論考

Thesis

大量破壊兵器拡散 ~何が問題か

筆者は大量破壊兵器拡散(WMD)の研究・教育を行っている米国の研究所での研修から、WMD拡散問題の重要性を再認識した。この問題がなぜ重要で、どのような観点で考えたらよいのか、議論の材料を提供したい。

核兵器、生物兵器、化学兵器を総称して大量破壊兵器(Weapons of Mass Destruction:以下WMD)という。WMD拡散は、世界の平和と安定に大きな影響を及ぼすばかりでなく、わが国の安全保障にとっても無視できない重要問題である。核兵器の恐ろしさについては言うまでもないが、生物兵器や化学兵器の殺傷力も核兵器に劣らない。地下鉄サリン事件では毒ガスのもたらす被害に日本中が震撼した。核兵器に比べ、生物・化学兵器は比較的安く、容易に作れる。そのため「貧者の核兵器」とも言われ、多くの国が開発・保有している(図)。WMD拡散はすでに世界の平和にとって大きな脅威となっている。にもかかわらず、日本での認識は低い。防衛庁の概算要求にようやく生物・化学兵器研究が入ったばかりであるが、早急にこの問題に取り組む必要がある。それにはまずWMDについて詳しく知らねばならない。

大量破壊兵器とは何か

 核兵器、生物兵器、化学兵器は、どれもみな大きな殺傷能力をもち、被害者に多大な苦しみを与えるが、それぞれ異なる性質を持っている。
 核兵器は、ウランやプルトニウムを原材料とする兵器である。広島に投下されたのは15キロトンの原爆で、死者7万8000人、負傷者8万4000人を出した。現在の核兵器はメガトン(キロトンの1000倍)級になっており、広島型の約100倍の破壊力を持つとされる。人だけでなく、建築物等の施設を破壊することができる。
 生物兵器(細菌兵器)は、ウィルスやリケッチア、細菌等の病原体を用いて伝染病を流行させ、人々を殺傷する兵器である。死亡率50%の生物剤を10トン用いた場合でも、被害範囲は10万平方キロ(1メガトンの核兵器でも300平方キロ、神経剤15トンで60平方キロとされる:単位に注意)に及ぶとされ、使用されれば多くの人命が失われるが、気象条件の影響を受けやすく、効果は不確定である。しかも、実際に用いると自軍が影響を受ける可能性が高い。日本軍は第二次大戦で生物兵器を用いたが、自軍に1万人以上の被害を出したという。 化学兵器には、マスタードガスのような糜爛剤、VXやサリンなどの神経剤等多くの種類がある。第一次大戦では12万トンもの毒ガスが用いられたとされ、死傷者は110万から130万人、うち10万人が死亡した。化学兵器の使用を禁ずるジュネーブ・ガス議定書が第一次大戦後に締結されたものの、第二次大戦後もイエメン紛争、ベトナム戦争、中越戦争、アフガン戦争、イラン・イラク戦争等で用いられている。イラン・イラク戦争では1万人の兵士が化学兵器により死亡したとされる。生物兵器に比べ即効性があり、軍事的価値が高いとされる。
 生物・化学兵器は、核兵器や通常兵器と異なり、街や兵器を破壊することはない。もっぱら人を殺傷するものである。そして、これらは核兵器に比べて比較的小規模で開発・製造できる。核兵器を作るには、原子炉やプラントなどの大規模な施設と高度な技術を要するが、生物兵器や化学兵器は、一般の医療施設や薬品施設と大して変わらない施設で製造可能である。そのため、テロリストのような小規模集団にも開発・保有できる。

なぜ大量破壊兵器拡散が問題化したか

 このように、生物兵器や化学兵器は、核兵器に負けず劣らず恐ろしい兵器であるが、冷戦期にはそれほど注目されていなかった。それが今では核兵器と同列視されるまでになった。きっかけは湾岸戦争である。
 湾岸戦争は米国を中心とする多国籍軍の圧勝に終わったが、他方で湾岸戦争は、WMD拡散が米国にとって有利な環境を変えるかもしれないことを、米国の安保関係者に認識させた出来事でもあった。戦争中、イラクはイスラエルとサウジアラビアにスカッドミサイルを打ち込んだが、化学兵器が搭載されることが深刻に懸念された。湾岸戦争後の調査により、イラクの核開発や生物・化学兵器能力が予想以上に進んでいたことが判明し、米国の危機感はさらに強まった。もし化学兵器等のWMDが使用されていたら、多国籍軍や周辺国には大きな被害が出たはずである。その場合に多国籍軍があれほど容易に勝利できたかどうか疑問である。その後も北朝鮮の核疑惑やミサイル実験、生物・化学兵器を用いたオウム真理教のテロ、印パの核実験など、WMD拡散にまつわる出来事が頻発し、拡散への懸念はますます強まった。
 さらに、近年WMD拡散が問題視されるようになったのにはいくつかの要因がある。

