Thesis
5、学校選択の自由の導入に向けて ~中間報告における仮説を検証しつつ~
オランダに滞在している間、日本から届くニュースが何よりの楽しみだった。
しかし、毎日見ているうちに腹が立って仕様がなくなった。
新しくシステムを変えようという段階で必ず、現状のやり方を変えまい、変えまい、とする大きな力が働いていることがとてもよくわかるのだ。
無論、オランダの制度も完璧ではない。だからこそ、何か矛盾が出てきたときには、その打開のために論議を尽くし、制度をダイナミックに変えていく。
その姿を目のあたりにしながら生活していると、日本という国がとてつもなく奇妙な国に見えるのは如何ともし難い。
教育改革についても同様であった。橋本首相の施政方針演説の際には教育改革の柱は「学区の自由化」となったはずだった。しかし、文部省案はどんどん後退し、いつの間にやら「中高一貫教育」をやれば教育現場の問題が解決するかのような議論にすり換えられてしまった。残念でならない。
この国では、やろうとしたことがすぐに実現されることは殆どない。だからこそ、政治家の方々には「選択の自由化」を叫び、推し進める力となっていただきたい。
しかし、現場から見ると、今すぐに導入するのは時期尚早であること、そして現状の中でもやるべきことがあることは繰り返し申し上げてきた。
月例報告の10月分で、こんなことを仮説として書いた。
…現在の日本の小学校で親の側に選択権を付与しても、人気校へと入学希望者が集中し、結局は子どもたちを今以上の競争社会の中に押し込むことになりかねない。私は子どもたちをこれ以上無益でストレスフルな競争に巻き込みたくない。
そこで、選択の自由を導入する前に整備すべき条件を考え、これを世の中に問うていきたい、と考えている。
仮説として現在挙げられるのは、次の三点である。
つまり、家庭、地域、学校の連携を強化し、所謂「教育力」を底上げしてからでないと、選択の自由も機能しないと考える。
「学校選択の自由」を国ぐるみで徹底して行っているオランダでも、ちょうど現在制度が動いている最中だと聞いている。1月に訪蘭する際、きちんと問題点を拾い、自由化する前にクリアすべき条件をまとめた上でそれを世の中に問うていきたい、と考えている。
仮説1.と3.が既にオランダで実践されていることについては月例報告1月分で述べた。仮説1.についてのみ補足しておく。
父母の意識については、やはり一般的に言って、オランダ人の教育意識は日本人のそれよりは成熟しているようだと感じた。現地の両親が学校を選ぶ際、必ずと言っていいほど「自分の子どもは社会、すなわちコミュニティの中で育てられている」という意識が働いている。だから、選択の自由があるとはいえ、近所の子ども達と遊びながら近所づきあいの中で子どもを育てられる近くの学校を選ぶ人が多い。
また、過疎の村の学校では、就学年齢の一人の子どもが「他の学校へ行く」と言い出しただけで潰れてしまう危険性が大いにある。だからこそ、「オラが村の学校を守ろう」と皆で学校をもりたてるのだ。
逆に、スポーヴェグのように親の教育に対する関心が低い地域では、なんとかして親に関心を持ってもらおう、と学校側から懸命に働きかける。ボランティアで授業補助にきてもらったり、年に数回親子一緒に学べるプロジェクトを企画したり、といった活動である。
家庭、地域、学校の連携を強化し、「教育力」を底上げしようとする動きは、日本のいくつかの小学校でも見られはじめていることは心強いかぎりだ。
本文でも述べた通り、現地で調査を終えて考えてみても、これら三つの仮説はそう的外れなものではなかった、と考えている。
この上に3つ、留意すべきことを付け加えておきたい。
Thesis
Tomoko Shirai
第16期
しらい・ともこ
NPO法人新公益連盟 代表理事
Mission
教育・ソーシャルセクター