットのような政治活動で刷ったものは認められないという事で、何とか出来るだけ古い消印の私信(手紙・ハガキ)を選管に提出した。結局は「よしき」を使用する事が福岡県選管から認められたが、これはなかなか珍しいケースのようだった。春日市選管の担当者の人のお話しでは「喜基」はあくまでも認められず、「康樹」から「よしき」が認めれらたという事であった。どうも、おかしな話しだと思ったが、通称は一つしか認められないので「喜基」を認めるとポスターや選挙ハガキにに刷った「よしき」は使用できないという事になるので、一足飛びに戸籍名「康樹」から通称「よしき」が認められた。告示日が近づくなかでこの問題がなかなか解決せずに気を揉む日々が続いた。

通称使用に関する事は、予想外の事であった。これは直接届出に関係することではなかった。実際の届出書類を揃えるためにもいくらか時間を要した。届出書類を出すためには公費の関係で様々な業者との契約を結ばなければならない。選挙カーと燃料代、ドライバーの給料が公費で出るが書類を出すためには、ガソリンスタンドとの契約やレンタカーの契約、ドライバーをしてくださる方との契約など一つ一つこなしていかなければならず、これもなかなか根気のいる仕事であった。不思議なもので、完璧に仕上げたつもりで書類を選管にもって行ってもどこかに不備があり、その不備は単に文字の訂正ですむような事ではなかったりして、なかなか苦労をした。届出書類についてもスムーズに事を進めようと思えば、予め、選挙カーや燃料、ドライバーの契約など、候補者説明会の前から話しを進めて行くと良いと思う。こういう事は経験の豊富な候補者や選挙を何回もやっている人には当たり前の事なのであろうが初めて出馬する候補者と選挙事務長の経験者がいない事務所にとっては常に手探りであった。

3‐2.事務所での活動内容-告示以降
今回一通り事務作業の流れを理解できたことは大きな事であった。ここでは、一連の告示以降の作業について記しておく。知事選挙や衆議院選挙のような華々しい選挙ではなかったが、私自身は、身の丈にあったというと語弊があるがある程度全体の分る選挙で一連の事務作業の流れを理解できた事は良かったと思う。

3‐2‐1.選挙ハガキ
今回、選挙ハガキは8000枚出せるところ、10000枚刷った。余りを刷ったわけだが、実際には8000枚をどう出すかでかなり悩んだ。理想を言えば、8000枚出せる選挙であれば、20000枚のハガキを印刷し、20000人分書いてもらい、それを15000枚、10000枚、更に絞りに絞って完璧な8000枚を決定して出せるような体制にしなくてはならない。そのためには、事務作業の流れとしてハガキの事を知っているだけではいけない。8000枚出せるならそれまでに、20000枚のハガキを書いてもらえるだけの「実力」を事前に蓄えておかなくてはならないのである。

今回、平山事務所でハガキに関してはやはり悔いの残る使い方しか出来なった。どこにどれだけ出せたという情報を公開するのは問題があるので詳細については書かないでおくが、手持ちの名簿で出せたのは約半分の4000枚くらいであった。それに候補の自宅・事務所の近くの人に選挙人名簿で書いた分を入れて5000枚くらいだった。世話人の方に10人に1人50枚づつ持って帰って書いて来ていただいたりとギリギリの努力をしたが、結局最後は電話帳に頼らざるを得なかった。全てを後援会・同窓会などはっきり顔の見える宛先に出す事は出来なかった。次は平山候補はもっと実力をつけて選挙に挑まれるであろうから、選挙ハガキの使い方も大分改善されている事と思う。余談だが、自身が選挙を行なう事になった時はこういう事も初めから頭に入れて選挙をやって行きたいと思っている。つまり、本番で出来る事の度合いは本番になるまでの準備のいかんにかなりの部分で影響を受けるという事である。こういう事は本当になかなか実際にやってみないと理解出来ないことで、『統一地方選挙の手引き』などという類の本をいくら熟読しても書いてはないことである。

