Thesis
今回は、9月22日(月)・23日(火・祝)に茅ヶ崎で行った「ユニバーサルデザイン体験in茅ヶ崎」のイベントについて報告する。
まずは、今回開催したイベントについて説明する。
1.なぜ、開催したのか?
昨年7月から、私は茅ヶ崎商工会議所内の茅ヶ崎TMOでまちおこしについての会合に参加していた。そのときに商店街の役割を単に買い物としての場所として機能するだけでは、郊外型の大規模店舗に伍することは難しい。近所で安心して楽しめる場所として機能を果たすべきで、そのためにはもっとバリアフリーで安心でき、年齢・性別・能力の違いに関係なくすごすことのできるユニバーサルな空間にならなければいけない。もっとユニバーサルデザインに取り組むべきだということを話したことがあった。
このときの反応は、さまざまあったが共通することは「ユニバーサルデザイン」とは何?だった。
「ユニバーサルデザイン」を言葉で説明すると、「すべての年齢や能力の人々に対し、可能な限り最大限に使いやすい製品や環境のデザイン」といわれている。私なりに定義すると、人の心、そして社会を構成するハードやソフト、仕組みといったものすべてが、年齢・性別・能力・状態の違いに関わらず、普通に生きることが出来るようにする考え方である。
このように説明することはできるが、実際にはそれはどうなのというととても難しく、一緒に関わっていた商店街の人たちにもそれはなんなんだという質問を受けていた。
どうやれば「ユニバーサルデザイン」の考え方を理解してもらえるのだろうか?
そう悩んでいるときに、慶応大生で後にNPO法人日本ユニバーサルデザイン検定協会の理事長として活動する横尾良笑氏と出会った。
横尾氏も「ユニバーサルデザイン」(以降、UDと表現)をどうやって普及させようかと悩んでおり、ともに相談を重ね、ひとつの結論に至った。
それは、自分たちの日常生活に使っているものとユニバーサルデザイン的なものとを比較する形ならわかりやすいのではないかということである。そして、この「ユニバーサルデザイン体験in茅ヶ崎」を開催した。
2.イベントについて
9月22日(月)と23日(火・祝)の2日間、JR東海道線茅ヶ崎駅すぐの茅ヶ崎ルミネ6Fのルミネサロンで、10:00~20:30まで開催した。
イベントの特徴は、いわゆる企業ブース型(注)ではなく、大テーマとして「モノのユニバーサルデザイン」と「心のユニバーサルデザイン」の2つに分ける。
「モノのユニバーサルデザイン」は、「UD説明」「エクササイズ」「UD生活」の3つに分ける。
「人のユニバーサルデザイン」は、NPO法人日本ケアフィットサービス協会の協力を得て、「高齢者・障害者疑似体験」「介助技術教室」で構成される。
これらのスペースにユニバーサルデザインに取り組んでいる21の団体・企業からエアロバイクやダンベル等の健康グッズ、ハサミ・シャーペン等の文具、テーブルやイスなどの家具を集めて体験空間を創出する。
この体験空間の中で参加者に日常生活で使っているものと比べてもらう形でUDを感じてもらい、そして考えてもらおうというイベントである。
加えて、6Fの飲食店街も全面的に協力を得て、「UD食器で」といえば、その食器を使って実際に食事もできるようにした。
参加者には、いろいろな製品を体験してもらいながら、製品の使い勝手等のアンケートに協力をしてもらい、その引き換えに最後に出品商品の中から1点をプレゼントとしてもらえることとした。
(注)なぜ、企業ブース型にしなかったのか、その理由は、本当に楽しもうと思った場合には企業ブースでは楽しめないと思ったからである。
過去にユニバーサルデザインのイベントやその他のイベントにも参加したことがあるが、企業ブース型だと、すぐに企業担当者が説明に来て勧められたりするのかと思ってしまい、まずそこに入ることにいくらかの抵抗を感じてしまうのではないだろうか?
