Thesis
在日外国人に対する参政権について
9月21日に召集された第150回臨時国会では重要な法案が議論されることになっている。あっせん利得処罰法案、参議院比例区への非拘束名簿式法案、少年法改正法案などがその重要法案の一部である。それ以外にも注目されるのが、在日外国人地方参政権付与に関する法案である。この在日外国人に対する地方参政権付与は、長年、戦時中朝鮮半島から日本に来た、または、連れてこられた本人やその子孫が主張してきた問題である。裁判でも度々争われてきた。ここ数年、日本国内からの声だけでなく韓国からの外圧によって日本の政治家もこの問題に真剣に取り組むようになってきた。しかし、自民党内部では反対意見もあり一度、衆議院政治倫理公選法改正特別委員会で審議された経緯があるが可決されず今に至っている。
昨年、金大中大統領は韓国国内にいる在韓外国人にも一定の条件で参政権を与えるという意見を表明し、日本にも同じような対応をするよう迫ってきた。
ここ数年、特に1,2年日韓関係は驚くべきほどに改善された。これは金大中大統領の強力なリーダーシップのおかげといっていい。9月22日来日した金大中大統領は、来日前の記者会見で、在日外国人地方参政権法案の年内成立を求めるというコメントを発表した。また、日本大衆文化開放も2002年まで全面開放を実施し、日韓自由貿易協定についても評価を示し日韓の新たな歴史を作ることに積極的な姿勢を示した。23日の熱海での日韓首脳会談は地方参政権付与問題について大きく議論され、記者会見で金大中大統領はこの地方参政権付与の問題は在日外国人が日本社会に友好的に貢献するだけでなく、21世紀を迎える中、日本の外国人に対する姿勢を内外に示すことになると別の角度からコメントし、年内法案成立を強く日本政府に求めた。
では、ここで9月23日現在の各党の反応を見ていくことにする。大雑把に言って自民党の一部の議員を除いて各党、在日外国人に対する参政権付与について賛成の立場にある。
反対の立場の自民党議員は、「外国人参政権の慎重な取り扱いを要求する国会議員の会」を発足させ、参政権付与は憲法違反だと主張している。そこで、自民党内の意見の一致が見られないことから、参政権付与の対象者を「特別永住者」に限定して意見の一致を見ようとする動きも出ている。しかし、これには民主党が、なにも特別永住者に限定することはおかしいとして反対を表明、混乱が続いている。与党はこの「特別永住者」を軸に法案の成立を求める勢いである。
ここでは、過去の裁判例を引きながら地方参政権をめぐる争いについて考えていくことにする。その前に、日本国憲法等の法律が参政権についてどのように規定しているのか簡単に見ていくことにする。ここで注意したいのが、参政権といっても二つの種類があるということである。衆議院や参議院といった国政レベルでの参政権と県・市議会、知事・市長といった地方レベルでの参政権である。また、法律の解釈は文言解釈が基本ということである。ここで確認するが、今回の法案は地方での参政権を意味している。
憲法第15条1項では「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」としている。これを文言解釈して見ると参政権は日本国民だけに存在するものであると考えるのが普通である。しかし、93条2項では「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律に定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」と規定している。そして、地方自治法10条では「市町村の区域内に住所を有する者は、当該市町村及びこれを包括する都道府県の住民とする」と規定されている。つまり、市町村内に住所を有していればその人は住民と規定され、住民は地方公共団体の長等を直接選挙できると解することになるのではないであろうか。
このように考えると在日外国人に参政権がないことは不当であると考えることができる。
このような経緯から地方参政権を求める裁判が起こされてきた。
この参政権問題に対して最初に裁判を提起したのは、日本人と結婚し永住権を持っているイギリスの男性であった(1989年11月)。この提訴は国政レベルでの参政権を争うものであり地方レベルの参政権について争うといったものではなかった。結局敗訴。その後、在日韓国、朝鮮人を中心にそして、争点も地方レベルでの参政権に移行して裁判が争われてきた。しかし、敗訴が続いた。1995年2月28日 最高裁判所で画期的な判決が出た。敗訴したものの大きな意味のある判決であった。ここでは簡単に引用したい。「憲法93条2項で言う『住民』とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味し、在留外国人に対して地方公共団体における選挙権を保証したということはできないが、在留外国人のうちでも永住者等であってその居住する地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至った者について、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務に反映させるべく、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する立法措置を講ずることは、憲法上禁止されていない。そして、右のような措置を講ずるか否かは、専ら国の立法政策にかかわる事項である。」として、外国人の地方参政権を認めるかどうかは政治の世界で決めてくれと判決を下したのである。