3‐2‐2.個人演説会
また、今回、残念だったのは期間中の個人演説会があまり開けなかった事である。当初、私は毎日、8時以降に個人演説会を開きたいと思っていた。そして、告示が迫ってきた時の世話人会で、期間中の個人演説会についての提案をした。各中学校で最低一回は個人演説会を開くというのが当初の目標だった。選挙本番期間中は選管の指定する公的施設(地域の公民館など)は無料で借りる事が出来るので、演説会の予定自体を立てる事は可能だったが、問題はどうやって人を集めるかという事である。名簿をもとにその地域の人に電話をするという方法もあるが、一番良いのは、世話人の人に一つ一つの演説会の責任者になってもらって人集め(地域への宣伝)を担当してもらう事だろうと思い、地域ごとに担当をしてもらう事にした。責任者になってもらった人にはその会場での演説会では弁士などもお願いしようと思っていた。しかし、負担が重過ぎるいう事と自分の担当の地域以外での演説会までは毎日行けないという事になり、期間中に一度大きな演説会を開こうという事になった。が、大演説会をどこで開くか、どの程度の人数を目標にするかというような事が懸案事項になり、実際には演説会は開かずじまいになってしまった。

今回は初めから、個人演説会用の看板やちょうちんは作っていなかった。正直、個人演説会にまで手が回らなかったという部分もある。勿論、必ずしも個人演説会を開く事が全てでもないし、夜の8時以降、マイクが使えなくなってからも駅で仕事帰りの人に挨拶をするという方法もあるので、夜の個人演説会を開くことのみに拘らなくても良いのだと思うが、これも選挙ハガキと同じで、選挙期間中に出きる事は、それまでに出来ていた事によるという部分では共通する部分もある。地域ごとの支持者を確実に固め、そして既に支持者になって頂いている人に更に新しい人を連れてきてもらい、本番中に支持拡大をしていくには個人演説会はやはり重要である。理想は告示までに本番中の演説会の予定と責任者まで決め、ある程度、どのくらいの演説会が開けるのかまで考えておく事だと思う。

3‐2‐3.電話作戦
選挙本番中に出来る事というのは案外少ないものである。ビラやパンフレットは一切配ってはいけなくなるので、極端に言えば、街宣と電話作戦しか出来なくなる。街宣は外を選挙カーがまわるので、事務所内で出来る事は電話作戦しかなくなる。その意味で、万全の電話作戦をできるようにしておくのも、本来は事前にしておくことである。しかし、今回の平山選挙では電話作戦は後半の4日間しか出来なかった。電話をつけることがなかなか事務所の予算の関係で出来なかったからだ。これは上述した「ハガキ」「個人演説会」のように動いてもらう人を増やすという意味でのな実力をつけるのとは違って、お金があるかないかという部分があったので今回については仕方がなかったと思う。後に少しだけ言及するが、やはりある程度のお金は必要だと思う場面が何回かあったが、電話をつけるかつけないでおくかが課題になった時につくづくもう少しお金があればなと思った。勿論、電話作戦を充実したものにするためには、レンタルの電話を多くつけるだけではなくて、名簿や、実際に電話をかけてくれる人を事前にどれでか確保できるのかという部分が大きな課題になってくるので、これも本質的には「ハガキ」「個人演説会」と同じで、どこまで準備ができるかで期間中に出来る事の内容・質がかわってくる。

3‐2‐4.街宣活動
選挙といえば、何と言っても、本番中の街頭宣伝活動である。事前から本番に向けての活動をしてきた候補者・事務所関係者にとっては告示の日になるとやっとここまで来たかという気になるが、世間一般の人から見ると、選挙が始まった事を認識出来るのは告示日からである。街宣を滞りなく行なうのもなかなか大変なものである。先に言及したように、ドライバーの契約やレンタカーの手配など、届出書類の関係で準備する事もあるが、ドライバー、ウグイス嬢の手配なども余裕をもってやっておかなくてはならない。今回はこれがギリギリになってしまった。何から何までしなければならない中で候補者が自分で本番の街宣カーに乗ってくれる人の手配からシフトまで組む事は無理だが、ある程度頼める人の目星をつけておくことは必要である。当初は本番中期間中の9日間朝から夜の8時まで一時も滞りなく走らせる事が出来るかも不安であったが、何とか乗り切れて良かった。