加えて、企業ブース型だと、A企業は文具だけ、B企業は家具だけというように必ずしもトータルで生活のシーンを生み出すことはできないのではないだろうか?
この2点から、企業ブース型ではないイベントをしようと、横尾氏とともに相談しながら決定した。
大テーマ | 小テーマ | 体験内容 |
「モノのユニバーサルデザイン」 | 「UD説明」 | UDについての説明 |
「エクササイズ」 | 健康器具を使ってのUDなエクササイズ体験 | |
「UD生活」 | 文具と家具を使ってのUDな生活の体験 | |
「心のユニバーサルデザイン」 | 「高齢者・障害者疑似体験」 | 白内障等の疑似体験を行う |
「介助技術教室」 | 車椅子等の介助技術を学ぶ |
実際に、このイベントはNPO法人日本ユニバーサルデザイン検定協会(注)主催で行ったが、主には代表の横尾氏と事務局長の私の二人が中心となって、他のメンバーにスポット的に助けてもらう形で進行した。
私の担当は、信頼を得るというためにもということで茅ヶ崎市をはじめとする公的機関の後援や、取材の依頼、茅ヶ崎市内での営業とボランティア募集のお願いをメインとした。そして、横尾氏とともにイベントの企画を練るなど、イベントを一から作り上げていった。
ここでは、イベントの各交渉について書いていく。
(注)日本ユニバーサルデザイン検定協会HP http://www.uniken.jp/about.html
1.後援名義使用交渉
私が後援交渉先に考えていたのは、茅ヶ崎市・茅ヶ崎市教育委員会・茅ヶ崎市社会福祉協議会・茅ヶ崎市観光協会・茅ヶ崎商工会議所・茅ヶ崎TMO・松下政経塾である。
交渉自体は、7月中ごろ、まずは市役所にお願いをした。一番目に市役所にお願いをしたのは市役所からOKをもらえれば、他も交渉しやすいだろうということからと、公的機関のこのイベントに対する反応を見るためにもということである。
(1)市役所交渉
「UDってどこが窓口なんだろうか?」「全部だけど」
市役所での交渉で難航したのは、いったいどの部署がこのUDのイベントにふさわしいかということであった。
UDは、社会全般を網羅する考え方である。福祉的発想であれば福祉関係の部署が窓口に、商店街活性的に使えば、商工関係の部署が窓口に、建物や道路に対してならば道路整備関係の部署が窓口になる。縦割りではなく、横串で考えなければならないのである。
しかし、役所はそういうわけにもいかないらしく、後援自体は問題なかったが、結構どこが窓口部署になるのかということに頭を悩ませていた。
私としては、一番関係の深い部署が窓口になってくれたほうが進めやすいと思ったので、申請書類のイベント趣旨をその部署に合わせる形にして、一番かかわりが深かった部署が窓口とした。その結果、後援名義使用許可を得ることができた。9月1日の市の広報紙への掲載も決定した。
交渉をしてみて、行政がUDに取り組むことの難しさの一面を見ることができた。UDは社会のさまざまな部分に適用される考え方であるので、縦割り的な発想ではなじみにくいのである。
(2)教育委員会交渉
「営業?」「営業ではない」
後援名義使用交渉がもっとも難航したのが教育委員会であった。
今回のイベントは、UDのことを商工会議所内のTMOで商店街活性の一つのネタとして話をしたのが始まりではあった。しかし商店街だけでなく、小・中・高校生や市民の皆様にもUDの考え方を知ってもらいたかった。後の営業で茅ヶ崎市内の小・中・高校や養護学校を回る予定であったので、このときに教育委員会の後援があれば参加呼びかけの営業がしやすいと思ってお願いをした。
生涯学習としてのUDの必要性を呼びかける形で交渉を行った。
しかし、企業のものを集めて体験してもらうというスタイルが、企業のその商品のPRにつながるから営業に当たるではないかという指摘を受けた。基本的に企業担当者が説明をするわけではなく、こちらのボランティアスタッフが行うことと、価格等を明示するような形にはしないことや、その場で販売の仲介をしないことを説明した。
