論考

Thesis

返還へ進む北方領土

今年6月、アメリカで開かれたサミットにロシアが初めて正式メンバーとして参加した。かつての敵対国同士は急速に接近している。しかし日本との距離は縮まらない。その最大の障害となっている北方領土の現状をリポートする。

6月、北方領土ビザなし交流の一員として国後島を訪れた。ビザなし交流は1991年に訪日したゴルバチョフ大統領と海部俊樹首相(共に当時)との日ソ共同声明がきっかけとなって、翌年始まった。日本からは旧島民と家族、領土返還運動関係者、報道陣、ロシアからは北方領土住民が参加し、これまで約4,000人が行き来している。当初は「どんな人たちが来るか緊張した」(バルカシン南クリル(国後・色丹・歯舞群島)地区第一副地区長)と言うように、領土問題について激しい議論が交わされたという。

 ロシアは旧ソ連時代、クリル諸島(北方領土)は歴史的にソ連の領土であると主張してきた。しかし交流が進むにつれ、元島民の日本人から1945年に何が起きたのかを知るようになり、在住ロシア人の歴史認識が次第に変わり始めた。またロシアの対日専門家との地道な対話の結果、旧ソ連時代に確立された北方領土の歴史の見直しがロシア国内で起きている。
 ロシア本土からやってきたマリーヤ郷土博物館館長(29)は「1946年6月5日からロシア人は国後島に定住した。以前に居住していた事実はない」と公式に発言した。資料を丹念に調べた結果、このような結論になったと言う。
 さらにボンダレンコ南クリル地区中央病院長のように、「北方領土は歴史的に日本固有の領土であり、日本に返還されるべきである」とはっきり言いきる有力者まで現れた。
 ロシア全体での世論調査でも「日本に領土を返還すべきが49%、返還すべきでないが5%、わからないが46%」(共同 7月2日)と意識の変化がはっきりと現れている。

 その背景にはロシア連邦政府への失望と豊かな日本への期待がある。ロシア経済が疲弊している今日、中央政府からの支援は乏しい。国後島のインフラ整備は遅々として進まず、中心地の古釜布(ユジノクリリスク)の港湾は接岸施設が未整備で、上陸するのにはしけがいる。湾内には座礁した廃船が打ち捨てられ、道路は全く舗装されていない。94年10月の地震で津波の被害を受けた建物もそのままである。
 色丹島では燃料の重油代が払えず、停電が日常化している。モスクワ・サハリン州政府に助けを求めているがなしのつぶてで、北海道からの発電用燃料や種芋の支援などで支えられている。3年前に訪問した日本人に「我々の知事はクラスノヤロフ(サハリン州知事)ではなく、横路さんだ」と言った島民もいる(『新樹』平成6年8月)。

 実際、北方領土は次第に根室経済圏と一体になりつつある。根室市内の交通標識にはロシア文字も併記されており、あちこちにロシア語の案内地図が置かれている。スーパーや居酒屋には船員手帳で上陸したロシア人たちが溢れ、生鮮食料品や家電製品のほか、廃車になった日本車を買っていく。平均的なロシア人の月収は100万~200万ルーブル(2~4万円)だが漁船乗組員は12万円を超えるという。
 不足がちな医薬品は日本からの人道的支援に頼っている。島内で対応しきれない患者はサハリンへヘリコプターで運ぶ決まりだが、しばしば発生する濃霧のため船で4時間の根室市の病院へ搬送される(ボンダレンコ病院長)。

 しかし、日本との結びつきが強まっているとはいえ、やはり返還は島民にとって不安だ。「既に橋本首相とエリツィン大統領との間で領土返還の秘密協定が結ばれていると噂が広まっている。我々は島に住み続けられるのか、我々の年金はどうなるのか」(北方領土在住ジャーナリスト)。

 デンバー・サミットで橋本首相は、エリツィン大統領に年内の訪ロを表明した。大統領から四島の共同開発構想の推進が提案される見込みである。以前からロシアには島は返さず共同管理を求める声がある。
 一方でこれを領土返還のステップにしたいという人々もロシア内にいる。一筋縄ではいかない課題だ。
 今回の訪問でも「領土問題は存在しない」(スモルチコフ副地区長)という発言があった。すかさず日本側がゴルバチョフ大統領が公式に領土問題の存在を認めたと反論すると、「我々島民と訪問団の皆さんとの間には存在しないという意味です」とかわされた。往年のしたたかなソビエト外交を思わせる。

 国レベルの交渉にはまだまだ大きな障害がある。しかし人道援助やビザなし訪問等によって、日本の誠意は着実にロシアに伝わり、日本人や日本社会に対する誤解や不安を解消させている。ロシア外交のしたたかさを乗り越え、島民の不安を拭い去る一層の善意を示すことが、返還への平和的合意づくりの確実な道のりだ。


(とよしまなるひこ 1970年東京生まれ。早稲田大学卒業後、松下政経塾入塾。下町の活性化を目指して活動中。)<写真説明>知日派ボンダレンコ病院長(左から二人目)と交流する筆者(左端)と訪問団メンバー。

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豊島成彦の論考

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Naruhiko Toyoshima

豊島成彦

第16期

豊島 成彦

とよしま・なるひこ

公認会計士・税理士

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