論考

Thesis

シドニーの小学校教育

4月30日から18日間、オーストラリア、シドニーの小学校教育の調査に行ってきました。
もともと、自分が小学2年生まで受けたオーストラリアの教育と日本の教育とのギャップにショックを受けたことに由来するテーマ設定だったので、目的を以下の二つとしました。

一つには子供心に「質が高い」と感じた教育の、どこがどう良かったのか、という原点の確認と、その教育が15年経った今でも日本の小学校教育にとって何らかのモデルを提供しうるのか、ということの見極め。
二つめは,その「質の高い教育」はどういったシステム、法律のもとで行われているのか、ということの検証。

前者の目的のため、自分が通ったバーモントロード小学校に1週間通いました。後者の目的のためには、オーストラリアの教育は地方分権が進んでおり、州ごとに異なる、という事情があるので、シドニーの位置するニューサウスウェールズ(NSW)州の教育省、学校庁、教員組合などをメインにまわり、国の政策については首都キャンベラの雇用教育省などで話を聞きました。

  ここで見聞きしたこと、感じたことを今月の報告としたいと思います。

1、時間割のない学校

  バーモントロード小学校には科目を定めた時間割はない。NSW州の小学校も50年前 くらいまでは厳格な時間割に則って授業をしていたが、環境教育、コンピュータなど新し いカリキュラムの要請が増えるに従い、科目を統合する必要がある、ということで、つい には今のように何も決められていない形になったそうだ。

 そのため、各時間に何をやるかは、担任の先生が全て決める。大抵の場合、国語、算数、といった分け方ではなく、例えば「宇宙(5/6年生)」とか「ソーラーパワー(3年生)」とかいった大テーマを一つ決め、それに国語的な理解や表現の訓練、科学的な知識 の習得、図工的なお絵描き、といったことを絡めていく方法をとっている。

 その、所謂クロスカリキュラムの授業を初めて見た、というある日本の先生の感想は、 「今までは、社会の授業の中で何かを書かせたとき、その子の字がいくら下手でも、文章 がいくら変でも、ここでは社会の内容だけを見て、字や文章のことについては国語で評価しなきゃ、と必死に考えてきたのに、こういう総合的に見られる方式を知ってびっくりし ました。」聞いていたこちらもびっくりした。

 すぐに実践研究審査会のプレゼンテーションが頭に浮かんだ。実社会では、いくら内容が良くても、それを人に伝え、説得する技術がなければ役に立たないし、逆もまた然りだ。生きて、働いていくことからかけ離れた「学校の論理」で不自然な教育をすることは、 もう止めるべきではないだろうか。

 現在、日本の小学校では、このクロスカリキュラムの手法が注目を浴び、競って研究されているようだ。これに対し、英国女王の諮問機関の報告ではこの手法に否定的な見方が 提出されている。要約すれば、「子供の興味関心を育て楽しく学ばせるには都合が良いが 子供に筋道立てて物を考えさせることには向いていない」ということである。

 実際、バーモントロード小では、算数だけは独立した科目として扱われていた。また、この手法の欠点を補うため、3年生以上の学年ではDevonoによる「6つの考える帽 子」という思考力訓練法を多用していた。

 カリキュラムの内容、思考法や学習メソッドなどの導入は全て学校単位で独自に判断して導入され、そのための専門インストラクターの報酬なども、学校予算の中から支払われる。

 「こうした自由なカリキュラムが成功するために必要なのは、バランスよく物を考える ことができる有能な教師です。しかし、まだこの州の教師は、十分な能力を持っていると は言えないと思うのです。」(NSW州学校庁長官 サム ウェラー氏)

2、教師の質

 ウェラー氏はこう言うものの、私自身には、オーストラリアの小学校の先生の質は、日 本の先生よりも平均してかなり高く、ばらつきが少ない、という印象があり、その感想は今回の訪問を通じても変わらなかった。ここで質というのは、指導力、こどもの能力を見 抜き伸ばす力、教育姿勢、柔軟性、その人自身の人格,といったことである。

