Thesis
2001年11月24日韓国文化日報は、北京消息筋によれば早ければ2002年初めにも日朝国交正常化交渉が行われる見込みであると報じた。1年余り中断していたこの交渉が今後どのように展開するにせよ、日本政府は厳しい姿勢で臨むべきである。本稿では、日朝国交正常化交渉に絡んで話題となる北朝鮮への食糧支援について考えることにする。
1995・96年に洪水が、97年に干ばつが北朝鮮を襲った。そのため北朝鮮は極度の食糧不足に陥ったと一般的には理解されている。しかし、実際には北朝鮮はそれ以前から食糧難への道を歩んでいた。
それにはいくつか理由があるが、最も大きな原因は、もともと農業に適さない地形(領土の80%が山地)と気候(寒冷地)であったところに、同盟国であった社会主義国の崩壊により肥料や農薬、農業機器が入ってこなくなったことにある。加えて、北朝鮮特有の「主体農法」がさらに状況を悪化させた。主体農法とは、金日成の主体思想に基づいて形成されたもので、言い換えれば「自給自足」である。周知のように北朝鮮では、金日成・金正日は絶対である。彼らの発言、考えに異議を唱えることは非常に難しい。そのため、主体農法が如何に不合理なものであるかが分かっていても誰もそのことについて言えなかったのだ。
そこへ95年、洪水が発生した。この洪水で、400万トンあったといわれる穀物生産量は、190万トンに激減し、食糧難が表面化した。北朝鮮は2200万人の人口を抱え、年間穀物需要量は600万トン~700万トン。つまり、400万トン以上が不足するという事態に陥った。そのため95年には労働党員5万人を含む50万人が餓死した。
その後、生産量は回復に向かい、98年には348万トンの生産量となったが、まだ必要量には及ばない。このような状況を打開するため98年に憲法が改正され、農民や都市勤労者に与えられた自留地で生産したものや合法的に得たものなどの売買が認められるようになった。これは、共産主義は農民の自発的な生産意欲を妨げるという従来からの指摘に屈するものである。また、農業構造改善のために、二毛作とジャガイモの生産に力を入れ始めた。金日成が、コメとトウモロコシの栽培を支持したことを考えると大きな変化といえよう。このように変化の途中にある北朝鮮ではあるが、まだまだ食糧難という現実からは逃れられない。
こうした北朝鮮の窮状に対し、95年以降国際的な食糧支援が行われてきた。日本も例外ではない。95年50万トン(直接支援:有償35万トン、無償15万トン)、96年600万ドル(国連人道支援アピールに拠出)、97年6万7千トン(世界食糧計画(WFP)からの要請)、2000年60万トン(3月10万トン、10月50万トン)と、これまで150万トン近くのコメを北朝鮮に送っている。これらはいずれもWFPなどからの要請に応える形で実施された。ところが、2000年10月分については、WFPの要請は19万トンであったにもかかわらず、日本政府はそれをはるかに超える50万トンを提供している。その理由は国民には明らかにされていない。
このように国民の意思とは関係なく実行されたコメ支援であるが、支援されたコメは食糧難に苦しむ北朝鮮の人々にきちんと行き渡っているのであろうか。
2001年9月にモニタリングのために訪朝した議員によれば、WFPが月に250回程度、食糧配給施設のモニタリング調査を行っており、港についた船1隻毎に配給先や対象人数、量などを細かく記録したファイリングを行っている、ということである。ただし、日程や視察先が北朝鮮のアレンジである点は問題が残るとしている。確かに回数は十分であろう。しかしWFPは北朝鮮全体で5つしか地域事務所を持たず、スタッフは46人である。これでどれだけのモニタリングができるというのだろうか。
この点について、現代コリア研究所(注1)の佐藤勝巳所長は、議員に同行した外務省の佐藤重和審議官の「我々が行ってみた限りにおいては配給されていた」という発言は逃げとしか考えられない、と厳しく非難している。佐藤所長は、支援する側がもっとしっかりとモニタリングできるように主張すべきであるとし、北朝鮮食糧委員会の担当官で亡命してきた人の話として次のように述べている。まず、北朝鮮政府はモニタリングに来ることがわかると、地域を特定し、配給を行う。その後、「自主献納」を行わせるというのだ。これは配給はするものの、その後強制的に徴収することを意味する。8割~9割がこうして徴収され、拒否すれば強制収用所へ送られるという。
また、北朝鮮難民救済基金(注2)の会津千里氏は、その活動の中で、「駅構内でコメの積み下ろしを見たことがあるが実際に配給を受けたことはない」と北朝鮮住民から直接話を聞いている。
つまりこれらのことから解するに、人道支援を目的とした支援が実は飢餓に苦しむ人々の元に届いていないということになる。支援されたコメは国民の手には渡らずどこかへ消えているのだ。現に、闇市場に行けば赤十字マークの袋に入った白米が売られ、アメリカのキリスト教団体が送った缶詰は韓国領海に侵入した潜水艦の中から発見されている。この潜水艦に乗っていた対南浸透部隊戦闘員で韓国に亡命した李光珠氏は、軍において食糧、待遇等で不自由はなかったと語り、FAO代表部書記官は、95年以降権力層はむしろ贅沢になっていったと指摘している。
