Thesis
今回は、1月27日~2月7日までの12日間、神戸の御影郷の泉勇之介商店での日本酒醸造の体験研修から学んだこと、感じたことを書いていく。
今まで私は「ものづくり」というのに関わったことがなかった。一度その「ものづくり」を体験してみたいと思っていた。そして、その「ものづくり」についても日本を知るということで日本伝統文化に関わるものをと考えていた。
そう考えていたとき、神戸で育った私は、「灘の生一本」を思い出した。神戸の灘の浜は、「灘五郷」に属し、江戸時代から日本酒づくりのメッカであった。
日本の「伝統」と「ものづくり」の両方を体験できるものが、「日本酒づくり」であるということで、この体験研修を希望し、縁あって、御影郷の泉勇之介商店で研修させていただくことができた。
1.灘の酒の歴史について
灘とは、六甲連山を背にして大阪湾を臨む東西に長い帯状の地域である。
灘の酒造り、一般的には江戸時代初期の寛永年間(1624~43)に伊丹の雑喉屋文右衛門が西宮で酒造りを始めたのが、その始まりだと言われている。
江戸初期から中期までは、池田(大阪府池田市)や伊丹が江戸向けの酒の中心地であったが、18世紀後半から灘の酒が台頭し始めたのである。
台頭し始めた理由は、灘の酒質の優秀さであった。
優秀さの理由は、六甲山系の水流を生かした水車による精米(水車精米)と天保18年(1840)に発見された宮水(みやみず)の存在であった。
他にも、酒造り用の最適の米といわれる「山田錦」の最大生産地は兵庫県であったということが合わさるとともに、大阪そして江戸への水運による大量の輸送が可能な点(樽廻船)が、灘を日本一の酒どころとして発展させた。
2.灘五郷について
「灘五郷」は、日本一の酒どころ「灘」の5つの地域を表している。現在は、西から西郷(神戸市灘区)・御影郷(同市東灘区)・魚崎郷(同市東灘区と芦屋市)・西宮郷(西宮市)・今津郷(西宮市)で構成されている。江戸時代は、西宮郷ではなく下灘郷(神戸市兵庫区と中央区)が灘五郷を構成していた。
灘五郷には、TVのCMでも有名な「大関」・「白鶴」・「菊正宗」・「日本盛」・「沢の鶴」等々の銘柄の日本酒を造っているメーカーや、赤穂の四十七士が峠の茶屋で飲んだといわれる「剣菱」といった歴史ある酒造が存在している。
※灘五郷のHP(http://www.nadagogo.ne.jp/index.html)
3.研修先、泉勇之介商店について
私を受け入れてくれたのが、この泉勇之介商店である。
泉勇之介商店は、明治初期に初代勇之介が創業をし、蔵元の姓「泉」と地元「灘」を合わせた「灘泉」という銘柄の日本酒を造っている。現在は3代目勇之介が醸造を行っている。
阪神大震災で被災し、蔵の二階部分や精米所は壊れてしまったが、旧来の木造蔵のまま復旧することができ、灘五郷の中で数少ない木造蔵としての雄姿を保っている。
醸造は岩手県の南部杜氏と杜氏に率いられた蔵人によって行われている。
予約が必要ではあるが、蔵の見学は可能で、大手メーカーと違って、タイミングが合えば実際の作業風景を見ることが可能である。
※泉勇之介商店のHP(http://www.nadaizumi.co.jp/index.html)
1.日本酒はもともとは「口噛みの酒」
ご飯を食べているとき、よく噛んでいるとだんだんと甘くなってくる。これは唾液により米のでんぷん質が分解され、糖分(ぶどう糖)ができて甘くなるのである。古代の日本人は、米をよく噛んで甘くなってから容器に吐き溜めておくと空気中の野生酵母がついて、アルコール発酵を起こしてお酒になることを発見した。これが「口噛みの酒」である。
後に東洋の古代人は、ある種のカビが生えた蒸米(むしまい)が、唾液と同じような作用で酒を造ることを発見した。これが麹(こうじ)である。
日本で米と麹でお酒が造られるようになったのはいつかというのは明確になっていない。3世紀書記の日本を書いた「魏志倭人伝」や奈良時代初期の「播磨国風土記」等でお酒についての記載はあるが、それがどのような方法で造られたかについては記載されていない。