 その質の高さはどういう養成、採用、研修を通して保たれているのかに興味があった。
  一番のカギは、教育実習にあると考えられる。

 ちょうど私と同時期に、シドニー工科大学教育学部の学生達が20人ほど、小学校に教 育実習に来ていた。彼らは4月に入学したばかりの1年生である。二人ずつ各クラスに入り、自分で企画した「地球環境について(5/6年生)」や「母の日のカードを書こう( 1年生)」といった授業をし、各担任に評価レポートを書いてもらう。

 最初の週は月、火、水だけ小学校に通い、木曜はその成果を大学に持ち帰る。そして担当の教授(当然と言うべきか、教育学部の教授は全員教職経験者。「教師になる人を指導する者が教師経験がない、などということは考えられないことです。」教育学部長 クリスティーヌ ディアー氏)に相談したり、他の小学校に通う仲間と意見交換したりする。金曜は次週の授業の準備。

 二週目は月曜から木曜まで小学校に通い、金曜のみ次週の準備。

 三週目、四週目になると毎日学校に通う。

 彼らは半年に一度、1ヶ月間ずつ、3または4年(めざす学位によって異なる)にわた ってこの実習を経験する。つまり、一人6~8回、教育現場での実習を行う、ということになる。

 この教育実習によって教育の伝統が脈脈と引き継がれているためか、15年ぶりに訪れ た小学校も、人が総入れ換えになったにも関わらず、そして政権党の交代による影響をま ともに受けているにも関わらず、雰囲気は全くと言っていいほど変わっていなかった。教師をつくるのは、なんと言ってもその人自身が受けてきた教育なのだ、という印象が強く 残った。

  教育学部に入学するには二つのパターンがあり、一つは州の高校生共通テストで85点 以上くらい(因みに一番高得点が必要な医学部、法学部で95点位)の点数を獲得すると入学資格が得られる、というもの。大学予算の関係で、面接はない。ただ、教育実習のノルマがきつく、かなりの情熱と適性がないと6~8回もパスできないので、日本のように偏差値がちょうど教育学部に入れるくらいだったので教師になった」、などというパターンはありえないとのこと。

 もう一つは、社会人入学で、英語、数学の試験と面接により選抜される。
 大学のコースを終えることができた者は希望すれば全員、求人のウェイティングリストに載る。大学の成績と教育実習の評価の総合得点が高かった者は、優先的に高順位になる 。現在は少子化に伴い教師の職が不足しているが、2000年ごろには志願者の減少と定年退職者の増加で、教師をカナダから輸入するようになる見通しとのこと。(この試みは 1970年代に既に一度実行された。)

 NSW州の教育で現在最も問題になっているのは、12%のベアを求めての教師の賃金ストである。今年に入って既に10回ほど、ストで学校が休みになったり一時停止になっ たりしたという。州政府の方は財政赤字削減のため、予算の25%を占める教育予算を削 らないとどうしようもない、ということで、むしろリストラの方に動いており、双方の主 張がかみあわずに泥沼化している。

 この賃上げ要求の理由とされているのが、教師の社会的地位向上の必要性だ。30歳前 後の所謂知的労働者の所得が年間5万~6万ドルであるのに対し、教師は最高でも42600ドル(1ドル=85円位)で、そのためどんどん志望者が流れていってしまうという 。日本の都市部と同じ現象がここでも起きている。

 ただし、日本では、田中首相が教師の賃金を大幅に向上させた後、高い給料めあての教 師志望者が急増し、そこから教育の荒廃が始まったという説もあるが、と問いかけたとこ ろ、NSW州教職員組合の研究員は、「確かにそういう可能性もありますが、、、。」と 言葉を濁してしまった。

 このストの多さについては、現場の教師たちも心を痛めており、教員組合の方が当初の目的を忘れてヒステリックに先走っている、というのが大方の見方であった。

3、コミュニティとの関わり

  もう一つ、学校の質の向上に大きく貢献していると思われるのが、地域に開かれた学校 形態である。
 個別指導のため、安全のために複数の大人の手が必要な授業では、都合がつく父兄がボ ランティアで指導する。その父兄が連れてきた就学前の幼児が教室内をうろうろしていても平気である。