街宣というと、ルートを決めるのも重要な仕事である。予め、全ての日の分を作っておくのが、理想かも知れないが今回は一日ずつその日の夜に作って行った。一日の街宣が終わって候補が帰って来て、その日の反応や手応えなどを聞きつつ、森北九州市議の奥様と一緒に作って行った。二人とも春日・那珂川の地理を詳しく知らない者同士だったので、どの地域にどの程度の時間がかかるかが地図を見ただけでは分らなかったので苦労もあった。いつも2時から最後まで選挙カーを運転してくださったドライバーの方の意見なども聞きながら作って行った。地域に多くの後援者を既にもっており、厚い地盤をもっている場合などは早くからルートを確定させ、何日の何時頃にどの辺を通るかということまで決め、予め連絡をしておくというような事も出来れば良いのかもしれない。街宣車のスピードというのもなかなか難しいもののようだ。今回の選挙中に何人かの支持者の方々から電話を頂き、家の前を選挙カーが通ったので出て行ったがスピードが早くてすぐ見えなくなったという事を言われた。また、車が通ったようだったが早くて声があまり聞こえなかったという意見もあった。住宅地を通る時などはゆっくりすぎるくらいがちょうど良いのではないかと思った。特に後半はゆっくり目に走ってもらった。

4.今回の選挙事務所研修で思ったこと
ここからは、告示前から告示以降を通じて選挙全般で感じた事を書いておきたいと思う。事務作業やその事務作業を円滑に行なうために出来るだけ早くしておかなければならないと思われることについては上述してきので、ここではそれ以外の事を書いておく。

4‐1.選挙違反の可能性は常にある
今回活動を進める中で気づいた事の一つに選挙違反のおそれは常にあるという事がある。選挙違反というと通常、お金を渡して投票を依頼するなどという「買収」を想像する。こういう悪質な事はやらければ良いわけだから普通に活動をしていれば選挙違反などする危険性はないような気がする。しかし、実際には知らない間に選挙違反をしてしまう危険性というのは案外高いものである。特に知らないうちにしてしまうかもしれない危険性があるのが文書違反だ。今回、私が作成した挨拶や「出陣式のお知らせ」などの文書で少し危ない部分があった。選挙の期日を入れたり、「選挙」という言葉を入れた文書を作成してしまったが、これを告示前に不特定多数にばら撒けば、違反のおそれのあるところであった。実際には近所の不特定多数にばら撒いたり、不特定多数に郵便で送るという事もしなかったが、微妙なところであった。あらゆる文書には「事務連絡」や「討議資料」「内部資料」などという文字を右肩に入れ、特定のはっきりわかる人に出す(配布する)という事を徹底しなくてはならない。

また、「買収」というといかにも悪質で、選挙違反の代表で政治の汚い部分の代表のような印象さえ受けるが、実際には知らない間にしてしまっても不思議ではない事である。選挙で報酬を支払う事の出来る人数は決まっており、予め選管に届けるか、途中で新しく報酬を払う約束をして事務所に来ていただく人が決まった場合は、その都度、雇用する日を書いて選管に用紙を届けなくてはならない。事務員・車上運動員などの区別があるが、要するに報酬を払う人は皆登録をしなければならない。つまり、裏を返せば選管に用紙を出して登録した人以外は全員、まったくのボランティアで選挙活動に協力するという事になる。電話をかけてもらう人で、報酬を払う人とボランティアの人が入り混じっている場合など微妙である。少し(お礼程度)でも報酬を払うつもりのある人は、すぐにでも選管に届けないとこれも「買収」になってしまう。正真正銘の全くのボランティア選挙が理想だが、選挙後にお金を少しでも払う人がいる場合はその人をすぐに選管に届けなければならない。金権選挙とは無関係の貧乏で清廉な事務所であっても少しのミスで選挙違反をしていまうおそれは常にあるという事を心して慎重にやらなくてはならない。

4‐2.運動は満遍なく
今回の選挙を通じて感じたのは運動は満遍なくしなければならないという事である。選挙運動は候補者によってその人の得意な事に偏る傾向があるという事をある選挙関係のメルマガで読んだ。確かにそうだと思う。候補者によっては街頭演説ばかりしていたり、戸別訪問ばかりしていたり、文書での連絡やビラの完成度を上げる事に力を入れるなど人によって力を入れる部分の比重が異なってくるのは自然な事だろう。また、インターネットのホームページでの情報発信にとりわけ力を入れる人もいる。人間誰しも自分の得意とする運動スタイルにこだわるのは無理からぬところだ。しかし、やはり満遍なく運動は展開しなければならないとならない。

事前のポスティングや戸別訪問、駅での街頭演説は候補者が一人でも出来るものである。しかし、満遍なく層の厚い運動を展開するには人々の協力が必要となってくる。演説くらいは完全に一人で出来るものだが、ビラのポスティングやその計画を立てる事などは、段々、一人では限界が出てくる。ここで常に相談し協力を仰ぐことができる人々(世話人)を多く作ることが大変重要なこととなってくる。自分に代わって、いろいろ活動を展開してくれる世話人をどれだけ、選挙区内の各地域に満遍なく作れるかがどういう選挙が出来るかにかかってくる。その意味では平山候補は、事前から満遍なくバランスの取れた良い活動を展開しておられたと思う。今後、これまで続けて来た活動を継続的に層を厚くしていく事が大事だと思う。

