Thesis
以前、カンボジア王国ラジ・シアヌークアカデミー院長のチェン・ポン氏(元文相)の講演を聴く機会がありました。NGO関係者が聴衆でしたが、カンボジア国内にとどまらず、広く尊敬を集めている氏ならではの話でした。概要を紹介させていただきます。
文明・文化(精神文化・物質文化)といった概念は、多様な意味を含んだ概念ですが、人の生活全てを網羅し、今後、人類の運命を左右するでしょう。
アンコール時代の文明は、カンボジアの社会的文化的発展の極みでした。カンボジア社会の発展と成熟が、人・自然・社会の3者間にバランスをもたらしていたことを示しています。要するに、こうした業績は、その当時の融和・結束力のシンボルであり、リーダーシップの確かさ、社会の統治力のシンボルといえます。例えば、バイヨン寺院には47の塔と5つの門がありますが、全ての塔は4つの顔を持っています。即ち、メーター(普遍的愛)、カロナー(慈悲)、ムテター(思いやる喜び)、ウペカー(公平)という、4つの徳を表しています。(堀本注:メーター/支配者は人々の幸福を、人々は支配者の幸福を考える。カロナー/支配者は人々に苦しみを与えず、人々は支配者を苦しめない。メーター/支配者は人々をを妬まず、人々は支配者を妬まない。ウペカー/相互関係や友情は、身分・権力・地位と関わりなく結ばれる。関係を築くときには、公平に、妬まず、恐れず、欠点を探さないという4点を基本にする。)
人間は歴史の作り手であると同時に、歴史によって作られもします。人間は社会の主であると同時に、奴隷でもあります。人間は社会の創造者でもあり、破壊者でもあります。そして破壊は創造ほど難しくはありません。
釈迦はいいました。「人間は無知と水と土と火、そして風から生まれる。人間の体の中には無知の源がある。人間は無知の因子から生まれ、無知のなかで生活し、無知のうちに死に、再び無知のうちから生まれ変わる。何も持たずに生まれた人間は、死ぬときも何も持たない。しかし、私たちの無知が私たちに野心を持たせ、富に対し貪欲にする。」
どんな花も美しく、それぞれの香りがあります。辺鄙な山岳地帯の密林の花が、庭の花と同じ様な価値を持つように、小さな国の文化も大国のそれと同じ価値を持つのです。本当に強い人間とは、自己に克つ人であると言えましょう。真に人類が発展したと言えるのは、個と自然と社会との均衡、肉体と心と知性との均衡がふさわしいものになることです。
カンボジア人を援助しようとするとき、カンボジア人に本当に必要なものは何かを考えて下さい。援助がなくなったとき、カンボジア人が乞食にならないように、カンボジア人の自立を助けるための援助をして欲しいと思います。
釈迦は言っています。「一番大切な贈り物は、量も減らないし、質も変わらない食べ物のようなものだ」。物質的協力であれ、知識であれ、政治的・経済的協力であれ、援助をする側も受ける側も社会や自然に問題を及ぼさないようにするべきでしょう。質の高い援助とは、明確な意図を持った、裏のない援助です。
患者の命を救うためには、医者は病気について正確に知る必要があります。患者に病気であることを悟らせ、治療を受けることを承諾させなければなりません。カンボジアにとっては何が一番大切でしょうか。衰退から発展へ、暴力から非暴力へ、利己主義から寛容へ、戦いから平和への変化をのぞむとき、活動計画だけでなくその変化への必要条件を考えて下さい。
私が考える有益な援助は、
(1)カンボジア人の精神的病を癒すこと
(2)カンボジア人自身が忘れている自らのアイデンティティーを取り戻す手助けをすること。自立への手助け。
(3)物質的文化と精神的文化の調和を保ちつつ、とりわけ環境と人間との調和を図りつつ、適度な進歩を遂げるように手助けすること。
希望と自信は生きる活力です。カンボジア人は16世紀以降、この2つを次第に失い、この20年に渡る戦争で殆どなくしてしまいました。日本の皆さんは、人間の徳や倫理、そして知性と知恵に関心を持ち、人間の精神と理想に価値を与え、人生の現実と生きていく必要性を十分に認識された人々だと思っています。カンボジアが元来持っている知性や知恵を掘り起こすような援助をして下さい。そうすれば、カンボジア人は自立することができるのです。
Thesis
Takashi Horimoto
第13期
ほりもと・たかし
Mission
東南アジア 援助・開発・国際協力