Thesis
私は、人は何歳であっても、社会とかかわり力を発揮し社会を支える一員でありたいと願っているのではと思っている。
ここ最近、年金制度改革についての話題がよくなされているが、ここで私はいつも疑問に思っていることがある。
それは、現役世代が何人で高齢者を支えるかという議論についてである。たとえば、厚生労働省の「国民年金・厚生年金の財政」では以下のように書かれている。
20歳以上65歳未満のいわば年金制度を支える現役世代と65歳以上の年金受給世代の比率でみると、現在およそ4人の現役で1人の高齢者を支えているのが、平成37(2025)年には2人で1人、平成62(2050)年には1.5人で1人を支えることになります。
確かにデータで行けば、そうなるのだが、高齢者は社会において常に支えられるだけの側でしかないのだろうか?という疑問である。
人が生まれ、成長し、そして死ぬ。その人生のサイクルの中で最後のセーフティネットが医療制度と介護保険制度ではないだろうか?
この介護保険について、厚生労働省の平成13年度介護保険事業状況報告によると平成13年度末第一号被保険者(65歳以上)の数は、約2,317万人で、そのうち介護認定を受けている第一号被保険者は約288万人で、これは全第一号被保険者のうちの12.4%にすぎない。すなわち87.6%の高齢者は、介護保険を必要としない元気な高齢者といってもいいのではないだろうか?
このような高齢者の方々を支えられる側として考え、その力の発揮を考えないのは社会にとって損失ではなかろうか?
1.基本的な想い
前提に書いたとおり、私の基本的な想いは、「人は何歳であっても、社会とかかわり力を発揮し社会を支える一員でありたいと願っている」ということである。
そして、介護保険の第一号被保険者数とそのうちの介護認定者数を比較したとき、介護保険制度の充実は最後のセーフティネットとして重要ではあるが、元気な高齢者の力を生かすことも大切ではないだろうかと考えている。
この両方の考えを満たす社会、いくつになっても自分の力を発揮し、社会を支えることができる社会、それが「生涯現役社会」なのである。
2.いまのままでは減りゆく労働力
国立社会保障・人口問題研究所の平成14年1月の「日本の将来推計人口」によると、中位推計の結果、平成18(2006)年の1億2,774万人をピークに減少を続け、平成62(2050)年には、1億60万人にまで減少するものとされている。
いままでの社会制度は常に人口が右肩上がりであることを基本としてきたが、平成18(2006)年からはもうその前提は崩れてしまうのである。
特に少子化により若年層の人口減少が激しく、それは当然、若年労働力の低下につながる。エルダー2002年10月号によるとわが国の労働力人口は、この10年間に55歳以上の高齢者が約400万人増え、若年労働力は約330万人減少するとされている。
現在、昨今の不景気で、今年度も今春卒業予定の大学生の就職内定率は73.5%(昨年12月1日現在)と現行の調査方法となった平成8(1996)年度以来の最低を記録しているが、長期的な視野に立てば、現在のように若年労働者を大学卒業時や高校卒業時の一定の時期だけで雇用する制度では労働力を増やすことは非常に困難である。高齢者の労働力も当然必要な時代になるのである。
そして、高齢者も働くことを望んでいるのである。人材派遣会社パソナの調査によると高齢者の56%が「働き続けたい」と答えたという結果も出ている。
高齢者の労働力もというよりも、いつまでも働ける限り(体力的・精神的・知力的等)は働く社会=生涯現役社会になるべきなのである。
生涯現役社会を考えるにあたっては、いろいろな要素を考えなければならないわけだが、私はその中でも「働く」ことはとても重要な要素の一つだと考え、今回はこの部分について論じたい。
それは、人にとっては生活の原資を得るものであり、自己を成長させるものである。社会にとっては、一人でも多くの人が働くということが、支えられることになり、各種社会保障の負担が軽減されることになるように、個人にも社会にも大きな影響を及ぼすからである。
1.年齢に縛られない多様な就業システム ~働く自由・引退の自由~
就業に関する今までのシステムは、人口増加を大前提に、ほぼ一定時期(大学卒業時もしくは高校卒業時)だけで大量に採用し、企業内で育て上げ、終身雇用・年功賃金・定年制を採用し、これにより、企業は企業組織体としても経済活動としてもほぼ右肩上がりの拡大成長を遂げてきた。
しかし、少子・高齢化社会においては、この大前提となった人口増加(特に若年層)が崩れてしまうのであり、大前提が崩れる以上、その前提の下に採用されたシステムも変わらなければならないのである。
私は、人はある程度の状態になれば(大概は加齢とともにではあるが)、一線級で働けなくなる以上は、自らが引退するというのは必要だと思っている。引退の自由は当然認められなければならず、高齢者全員が無条件に働き続けさせられるような状態を願っているのではない。一方で能力に関係ない部分での引退が強制させられるのもおかしいと思っている。
翻って、定年はどうであろうか?
