論考

Thesis

中国は観光立国化を進めるべき(7月報告)の反響

中国の経済消息報掲載の記事に対し、中国各地の旅行関係部署から意見が寄せられたので報告する。

 掲載記事内容再掲。
<摘要>
 中国は、石油や石炭など資源が少なくないとはいうものの、しかし、私は中国における最大の資源は、美しい景観を豊富に有した名所旧跡であると認識している。この種の景観美は天賦のものであり、また古来中国人が造り上げてきたものである。現代の我々が一朝一夕に創ろうと思っても簡単には行かない。だから、我々はこの種の景観美を大切に保持しなくてはならない。また、景観美は、使ったらどんどん減っていくような石油や石炭とは違い、幾ら見ようがそれは減らないものである。
例えば、万里の長城、故宮、泰山、桂林等の風景は何度見ようが減らない。だから、世界中の人々を中国に呼んで、これらの美しい景色を見て貰うようにすべきだ。
 これらの景色を旅行者の鑑賞してもらうのには、もっとこれらの観光地の開発や美化が必要であり、またサービスの質の向上も欠かせない。これらをもっと改善すれば、必ず多くの訪問客を見込めるだろう。そして、中国の貿易赤字解消に貢献するだろう。また、こうした景観美は永遠に不滅のものとなり、その結果、中国の環境もどんどん改善されるだろう。そして、今問題となっている公害問題も解決するだろう。また、さらに、観光産業に従事している人々の接客態度も改善されるとともに、一般の中国人もどんどん礼儀正しくなり、また国際的になるだろう。だから、もし観光事業が発展すれば、中国は理想的な社会となるだろう。
 だから、政府は、中国の観光産業事業者に対して優遇措置を講じたり、国家観光局のあり方を再考し、こうした観光政策を改革開放政策の最重要政策として位置付けるべきである。

<各地からの反響、意見(要旨)>
同済大学風景科学研究所所長 丁 文魁 (上海)
  もっともな意見として拝読しました。今後の研究の参考に、私の書いた文章を送ります。

清華大学建築学院 テイ 光中 (北京)
  あなたの中国の旅行資源に対する着目、中国旅行業発展に対する提案はたいへん意義 がある。中国の関係部門の参考になる。
  しかし、中国は大変大きな国家です。人口は多く、このような国家は1つの産業で「 立国の道」を歩むことは困難です。

中国未来研究会旅遊発展研究所所長 チン 仙波 (折江省)
  あなたの作品は、中国の旅行関係者にとってきっと励みとなるでしょう。しかし、中 国は大きな国家です。しかし、たいへん貧しい国家です。よって、1つの、ご主張の観 光業1つに絞って政策をおこなうと、きっと困難を伴うでしょう。特別に旅行資源の豊 富な省や市に絞って、その地域を観光立省や観光立市として開発するのがいいと思う。 現在、多くの地域から観光開発の事業が提出されているが、なお検討が必要である。観 光立国を提言するのはまだ早いのでは。しかし、文中でのご提案、これから中国で観光 開発を行なっていく上で参考になります。

上海旅遊協会会長 厳 廷昌 (上海)
  あなたの観点は正確です。私は長年観光に携わってきたので、あなたの文章を見たと き感動しました。そして、他の関係者にも伝える必要性を感じました。しかし、一ッヶ 所「立国」の2文字は、少し考えてみる必要があります。確かに、観光業は1つの重要 な産業ですし、第3次産業をリードする産業です。しかし、私は国を立てる産業ではな いと感じる。中国はたいへん大きな国家です。だから中国にとっては、農業も科学も工 業も大切です。シンガポールなどでも観光だけではありません。しかし、あなたの観光 に対する重要性の認識は正しいと思います。

中国社会科学院財貿経済研究所 白 仲焼 (北京)
  あなたの観光に対する視点は正確です。もう少し具体例やそう考える根拠を豊富に文 中に盛り込んで論文を書くといいでしょう

。中国旅遊協会 王 立東 (北京)
  もう少し具体例を多くするとあなたの文章はよくなると思う。ぜひ大作が出来たら、旅遊論文集に載せたい。

以上、6名の方々から手紙をいただいた。
 まず、「立国」という表現が問題となった。8月に報告した文章が、今月、「経済消息報」に掲載された。その中で「観光立国」とは、観光だけで食べていこうというものではなく、社会産業基盤の整備を観光振興という形で行なおうというものである旨記載している。この記事を受けて次回どの様な反響があるか楽しみである。
 次に、具体例が少なく文章が簡単であるという指摘は、ごもっともな指摘であり、今後、一層の現地調査及び他の研究者の論文を読む必要性を感じた。