今のような清酒(澄んだお酒)は、平安時代にはすでに主流になっていたといわれている。
2.日本酒の種類
TVのCMや酒屋にいったときなど、吟醸・大吟醸・純米等々の表現を見たり、聞いたりしたことがあると思われるが、これは米の精米歩合や何を使って造られた日本酒なのかによって分けられるのである。
(1)精米歩合での分け方
精米歩合とは、どれだけ米が削られて残っているかを表している。
日本酒づくりにおいては、精米で米を削れば削るほど、でんぷん質以外のものがなくなり、雑味のないすっきりとした味わいの酒ができることになり、できるかぎり精米をするというのが日本酒を造る人々の願いである。
精米歩合 酒の種類 50%以下 大吟醸 ※50~60%以下 吟醸 ※60~70%以下 純米・本醸造 73~75% 普通酒 玄米を100%とし、一般に家庭で食べている米の精米歩合は90~92%である。
私は、山田錦の40%を見せてもらったが、まん丸の状態になっていた。
ちなみに日本酒の長い歴史の中で、「吟醸酒」が登場したのは、大正末で比較的に歴史の浅いお酒なのである。
※吟醸・大吟醸は、単に精米歩合だけではなく、「吟醸造り」という厳格に定められた製法で醸造されなければならない。
(2)原料による分け方
日本酒を飲めばよく「純米」という表現を聞くことがあると思う。この「純米」とは、米と麹と水だけを用いて造られた酒という意味である。もともとほぼすべての日本酒は「純米」であり、戦前には「純米」という言葉はなかった。すなわち、日本酒=純米酒であった。
しかし、戦時中の米不足よって酒の生産量が減少する中、それを補うためにアルコール添加(アル添)が始まり、今はこのアルコールが添加された日本酒が主流となっている。
酒の種類 原料 純米酒 米・米麹・水だけ 本醸造酒 純米+一定量の醸造アルコール (アル添)普通酒 純米+多くの醸造アルコール 糖類添加普通酒(三倍増醸酒)その他にアルコール調味液を加えたもの ※純米大吟醸とは、精米歩合が50%以下の米と米麹と水だけで造られた日本酒という意味である。
3.日本酒ができるまで
日本酒ができるまでの工程を簡単に書くと以下のとおり
1.一日の流れ
杜氏・蔵人たちの朝は早い。朝6時から仕事が始まる。星煌めく夜空の下、仕事が始まる。私の一日の研修内容を大まかに書くと以下とおりである。
午前の部 午後の部 6:00~7:00 ・もろみに室から出しておいた麹を入れる。・室にて麹の仕舞仕事と盛仕事を行う。・もろみへの櫂(かい)入れ 12:00~13:30・昼食&昼休み 13:30~15:00 ・放冷機の清掃・その他の清掃・作業場の整理 15:00~15:30 ・おやつ休み 7:00~8:00 ・朝食&休憩※この間に米を蒸す。15:30~17:00 ・作業場の整理・夕方のもろみの櫂入れ・室での麹の作業(切り返し) 8:00~10:00 ・蒸米(蒸しあがった米)の放冷&種付け(種切りとも)&搬送作業・作業の合間の蒸米&放冷作業道具の清掃17:00~ ・夕食&入浴※基本的にはこれで作業終了 10:00~10:30 ・朝の休憩 10:30~12:00 ・洗米&浸漬作業・洗米場の清掃・放冷機の清掃
2.各作業について
各作業についての説明を行う。
(1)精米・洗米・浸漬
泉勇之介商店では、精米について阪神・淡路大震災の被災により止めてしまっており、精米所に任せている。
精米した白米を洗うのが「洗米」で、「第二の精米」といわれ、白米についた糠を取るのが目的で行われる。吟醸酒を造る場合以外は機械にて洗米を行う。
二日目の洗米作業で、米を送り込みすぎてホースに詰まってしまい、最高温度1℃という雪舞う氷点下の中で震えながら水を使って解体作業を行った。
「浸漬」は、米の中心部まで水を吸わせる作業で、洗米から連続して行われる作業である。2時間くらい水につけた後、その水は捨てられる。