慶応大学の小此木政夫教授は「北朝鮮当局が非人道的だと言う理由で、罪のない飢えた国民に対する人道的食糧支援まで拒否するのは、日本国家の品格を落とす行為であり、健全な外交戦略とは言えない」と述べているが、罪のない飢えた国民にコメは届いていないのだ。「人道的食糧支援」というならば、しっかりと国民に行き渡るように注文をつけ、それが実行されることを監視すべきである。
■図1 対北朝鮮 食料支援現況 |
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▲出典 韓国統一部 人道支援局(単位:トン) |
日本はどのような実効性ある支援策を行えばよいのか。実際に、食糧不足で困っている人たちがいるのは事実である。
この点で、私が考える解決策は1つしかない。それは、しっかりとしたモニタリングができるようにし、例外なく自由に活動できる環境を整えることである。まず、現在設定されているモニタリング禁止区域をなくす。そして、北朝鮮北東地区でのモニタリングを厚くすることである。北朝鮮北東地区は1990年代に反政府活動を起こしたために、政府から最も冷遇されている。したがって、この地区で物資が人々に配給されていることが確認できれば、他の地域でも実行されている可能性が高いと想像されるからだ。さらに、配給してもその後すぐに自主献納が行われているという実態を考えれば、支援米が国民の手に渡り、それを食べ終える間ずっとモニタリングするという方法を採ればさらに効果があがるだろう。モニタリングの自由を保障されないならば、支援は行わないといった強気の姿勢も見せるべきである。国境なき医師団など北朝鮮に入った多くのNGOは自由にモニタリングが出来ないとの理由で撤退している。
また、95年の日本の北朝鮮への有償食糧支援に対して利息すら召還されていない点も厳しく追及すべきである。単に人道支援という名目で理念もなく、政治家の都合で支援することは、逆に日本の国益を損ないかねない。
自国民の安全を守るのが国会議員の義務・責務である。ここ数年、拉致問題が国民の間にも浸透してきた。これは一重に遺族と救う会の活動の成果であるといえよう。しかし、解決への道のりはまだまだ遠い。「国家」を考える意味でも重要な問題である。拉致問題で国民的運動を巻き起こし、食糧支援の意味をもう1度考えてみるべきであろう。来る日朝国交正常化交渉では拉致問題を議論し、コメ支援についてはしっかりとしたモニタリングの保障を求めるべきである。
ここで重要なことは北朝鮮がテロ国家であるということを忘れてはならないことだ。現時点で日本にとって日本人拉致、大韓航空爆破事件、全斗換元大統領暗殺爆破事件等のテロを行ってきた北朝鮮がテロ国家であることは疑いがない。日本政府は、北朝鮮にこの数々のテロへの関与を認めさせ・謝罪を求めるべきである。これらの解決なくして両国の関係は前進できないことを十分に分からせなければならない。北朝鮮のコメ支援における対応をみると、日本が柔軟な姿勢を示せば示すほど増長してくる。
太陽政策をとっている韓国を見ていただきたい。韓国も日本同様に拉致問題を抱えている。しかし、それに目をつぶり、自国内にいた北朝鮮のスパイを北に送り返してまで北の変化に期待したその結果はどうであろうか。離散家族訪問は中断し、鉄道復興も北朝鮮側では行われていない。金正日の訪韓の見込みもない。南北会談後も北朝鮮の実態は何も変わっていない。それがコメ支援で変わるはずがない。北朝鮮は、日本からコメ支援を受けながら自国民に日本への敵対教育を依然として行っている。
人道という名目で日本が行っているコメ支援が、実際に何を引き起こしているのかよく考えるべきである。我々が行っているのは、何万トンもの食糧支援をして、自分たちの生命・財産を脅かすテロ国家の存続を助けていることにほかならない。そうはいっても一方で飢えた人々が存在するのも事実である。だとすれば、どのような支援をすることが我々にとっての利益となり、飢えた人々の手助けとなるのか、熟考する必要がある。人道的支援を名目とした非人道的国家への援助のあり方が今問われている。
(注1)東京に本部を置き、北朝鮮問題の解決に向けた研究活動をメインに行っている民間団体。日本人の拉致問題解決も積極的に行っている。
(注2)東京に本部を置き、北朝鮮・中国国境を中心に北朝鮮の民衆への支援活動を行っている。食糧支援は中国在住の朝鮮族を通じて、また北朝鮮からの亡命者の保護と韓国など第三国への移送も行っている。
<参考文献>
『愛媛新聞』2001年9月24日
『軍事国家 北朝鮮の実像 アエラ臨時増刊』99.4.15号
佐藤勝巳共著『朝鮮統一の戦慄』光文社 2000年
重村智計著『北朝鮮データブック』講談社 1997年
重村智計著『北朝鮮の外交戦略』講談社 2001年
『北朝鮮難民救済基金NEWS No.24』北朝鮮難民救済基金発行 2001年8月
会津千里著『中朝国境地帯調査報告』北朝鮮難民基金発行
『朝鮮日報』2001年6月22日
『ARCレポート~北朝鮮~』世界性在情報サービス 2000年7月
『南北韓経済社会上比較』韓国統計庁 2000年12月
『金正日の全貌』韓国 国際政経研究院 2001年6月
Thesis
Yoshio Gomi
第20期
ごみ・よしお
三得利(上海)投資有限公司 飲料事業部 事業企画部
Mission
日本の対アジア政策を考える