そして、舞台は政治の場、永田町へ移された。この判決を受けて急にこの参政権問題がクローズアップされ、議論されるようになった。
この地方参政権について従来から、賛成派、反対派いろいろな立場から議論されてきた。当事者になるであろう在日外国人の中でさえも意見が分かれていた。北朝鮮出身者で構成される朝鮮総連と韓国人出身者で構成される民団との主張である。
私の立場は、外国人に対しても、権利の性質が許す限り、憲法の人権規定は及ぶべきだと考える。憲法の自然権的性格を考えれば、外国人に人権規定が及ばないのは不自然だからである。
では、この参政権は権利の性質として許されるものであろうか。以下、考えていくことにする。
結論から先に言えば、私は在日外国人に対して地方参政権(選挙権・被選挙権)を与えるべきであると考える。
まず、彼らは普通の外国人ではないということである。永住資格を持った人という限定がある外国人である。現在永住資格を持った外国人は現在約63万いる(内特別永住者は約52万人)。彼らは日本で数年生活して来たから永住資格があるのであってそれなりに日本の政治や生活に接してきており、また、その際の不満もあるわけでありそれに対して自分の意見を表明できないというのは問題である。
また、彼らは税金を払っている。税金は払うがその使われ方に対して意見表明できないのは問題である。
また、地方分権との関係でも認めるべきである。ここ数年、地方分権への動きが活発化してきており「地方分権促進法」なるものも採択され、積極的に地方への権限の委譲が進む動きが示されてきた。これからは地方が地方の独自のカラーを前面に出し、地方自治体同士競走していく社会になる。その意味でも地方での意見表明・そして意見の集約として参政権は認められるべきである。実際、地方参政権に対する意見採択書書が地方自治体で採択されている(全自治体の内41.1%に及ぶ1357団体が採択をしている。大阪・奈良・神奈川県では100%採択、最低は7.41%の沖縄)。地方は彼らの積極的な加入を望んでいると考えていいのではないか。しかし、地方分権が進むと機関事務との関係で外国人に対する歯止めを掛けていかなければならないと考えるかもしれない。しかし、私はそのようには考えていない。リコール制などの制度があり、もし、暴走するようなことがあっても十分対応できると考えるからである。
また、もうひとつ理由として在日外国人のアイデンティティーと関係がある。私は韓国で研修しているわけであるが、韓国の語学堂には韓国語を習得しにくる在日韓国人が非常に多いことに気がつく。彼らはさまざまな理由で韓国語を学びにくる。親に行けと言われたからしょうがなく来たと言う人から韓国文化を勉強するための手段として勉強する人までさまざまである。しかし、彼らに共通して言えることは国籍が「韓国」でもアイデンティティーは「日本」であるということである。在日三世となった彼らにとっては仕方ないことかもしれない。日本の考え方をし、日本のファッションをし、韓国人というよりも日本人といったほうが言い感じがする。
すこし、ポイントがずれるかもしれないがこのようなことを考えてほしい。戸籍と現住所の関係である。私の戸籍は長野県原村にある。しかし、現住所は横浜である。この関係と在日の関係は似ていると考える。国籍は韓国でも現住所は日本にある。
私は高校2年から卒業まで長野県諏訪市で生活したことがある。それまでは長野で生活したことはなかった。長野に住んで長野の良さが分かり今では長野県を誰よりも愛していると考えるが、もし、私が長野で生活しなかった場合のことを考えてみたい。
もし、今の今まで長野で生活をしなかったなら、長野県についてのイメージも関心もなかったであろう。ただ、親戚が居る関係で長野を数回訪れる程度であり、とくにこれといって関心を持っていたとは考えられない。長野に暮らさなかったなら私はいわば長野を知らない人間であったであろう。つまり、原村の食文化も得てはいないし、方言も分からないままであった。そして、私は横浜で生活している。横浜の生活や行政で嫌なことを経験すればそれを横浜市・神奈川県に訴えていくことになる。もし、長野での生活をしなかったなら、戸籍は長野にあるが自分が長野県人であると考えたことは正直言ってなかったであろう。自分は横浜の人間であると考えていたであろう。
それと一緒であると在日の彼らと接して分かった。彼らは日本人の考え方で日本人そのものである。そうならば、彼らに選挙権を与えても問題ではないように思う。彼らの国籍は韓国でも日本人なのであるから。今までのような反日的な考えを持った人が少なくなる韓国はもとより日本に居る在日韓国人はなお更、日本に対して反日感情は持っていない。ただ、制度上の差別を受けた経験からそのような似た感情を持っているのは事実ではあるが。したがって、彼らが政治を利用して何かをするといった事は考えられない。もし、考えられるというなら、それは日本の宗教団体などに対しても言えることであってあまり意味を持たない。