4‐3.選挙は自分だけの闘いではなく「事業」
今回の選挙中お世話になった13期生の先輩である森浩明北九州市議会議員が、選挙は「事業」であるという事を初めに言われた。人間は独力で道を切り開いていかなくてはならないが、そうは言っても「政治」という常に人と係わり合いながら仕事を進めていく分野では、自分の力だけでは物事を進めて行くことは出来ない。いかに組織的にものを動かして行くかを常に考えなくてはならない。いくら候補者本人が熱意をもって思いや政策を訴えても、様々な活動を朝から夜までクタクタになるまで一人で頑張っても選挙は出来ない。しばしば、一人で朝から夜遅くまで活動をすると、こんなにやっているのに…とか、これくらいやれば良いだろうと言った気持ちになってくると思う。余程の小さな町の選挙ならともかく、県議選や政令指定都市の市議選以上の選挙であれば、個人で最後までは出来ないと思う。当初から一つの「事業」をするのだ、自分はその代表だという気持ちで、物事をどう組みたてていくのか、そのためにはどういう力をもった人がどの時期にどの程度必要かという事を初めから考えてやらなくてはいけない。この辺が選挙には戦略が必要だといわれる所以だろう。何も言わないのに最初から多くの人が勝手にボランティアでかけつけてくれると言うような甘い事は世の中にはありえない。少しずつ少しずつ自分のまわりで自分と一緒に動いてくれる人を増やしていく努力をするのが候補者にとってもっとも大事な事かもしれない。そのためにはなかなか難しい事かもしれないが、常日頃から誰がどういう才能をもっていて、どういう人間でどういう時期にどういう仕事をしてくれる可能性があるかという事をよくよく見ておかなくてはならない。人間を集める、特に気心が知れて自分と共に動いてくれる同志を集めるというのは、普通に考えて急には出来ないものだからだ。

4‐4.「何とかなる」では「何ともならない」事もある
これまであまり、言及はしてこなかったが、資金の問題も重要である。塾出身の政治家が初めの頃そうであったように、平山候補もまた、「地盤」「看板」「カバン」のいわゆる3バンない候補であった。3バンがないなかで志一つで立つというのが、これまでから今日に至るまで続いている政経塾出身者の一回目の選挙における闘い伝統のようなものである。カネのかからない選挙を行なう事は重要である。実際、殆どお金をかけずに選挙を闘って結果を残している人も多い。しかし、そうは言っても最低限のお金は要る。この「最低限」をどの辺りに設定するかは難しいところだ。

選挙の規模(府県議選・政令市の市議選・一般の市議選)にもよるし、選挙区事情にもよる。極端なことを言えば、府県議選でも、政令市の市議選でも無投票当選になればお金は要らない。従ってこの資金の問題は一般化出来ない事が多い選挙に関わる問題で特に一般化出来ない部分だろう。事務所も事務機器もみなタダで借りて、動いてくれる人も完全ボランティアなら告示以降は公費があるので相当安くあげることは可能ではある。まわりの人が、労働力の提供や事務機器の提供などでお金のかかる部分を負担してくれるのであれば、理屈の上では本当に一切お金をかけず選挙をすることも可能だ。

しかし、告示までの活動でもどうしても出て行くものはある。特にバカにならないのは郵送費などであろう。ビラを作るコピー用紙などもやはりどうしても日常的に必要だ。今回の選挙で何回か、何とかなると思ってやってきても、やはり何ともならないものだなと思う局面があった。いくらお金があれば、充分な選挙運動が出来るというものでもないだろうし、いくらなければ選挙は出来ないというものでもないだろうが、やはりある程度は初めにまとまったお金を用意し、どの時期にどのくらい要るかの概算を出し、足りない部分を人の厚意に甘えて、お願いしていくというかたちでやっていかなくてはならない。これも事前にどの程度の計画を立てる事ができるかで本番が近づいて来た時の活動内容に影響してくる部分である。