 第一に、世界にはすでに数多くのWMD保有国が存在する(図)。WMD拡散は現実なのである。例えば、長い間米ソ(ロ)英仏中に固定していた「核クラブ」は、インド・パキスタンの核実験によって公に破綻した。また、イラク等の事例から、その気になれば国際社会の目をかいくぐって核兵器が開発できることも明らかになった。拡散は止めなければならないが、すでに起きている。北東アジアでも、北朝鮮に核・生物・化学兵器保有の疑惑があり、周辺国は対応策を余儀なくされている。

 第二にミサイル技術の進歩である。WMDを保有しているだけでは、それほど脅威ではない。目的地に確実に、また味方を危険にさらさずにWMDを運ぶ手段とセットになって、はじめてその脅威は深刻なものになる。長距離を無人で、しかも高速で進むミサイルはWMDを運ぶ手段に適している。逆に言えば、ミサイルだけ保有していても大したことはない。

 第三に、冷戦の終結によって、世界の主な安全保障上の脅威が、地域での紛争に移ったことの影響である。地域紛争において、WMDは大国(主として米国)に対抗する唯一の切り札になっている。冷戦期に米ソ間、東西間で想定されていた世界戦争の可能性は劇的に低下し、今後起こり得るのは、湾岸戦争やコソボ紛争のような限定された地域での地域紛争である。それに応じて、冷戦後の米国の戦略は、米国の国益にとって死活的な地域で同時に二つの紛争が起きた場合にも対応できる体制を整えておくものに変わってきた。そして、米国の地域紛争での円滑な勝利にとって敵のWMD使用が大きな障害になることから、注目が高まっているのである。
 地域紛争でWMDが使用される可能性が米国の動きをどう制約するか、わが国にも関係の深い朝鮮有事で考えてみよう。北朝鮮が生物兵器や化学兵器を載せたテポドンを在日米軍基地に打ち込んだ場合、米軍や自衛隊は計画通りに戦争を進め、勝つことができるだろうか。WMDによって大量の犠牲者が出た場合に、日本や米国、あるいは韓国の世論は戦争を続けることを支持するだろうか。米国と日本や韓国との間に戦争の進め方について大きな意見の違いが生まれ、北朝鮮に有利な状況が生まれるのではないか。これらは米国や韓国、日本にとって非常にまずい状況であり、それを防ぐ方法が必要になる。

大量破壊兵器と戦うために

 もともと米国は、拡散が起きないようにする「不拡散政策」に重きを置いてきた。しかし、今ではWMD拡散は止められないという認識から、いかにWMD拡散に対処するかに軸足を移している。1993年12月、当時のアスピン国防長官は「拡散対抗構想」を公表した。拡散対抗構想は、拡散が生じてしまった後でWMDの脅威に対処する「防護=軍事的手段」とWMDの拡散を未然に阻止するための「予防=外交的手段」に大別される。
 防護分野には次のような種類がある。

(1) 消極的防御 ワクチンや探知機、ガスマスクなどWMDの被害を限定する
(2) 積極的防御 TMD(戦域ミサイル防衛)等によりWMDを装着したミサイルを迎撃することで被害を限定する
(3) 対兵力打撃 WMDが使われる前に施設を破壊し、WMD攻撃を不可能にする
(4) ゲリラやテロへの対抗手段
(5) 情報活動 WMD開発国の指導者が何を考えているのか、またどの程度開発が進んでいるか把握する。

予防分野は次のようになる。

(1) 入手経路妨害 輸出規制や両用技術移転規制など
(2) 安心と説得 WMDの開発・保有を禁止・制限する国際的な取り決め、信頼醸成措置、地域の安保対話など
(3) 拡散前への復帰 イラクのWMD施設破壊やロシア以外の旧ソ連諸国(ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシ)の核放棄など