 3時に学校が終わる頃には、迎えの父兄達がぞろぞろ学校内に入ってきて、自分の子供 のクラスを覗く。

 父兄がことあるごとに持ち寄りの品でバザーやケーキフェアなどを開いて資金を集め、それで学習用のコンピューターを買い、インストラクターの先生を雇う。

 どんな素人であっても、外部の大人の目が教室内、学校内に入ることによってどれだけ の緊張感と向上心を教師に植え付けるか、ということは自分が色々な学校をまわっていて 最も感じるところである。

 日本の学校でも、地域との結び付きを深め、閉鎖性を取り除いていくことによる効果は かなり大きいはずだ。それを確認するために現在私は千葉市の開校間もない実験校に通っている。

4、学区の自由と学校経営

 NSW州では、1979年に制度改革があり、小学校選択の自由が本格的にもたらされた。
 学区そのものは残され、その小学校の位置する学区の者は希望すれば優先的に入学できる。その希望者を全員受け入れた上でまだ定員に空きがあれば、他の学区の者も通うことができる。

 この学校選択の自由が導入された理由はまさに、親たちの「学校を選びたい」という声 、世論の力にあった。
 この国では、政治の教育に対する影響力は非常に高い。政権党が変わると、教育省の人 事が大幅に変わり、システムが変わり、学習要綱が変わる。ダイナミックに改革できる一 方で、政治的権力闘争に教育現場が巻き込まれる、という側面もある。現場の教師達は「 いつでも、政治家が予想だにしない影響が現場に出て、混乱に陥るんだ」と憤慨していた。

 学校選択の自由化については、有権者の希望がとりいれられ、殆どの学校で質の向上に 寄与した、ということで、批判的な声はあまり聞かれなかった。

 少数意見として挙げるとすれば、学区外からの遠距離通学に制限を設けなかったために 、バス通学などの費用の負担が州財政を圧迫したこと。しかし、これには近い将来、法改 正で距離制限が設けられる。

  そして、私が話を聞いた人々は直接の言及を避けていたが、やはり、新しい移民が多く 学力レベルの劣る地域では、選択の自由によって他の学校との差が徐徐に拡大しているよ うだ。アファーマティブアクションの必要性についてはもともと危惧していたところでは あるが、もっと沢山のケースを見て対策を考える必要があると思う。

 学校選択の自由化によって一番の影響を受けたのは学校長である。バーモントロード小 のような生徒数200人あまりの小規模校では、学校経営に関しては殆どメリリン デイ ヴィッドソン校長が一人で請け負っている。彼女があまりにも忙しく働いているのを見て 日本から視察に来る校長たちが驚嘆するという。

 1979年以後、校長の仕事は完全に教育から経営にシフトした。増えた仕事の内容は 、学校紹介、個人で突然学校見学にやって来る父母たちの案内、そして、クラス定員と学 校定員の調整。これが、最も頭が痛い問題だ。

 1クラスの定員は25人まで、幼稚園クラス(日本では幼稚園年長組にあたる6歳から 就学前教育が受けられる)と1年生クラスは22人まで、という規制があり(日本の小学 校の先生はこれを非常に羨ましがっていた)、しかも学区内の地域は全員入学を許可しな ければならない、という縛りがある。そのため、最低限のクラス数にうまく希望者全員を 割り振ろうと校長は知恵をしぼる。バーモントロード小では現在8クラスあるうちの6ク ラスは2学年にまたがる混成クラスとなっている。25人ぎりぎりのクラスの中に、学区 内の子供が1人転入してくれば、1つクラスを増やし、先生を1人余計に雇わなければな らないのだ。

 年間予算は約2000ドル、臨時教員の給料を引くと殆ど残らない。(日本の同規模校 の予算が大体1千万円くらいと考えられるが、人件費は全て別口で教育委員会から支払わ れる。)前述の父母会による資金集めと校長の経営手腕がものを言う。

