論考

Thesis

地域を育てた不思議な御輿

現在東京都・江東区教育委員会が地域民俗調査を実施している。どのように江東区の人々の生活習慣・意識が変化していったのかについて探ることを第一の目的として、さらに古くから伝わる地域に特有な信仰・伝承なども調査対象にすることによって、地域の姿をより具体的に浮き彫りにすることを目指している。
調査対象地域で生まれ育った65歳以上の人を対象に、聞き取り調査を行う方式で進めている。
私も民俗調査員の一員となって故老の人達の話を聞かせていただいているが、地域には不思議な話が埋もれていると感じざるを得ないようなエピソードがあったので一つご紹介したい。
昭和30年、江東区の新興住宅地だった東陽4丁目で初めてお祭りが始まった。それまでは人家が無くとてもお祭りができなかったが、近くの広場を使って盆踊りをした。昭和40年代後半になって借り物だが御輿を担ぐまでの祭に成長した。
昭和52年、当時の東陽4丁目町会長がふと千葉の勝浦を訪ねたとき、そこの神社で無用の長物になっている御輿と出会った。兼ねてから自前の御輿を欲しがっていた町会長は直ぐ貰い受けた。さぞ町会のみんなも喜ぶだろうと期待しながら帰ってみれば総スカン。祭が終わった後どこにしまうんだ、そのそも担ぎ手がいないじゃないかと言われる始末。
当時は次々とマンションの建設ラッシュが始まっており、新しい住民が住み始めた時期である。ところが元から住んでいた人とは余りコミュニケーションもなく、言ってみればお祭りなどの地域活動とは無関係な人々であった。
そこで他の世話役さんと相談し、「担ぎ手はマンションの人達にやってもらおうじゃないか」と言う次第となって、彼らが近所の高層住宅を回って担ぎ手を募集し始めた。それまで元から済んでいた住人とマンションの住人は余り付き合いがなかったが、面白いことに祭をやろうと声をかけたら沢山の人が手伝ってくれた。
祭は何かと物入りだ。「担ぎ手をマンションの人にやってもらうのだから、金は俺達で何とかしようじゃないか」と話し合い、元々地元に住んでいる人が地元の会社から寄付集めをした。結果、祭は大成功となった。
お祭りのお陰で町の中に一体感が生まれ、その後町会の連合会が発足した。その連合会から老人会が生まれたのだから、御輿が町の中のご縁を広げていった。
その御輿はもう2回ほど使われたが、なにしろ作られてから200年近くたった浜御輿だからあちこち痛んでこれ以上危険で使えなくなってしまった。ゴミとして燃やすわけにもいかず世話役さんの家で保管されていた。場所を取るので少々困っていたところ、家にみえたお寺の卒塔婆を作っている人が御輿を見るなり、この御輿は日蓮宗のゆかりだと言う。 その人は鎌倉の安国論寺で働いているが、ぜひ譲ってほしいと来た。世話役さんは始末に困っていたところだから喜んでお受けした。
当時、安国論寺は小さな寺だったが、御輿がそちらに行ってから「目刺しの土光さん」のお墓が来て、それがきっかけになって財界関係の方のお墓が次々と建てられて一気に立派な寺になってしまった。東陽4丁目に住民の和をもたらし、安国論寺には繁栄をもたらした。誠に不思議な御神輿があったものである。
以上が話であるが、私はこのようなエピソードの中に町興しのカギが隠されていると思う。

Back

豊島成彦の論考

Thesis

Naruhiko Toyoshima

豊島成彦

第16期

豊島 成彦

とよしま・なるひこ

公認会計士・税理士

Mission

リーダーのための公会計

プロフィールを見る
松下政経塾とは
About
松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
View More
塾生募集
Application
松下政経塾は、志を持つ未来のリーダーに
広く門戸を開いています。
View More
門