何度か営業でないことを説明するとともに、擬似的な生活空間創出のためには製品が必要であることを説明を行い、市役所の協力もあって、どうにか後援名義使用を認めてもらえた。
この後援名義には後ほどかなり助けられることとなった。
(3)その他交渉
その他は、観光協会だけが今回のイベント自体は観光の意味がわからないのでできないという回答をもらい、後援名義使用の許可は下りなかった(しかし、ポスター掲示等の協力をいただけた)が、後は、市の後援のおかげでそれほどの問題もなくスムーズに許可が下りた。
商工会議所は、日本商工会議所がユニバーサルデザインに興味を持っていることを伝えると、さらに乗り気になってくれ、ポスター掲示等の協力もしてくれ、すこし営業活動が軽減された。
2.取材交渉
新聞とテレビ局を中心に行った。
本当は雑誌等にも行いたかったのだが、実質2人だけで全部をやっていたのでやりたくても手が出せなかった。
新聞は基本的に知っている記者がいるところと茅ヶ崎なので神奈川版を中心に行った。
各社に電話を入れてFAXをして企画を説明し、イベント告知と当日取材を依頼した。
新聞は、五大紙+神奈川新聞に交渉をし、私自身のかかわりとしては神奈川新聞の告知と産経新聞神奈川版の取材を取り付けることができた。
テレビ局については、まずはJCOM湘南にお願いをした。告知と当日のイベント模様を合計2週間にわたって放映してくれることとなった。以前にJCOM湘南が政経塾に取材に来たことがあったので、その伝を生かしてお願いをした結果、非常に協力していただけ大変助かった。
告知は、テレビ番組中に電話で質問に答える形でイベントを告知するというもので、政経塾にディレクターが来て、写真を撮影したり、収録日当日はまずは電話のやり取りの練習を数回してからの収録を行った。告知時間が4分程度なので話すことがかなりきっちり決まっていた形だったので、どうにか台詞調にならないように気をつけたが、放映を見て、思い切り台詞調なのには、苦笑いをしてしまった。
NHKは、NHKにいろいろとネタを提供している人を知っていたので、その人に横浜支局にどうにか取り上げてもらえるようにお願いをした。結果的にはイベント初日ではあったが、イベント告知をしてもらえ、それを観たという人がいたので効果があり、とても助かった。
その他のテレビ局は、基本的に各テレビ局の情報番組ごとに電話を入れて説明をし、企画書をFAXするという作業を行った。東京キー局は、茅ヶ崎でやるということに対して総じて反応が悪く、結局はほとんど成果を上げることができなかった。
改めて、東京が近い地方での情報発信の難しさを思い知らされた。
3.営業交渉
イベントに一人でも多くの人に来てもらうためには、新聞等の告知だけでなく、やはり直接お願いしなければならない。
しかし、ここにもほとんどを2人だけでやっていたので、どうしてもできなかった。
駅でのビラまきや、茅ヶ崎市内全域の学校・障害者施設や団体・高齢者施設や団体、商店街塔等の直接のお願いを企図していたが、実際には2日間で茅ヶ崎市内の小・中・高校、養護学校や高齢者施設を15ケ所回るのが精一杯で、あとは茅ヶ崎市社会福祉協議会や茅ヶ崎商工会議所や茅ヶ崎商連等に呼びかけをお願いした。
教育委員会の後援を取ったことが学校を回ったときにやはり大きく生きた。学校で話をする際にも実は「営業?」ということを言われたりしたが、「教育委員会から後援を得ている」と伝えると、それなら大丈夫かということで、それほど説明を要さずとも、学校内のポスター掲示やクラスにビラをまいてくれることに協力してくれた。
後ほど、茅ヶ崎第一中学校からは全校生徒に配ったという連絡も入り、それだけでも営業してよかったと思ったし、イベント当日は開場近くの梅田中学校が結構きてくれたので回ってよかったと本当に思った。
