論考

Thesis

日本政治の行く手を考える

先日、佐々木毅東大教授の講義を記録する機会があった。含蓄にとんだ内容なので広く公開したい。

 20世紀はこれまでに体験したことのない生活環境が激変した世紀であり、これだけ豊かな暮らしをした時代は人類史上無かった。
 20世紀は民主化の時代であるのが政治からの見方。
 ギリシャ以来19世紀まで不安定・暴走・無知というのが民主主義の評判。20世紀になって突然良くなる訳がなく、第一次大戦と第二次大戦との間はいろいろな暴動があった。民主主義はそれぞれの人に一票を与えてまとめるのだから、これほど難しい制度はない。
 民主主義はできるだけ各人の意志を尊重するが、他方で問題解決能力が無ければどんな政治体制も保たない。
 国民が一緒になって、難しい問題を解決したという歴史的体験が民主政治には大事である。実績があれば信頼感が生まれ、信頼感があれば実績が生まれて良い循環が始まる。そういう信頼感のストックが次のステップの問題を解決する。それが崩れていくと信頼感そのものが成り立たないから、何をやっても政策が利かない悪循環が始まる。政治はリーダーに対する信頼感と我々相互の信頼感がないと駄目だ。信頼感という社会的ストックをいかにして育てていくのかと言うところに行き着く。
 20世紀は国家が非常に大きな力を持った時代だ。
 翻って19世紀は国家があまりハッキリしない時代だ。ちなみに昭和と明治の違いを見るとき国家の強さを見るバロメーターとして経済活動と国家との関わりがある。自由放任主義が明治時代。国家が関与できる範囲がかなり限られていた。

 20世紀になるとがらっと変わる。ある時期の日本は、計画経済のソ連を横から見て学んだと言われるほどのガチガチの体制だった。
 ここに来てまた反対に流れ始めた。市場と国家との関係が変わった。見方によっては19世紀に戻っているとも言える。当時、市場の持っている力でかなりのことができると思っていた。
 ここ20年を見ると福祉国家が福祉社会になり、民間団体、自発的活動で社会問題を担ってもらおうとした。ある時期は国家の評判が悪くなった。国家が問題そのものだとの政治家も出ている。
 今は決定的な問題解決者がいなくなった時代だ。日本の某省庁をみれば昔日の影響力はない。
 国家を中心とした様々な意味での接触やネットワークが張り巡らされる時代になった。大きな企業やヘッジファンドの力は強大であり、小さな国家は目でないとの時代になった。

 昭和20年以降に生まれた人は人類史の中でも異常に経済が盛んになった時代に生まれた世代。政治そのものが経済成長に依存しやすくなる。経済が成長すればパイが増えるのでそれを配分していけば人々の不満を抑えることができた時代。俗に言う右肩上がりの時代の政治ということになる。
 逆に言えば今日の課題は、ゼロ成長やマイナス成長と民主政治は両立することができるのかということだ。私達の政治的な経験として何が残っているのか。高度経済成長で豊かになり箱もの、役所、大学が増えたと言うことしか見ていない。

 政治もいくつかの争点が消えてしまった。冷戦ということは言われなくなった。経済、政治の問題として安全保障をどう考えたらいいのかハッキリしなくなった。
 また失業は政治にとって一番やっかいな経済問題であるがここ30年、それが政治の経験の中からほとんど無くなった。失業は政治課題でなく、企業の問題であり、彼らの努力で雇用を維持していた。しかしこれから失業が一番バイタルな問題になる。
 日本の政治は経済がうまく回転してきた結果を配分する事に重点を置き、経済のマクロ的メカニズムをどのようにするのかは配慮の陰に隠れていた。これを事実上銀行がやっていた。金を回し企業を動かしてきた。そして経済の配分を待つ有権者を作った。政治に参加すれば、何か良いことがあるいう国民が再生産されてきた。他方政治は関係がなく、投票に行くのは馬鹿らしいという時世がかなり続いてきた。

