Thesis
オランダでは小学校段階から国ぐるみで学校選択の自由が保障されている。そこでは実際にどんな教育が行われているのか。日本に適用できる制度なのか。現在のオランダの小学校教育の実情をレポートする。
「オランダには小学校を選択する自由があるの? へえ、知らなかった……。
でも、考えたら当たり前じゃないか! 自分の人生を自分で選択する権利として」。
調査のためオランダを訪れた私に、現地の青年が言った言葉である。オランダでは19世紀に義務教育が始まった当初から、完全な学校選択の自由が保障されている。
日本の義務教育では「平等」という価値を追求した結果、学区制が敷かれ、横並び主義がはびこり競争原理が働かず、学校教育はより良い教育へと変化するためのインセンティブを失った。その反面、学校や教員間の質のバラつきは歴然と存在する。教育を受ける側が自由に学校を選べるようにし、社会や教育に多様性を認めることが、多様な価値観や生き方を認め、国民の教育意識を高め、適度な競争原理を働かせることにつながるのではないか。そんな問題意識を持ってオランダへ向かった。
オランダの学校選択の自由は徹底している。家の周囲に気に入った学校がない場合、遠くの学校まで通う費用は国家が負担する。ある程度の人数の人々が「こんな学校をつくりたい」と申請し、それが基準に達していれば設立許可が下りる。費用は政府持ちである。それゆえオランダの小学校は全て公立だが、内容はいろいろである。国が設立したいわゆる「公立小学校」、その他様々な教育理念に基づいて設立されたモンテッソーリ、イエナプラン、シュタイナー学校、さらにその拠ってたつ宗教によってカトリック、プロテスタント、イスラム教学校などに分けられ、実に豊富である。
「当然、お金はかかります」とオランダ教育省のファンダイク氏は言う。ここでは国家予算の約18.5%が教育費に当てられる。国や自治体からの予算で足りない場合は、地元企業から寄付を募ったり、親の収入の一定割合の拠出を「お願い」することもある。これは学校が人生を形作る重要なファクターとして認識されていることの顕れである。低コストで効率よく人間を育てることなどできないのだ。
学校選択の自由と私学設立の自由という考え方はもとは宗教対立を背景とした概念だったが、最近では宗教間の調整が進み、代わって教育方法や理念の違いの方が大きくなっている。私が見た10校の小学校も、日本の平均的な小学校のようなものから、同行のオランダ人女性さえカルチャーショックを受けたというシュタイナー学校まで、教育内容・方針の違いは大きい。
シュタイナー学校の教育内容を少し紹介しよう。まず低学年の教室に足を踏み入れて驚いた。教室はすべて六角形で、壁は保護を表すというピンク一色である。高学年になるに従い寒色に変わる。教室いっぱいに木の家、木馬等の遊具がおかれ、キッチンでは5歳の女の子がナイフを使ってクラスメートのおやつにするオレンジを切って並べている。この学校では10歳になるまで読み書きは教えない。感性に対する働きかけに重きを置き、中学年になって初めてアルファベットを教える。そのときは、飛んだり跳ねたり踊ったり全身で覚える。
アルファベットを習っているクラスメートの横で足の指にチョークを挟んで黒板に円を書こうとしている子がいた。「小さな子どもが足の指を丸めると同時に手もギュッと握ってしまうのは、未発達な証拠です。手足を脳の動きから独立して動かせるように訓練します」と先生。
このような教育を受けた結果はどうなるのか。6年生の教室を覗いてみた。自己紹介をした途端、皆が私の周囲に集まり質問の嵐となった。「日本ではオランダのニュースは流れる?」「この間の地震は体験したの?」「私の名前を日本語で書いて!」5年生から習い始めたという英語で懸命に話しかけてくる。子どもたちの旺盛な好奇心、未知のものとコミュニケーションしようという高い意欲に圧倒された。
ただ、シュタイナー学校などの特別な教育理念に基づく学校に通わせる親はあくまでも少数派で、地域社会の中では浮く傾向にある。
徹底した学校選択の自由があるとは言え、「子どもは地域の中で育てるのが一番いい」という共通認識は浸透しており、地元の公立小学校に通わせる親が大半である。だからこそバランスが保たれているのかもしれない。
シュタイナー教育に代表されるように読み書き算盤などの認識的な訓練に片寄らない教育をよしとする人々と、そのような教育ではダメと考える人々との溝は大きい(ただ一つ共通しているのは、一人一人の能力に合わせた教育、特にいわゆる「落ちこぼれ」を救う教育が最重要課題で、どの学校も専門の教員やカウンセラーによる特別なケアを用意している点である)。しかし教育に対する考え方に違いがあるからこそ、また可能な限り子どもたち一人一人に合った教育環境を与える必要性を認識しているからこそ、学校選択の自由が国民の当然の権利として存在しているのだ。
日本の義務教育に選択と自己責任という前提を根付かせるには、長い時間がかかるだろう。安直に自由の風を吹き込むだけでは教育現場は混乱するだけだ。しかし、できるところから地域、家庭、学校の教育力を高め、すべての子どもたちが自分の個性を生かした明るい学校生活を送れる日がくることを願ってやまない。
(しらいともこ 1972年生まれ。4~8歳まで豪・シドニーで過ごす。東京大学卒業後、松下政経塾入塾。小学校教育の改革をテーマに研究中。)
Thesis
Tomoko Shirai
第16期
しらい・ともこ
NPO法人新公益連盟 代表理事
Mission
教育・ソーシャルセクター