定年制は一定の年齢が来れば、退職することになっている。条件は能力ではなく年齢である。たとえ働ける能力を有していようともいまいとも、関係なく会社からの退職を要求されるのである。引退の自由ではなく、引退の強制制度なのである。
この定年制がなぜ必要なのか?
それは、年功賃金との関係にある。アメリカの経済学者のラジアーが、賃金と会社への貢献度を年齢に応じて比較した分析によると、年功賃金制度により年々賃金が上がっていくが、働き盛りのときは、会社への貢献度が高くても賃金はその貢献度に見合った分だけ支給されない。しかし一定の時期が来ると貢献度以上に賃金が支払われ、おさえれられた分を取り返す状態になる。年功ゆえ年々上がっていく以上、この貢献度以上に賃金を支払い続けると会社としてはもたなくなってしまうので、貢献度との清算点として定年制が設けられているのである。
もう一つは、会社の処遇制度である。年齢の高い人が管理職になるという制度であるが、定年によって出て行ってもらわないと、いつまでたっても下のものが下のままであり、管理職になれないから、その卒業の場として定年制が設けられているのである。
生涯現役社会を目指すうえでは、やはりこういった会社の制度を根本から見直さなければいけないのである。たとえば、日立製作所においては来年度から全従業員を対象に年功賃金制度を廃止し、成果給に変更や、他の企業でも年俸制度を導入するなど、年功賃金制を大いに改めようとしている。また処遇制度についてもかならずしも年齢だけを基準にしている場合もなくなってきているので、社会全体として取り組めばかならず可能であるはずだ。
働きに応じて賃金を払うのであれば、別に年齢にこだわる必要はない。また処遇についても功績や能力に応じてポストにつけたり、外したりすれば、年上がいるからいつまでも昇進できないという状態も起こらないはずである。
ただ、これは社会システムや企業だけが変わって実現できることではない。当然労働者(学生等の予備軍も含む)側も生涯現役社会で働くことに耐えうるような能力開発に取り組まなければいけないだろう。
加えて、引退の自由の保障として、私は60歳以降の引退については、年金を支給すべきだと考えている。やはり生活の保障として必要だからである。しかしその場合は65歳で支給されるものが60歳で支給されるのだから、年金経理にてしっかりとその早まった分だけ減額した年金を支払えばいいと考えている。
2.エイジングファンド ~市場の評価~
これからの日本社会は環境と高齢化にいかに対応するかにかかっている。環境についてはエコファンドといった環境問題に取り組む企業を市場が評価する投資信託商品があるが、高齢者就労に取り組み積極的に高齢社会に対応しようとする民間企業を評価するファンド。たとえば、エイジングファンドというものがあってもいいのではないだろうか?
「継続雇用定着促進助成金」等の助成金による支援もいいが、やはりこういった高齢社会に対応する企業の取り組みを市場が評価するならば、企業にとってはその推進により一層のインセンティブが働くのではないか、特に大企業においてはそういった社会的な評価には中小企業以上に敏感なはずである。
厚生労働省をはじめ、都道府県・市町村自治体が高齢者就労を進める企業を表彰したり、助成金を出すだけでなく、市場によって高齢社会対策としての高齢者就労への取り組みが評価されるエイジングファンドなるものがあれば、より効果的に高齢者就労が進み、生涯現役社会実現に近づけるのではないかと考えている。
私は一昨年秋から、「生涯現役」を掲げて活動している団体「ライフベンチャークラブ」(代表:東瀧邦次氏)において、生涯現役プロモーターとして、「生涯現役」について学ばせていただいている。
この東瀧代表の下、より深い生涯現役社会実現についての議論を行うため、「生涯現役実践会」にも参加させていただいている。この会において、いろいろな人の話を聞いていて思うのは、やはり、人はいくつになっても強制的な定年等の引退で社会から不要になることを望まず、どういった形であれ社会とかかわり、力を発揮し続けたいと願っているということである。
この実践会の活動から「生涯現役推進協議会」の設立準備会にかかわり、今年に「生涯現役推進協議会」を立ち上げ、より一層の生涯現役社会が実現するように活動していきたい。
Thesis
Kentaro Ebina
第22期
えびな・けんたろう
大栄建設工業株式会社 新規事業準備室 室長
Mission
「ノーマライゼーション社会の実現」