2 中国におけるリゾート都市開発(後編)
 北京から南に車で2時間程走ったところに「保定」という町がある。現在、ここを一大保養地として開発しようという計画が進行している。この計画は、広東省の珠海市と河北省の保定地区が共同で行なっており、2つの都市が共同で取り組むという大変珍しい開発のパターンである。改革開放政策の基本理念である、先に豊になったものが、その経験と資金をこれから開発する地域に注ぎ込むというトウ小平路線に沿ったものになっている。しかし、実際訪問するとまだ何の工事らしい工事の跡もなかった。
 実際、計画の始まった1年後、1993年暮れに珠海市は計画から離脱している。計画当初、珠海市はリゾートマンションの建設だけを計画した。しかし、当地保定は総合的なリゾート産業タウンの建設を要求した。珠海側はリゾート産業タウンの開発はまだ早いと判断したものの、建設地である保定側はもっと将来性のある計画を希望した。その結果、中央政府の仲裁も虚しく、珠海はこの計画から離脱した。
 現在、新技術工場用、リゾートマンション用、テーマパーク用、ホテル用に土地の整備を行なっているが、まだメインの工場とテーマパークに進出企業が決まっていないという。現在のところ珠海側が見積もったリゾート以外は空振りに終っている。
 先に豊になったものが、その経験と資金をこれから開発する地域に注ぎ込むというトウ小平路線は、早く経済発展したいという地元の意向と投資側の先進地域の意向が噛み合わず、そう簡単にはいかないようだ。

3 第4回世界女性会議から観光を考える(「新思考観光」という表題で来年1月に「ち にか」に掲載予定)

「えっ、ここも北京なの?」。秋風心地よい北京の雑踏から、しばらくぶりの英語が耳に飛び込んできた。その声の発信源である外国人女性はある光景を前に立ちすくんでいた。そこには、無造作に放棄されたゴミの山、泡立ち流れる汚水の溝、ところかまわず唾を吐く人々、その悪臭とともに、お世辞にも衛生的とはいえない光景が広がっていた。
中国の北京に暮らして約半年、中国人の生活臭にどっぷりと浸かった筆者にしてみれば、なんでもない光景である。驚くに値しない、まさにこれが北京の日常風景なのである。ところが、最近、表通りの美化が大々的に行なわれた。そう、第4回世界女性会議(以下、「会議」と呼ぶ。)を間近に控えた昨年の8月下旬に、北京の繁華街はよそ行き用にお化粧直しをした。各国からの会議参加者は、会議開催中、その北京のよそ行きの顔のみに接した。会議後、街に飛び出し、実際の北京の生活に接した会議参加者達は一同に驚きそして落胆したに違いない。ゴミの山を目の前にし、ショックを受けたあの女性と同じように。
今回の会議は、これからの新しい観光政策を考える上で、たいへん興味深い問題点を提示してくれた。スイスの観光学者フンチカーは観光を「人が通常の居住地から他所へ移動しかつ滞在するという事象とそれの関係の総体概念(ただし、ここにいう移動・滞在には営利目的を動機とするものであってはならない)」と定義している。彼の説明では、観光者側の動機等を限定することなく、コンベンションやセミナーの参加を目的とする場合も観光に含めるという点で、経済的観点から観光をもっとも広く解する立場をとっている。訪問客の増加により、市民の生活がいかに変わるか、人と人との交流が、生活の文化度をいかに高め、市民生活の幸せにつながるか、といった点に注目する筆者も、移動・滞在の動機を問わないフンチカーのこの立場をとる。つまり、今回の北京での会議開催についても、将来需要の増加が期待できる観光事業の1つとして捉えている。この期間中に北京を訪れた会議関係者は4万人近いという(北京週報No.37)。非政府、政府の会議期間がそれぞれ10日なので、トータルで40万人・日の観光効果があったわけである。1昨年の年間トータルが、510万人・日(統計年鑑1993)であるので、例年の約1割近くをこの会議で誘致したことになる。今回のこの観光事業が、北京市民にいったいどのような影響を与えたのか、順に見ていきたい。