この工程は午前中に終わる。
(2)蒸米・放冷作業
浸漬終了から一晩おいて、朝早くに米を蒸し上げる作業(※炊くのではない)が行われる。
これが「蒸米」である。 蒸しあがった米は、おこわのような感じというか、ちまきに入った米というか、そんな感じの食感で、粘りも少なく、普段口にしているご飯とはかなり異なっている。
蒸しあがった米は、麹用、酒母用、もろみ用に分けられ、それぞれに適した温度に冷やされる。これが、「放冷」である。
多いときに、日に1トンの米を蒸米機から放冷機にシャベルで掘りあげる。これを2人でやるのだが、非常に力のいる仕事で、2日目から上半身筋肉痛に襲われつづけた。
(3)麹を造る作業
酒造りは「一麹、二もと(酒母)、三造り(もろみの発酵)」と言われ、いかに良い麹を造るのかが酒の出来を大きく左右する。
麹は、蒸米に種麹の麹菌をふりかけ(種付け・種切り)、製麹室(せいきくしつ)といわれる常時30℃前後の温度と60~75%の湿度で管理されている専用の部屋にて造られる。
この部屋はすべて杉の木で造られており、中では上半身裸になって麹を作る作業を行う。
普段は、開け放たれた木造蔵の中での作業のために寒いが、この部屋は常夏の部屋で、前身汗だくになりながら作業を行う。
全工程48時間前後で、単なる冷えた蒸米が、時間がたつに連れて麹菌のカビが生えて、麹カビのかび臭いようなにおいが漂ってくる。
出来上がった麹を食べると、ボン菓子のような感じで、はじめはあまり味はしないがかんでいると段々と甘くなってきた。
出来上がった麹は、酒母やもろみに使用される。
(4)もと(酒母)を造る作業
「もと(酒母)」は、日本酒のアルコールを生成する酵母という微生物を蒸米・麹・水の混合物の中で大量かつ純粋に培養したものである。
「もと(酒母)」は、文字通り日本酒を造る元になるもので、雑菌が沸かないように、酵母を大量かつ純粋に培養するために、非常に細かく温度管理されており、氷で冷やしたり、湯を使って温めたりと、繊細に造られる。
(5)造り(もろみの発酵)の作業
「もろみ」とは、もと(酒母)に蒸米・麹・水を加えたものである。もろみの中で酵母にアルコール発酵をさせることによって日本酒ができる。
もと(酒母)に蒸米・麹・水を加える作業は、一回の作業で行われるのではなく、三回に分けて行われる。これを「三段仕込み」という。
この「三段仕込み」は、4日間の工程で行われる。一回目は「添(そえ)」、二回目は「仲(なか)」、三回目は「留(とめ)」といわれ、一回目と二回目の間には一日の休み「踊り」がある。
もと(酒母)に加えられる蒸米・麹・水の量は、段々と増やして行われる。
「留」が終わってすぐは、まだ本格的な発酵は始まっていないが、二日もするとぶくぶくと泡を上げだし、二十日もするとほぼ発酵の泡は収まる。反応中は、発酵で泡がぷちぷちという音が聞こえる。発酵中はガスを発生させているため勢いよくもろみのにおいをかぐと、そのガスにガツンとやられてしまう。
この「もろみ」には朝夕一回ずつ、櫂(かい)入れという作業が行われる。これは、もろみの攪拌やもろみへの空気入れやガス抜きの目的で行われる。
(6)しぼり作業
もろみの反応がほぼ落ち着くと、もろみの搾りが行われる。
この搾りで、清酒と酒粕に分けられる。基本的には自動圧搾機で行われる。搾りたての酒は黄色く、飲ませていただいたときは、舌にピリピリとくる刺激があった。
圧搾機に残った酒粕は、別途取出しを行うが、これが、蔵人の人たちが簡単にやるのでやらせてもらったが、自分は失敗ばかりしていた。
搾りたての酒粕は、チーズのチーズ味を抜いて酒を浸したような感じで、酒の味がとても強かった。
(7)ろ過作業
しぼったお酒をホーローのタンクに収める。数日間置いておいておくと、お酒より比重の重い不純物が沈み、軽い不純物が浮いてくる。ここで活性炭素の粉を加えて、これらの不純物やにおいを吸着させ、ろ過剤を混入させて、ろ過機に通してろ過して貯蔵する。
