論考

Thesis

荒廃する日本社会を立て直すカギ -タイ仏教に学ぶ教育- その三

○最近なんかおかしいんじゃないの、これって。

 

 -中1男子 女性教諭刺殺 突然ナイフで7カ所刺す 倒れると馬乗り- 栃木県黒磯市の中学校で二十八日、女性教諭が十三歳の男子生徒に刺殺された事件は、全国の父母や教師に大きな衝撃を与えた。殺された腰塚佳代子教諭(二六)は長男出産の産休から昨年四月に復帰したばかりで、「明るい先生」と生徒たちの人気も高かったという。文部省や警察庁の調査では、中高生の教師に対する暴力は激増しており、それも教師の注意などをきっかけに普通の子が突然“爆発”するケースが目立つ。今回の生徒も「注意されて腹だたしかった。ナイフで脅したが、怖がらないのでカッとなって刺した」という。「子供たちの心がつかめない」と戸惑う教育現場の苦悩は深い。(平成10年1月29日:産業経済新聞朝刊)

 -中高生の3.6%、「薬物誘われた」 「使った」も0.7%--総務庁2000人調査-  総務庁は15日、中高校生を対象とした「薬物認識と非行に関する研究調査」の結果を公表した。これによると、全体の3・6%がシンナーや大麻、覚せい剤などの物使用を誘われ、0・7%が実際に使用したと答えた。また男子高校生の4人に1人が「本人の考えに任せればいい」との考えを示すなど、中高校生の間にも薬物汚染が確実に広がりつつある実態が浮き彫りになった。調査は今年7月、全国5県の計20の公立中学・高校に在籍する生徒2146人を対象に実施された。薬物使用を誘われた生徒はシンナー67人、大麻18人、覚せい剤23人の延べ108人で、複数回答をした者を除く実数は全体の3・6%に当たる78人。このうち実際に使用したと答えたのはシンナー9人、大麻5人、覚せい剤1人の15人で、0・7%だった。 全国約900万人の中高校生総数に単純に当てはめると、誘われた者が約32万人、使用者は6万人となり、総務庁は「予想もしなかった多い数字」としている。(平成9年11月16日 毎日新聞社)

 -ゲーム感覚?少年犯罪が悪質化 ささいなことで刺殺 罪の意識薄く- 少年の犯罪がエスカレートしている。「オヤジ狩り」と称して、酒に酔った中年男性を襲ったり、「ガンを飛ばした」と、いいがかりをつけて、相手を刺し殺したり……。都内を中心に悪質なひったくり事件も増えている。警察当局は「罪の意識もなく〈ゲーム感覚〉で犯行が繰り返されている」と、夏休みを前に、警戒を強めている。 先月二十八日午前零時過ぎ、東京・世田谷で十九歳の少年が刺殺された。駒沢公園のベンチに友人と二人で座っているところを取り囲まれ、暴行を受けた末にナイフで右胸を刺された。事件の引き金は、「ガンを飛ばした」というたわいもないものだった。警察当局はこうした少年犯罪について、「ゲームを楽しむような感覚で犯行に走っており、罪の意識もない」と分析している。 和光学園の園長で教育評論家の丸木政臣氏は「なにか気に入らないとか、行きずりの相手の金をとってやろうとか、安易な動機で暴力を振るうケースが目立つ。最近の子供は、人間関係を作るのが非常に不得手で、ストレスも多く、思い通りにならないとすぐにカッとする。消費生活が変わり、子供が何をするにも多額の現金を必要とするようになったことも背景にあるかもしれない」と話している。(平成8年7月4日 読売新聞)

 「不安解消業界がこれから盛んになりますよ。」と経営指南していたのは木村尚三郎東大名誉教授。経営者が集まるセミナーでこれからの時代は先行き不透明で、不安感が広がるから消費者の不安心理を吹き飛ばすような業種がこれからの売れ筋と指摘していました。

 

○幸せのノウハウが消えたってどんなこと。-オウム事件から見つめてみる病根-

 

 4月、高知県の山村にひっそりとたたずむ渓声禅堂を訪れました。建立者で住職をされている方は山下良道禅師。長年海外で曹洞禅の指導に当たられていた禅師は、他の仏教国の僧侶達が、人々の心の奥底に届く救済活動をしている状況を目の当たりにされ衝撃を受けました。ひるがえり在家者の心を救う意味で、死んでいる日本の仏教界を立て直す出発点にするため、葬式仏教とは一線を画して純粋に仏教の勉強と修行のみの禅堂を建立されました。