直接営業があまりできなかったので、反応がわからず、イベントに本当に人が来るのか、イベントが近づくにつれて期待よりも不安が大きくなる毎日であった。
4.ボランティア交渉
イベント当日まで頭を悩ませ続けたのが、ボランティアの確保であった。
今回はNPO法人としての法人格が下りたのが9月に入ってからであったため、協賛金を募る交渉ができず、お金がないためにボランティアには交通費すら出すことができないという状態であった。
私がとった募集策は大きく分けて3つであった。
この中で、まず大学が大誤算であった。実はまだ夏休み中で募集掲示をしても大半の学生は大学に来ないから見てくれないということで、効果は出なかった。
次に看護学校とリハビリテーション学校は、あまりにぎりぎりすぎたのと、リハビリテーション学校のほうは試験期間と重なる不運があり、ここも効果は出なかった。
茅ヶ崎市社会福祉協議会は、職員の方が親身に対応してくれたおかげで4人の人を紹介してもらえた。
しかし、それでも人が足らず、困っていたところ、ちょうどそのときに二ノ宮町でUDなどに取り組む団体「湘南ピポハウス」を紹介してもらえたので、イベントの前日だったが電話を入れて協力してもらった。
前日で、急にもかかわらずイベント期間中に延べ5人も出してくれて本当に感謝している。
あとは代表の横尾氏の慶応のSFCルートでどうにか人を確保した。
本当にイベント当日までボランティアはどうなるかわからないぎりぎりの状況だった。
ここではイベント開催のことを中心に日記形式にて書いていく。
~21日(日) 設営~
この日の午前中から各企業が出品製品を搬入し、そしてボランティアとともに会場の設営を行った。ダイソーの100円均一で用意した小物を使い、飾り付けをしたり、搬入されたイスや机、健康器具を所定の場所に運んだり、ポスターの掲示をしたりといろいろやることがあり、あっという間に夜を迎え、まだ完成しない状態で22時前になりで、茅ヶ崎ルミネから出て行かなければならなくなった。
まだ、設営の終わらない不安な状態で明日を迎えることとなった。
塾に帰ってからは、イベント当日に体験した商品ごとのアンケート用紙が完成していなかったので、その作業や、当日のボランティアマニュアルも出来ていなかったので、その作成に終われ、この日はほとんど徹夜することになった。
この日は関東に台風がやってきていた。明日も台風だと人はあまり来ないのでは...。
~22日(月) イベント初日~
朝を迎える。どうも台風は過ぎたらしく、まだ風は若干強いものの晴れていた。
初日朝を迎え、アンケート用紙やマニュアルを抱えて、イベント会場に行って残りの設営を行った。
このイベントはボランティアに、UDの説明やものの使い方を説明してもらうスタイルなので、ボランティアの教育が必要であったが、実際には開場数分前に少ししかできなかった。
そんな中での開場となった。
本当に人は来るのだろうか....。
人はやってきた。午前中から午後の2時前までは本当に目の回る思いで、イベント会場を駆け回って説明していた。ボランティアの方々もほとんど説明を受けていなかったのに、実戦の中で学んでくれたようで奮戦してくれていた。
なかなかボランティアの方に休みを出すことができず、本当に申し訳なく思いながら2時以降は、逆にあまり人が来なくなったので、ボランティアの方に体験してもらったりとすこしゆったりと過ごしてもらった。
この日は、結局夜まで食事を摂る時間もなく大変な一日だったが、人が来てくれたことをとてもうれしく思った。
21時過ぎに会場を閉めた。
塾に帰ってからは、アンケート用紙が実は午前中ではけてしまったので、大増刷が必要ということで、その作業に追われ、この日も徹夜することになった。
~23日(火・祝) イベント二日目~