1.大きな勘違い ~日本酒を造る人すべてが、杜氏ではない~
私はこの研修をするまで、杜氏とは日本酒を造る職人総称だと思っていた。ある日の昼休みに私はみなさんに「みなさんは杜氏さんなんですか? 日本酒造りに携われば杜氏になれるのですか?」と聞いてしまい、そこで初めて日本酒造りの職人の職階と杜氏はそのリーダーであることを教わった。
酒造りを行う技術者を酒造技術者といい、酒造の長を「杜氏」といい、それ以外のものを「蔵人」というのである。そして蔵人は役割に応じて、頭・麹師・もと師・釜屋等々に分かれるのである。そして杜氏は蔵人として長年の経験を積んだだけではなれるものではなく、試験も受けなければいけないのである。
※杜氏について
全国各地に24の杜氏集団があり、各流派同時の酒造様式を誇りにして日本酒の製造にあたっている。泉勇之介商店で日本酒製造にあたっている南部杜氏は、越後杜氏・丹後杜氏と並んで日本三大杜氏集団であり、杜氏数は全国最多を誇っている。
他に、丹波杜氏・越前糠杜氏・但馬杜氏・津軽杜氏・広島杜氏・肥前杜氏等々がある。
※全国杜氏一覧HP(http://www.sakejapan.com/sake-info/sake-info11.html)
2. こだわって造られる酒、大吟醸・吟醸酒
大吟醸・吟醸は、杜氏や蔵人たちの思いが結晶されたお酒である。
それ以外は、洗米・浸漬・放冷等を機械で行うが、このお酒を造るときは手で行われる。特に大吟醸の場合は、そのもろみもすべての蔵人が扱えるわけでなく、杜氏と担当のものしか扱えない。私は最後までその姿を拝むことはできなかった。
しぼりも、自動圧搾機ではなく、布袋に大吟醸・吟醸のもろみを入れ、重力で自然に搾るのである。
吟醸のもろみは、毎日見ることができた。初日にはじめてその香りをかいだときは、香りというよりも甘臭かった。それが日数を経るにしたがって、フルーティーな香りに変わっていくのは、職人のこだわりと自然のなせる技の融合だと感動した。
3. 自然に合わせる ~自然の流れに身を任せ スローライフ~
12日間で一番思ったことは、日本酒造りは自然との融合の作業であるということである。
肉体的には慣れていないがゆえに大変だったが、精神的には大変とは思わなかった。それは自然と歩調を合わせて仕事をしているからだと思うのである。
会社員時代、自分の仕事はシステムであり、コンピューターが相手であった。このコンピューターはとても仕事が速い。コンピューターの速度に合わせて仕事をしなければならず、それゆえにいつも仕事に追われているような感覚だった。
恐らく、高度経済成長が進む中、合理化やスピード化が求められ、仕事がどんどんと機械化・コンピューター化されていった。これによって確かに仕事のスピードが上がった。そのスピードは人間が無理にあわせなければならないほどのものに、もしくはあわせるの不可能なほどに早くなってしまったのではないだろうか?
つい最近、よく「スローライフ」や「スローフード」といった言葉を聞く。これはこれまでのあくなきコンピューターによるスピード化の行き過ぎた追究への反動ではないかと思うのである。
泉勇之介商店での酒造りは、こちらがいくら急いでも、もろみや麹が早く反応が終了するわけでもない。自然の反応を促しながらも、自然の流れに身を任せて仕事をする。自然と調和して仕事を行う。自然との調和は、コンピューターとの調和と比べると無理なくできるものである。 自分の今までのコンピューター相手の仕事からすれば、酒造りのような自然と調和する仕事は、まさに「スローワーク」といっても良いだろう。
「スローライフ」とは、機械やコンピューターによる行き過ぎたスピード化で狂わされた人間性の回復を希求するものであり、それには人間と自然の融合というのが大切なのである。
Thesis
Kentaro Ebina
第22期
えびな・けんたろう
大栄建設工業株式会社 新規事業準備室 室長
Mission
「ノーマライゼーション社会の実現」