 平成8年開山。国際派の禅師を慕い、多くの外国人と日本人がそちらで思いのままの期間草鞋を脱いでいます。

 禅師とお会いして数時間お話をお伺いしました。話題はどうして日本はこんなにおかしくなってしまったのかに自然と向いていきます。すると禅師は日本が抱えるあらゆる問題がつまった事件としてオウム事件を挙げられました。

 なぜオウム事件が起きたのか、根本的な原因は何なのかお尋ねすると曹洞宗の宗祖、道元が記した正法眼蔵の一問答を示されました。少々長い引用になりますが、私の問題意識-幸せのノウハウが消えてしまったのが日本社会の最大の癌-を筋道を立てて解説して下さっているのでそのまま抜粋します。私もよく読めない古文ですので面倒な方はとばして、解説のところまで進んで下さい。

 「生死を出離するに、いとすみやかなるみちあり、いはゆる、心性の常住なることわりをしるなり、そのむねたらく、この身体は、すでに生あればかならず滅にうつされゆくことありとも、この心性は、あえて滅する事なし、よく、生滅にうつされぬ心性わが身にあることをしりぬれば、これを本来の性とするがゆえに、身はこれかりのすがたなり、死此生彼さだまりなし、心はこれ常住なり、去・来・現在かはるべからず、かくのごとくしるを、生死をはなれたりとはいふなり、このむねをしるものは、従来の生死ながくたえて、この身、をはるとき、生海にいる、生海に朝宗するとき、諸仏如来のごとく、妙徳、まさにそなわる」。

 ある人が道元禅師にこのような考えは仏法と呼べるのでしょうかと質問したときに「外道の邪説」と一蹴されたそうです。この問答を解説されると次のようになるそうです。

 「やがては滅んでいくこの身体のなかに、永遠に滅びない「心性」というものがあって、そのことを知るのが生死を乗り越えることだというわけです。・・生死を現実と言い換えても同じです。この嫌なことばかりの現実とは別のところに、なにか永遠なる別の世界があってそのことを知れば、この現実を越えられるということになります。」

 「この文章の中では生きていく時にそれを知ってさえいれば、この身が終わるときにその世界(性海)に行けるとのみ言っているわけですが、死ぬまで待てない野心的な人達のなかで、生きているうちに直接その世界を体験したいと欲求が当然でてきます。そしてその方法として色々な瞑想技法があって、それを使えば心性なるものを直接体験できる。・・これこそ麻原被告の説法の基本的論理構造です。」

 「この種の説法が、現実がたまらなく嫌で、そこから逃避したがっている人達にとても魅惑的に響いたのは想像に難くありません。しかも瞑想技法に加えてLSDを始めとする薬物まで使ったら、もともと非現実の世界に行きたがっている人達が色々な幻覚を見るのは余りにも当然です。」

 「これらの神秘体験をお与え下さった尊師こそ絶対的真理であると。その尊師の命令に絶対服従するのは当然で、サリンをまけと命じられたら躊躇無くまけてしまうわけです。何故なら、いわゆる現実世界などに何の価値はなく、それに対し自分たちは神秘の真理世界を知っていて、そこから見たら現実世界でのどんな極悪な犯罪もとるに足らないものになるわけですから。更に加えて逃げ出さなくてはいけない程、もともと現実世界に適応できなかったことへの恨みも確実に介在していたはずです。」(以上山下禅師から頂いた手紙)

 最後に「最も問題にすべきものは・・麻原被告が天才詐欺師の勘で、人々の現実逃避の願望を見事に突いた、その点を我々は徹底的に考えなければいけないのです。」と禅師はオウム事件を総括されました。

 先々月から私がお伝えしたかったのに、うまくできなかった-幸せのノウハウが消えてしまったのが問題-現実社会で幸せに生きる力がなくなってきた-それが現実逃避願望を育てている-そして悲劇を生んでいる-をもっと解りやすく禅師が解説されています。

 

○幸せのノウハウって何?

