論考

Thesis

荒廃する日本社会を立て直すカギ -タイ仏教に学ぶ教育- その一

私事になるが、私の実家はラーメン店を営んでいる。私もフランチャイズ等で経営に荷担しているせいか、外食産業の経営にはついつい目を向けてしまう、ということも多い。最近町を歩いていて少々気になったことがあった。それは、俗に「老舗」といわれる店の最近の状況についてである。

 世の中が不況といわれて久しいが、それでも「老舗」といわれる店はそれなりに繁盛しているものと思っていた。しかしながら、よくよく業界の状況を見てみると、そういう店でも結構つぶれてしまっているところが多い。都内を回っても、「まさかあの店が」というような場面に何度かでくわした。何十年もの時を経て繁盛してきた店いうものはそうそうつぶれてしまうものではないと思っていたが、どうも事実は違うようなのである。

「心してみれば、万物ことごとく我が師となる」とは政経塾の「五誓」の中にでてくる言葉であるが、よくよく見てみると、実はこの例をみても、現代の政治・経営に充分通じるものがあるのではあるまいか。政治においても、あるいは会社経営においても「しっかりとした理念をもつことが必要だ」とよくいわれるが、これらの店がそれを持っていなかったというと決してそうではない。むしろ逆である。ではなぜなのであろうか?

 こういう事例を見ていると、「信念を持つ」ということと、単なる「頑固者」とは全く違うのではないか、という気がしてくる。以前私の郷里にある創業百年の伝統を誇るという焼酎の会社へお邪魔した時、興味本位で四十年前に売っていたという酒の復刻版を飲ませていただいた。しかしながら、「創業以来の伝統を守って云々」というキャッチコピーの割には、現在のものとはなはだ違った味であったことを覚えている。やはり本物の老舗というところは、時代に合わせて、少しずつ味を改良するという努力を怠っていないのだろう。

 そういう観点から見ると、一度決めたことを「これは俺の信念だ!」といってはばからない人というのは、かえって時代に取り残されてしまうのではないだろうか。この国に関していえば、「誰がなんといおうと日本は必ず立派な国家として蘇る。日本人にはそれができるはずだ。」という事自体に確固たる「信念」を持つべきであって、それを実現するための「手段」に関しては、あくまで融通無碍でなければならないものと思う。その「手段」にしか過ぎないものを、これは俺の信念だなどとといってはばからないというのは、何ともバカげたことといわざるを得ない。

 幸之助塾主は「君子は日に三転する、というが、三転どころか百転してもいい。それほど世の中の動きは変化している」といったが、まさにその通りと思う。これからも、「信念」と「頑固」とを履き違えずしっかりと邁進していきたい。

以上

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豊島成彦の論考

Thesis

Naruhiko Toyoshima

豊島成彦

第16期

豊島 成彦

とよしま・なるひこ

公認会計士・税理士

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リーダーのための公会計

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