4‐5.自主自立の精神と衆知を集めること
今回私が一番感じたことは、「いかに人に頼めるか」という事の重要性である。これはいかに自分にかわって自分を広めてくれることを頼むことのできる人を増やすかという事と、その人達に対してどんどん、遠慮せずにものを頼んでいけるかという事である。ここの部分で平山候補は少し遠慮されている部分があったと思う。先ほども書いたが世話人の方々は選挙をやる上で本当に重要だ。地域ごとにお願いしてなってもらった世話人の方々には本当にお世話になった。しかし、世話人の方々にやや遠慮をされていた。政経塾の五誓の一番目には「自主自立の事」がある。これは選挙に出ようと思った塾生にとっても最も肝に命じるべき言葉だと思う。本当に選挙に出ようと思えば、人に頼ったりしていては全く事は進まない。どんな困難があっても何から何まで全部自分でやるというくらいの心意気は絶対に必要である。この部分については平山候補は間違いなく強いものも心の中にもっていたと思う。先に書いたように遅くまで一人でポスティングをされる姿には私は感銘を受けた。

しかし、上述したように、選挙は「事業」である。自主自立の心をもちつつも、衆知を集めて、次々の人々の意見を聞きながら、さらには自分の意向を固め人々を動かして行かなくてはならない。あまり、遠慮していれば人々は心の中で協力しようと思っていても自分からは動いてくださらない。普通は出来る事が多くある人でも自分からは動いてくれないものである。プライドが高くて人にものを頼めないのは論外だが、性格的に遠慮をするので、なかなか人にものを頼めない人というのはいるであろう。平山候補は少しそういう部分のある人だった。また、これを書いている私も、正直のところ、そういう人間であり、負担の多い事を世話人の人に頼むのに躊躇する事が何回かあった。しかし、上述したように、頼まれて人は始めて実行段階に移行する事が多い。自身がものを頼むのが苦手な性格の候補者なら自分に代わってものを頼んでくれるような側近を持つ事を考えるのも大事な事かもしれない。また、頼む前には「決める」という事がある。ポスターを誰にどこに張ってきてもらうかという事等、まず、決めないと話しが進まない。いかに人に気持ち良くものを頼むかというのは選挙で一番大きな部分かもしれない。頼んだ事をやってもらえば心からお礼をいうのは当然の事であるがこの辺りもなかなか常に心していないと難しい部分であろう。

要は総合的にその人のもっているものが様々な局面で問われてくるわけであり、自分に欠けている部分や苦手とする部分がある人は自分の代わりに自分と違った能力・才能・雰囲気をもっている人を身辺において全体を動かしていく事を考えなければならない。これこそが候補者のする事だろうと思う。そして、それが自分で出来れば、候補はその上に乗って行けるようになるのである。常に塾主は衆知を集める事の重要性を説かれたが、最後の責任は自分にあるという強い気持ちを持ちつつも何もかも自分でやってしまおうなどと思わない柔軟な考え方を持つ事が大事だという事であろう。

今回は組織選挙ではなく、全くの無所属選挙だったが、政党公認で出る場合や、無所属でも多くの団体からの支持を受けて出る時には、この衆知を集めることはもっと大事になってくるであろう。悪く言えば使えるものはみな使う、少しでも得票につながる可能性は全部追求するという意味でも、多くの人(その人が代表したり影響力をもつ団体やつながり)の意見を聞きつつ全て活かすという貪欲さが必要とされると思う。今回は支持団体との付き合い方や活かし方という部分については実際になく、あまり意識することもなかった。

5.おわりに
出馬して議員になるという事はいかなる場合でも簡単な事ではない。議員として活動していくのに必要な資質と選挙に勝つために必要な力はまた別である。議員としての活動には政策立案能力など知の部分も多いに問われるが、選挙に出て当選するのに理念や抽象的な政策内容は問われても、政策立案を実際に行なう能力があるのかないのかが問われる事はまれであろう。しかし、個人として問われる能力は勿論ある。すぐに思いつく例を挙げても、演説の上手さ、人を魅了する人間性などといった個人的な力は常に重要である。しかし、当選にはそれだけでは足りない。資金力など、個人の努力では急には如何ともしがたい事も含めて総合的な力が必要である。どこまでが個人の力でどこからが個人を超えたものの力で選挙結果が決まるかは一概には言えない。大きな組織の上に乗って出れば、個人としての政策能力・見識・魅力がなくても当選する事はよくある事だ。