 

 現実社会の中で幸せに生きらず、現実逃避したがっている人がオウム事件を起こしたという説明は納得してもらえたでしょうか。更に私は、そうした現実逃避したがっている人がどうも少なからずいて、最近増えているようだと心配しています。校内暴力、援助交際、こんな今までの常識ではよくわからないような事件とオウム事件は繋がっています。オウム事件はこうした悲劇が一番噴き出た事件でしょう。

 現実逃避もまた幸せになるためならば、一つの方法かもしれません。しかし現実の社会で幸せに生活したいのに方法が解らないから、逃避する。しかし自分に決して満足していない。「もとの社会に戻りたい」という叫び声が年々強まっているように思います。

 この原稿の冒頭に出したケースはその要因が一番深い底に流れており、いってみれば現実逃避願望、社会にうまく適合できない故の悲劇ではないでしょうか。

 それでは現実社会でうまく生きるための幸せのノウハウとは何でしょうか。それこそ私たちの多くの先輩達が、さまざまな言葉で伝えてくれています。ここでは私の尊敬する松下幸之助塾主の言葉をお借りして、私なりの解釈を述べさせて頂きます。

 幸之助さんは”PHP”が大切だと訴えられました。”Peace and Happiness ,through Prosperity “の略で、”繁栄を通じて、平和と幸福を”という意味だそうです。次にそれぞれの言葉を考えてみました。

 「繁栄」は物質的に満たされているという意味、「平和」とは心が安らいでいる状態、言い換えれば精神的にみたされているという意味、その両者が車の両輪の様に連携プレーしたときに物心共に満たされた状態=幸福がやってくると幸之助さんは伝えられたかったのではと、私は思います。

 そのためにはどうしたらよいのでしょうか。そこで幸之助さんは「素直」になりましょうと語りかけています。雑誌「PHP」の表紙の裏にはこう書かれています。「素直な心になりましょう。素直な心はあなたを強く、聡明にいたします。」と。更に踏み込んである人に素直な心とは何ですかと尋ねられた時、「とらわれない心や」と答えられています。

 これは先月の月例報告で述べました仏教の教え-執着から自由になる-と同じ教えでは

ないでしょうか。

 「欲」が「我」を造り「我」が執着を生む。如何にして欲をコントロールし、欲に振り回されるのではなく、反対に使いこなし、「我」に執着しないようにするのか、その方法がお釈迦さんの教えだと私は理解しています。もちろん私は仏教のシロウトで、正直私の頭の中もこんがらがっていますが、それがエッセンスと感じています。

 それは幸之助さんがどうやったら「素直」になれるのか説いた方法と根本的には同じではと思います。

 

○幸せのノウハウの実例集

 

 先月申しあげたように、「どうやったら我に執着しないようになるのか」「どうやったら素直になれるのか」、このようなノウハウは以前豊富に私たちの社会にありました。

 高橋是清という人がいます。戦前、経済問題に大活躍した政治家で総理大臣や大蔵大臣を務めています。「波瀾万丈」の四字熟語はこの人のためにあるようなもので、そんな顕職に就いたこともあれば、アメリカで奴隷に売られたり、芸者の箱持ちをしたり、鉱山開発に失敗して丸裸になった遍歴の持ち主です。

 ピンからキリまで、ありとあらゆる職業を経験した人生のプロフェッショナルとも讃えられる方だと思いますが、彼は自分の著作で次のように述べています。

 「私の半生の経歴は、人のすでに知るとうりであって、多くは自分の不明から、徒に無用の波乱を重ねてきたわけであるが、しかも、その間、ただわずかに誇り得るものがあるとすれば、それは、いかなる場合に処しても、絶対に自己本位には行動しなかったという一事である。子供の時から今まで、一貫して、どんなつまらない仕事を当てがわれた時にも、その仕事を本位として決して自分に重きを置かなかった。だから世間に対し、人に対し、あるいは仕事に対しても、未だ嘗て一度も不平を抱いたことがない。」

 「・・私も今日までにはずいぶんひどく困った境遇に陥ったことも一度や二度ならずあるのだが、しかも『食うに困るから、どうか助けて下さい』と人に頼みに行ったことは一度もない。いかなる場合でも何か食うだけの仕事は必ず授かるものである。・・ところが、多くの人は現在困っていながら『こんな仕事では駄目だ』とか『あんな仕事が欲しい』とか言っているから、いよいよ困るような羽目に落ちてゆくのである。つまり自分を本位としているからの間違いである。」

彼はキリスト教徒ですが、伝えたいことは、「我に執着しない」と言う点で同じではないでしょうか。

こうした「人生訓」の中にも幸せのノウハウが盛り込まれています。今の政治家でこのような心に響く言葉で、「どのように生きればよいのか」語れる人がどれだけいるでしょうか。

 

Back

豊島成彦の論考

Thesis

Naruhiko Toyoshima

豊島成彦

第16期

豊島 成彦

とよしま・なるひこ

公認会計士・税理士

Mission

リーダーのための公会計

プロフィールを見る
松下政経塾とは
About
松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
View More
塾生募集
Application
松下政経塾は、志を持つ未来のリーダーに
広く門戸を開いています。
View More
門