 北京は、現在、道路整備に余念がない。北京市を巡る環状道路も2重3重に整備されている。しかし、現在、市内は、上海の約2倍の42万台(統計年鑑1993。ただし、民用車。その他、多数の軍用車が街中を走る)の車を数え、主要道路は東京以上の混雑を見せる。しかし、会議期間中は、この混雑を解決するために車両規制が行なわれた。毎日交互に車のナンバーの奇数または偶数が市内進入を許されるといった具合である。そのため、市内の道路は、いつもの喧噪がうそのようにスムーズな走りをみせていた。しかし、商用車、私用車を問わず規制したため、商務上いたるところで支障をきたした。例えば、小さな商店ではその日の品物が揃わず、休業するところもでてきた。
 また、今回、車だけでなく、北京市外(北京人は「外地」と呼ぶ。)からの人の出入りも厳しく規制された。普段は外地からの出稼ぎでごった返す北京駅も他の先進国の駅同様整然とした姿を見せていた。王府井や西単といった繁華街の路上にたむろする失業者の影も会議期間中は見られなかった。北京近郊の農村から自由市場に農産品を売りに来る農夫の影も疎らだった。逆に、北京郊外の都市では、行き場を失った失業者がたむろし、また、商用で北京へ入ろうとして入れないでいる人々が郊外の駅前の切符売場に長い長い列をつくっていた。北京市内では、外地からくる農産物、例えば卵などは、会議期間中の需要増にも見舞われ、一般の市場からは姿を消した。また、品物はあっても、ほとんどの品物は価格が上昇した。
 車、人が減ったおかげで、街はなんとなく奇麗になった。いや、実際、表向きは本当に奇麗になった。信じていただけるかどうか、実際、会議前2、3日の間、清掃会社の人に加え、警察官や一般の人までが駆り出され、何千人もの人が、街の中心部の清掃を行なった。先生に注意された学生が罰として教室の掃除をやっているかのような、それはもう異様な光景だった。おかげで、見違えるように奇麗になったものの、表に人が駆り出された結果、裏通りの清掃まで手が回らず、一層不潔さを増した。それに輪をかけるように、ホテルから観光客のだすゴミも裏に回され、そして放置された。 まさに、今回の北京は、市民の犠牲の上に築いた急ごしらえの観光都市だっただけに、旧来の観光事業、観光政策の抱える汚点をまざまざと見せつけてくれた。

 しかし、一方で、今回の観光事業のおかげで、随分と改善された点があることも同時に指摘しておかなくてはならない。
手荒い運転で有名な北京名物の黄色いタクシー。運転だけでなく、客に対する態度も手荒いとの悪名が高かったが、会議の開催を控え、サービスが改善された。会議の始まる1月前の8月1日に「北京市タクシー管理規定」が施行され、乗車拒否、領収書発行拒否等に対し罰則がかかることになった。その結果、遠回りをし、法外な料金を請求する運転手も減った。会議期間中、外国人とタクシーのトラブルは聞かなかった。
街には、史上初めて婦人警官が配置された。道案内が主な役割り。服装はだらけ、勤務中酒を飲み、横柄な態度で市民に接するなど、これまで北京の警察の評判は芳しくなかった。しかし、この婦人警官の熱心で親切な態度には、外国人の他、北京市民にもたいへん好評だった。
また、人と人との直接的な国際交流も進んだ。特に非政府フォーラムを支援した北京市内の外国語系大学の学生は、多くの友人が世界中にできたと喜びを表した。このような体験が積み重なることにより、国際規則という人為的な枠組によるのではなく、真に人と人との信頼関係に根差した世界平和が実現するのだろう。一方、北京を訪れた会議参加者は、実際の中国の姿をその目で見て理解を深めたのではなかろうか。中国の思想家孔子もその著書「春秋」の中で、「万里の路を行くは、万巻の書を読むがごとし」と観光の教育的有意性を認めている。
 さらに、1990年代に入って観光を中心とした開発を行なっている中国の新しい観光のメッカ海南島を例にとり、観光の有意性の例を挙げよう。
 観光の中心は基本的にサービス業である。よってマンパワーのサービス教育が重視される。観光関係者がサービス向上に努めた結果、彼らに礼儀正さや親切さが芽生えるであろう。その効果は観光関係者内に留まらず、それを取り巻く一般に人々にも伝わり、市民全体の文明的素養の向上にもつながる。実際、海南島では中国名物の投げ銭(商店のレジで店員が客に対して釣銭を投げて渡す習慣)は一切みられない。「ここ海南島のような田舎では北京のような5星のサービスはできないが、来訪者を大切にもてなそうという素朴は気持ちは庶民一般まで広がっています」。海南省旅遊局の張さんは、来訪者とのふれ合いによる一般市民のホスピタリティの高まりを指摘する。
 また、現在、中国各地で自然破壊、環境汚染の問題が深刻化している。改革開放政策にともない80年前半に対外開放された沿岸部はもとより、遅れて開放された内陸部の大気、水質汚染はひどい。開放が遅れた分、急速な第2次産業の発達が災いしている。例えば、楊子江上流の工業都市重慶では、大気汚染物質で一番問題になる二酸化硫黄(SO2)の平均濃度が0.451mg/m3を計測した。WHOガイドライン(0.049mg/m3)の10倍近くもあり、その深刻さがうかがえる。中国都市部での肺がんによる死亡率は人口10万人当たり34.01人で、88年と比べ18.5%も増えており、健康面への影響も大きい。一方、重慶と同時期に対外開放された海南島も当初同様な環境破壊に見舞われた。しかし、観光資源の保持という経済的観点から過去7年間に「珊瑚礁保護令」等8本の条例と20本以上の行政命令を発し、また、公害防止のための設備に省政府が年間800万元以上の援助を行なうなど、環境保護に努めた。その結果、「近年の急速な経済発展のもとで、良好な環境を保持している」と中国環境保持法に基づいた環境検査の結果が昨年の春、人民大会常務委員会に報告された。観光振興という視点を持てば、工業中心の発展では内がしろにされがちだった環境保全が積極的に行なわれることとなる。その結果、近代文明の病である公害問題も解決の方向に向かう。
 また、同様に歴史的な文化遺産も、その観光資源としての価値が認められ、その保護が積極的に行なわれるだろう。94年12月、楊子江三峡ダムの建設工事が始まった。これにより、632km2の風光明媚な陸地と数万点ともいわれる歴史的文物が水没する。これらを観光資源として見た場合、もう少し違った開発の仕方になっていたかもしれない。

