Thesis
私が現在籍をおいているKing’s College LondonのWar Studiesは、戦争史、戦略史、戦争と倫理・社会という3つのコアとなる科目を提供しており、様々な角度から戦争という複雑な現象を理解するように配慮されたユニークなコースである。
恥ずかしい話ではあるが、これまで戦争の歴史というものにそれほど親しんできたわけではなく、こうして改めて戦争史をたどってみると、自分が安全保障を考える際に前提としてきた思考が、いかに現代の視点に制約されたものであるかを痛感する。戦争のありようは時代を通じて一様ではなく、また、現代人が信じやすいほどには技術革新によって劇的に変化するものでもない。月並みではあるが、歴史を学ぶことの意義は、何らかの教訓を引き出すこと以上に、いかに人間の視点が制約されたものであるかについて謙虚になることを教えてくれる点にあるのであろう。
さて、欧州の歴史は戦争の歴史であり、国民国家制や欧州統合も、戦争を抑制するための制度として形成されてきている側面が大きい。現代の国際関係論は西欧に発した学問であり、西欧の歴史や経験をベースに築き上げられてきたといって大過ない。欧州の戦争の歴史を中心に学ぶ中で感じるのは、欧州と歴史的に異なる東アジアにおいて、欧州の歴史を背景に築かれてきた国際関係理論というものが本当に妥当するのかということである。
欧州各国は、戦争を通じてお互いに「関係」し、国民国家そのものや国民国家間の関係を形づくってきたわけであるが、例えば日本は、近代以前には、白村江の戦い、元冠、文禄・慶長の役くらいしか対外的な戦争はなく、戦争と言えば戦国時代を始めむしろ国内(といっても現在のような意味とは違うが)で行われてきた。中国は日本と比べれば、周辺の異民族との戦争を頻繁に行っているが、中世の欧州のように、王侯同士が一定のルールに基づいて名誉や沽券をかけて争う、というようなものとは違うように思われる。そこから醸成されてくる対外関係についての意識や戦争遂行におけるルール、戦争目的の設定の仕方などは、かなり趣を異にするものであるはずだ。
近代以降の東アジアは、ウェスタンインパクトを受け、ある場合には強いられ、ある場合には自発的に採用しながら、欧州のルールをかなりの程度受け入れてきた。しかし、それまでの歴史的経緯の違いを別にしても、東アジアにおける戦争と国際政治の関わりは、欧州のそれとは異なるはずである。個別の戦争については多くの著作があるが、東アジアにおける国際関係の有り様に、戦争がどのような役割を果たしてきたのか、あるいはいるのかという少し広い視点からの研究があってもいいのではないだろうか。マイケル・ハワードが “War in European History” を書くことができたのは、多少の時差や地域差を伴いながらも、それぞれの時代で欧州全体に共通する戦争のモードが存在するという確信があったからであろうが、対してWar in Asian Historyというものがはたして書けるのだろうか。
欧州が、個々の国や特定の国と国の戦争の歴史ではなく、欧州の戦争史というものを築いているのをみるとき、東アジアが一つの国際「社会」として成立するためには、戦争の経験が東アジアにとって持ってきた意味を共有していく手続きが不可欠ではあるように思われる。それは、南京大虐殺の日中共同研究を行うとか共通の歴史教科書を作る、というのとは少し違う。東アジアの戦争は、どんなルールに基づいて、どのような社会的基盤を背景に行われる社会的行為だったか、それがどのように変遷してきたかを問うことで、東アジアがどのような意味での国際「社会」であったのか、あるいはなかったのかを照らし出す、ということである。その場合、戦争が東アジアの国際関係を形成した主要因だったのかという大前提も含めて考えていく必要があろう。日本の過去への断罪をボトムラインにしてアジアに共通の歴史意識を形成しようとすることも、このところ我が国で活発化している歴史修正派の動きも、政治的な主張としてはそれぞれに了解可能であるが、概念における創造性については今一つという印象である。大東亜戦争が善だったか悪だったかという議論がアジアにおいて共通の了解を持ちうるとすれば、単なる歴史的事実の指摘では不十分で、善や悪を規定する国際「社会」の存在を概念する必要がある。戦争史の専門と言うわけでもなく、勉強をはじめたばかりでもあるので口幅ったいのであるが、アジア太平洋における安全保障の秩序化を希求するものとして、いつかこのような観点で東アジアにおける戦争の意味を考究する必要を痛感している。
Thesis
Masafumi Kaneko
第19期
かねこ・まさふみ
株式会社PHP研究所 取締役常務執行役員/政策シンクタンクPHP総研 代表・研究主幹
Mission
安全保障・外交政策 よりよい日本と世界のための政策シンタンクの創造