この日は祝日ということもあり、家族連れや、学校に営業した成果もあったのか中学生が多くきてくれた。
初日は、午前中が爆発的でどうしようもないくらいだったが、二日目は終日それなりにお客様が来るという形であった。
初日は、一ボランティアが全行程につきそって説明する形式をとっていたが、これはボランティア自身が覚えなければいけない商品が多くなりすぎるので、5つのパートに分けて、そのうちの2パートの部分についての知識を習得して、1パートを主担当エリアとして、参加者に説明する方式に変更した。
この日、実は6F飲食店街の協力があまりいきわたっていないことがわかったので、6F飲食店街に更なるポスターやチラシの掲示をお願いしたり、イベントポスターにもその旨をわかりやすくする作業を行った。このイベントの売りの一つである食事体験がうまく効果を発揮させることができなかったことを大いに悔やんだ一日であった。
19時くらいから人の流れが途絶えだしたので、撤収の時間も加味して20時で閉場し、撤収作業をボランティアの協力の下行った。
設営のときは5人程度だったのでたいへんだったが、撤収では10人を超えるボランティアのおかげであっという間に解体することはできた。
その後、簡単な打ち上げということで、残ってくれたボランティアと食事に行ったが、二日間徹夜状態の私は安堵感からお酒も飲まないうちに眠ってしまっていた。
▲イベント風景 | ▲プレゼント受け渡し風景 |
~24日(水) 撤収~
ごみの処分や出展企業への荷物の搬出作業が残っていた。
この日、ボランティアを集めることができなかったので、最後はまたはじめに戻って二人での作業になってしまった。
21の企業と団体の荷物の搬出はなかなか大変で、何社かは自ら引き取りに来てくれたので助かったが、梱包から運送業者の手配までと非常に大変であった。
イベントは、最後までちゃんと人員の確保をしておかないと痛い目にあうというをことをつくづく実感した一日であった。
イベントは、正確な人数を数えることはできなかったが、2日間で1,000人程度集めることができた。参加者も、家族連れや小・中学校の生徒、障害者の作業所の方々、高齢者施設の職員、車椅子利用者等々、いろいろな人が来て、UDワールドを事故なく体験してもらえたことにも満足している。
マスコミにも、営業を掛けた番組数や新聞紙数からいけば掲載率はかなり低いが、5大紙のうち2紙に掲載されたし、テレビでも放映された。
初めてのイベントとしては成功したと思っている。
ただ、これでUDが広まったわけではない。単にUDに触れてもらっただけである。今後もできれば定期的に開催して、UDを広めていきたい。
そのためには今回のイベントでの反省点を踏まえ、改良して、より楽しめるUDワールドを提供できるようにしたい。
今回は、ボランティアの方に対してこれといったお礼もできず、それどころかほとんど説明もせずに実戦投入させてしまったことについては大変申し訳なく思っている。本当にボランティアの方々が機転を利かせてくれて対応してくれたおかげでイベントがうまく回ったと思っている。
今度は、ボランティアにあまり負担を掛けすぎないような仕組みをしっかりと築きたい。
しかし、2人で1から手作りで始めたおかげで、後援交渉や取材依頼やボランティア交渉に企画、アンケート作成、搬入に撤収とイベントの色々な部分を見ることができたのは個人的に大変勉強になった。今まではどこかの部分しか見ることができなかったのをある程度トータルで見ることができたのは本当にいい経験になったと思っている。
今回のイベントの告知や模様が掲載されていることがわかっている範囲の新聞等の資料である。
Thesis
Kentaro Ebina
第22期
えびな・けんたろう
大栄建設工業株式会社 新規事業準備室 室長
Mission
「ノーマライゼーション社会の実現」