あらゆる要素が複雑に絡み、あらゆる事がそう簡単には一般化できないのが選挙である。そんな中で、私は個人の努力で何とか出来て、そしてより外的な状況を良くしていくにあたって必要な力の一つに「どこまで泥臭い事に耐えられるか」という力があると思う。候補にとって政策は勿論大事である。また、その政策の前提となるより大きな理念が重要なものである事は論を待たない。しかし、選挙で当選するためには、そういうものをもつだけでは足りないのではないだろうか。

どれだけの人のいう事を黙って受けとめ、そしてどれだけの泥臭い事にも耐えられるかという、理屈や知性だけでは対処できない事に対して対応する力も大きく問われる。何も私は、全ては人間関係だとか、政治なんて泥臭いものだというような事が強調したいわけではない。私は下卑た人間や、人間なんて所詮はみな自分の利害だけで(それも目先の小さな)動く下卑たものだという人間観を前提とした政治観が嫌いである。私は泥臭いものを全肯定する訳ではない。ここで言いたいのは、政治(選挙)は小賢しい理屈を超えた大きなものを全て許容する人間でないとなかなかできない仕事だという事を改めて確認したいのである。

ドライな人間や理屈でしかものを考えられない人間は、政策研究や政策立案はできても「政治」には向いていない。日頃の思考においては理屈や理論で考える事を大事にし冷静さを常に保ちつつも、基本はどこまで行っても泥臭い、生の人間の中で生きていくのだという覚悟と胆力がないとダメである。これは松下塾主がいわれる、人間把握の大事さ、人情の機微を知る事の大事さという事にも通じる。東洋の指導者というものはずっと有史以来そういう事を理解して実践してきた。それは別に論理的な思考無視した政治をするというようなものではない。今の日本がどう仕様もなくなっている理由の大きな部分は要するに指導的立場にある人間が人間把握を出来なくなって来ているからだと私は思っている。みな、制度の枠組みでしか人間・社会を見られなくなって来ているからだ。そういう意味で、私は、より一層「泥臭い」事に耐える力、同じ場所にいてもそれぞれ異なる思いを持ち、ぶつけてくる様々な人を正面から受けて、その人を納得せしめ味方に出来るような人間性を身につけ、塾主の言われる「ゴツゴツした名人」になれるように今後も修行に励んで行きたいと思う。

今回、お世話になった全ての方々に本当に感謝をしたいと思う。ご両親のお気持ちはいかばかりかと思う。候補のお母様は、毎日事務所で運動員のお弁当の世話などして頂いた。また、期間中の運動員のジャンパーやウグイス嬢のサンバイザーなどの手配をして頂いた。お母様は本当に大変だったろうとお察しをする。政治を志した自分の子どもが選挙に出るというのはどういう気持ちなのだろうと何回も思った。4月4日の出陣式の時、候補のお母様が後ろの方で泣いておられた。後で話しを聞いてみると、自分の息子が出陣の演説をしているのを見て、子どもが立派になったというのでうれしいのが半分と、大変な世界に入ってしまったのでどうしようというのが半分で感慨無量になり胸が一杯になって涙が出てきたのだと言われた。私もそれを聞いて何とも言えない泣きそうな気持ちになった。家族の協力というものは本当にあり難いものであり、必要なものである。

また、スタッフの方々や世話人の方々は本当に皆、素晴らしい方であった。私がいうのも僭越だが本当によくやってくださる素晴らしい方々であった。平山候補の人柄と志の高さを理解した上で選挙の仕事をそれぞれの持ち場で手伝ってくださった。もともとお金や利権に無縁の若い無所属候補である事を承知の上で事務所に来て下さった方々である。今後平山候補が政治活動を続けて行くにあたって最も頼りになり、今後も助けてもらう事になるのが今回、無償で様々な局面で助けてくださった方々だと思う。

最後に、平山候補にも感謝をしたい。私自身、なかなか、かゆい所に手が届くような働きぶりが出来たかどうか不安である。あまり口数が多くない平山候補ではあるが、随分気を使って頂いたと思う。車での移動をする時やフトした時に、様々な場面で気を使ってもらっているなと感じた。このレポートでは自身への今後の戒めの意味も含めてやや不愉快に思われる事も書いてしまったかもしれない。平山候補の次に向けた闘いの健闘を祈念しつつ、また自らの今後の人生においてこの度の経験で得られた事が活かせるようにする事を誓ってこのレポートを終わりにしたい。

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吉田健一の論考

Thesis

Kenichi Yoshida

吉田健一

第22期

吉田 健一

よしだ・けんいち

鹿児島大学学術研究院総合教育機構准教授(法文教育学域法文学系准教授を兼務)

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