このようにアイデンティティーの面からも彼らに参政権を与えるべきであると考える。
こう言うとアイデンティティーはしっかり韓国にあるという人も居るかもしれない。実際、韓国で生活していていろいろな在日の人と話をすると確かにアイデンティティーは韓国であるとはっきり言えなくても言える人が中にいるのは確かである。しかし、実際彼らの中では複雑な葛藤があるように思う。韓国人でありながら日本人である自分が心のどこかに居るようである。彼らはどこかで何かに迷っているように思う。その何かの答えを見つけさえてくれたのはアメリカから来た在米韓国人達であった。
彼らは1960-70年代にアメリカに移住した韓国人の2世であり、日本から来る人たちよりも1世分韓国人のままである。顔を見ると日本からの在日3世は喩え韓国の血が100%であったとしても食生活の違いからか、韓国人の顔とは少し違う。しかし、アメリカからくる韓国人は韓国の街を歩く普通の韓国人と何も変わらない様子である。1世の差はそれほどまでに大きい。
しかし、そんな彼らと話をしても自分が韓国人であるのかアメリカ人であるのかといった悩みは見えなかったし、そのようなことを言うことはなかった。逆にそのようなことを質問しても「ない」という返事が返ってくるだけであった。アメリカに住んでいる韓国人であるとしっかり整理され韓国での生活を楽しんでいた。一方、在日の多くは日本に住んでいる私は何人?という葛藤が心のどこかにあるように思うし、そういう意見を聞いた。
この違いは何なのか。私は考えた。
彼らの環境に大きなヒントがあるのではないか。アメリカ社会という移民者が多く共存する社会と島国の日本。これは、社会において自分が無理に現地人にならなければならないといった強迫観念的なものが、アメリカから来た彼にはないからではないか。社会が彼らを彼らのそのままで受け入れている体制があり、自分が韓国人であると隠す必要がないことが大きく影響しているきていると考える。在米の彼らは生まれてからずっとい韓国名を使って生活してきている。しかし、多くの在日は大学入学まではいわゆる通名(日本名)を使用しているケースが多い。
私は、中学時代にいじめられた経験がある。その経験は大きくなった今でも心の障害になっていると感じることがある。青春期というまさに成長過程での出来事は多くの影響をその後残すといわれる。彼らはいじめられたことはないかもしれないが、家では自分が韓国人であると親から言われ、外では自分が日本人のように振舞うことに対し疑問や悩みがあったため大きくなった今でも心のどこかで影響しているように思えた。
この在日と在米韓国人の違いは大きく言えば社会の問題である。彼らを受け入れる社会が彼らを見えないところで差別していることによって、社会生活にこれほどまでに違いをもたらすものなのかと驚かされた。アメリカでは地方参政権は認められていないが、社会が彼らをサポートする体制が整っている。日本にないのはこの差別しない姿勢である。
今後国際社会になっていく中、今までのように島国根性で日本人以外の国民を差別していくことは日本の国益に反する行動である。
私は来日した外国人と話をする機会がよくある。見えないところでの差別を感じると彼らは決まって言う。賃貸や就労、人々の行動等に関してである。そのため、アジアからの留学生は日本を飛び越してアメリカやオーストラリアに留学に行くと聞いた。日本の物価が高いということもあるかもしれないが、日本の閉鎖性、島国根性が彼らから嫌がられていることは間違いない。参政権を在日外国人に与えないという制度的差別をしていることが日本人の心の奥に響き外国人を差別する結果を生んでいるに違いない。それが在日社会と日本人社会の壁をベルリンの壁以上に高いものにしているのではないであろか。
良く考えてみると外国人が留学・観光に来ないということは日本にとって大きな損害である。金銭だけの問題ではなく、日本を宣伝する営業マンが一人減るということであり、また、日本人の多用な考え方を育成するチャンスを失うことにもなる。したがって、差別をなくす社会を作るためにも外国人に対して参政権を与えることは必要であると考える。
みんなが差別をせず協力してそして、何不自由なく生活していくことが社会にとって大切であるがその前提である差別を生む制度がそのまま残っているのは問題である。多くのことを論じる際にもいろいろな意見を聞いて判断していくことが必要になってくる。その意味でも今回の法案は絶対に通過させるべきである。
日本の国益のために必要である。長い将来を見据えて考えるならば絶対に必要である。
そして、私は何もこの地方参政権を特別永住者に限って認めろということは考えていない。外国人が社会で有益にそして、日本に来る外国人に日本の外国人に対する姿勢を見せる意味でもすべての永住者に認めて良いように考える。
今回の国会でこの法案が決まり、21世紀の日本が世界に対してどのように貢献できるのか、また、日本が世界から学ぶべきものは何かを再び考えて我々の世代に政治のバトンを渡してもらいたいものである。
Thesis
Yoshio Gomi
第20期
ごみ・よしお
三得利(上海)投資有限公司 飲料事業部 事業企画部
Mission
日本の対アジア政策を考える