 1994年11月に開催された世界観光大臣会議で「OSAKA宣言」が採択された。冒頭、今後の観光の見通しについて次のように報告されている。「2010年には、国際観光の到着者数は倍増し、9億3,700万人に達する」。「観光は、世界のGNP及び雇用のそれぞれの10分の1を占め、GNPと雇用の最大の創出分野であり、また、観光投資の額及び観光が生み出す税収入もそれに伴い多大なものである。観光が生み出すこのような経済効果は、今後とも順調に伸びていくものと予想され、観光は21世紀における世界経済の牽引車となるであろう」。
   現在、日本人の消費構造は将来に向って変化してきている。他の消費に比べ、レジャー・余暇生活に対する消費が年を追って増化してきている。93年の段階で全消費量の37%を占める。
「OSAKA宣言」の将来予測はけっして多げさにいったものではないということがわかる。実際、こうした消費構造の変化は、所得の向上と余暇の増加が影響している。今後も経済の効率化が進展する限り、実質所得の向上(物価下落を含む)、余暇の増加もそれに伴い進む。その結果、観光はまさに「21世紀の経済の牽引車」として、その重要性を増すであろう。こうした経済的要素に加え、観光振興は、今まで北京、海南島の例で挙げてきたように、心と心の国際交流、人心の美しさ、自然と文化の美しさ等の方面で素晴らしい波及効果を生む。単なる遊びの産業としてだけ見るのではなく、社会生活を豊にし、人々に幸せと平和をもたらす産業、いうなれば、「幸せと平和へのパスポート」として今こそ見直す必要がある。
しかし、旧来のやり方、つまり住民の生活の犠牲の上に実施する観光開発では、例えば先に女性会議の例で説明したような弊害が生まれてしまう。実際、日本の伝統的な観光地でもゴミ問題や物価上昇、交通渋滞など問題が起きていることでも明かである。 そもそも、中国古来の書、易経(風地観の64「観国之光、利用賓干王。象曰、観国之光、尚賓也。」)にその起源を発する「観光」という言葉は、国の威光を観る、提供する側からすれば、国の威光を訪問者に観せるという意味合いを持っている。つまり、観光とは、観せる側からすれば、単なるレジャーの提供ではなく、自分達の国家、地域の素晴らしさを訪問者に観てもらい、感動してもらうという、そういった経済・社会現象なのである。観光開発の基本は、本来、その街を真に住みよい街にし、生活者を含め街全体を魅力あるものにすることなのである。つまり、街の総合力を高めることなのである。表だけを飾った街では、真に訪問者を魅了することはできない。1度きりの興味本意の訪問で終ってしまい、リピーターは期待できない。街の総合力で訪問者を魅了(新思考観光)する街であれば、景気に左右されない固定客が期待できる。21世紀の観光開発のあり方として、市民本意の観光開発を提言する。街を演出するのは市民である 。

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高橋幸也の論考

Thesis

Koya Takahashi

高橋幸也

第15期

高橋 幸也

たかはし・こうや

Executive Vice President, Panasonic Energy of North America

Mission

企業経営、管理会計、ファイナンス、国際経済

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