 政治が歪んでいる。生真面目な人がどれだけ政治に参加するのか心許ない。
 事を実行する体制を構築しないと、良い政策を提案しても物事は実行できない。日本では皆が繰り返し聞いて、へとへとになってから政策が実行される。これが政策の安定さと言うが、決定の仕組みをもう少し考えないと大丈夫なのかと国民はなんとなく感じている。
 また長いスパンで政策を考える必要性もある。高齢化という動かしがたいファクターがある。具体的に年金制度がどうなるのかという議論もある。どの政治システムも日常活動を処理しなければならないが、国民はシステムと長期計画をどこかで管理してもらわないとどうしようもないと感じ始めているのではないか。さらに国民の日々の要求に応えなければならないという政治の変化がある。今までは大蔵省が頼まれもしないで、予算配分でやってきた。これはまずいというのが政治の中で出てきた。それではマクロ管理を政治でつくれるかと言えば、なかなかうまくいかない。

 国民が本当に心配しているのは10年先の未来かもしれない。これにどう対応していくのかが重要。それが右肩上がりが終わったということだ。今までは問題を先送りすれば、いずれ良くなったのでマクロシステム管理する必要性が少なかった。
 問題はギリギリのところ、どのような問題が起きるのかと腹を据えて考えているのかと言うことだ。
 肝心なとき政治が役に立って欲しい。最後に頼られるのが政治であるべきだと思う。
 個々の国民に対するサービスの問題はあるが、とてもやりきれる状況ではない。
 来年の統一地方選挙では財政問題がテーマになる。地方自治体は軒並み借金。誰が支えるのか。自治体の自己規律の問題をどういう形でも取り上げて行かざるを得ない。
 政治が無いものは無いと言うべき。無いものもあるという人がいるのが問題。率直に事態を語ることが最低限必要であり、「大本営発表」では駄目だ。
 どこかに隠れた金があってそれを使えば負担しないで済むという国民がいたら底なし沼になる。経済も政治も自立自助が必要。
 基本に返り、国民と率直に語る関係をつくるべきだ。
 政治からもう少しエネルギーを感じたい。政策決定者は自分を大切にしてもらいたい。本当は長期的な業務をやらなければいけない人が日常的業務で疲れてしまう。機能分担が必要だ。
 日本の政治は暴走して大変な事態になることはほとんど無い。むしろ解けてメルトダウンすることを恐れている。

 

質問

戦後の日本から、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に似た政治家をあげて欲しい。

講師

吉田茂元首相が織田信長、疾風怒濤だ。池田勇人元首相が徳川家康。人を動かして、それなりに収まる。豊臣秀吉は新潟や群馬の方とかそれなりにいる。しかし1960年の安保を区切りに、昭和20年代の政治は今の政治と違う。

 

質問

人材を移動させ有効活用するのが、今求められているのではないか。

講師

その通りだ。政界は様々な人が入るが、企業社会は違う。大学は少し様子が変わってきた。まず総理大臣が色々な人材登用システムをつくり、範を示すべきだろう。例えばどう官邸機能を強化するのかなどで。

 

質問

講師の立場から、これまでの政治改革の総括を。

講師

ある意味で言えばまだ早すぎるし、ある程度見えたとも言える。そもそも有権者は何を選挙で選ぼうとしているのかよく解らない。歴史の遺産と時間の大切さを痛感している。

 

質問

なぜ中央における情報公開の法律がまだできていないのか。

講師

情報公開はかなり煮詰まっている。しかし日本の国会はキャパシティーの問題がある。こんなに休んでいる国会は世界に無い。

質問

なぜ東京都、大阪府など大都市の巨額な歳入欠陥を役人は予測できなかったのか。

講師

そういう大都市は財政的なストレスを感じた経験がなく、危機感が無かった。ミクロ的には解らない。

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豊島成彦の論考

Thesis

Naruhiko Toyoshima

豊島成彦

第16期

豊島 成彦

とよしま・なるひこ

公認会計士・税理士

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リーダーのための公会計

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