 冷戦の終結を境に、米国のWMD拡散に対する政策では、軍事的手段を伴う「防護」が強調されることになった。

大量破壊兵器問題を考えるための視点

 最後に、WMD拡散を政策的課題として扱う際に必要な視点を提示する。

●米国の関与政策との関係
米国にとりWMD問題は、直接の脅威というより、自らの国益上重要な地域の安定への関与と密接に結びついている。米国の拡散対抗構想は、「地域紛争」において前方展開された米軍と当該地域の同盟国をWMDの脅威から守ることに力点がある。同盟国である米国の政策がその地域関与と裏表であることを理解した上で、わが国としてのWMD政策を構想する必要がある。

●動機の非対称性
 湾岸戦争や北朝鮮問題に明らかなように、イラクや北朝鮮にとってWMDを開発・保有・使用することには、自国の生存や体制の生き残りがかかっている。そのためにはどのような手段を用いたとしてもおかしくない。対して、日本や米国には、自軍や市民をWMDの危険にさらしてまで介入する利点があるかどうか疑問である。そこでWMDによる脅しの効果を抑える備えが必要になる。

●核の傘との関係
 WMDの拡散は、米国の核の傘にも影響を及ぼす。米国の核ドクトリンには、生物兵器や化学兵器の使用をも核兵器で抑止すると書かれている。わが国政府筋も、北朝鮮の生物・化学兵器を懸念し、WMD全てを核抑止することを望んでいると言われる。しかし、生物・化学兵器の使用を核報復の対象にして核兵器の役割を拡大すべきかどうかは議論の分かれるところである。

●脅威の多様性
 先に述べたように、核、生物、化学兵器はそれぞれ異なる特徴を持っており、必要な対抗手段もそれぞれ異なる。更に、テロリスト集団のようなとらえどころのない主体によってWMDが使用される可能性は、対抗政策を一層困難にしている。テロへの恐れは米国ではかなり強く、地下鉄サリン事件はWMDテロの先駆けとして熱心に研究されている。また全国120の都市でWMDテロを想定した訓練プログラムを実施中である。

●対ロ、対中関係との齟齬
 日本にとってTMDは北朝鮮に対する防衛システムであるが、台湾問題を介して中国を刺激している。加えて、TMDは、米ソ(ロ)が冷戦を通じて戦略的安定の要としてきた相互脆弱性(相手の核攻撃に対して強力な防衛手段を持たない)の基盤を揺るがしており、ABM(対弾道ミサイル)条約交渉においてロシアは態度を硬化させてきている。WMD使用への対抗政策は、対ロ、対中関係に別種の問題を引き起こす危険があり、格段の配慮を要す。

●わが国にとっての拡散対抗
 米国の拡散対抗構想は、WMDにしっかり備えることで、WMDを使っても期待する効果が得られないと敵に諦めさせるためのものである。わが国ではTMDだけが論じられがちであるが、TMDは対抗手段の一部でしかない。しかも、生物兵器や化学兵器の被害を減らすという意味では、ワクチンや防毒マスク・防護服、あるいは探知機や汚染除去システムの開発の方が遥かに安上がりかつ効果的である。

 先日、米国のWMD専門家と話す機会があったが、「日本では米国との協調のためにTMDを導入すると言っているが、どういうことか」としきりに首を傾げていた。同盟国である米国に配慮するのはもちろんだが、それ以前にわが国や地域の安全保障にとって何が本当に必要か見極めていく姿勢が求められる。軍備管理を含め総合的なWMD政策構想が今後の課題である。

<参考文献>
黒沢満編(1999)『軍縮問題入門(第2版)』東信堂
Hays, Peter L., Vincent J. Jordan, & Alan R. Van Tassel ed.,(1998).Countering the Proliferation and Use of Weapons of Mass Destruction. The McGraw-Hill Companies, Inc.
U.S. Office of the Secretary of Defense,(1996&1997).Proliferation : Threat and Response.
Washington, D.C. : the U.S. Government Printing Office.
USIA(1999). “U.S. Foreign Policy Agenda : Responding to the Challenge of Proliferation”.
Washington, D.C. : http://www.usia.gov/journals/itps/0999/ijpe/ijpe0999.htm

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金子将史の論考

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Masafumi Kaneko

金子将史

第19期

金子 将史

かねこ・まさふみ

株式会社PHP研究所 取締役常務執行役員/政策シンクタンクPHP総研 代表・研究主幹

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