 学校長は全員教職経験者だが、公募制で、地域住民による選抜試験(論文、面接など) によって選ばれる。一つの校長職に60人くらいの応募があるという。

 経営の仕事が中心であるならば、例えば、会社経営者を校長に据える、などというやり 方はありえないか、という質問には、デヴィッドソン校長、全国校長会の会長であるクリ ス キャメロン氏ともに、ノー、という答えであった。先生方をまとめるリーダーシップ を発揮するためには教職経験は不可欠で、やはり教師達が経営手腕を磨く努力をするより ほかに方法はないそうだ。

 「私は、学校に生徒がいる時間は彼らと接していたいから、経営や財政の仕事は、放課後、休日返上でやっています。それでも、教育には子供達の成長がこの目で見られるとい う醍醐味があって、辞める気にはなりません。

 ビジネスの世界に生きる人々は、教育に従事する人々は自分たちの効率のよいやり方を 真似するべきだ、という言い方をします。でも私は両方の世界を経験しているので(彼女 の前職は出版社の編集者)、こう断言できます。教育者には、ビジネスマンにないモラル があるのです。」(デヴィッドソン校長)

5、明確な目的意識

 私が、「よい教育」と思った、シドニーの明るくのびのびとした教育の背景を説明するには、多様な価値観の存在に寛容な移民社会の影響を無視することはできない。親達が、「ウチの子は、勉強はできないけど、丈夫でいい子だから、それで十分だよ」と本気で笑い合っている環境では、確かに「個性化教育」もやりやすいに違いない。

 しかし、今回訪問してみて、やはり、それだけではなかった、と確信した。制度的な違い、学校建築のつくりだす雰囲気の違いのほか、はっきりと感じたのが教育における目的意識の明確さである。

 生徒を教えるときも、叱るときも、その目的と手法がはっきりしている。「先生がやれ、と言ったことを守らなかったから」叱るのではなく、「将来、みんなに周りを思いやるレディーやジェントルメンになってほしいから」そのお手本になる子どもを誉める。目的意識が明確だと教師も自分のやっていることに自信が持てる。虚勢ではない威厳が自然に 身に着く。

 殆どの学校で所謂落ちこぼれ生徒のための科学的学習法を採用し、専門のカウンセラーを雇って特別に個別指導を行う。「日本では、子供に劣等感が芽生えたり、体面がつぶされたりすることをとてもおそれるので、授業時間中の特別な個別指導は難しいと考えられている」と教えたところ、驚愕された。「わからないまま、わかったふりをさせて何年間も学校に通わせることの方が、よっぽど残酷じゃないか!」

 日本の教育現場でも、何が一番大事なことなのか、そして、次代の子供たちに伝えてい かなくてはならないことは何なのか、を常に念頭に置くことが、当り前のようだが、今最 も必要とされていることではないか、とつくづく考えさせられた。

 最後になりましたが、先月の報告「何のための、教育か?」の続きを少しお話ししたい と思います。諸先輩方の貴重なアドバイス、本当にありがとうございました。本間先輩に勧めていただいた教育思想史も先日やっと手に入り、現在読ませていただいているところ です。

 この大テーマについて、今も自分なりに考え続けていますが、その過程の中で、ある青 年の言葉が一つのヒントとして心に残りました。

  私がホームステイしていたその家では、犬を飼っています。とてもお行儀がよく、人になつくので、私が誉めたら、
 「こいつは昔、野良犬だったから、人によくしないと生きて行けない、ってことがよく わかってるんだ。」

 人間がなぜ教育するのか、ということの答えも、ここに集約されている気がしました。 国家とか、社会とかいう言葉を使わなくても、人間は自分や周りの人や地球によくしないと幸せに生きていくことができないから、そのために次代の人間を教育していく、というようにも解釈できますね。

 たくさんの人に、色々なことを教えられながら、少しずつ、私の研究は進んでいます。

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白井智子の論考

Thesis

Tomoko Shirai

白井智子

第16期

白井 智子

しらい・ともこ

NPO法人新公益連盟代表理事

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