論考

Thesis

マスコミに思うこと

4/25から5/30まで8度目のカンボジア訪問をして参りました。今回の主目的は第2回七五 三基金プロジェクトの推進にありました。その報告は来月以降に致します。今月は最近の カンボジア事情とマスコミについて感じるところを述べたいと思います。
 今回はおよそ8ヶ月ぶりの訪問であった。一見発展しつつあるかのように見える首都プノンペンでも、国民生活は更に苦しくなっていた。驚いたのは、民衆が極度に政府を恐れていたことである。家の中で人々は口を開いても、一歩外に出ると政治の話は全くのタブーになるのである。“どこにスパイがいるか分からない”、“トラブルはごめんだ”と 幾人に言われたことか。

 昨年、マスコミを取り締まる(政府を批判するマスコミに対する統制)新聞法が制定された。前後して政府に筆誅を加えていた数人のカンボジア人ジャーナリストが、他殺体で 発見されるという事件も起きた。私がプノンペンに滞在していた5月18日の白昼、プノンペンの中心街で政府を批判していたマスコミ人、タン・ブン・リー氏がオートバイに乗った2人の男に射殺されるという事件が起きた。

 一般的にカンボジアへの理解は、民主主義国家として何とかやっているのだろうという 理解と、あんな危ない国というイメージが共存している。最近はカンボジア現地で頑張る 日本のNGOの特集などがテレビで放映され、のどかなイメージも広がっているようだ。しかし残念ながらどれも正確にカンボジアを描写してはいない。首都プノンペンではカジノ 、ナイトクラブ、ホテルなど確かに増えてはいる。しかし、物価の上昇に較べ、人々の給料 は以前として低いままだ。犯罪も増えている。

 最近、テレビでカンボジア関連の特集が組まれていた。いずれも現地で活躍する日本人 NGOを扱ったものである。その番組を見た人が抱く感想は、概して良いものであったろうと思う。しかし私自身はマスコミとその受け手たる私たち国民との関係に疑問を抱かざるを得ない。

 わが国の情報普及度は、世界に類がない。しかし、私たち国民が手にしている情報は、 食べやすく調理されたものであるように思う。その情報に影響を受けるのは国民である。  1月にインド、ネパールを視察し、これまでチベット問題に関してこれまで見えなかった事を知る事ができた。わが国でチベットといえば、誰もが第14世ダライ・ラマを想起す るであろう。しかし、ダライ・ラマが世界を飛び回る原因に関心を払っているとは思えない。

 チベット問題が日本でさほど語られないのは中国に遠慮しているからである。しかしダ ライラマ来日には大報道がなされる。ミャンマーではスーチー女史の解放に際して大騒ぎ であった。そこからは女史の生き様が見えてもミャンマーが見えてはこなかった。私自身 が参加したカンボジアPKOも同じ事が言える。文民警察官であった高田警視、国連ボランティアであった中田さんが尊い命を失い、PKOの引き上げ論も出るほど国論を騒がせた。

それ自体は当然であったろう。しかし、事後が問題である。あれだけ取り上げられたPKO問題も、我々選挙監視員が無事帰国したら全く論じらず、直後の衆議院選挙でも全く争点にならなかった。国策で人命が失われたのである。一体、何のための議論であったのか。

 PKO の任務を終えて帰国した翌日より、複数のマスコミより接触があった。私がある新聞社のインタビューを受け、最後に申し入れたのは次のことであった。
 「私たちが無事に帰ったことで一連の論議を終わらせないで下さい。この経験をもとに、PKOはどうあるべきなのか?わが国の国際協力はどうあるべきなのか?真剣に論議する土壌を喚起して下さい。それはマスコミの皆さんの重要な役割であり、それこそが高田警視、中田さんの死を無駄にしないことだと思います」、と。

 こうしてみると、日本全土を沸かせた議論の多くはその本質から外れていたし、長続きしていない。言い換えれば、問題の当事者たることを意識的に避け続けているのがわが国 日本であるように思える。

 フランスの核実験の時もそうであった。確かに核実験反対の声は挙がった。しかし、真に核実験を反対するのなら、日本は一時的に大使館を引き払うべきであったと思う。更に 言えば、核廃棄物の再処理をイギリス・フランスに委託しているわが国が、環境保護団体 などより強く批判されたのは昨年2月の事である。勿論、その影響を単純比較することはできないが、問題の構造として核実験問題と何等変わることはない。批判と同時に自らを省みる行為がわが国、国民にあったであろうか?

 以前、某新聞社の大幹部と夕食を共にする機会があった。その時のこと、氏は日本の未来について、特に若者に絶望してこう言われた。
  「今の日本は危機感が全くない。若者に至っては何を考えているのか、と思うことさえある。彼らを見ていると日本の未来も期待が持てないね」。
こう、のたまった。氏が言いたいことは理解はできた。しかし、私は
 「一寸待って下さい。貴方はマスコミ人ではありませんか。マスコミ人の使命は一体なんですか?信じることに従って、社会を導いていこうとするのが役割でしょう。これだけマスコミに左右される日本社会において、貴方が言うような情けない若者ばかりいるとするなら、あなた方マスコミ人の責任は大きいのではないですか?」
と、ひとこと言わせて戴いた。社会の木鐸とはマスコミを指してのものであった。今は死語なのだろうか?

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堀本崇の論考

Thesis

Takashi Horimoto

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第13期

堀本 崇

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